162 クリスの仕事と事件の原因
職員によって冒険者たちが班ごとに分けられていく。とにかく必要なのは情報だ。どんな魔物がどれだけの量で溢れているのか。どこにいて範囲はどれぐらいか。
そのため斥候のできる者を集めて先に行かせた。
更に、鐘を鳴らして待機中の冒険者を呼び集める。
やることはたくさんだ。
職員の指示でどんどんと人が出ていった。事態を知らないまま駆け込んでくる冒険者に説明する専用の係もできて、クリスが呆然としている間に事は進んでいく。
が、ここで右往左往していても始まらない。
自分が何をできるのかアピールしている人もいた。クリスも辺りを見回し、自分が参加できそうな班に行きかけ――。
「クリス、君はこっちだ」
グレアムに呼ばれた。
カロリンやカッシーは早々に職員から名を呼ばれ、別の班にいた。二人が心配そうにクリスを見るけれど、こちらはギルド本部長がいるのだ。問題はないと手を振った。
気になるのはフードの中に隠れているプルピやククリだが、今のところ静かにしている。クリスは肩の上のイサを撫でてから、グレアムのいる壁側に向かった。
グレアムがクリスに求めたのは紋様紙の提供だった。
「魔法ギルドを通さなくても大丈夫なんですか?」
「特例措置だ。さっき許可も取った。……まあ、内情を話してしまうとだな。奴等め、在庫の紋様紙をほとんど吐き出している」
そんなバカな。クリスは訝しんだ。紋様紙はお高いアイテムである。魔道具と違って使い捨てだ。考えなしに使える代物ではない。だからこそ、紋様紙の在庫は潤沢にあるはずなのだ。本職のスキル持ちならクリスよりずっと早く描ける。都市にはスキル持ちが多く住んでいるようだから、全員がゆっくり描いていたとしても余りあるほどだったろう。
しかし、グレアムは冗談を言っている風ではなかった。もちろん、騙されている可能性も考えてみた。けれど、焦った表情の職員が、ひっきりなしにメモを片手にグレアムへ報告している。魔法ギルドと通信でのやり取りを続けているらしいが、職員の持ってくる情報や焦り方を見れば、逼迫していることは明らかだった。
「言いたいことは分かる。奴等が後生大事に保管している可能性もあるだろう。しかし、残っていたとしても上級紋様紙だ。使えるような攻撃系のものがあればいいが、どちらにしても村の近くや都市内では使えない。危険すぎる。そもそも、紋様紙には消費期限があるからな。隠し持ってたって意味がないだろう」
「えっ?」
今度こそクリスは本気で驚いた。
――消費期限?
確かに、紙は劣化していく。でもだからこそ、羊皮紙などに描くのではないか。更に、わざわざ保存処理を施してまで作り上げる。
インクもそうだ。インク作りに手間暇が掛かっているのは、魔力を発動させるため、不発や不備をなくすためである。当然、長期保存が可能になるよう作ってある。手で擦っても水がかかっても模様は消えない。
「その様子だと、やはりクリスの紋様紙は本式で作っているのだろうな」
「えっ?」
「悪いが、紋様紙を作る手順を簡単でいいから教えてくれないか? その上で説明しよう」
グレアムだけでなく女性秘書も隣で頷く。二人の顔は真剣だ。クリスは別に悪いことをしているわけではない。この騒ぎで紋様紙が欲しいというのなら提出するのも吝かではなかった。だから、売り物の方の紋様紙を取り出して説明を始めた。
一通り説明し、ついでだからと上級紋様紙も見せる。
「上級紋様紙だけはパピ製です。経年劣化処理を施してても、上級は術に耐えられるだけの土台が必要ですから。インクも、さっき説明したトリフィリの精油にドリュスの炭と精製水って組み合わせじゃなく、浄水にしてます」
「……いやはや。これほどとは」
「グレアム様、魔術紋も全く問題ありません」
手袋をして確認していた秘書が小声で告げる。当然だ。クリスは失敗したものを人に見せはしない。というよりも、破棄してしまう。
「そうか。やはりな。さて、クリス。君も薄々気付いているだろうが、我々が知っている紋様紙について教えよう」
グレアムが語ったのはこうだ。
現在、ヴィヴリオテカで流通している紋様紙は、どれも最低限の方法で作られている。ドリュスの堆積物に、膠と精製水を混ぜたインクで羊皮紙に描くというものだ。羊皮紙に経年劣化処理は施されず、インクも薄めているという。
上級紋様紙でようやく、経年劣化処理に原液のインクを使っているという始末だ。
また、経年劣化処理に必要な塗り工程を行える熟練者がおらず、ムラがあるという。そもそも塗り薬が本来のレシピで作られていないそうだ。
「本来のレシピって……。油と精製水を混ぜて定着させればいいだけなのに?」
「そうなのか?」
「はい。人によっては油がガラス粉になるみたいですけど。ガラスコーティングですね」
「そちらもできると?」
「一通り仕込まれたので、はい」
クリスは首を傾げ、ポンと手を打った。
「油の処理が上手くできていないのかも。油は不純物を取り除かないといけないし、ハケで塗るのも慣れないと大変です。わたしは、どのスキルも持っていないので、全部の作業に紋様紙を使ってます」
もしスキルに頼っているのだとしたら、各工程に必要なスキル持ちを並べ、一斉に作業を行う必要がある。時間を置いてはいけないからだ。しかも、全員が同じレベルならいいけれど、差があるのなら確かにムラができる。
「なるほど。作業工程にも問題があるのか」
「でも、紙やインクをケチるのはどうでしょうね? 命に関わるような紋様紙も多いと思うんですけど」
「すぐに使われるものだから問題ない、という彼等の言い分も理解はできるがね」
「上手くいけば数年はもちますもんね」
「その通り。しかし、こうした事態が起こった時には困る。しかも、たった一月ほどで予備を使い尽くすなど、誰も想像しなかったらしい」
「……でも、使ったのは最近王都から派遣されてきた冒険者ですよね?」
「その前から魔法ギルドだけで動いていたようだ。どうやら彼等は、一年前には異変に気付いていたらしい。小さな異変が続いていたのを放置し、本格的におかしいと気付いたのが二月前だ」
困った魔法ギルドが市長に相談し、市長は領主に黙って画策したがにっちもさっちも行かなくなった。伝手を頼って王都の魔法ギルドに頼み、そこから冒険者ギルドへ緊急依頼を出した。表向きは「魔物の氾濫の兆候があったがヴィヴリオテカの冒険者では対処できない」として。
実際は。
「先ほどから小出しに情報が来るので困っていたが、これで確定だろう。魔力素があちこちから噴き出している。地下の調整盤にガタが来ているのではないか、とのことだ」
「そこまで分かってて、何故……」
クリスも一緒になって呆れてしまった。
本来、魔力素は地中深くに含まれていて土の間をじんわり抜けて地上に吐き出される。しかし地下水のように魔力素の塊が大きな道となって流れる場所もあった。そのまま地下を流れていればいいが、稀に地上へ噴き出すこともある。
この土地は元々そうした場所だったらしい。人の住めない土地だった。ところが、魔物の変異種が生まれるなどして扱いに困った当時の領主が、大魔法使いに依頼した。
誰もが尻込みするような仕事を受けたのがジェマだ。
彼女は地下まで潜り、調整盤を設置した。そこに至るまでには大変な出来事もあったらしいが「詳細については絵本や劇を見てほしい」とグレアムに言われ、クリスは苦笑で首を横に振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます