158 お見舞いと治癒士スキルの先生




 あの時、転移を決行したのはククリだ。けれど、クリスが一人だったとしても皆を置いて逃げただろう。状況が分からない以上、一旦引くしかなかった。自分の命を最優先にした。


「当たり前じゃない。あなたが逃げてくれて良かったわ。むしろ、わたしたちを助けに戻った方が問題なのよ」

「カロリン……」

「そうだよ、クリス。そりゃ、早めに助けてもらったから土鼠に囓られずに済んだんだけどね」


 カッシーは笑わせようと思ったのだろう。事実、クリスもふふっと笑顔になった。けれど、カロリンはいつものように突っ込んだ。


「カッシー? そんなだから女の子にモテないのよ?」

「ひどいよ、カロリン」

「彼はほっておきましょう。ね、クリス。あなたがすぐに離れたのは戦略的撤退というのよ。自分の力量を見極められる人がどれだけいると思う? あなたは紛れもなく立派な冒険者だわ」

「……うん。ありがとう、カロリン。それにカッシーも」

「こちらこそだよ、クリス。ありがとうね」

「わたしもよ」


 話していると、治療院の人から声が掛かった。

 ゲンキたちも意識が戻ったらしい。本人たちもそうだが治癒士も、助けた人に会いたいと言っているそうだ。

 クリスが悩んでいると、カロリンとカッシーが付いてきてくれることになった。



 治癒士は、クリスの応急処置を大層褒めてくれた。

 昼間あれだけ偉そうだったゲンキは、水に濡れた子犬みたいになっていた。ぺしょん、と萎れているのだ。仲間のカイトとユウト少年たちも肩を落としている。

 そんな彼等の横で、治癒士が生き生きと話す。


「どういう状況だったのか、また助けた手順についての走り書きも付けていてくれたね。おかげで治療方針が素早く定まった。というより、わたしはほぼ何もしていないんだよ。体内で飽和状態だった魔力を抜いただけだ。君の持っていた浄水はよほど効能の高いものだね」

「いえ。ただ、紋様紙の【整正】で不純物を取り除いたんです」

「ほほう。しかし、水に対して使うのはかなり高度だよ。わたしは治癒士スキルを持っているが、だからといって簡単に扱えるものではない。体内を診るのだから繊細な作業が求められるんだ。紋様紙を使う場合でも同じことが言える。君は相当、紋様紙に慣れているのだろうね」

「あの、わたし、自分で描けるんです。だから練習に何度も使っていて」

「おお、君は紋様士スキル持ちか! それでか! ……うん? しかし、上級スキル会ではお目に掛かったことがないようだが?」


 話好きらしい先生にたじたじになっていたクリスは、そこで困ってしまった。

 ヴィヴリオテカの上級スキル持ちは、確か貴族に叙されているはずだ。「上級スキル会」というからには、懇親会のようなものが開催されているのだろう。そんな立場の人に、上級スキルを持っていないとは言いづらい。

 しかし、嘘は付けない。クリスは正直に話した。


「そのスキルは持ってないんです。写生スキルも。だから魔法ギルドでも登録はしてません。今回は自分で描いたものを自分で使いました。その、勝手な行為だったかもしれませんが、緊急だったんです。ごめんなさい!」


 話しているうちに先生の顔が微妙になっていった。なので、つい最後に謝ってしまった。そんなクリスを応援するかのように、カロリンとカッシーが後ろから触れている。肩に置かれた手が温かい。

 ドキドキしていたクリスだったが、先生は微妙に歪んでいた表情を苦笑に変えた。


「申し訳なかったね。そうか、君は魔法ギルドで何か言われたんだね。ヴィヴリオテカの仕組みは他と違うそうだから、勝手が違ったろう。うんうん。怖かったね。もちろん問題はないよ。先走って話してしまったようだ。わたしの悪い癖なんだよ。いつも弟子たちに怒られているんだ」


 先生は振り返ると、ベッドの上でぽかんとするゲンキたちにも聞かせるように続けた。


「専門スキルがなくても専門家と同じように使える者がいる。並大抵の努力では身に付かない。専門スキルを持つ者でさえ、努力をしなければならないのだからね。君たちは幸運だったよ。努力で専門性を身に着けた彼女が近くにいてくれた。その奇跡に感謝しなさい」

「は、はい……」

「あの、ありがとうな」

「助かったよ。お前、名前なんていったっけ」


 ゲンキに問われて、クリスは戸惑いながらも答えた。


「クリスです」

「クリスか。お前が浄水を飲ませてくれたんだよな」

「はい」

「そっか。その、悪かったな。初めてだったんだろう?」

「はい?」


 何故かゲンキの顔が赤い。そう言えば先ほどから様子が変だった。先生が話している間、チラチラとクリスを見ていたのだ。

 クリスが首を傾げると、肩を掴んでいたカロリンが力を強めた。

 振り返ると顔が怖い。


「カロリン?」

「いいえ。なんでもないわ。それより、あなたたち。クリスに感謝したのなら、後でちゃんと素材の補償をしなさいね? 技術料もよ」

「あ、ああ」

「当たり前だろ? 俺たちはそんな恥知らずじゃない」

「もちろんだ。こんな小さい子の初めてを奪ったんだ――」


 ギリッと肩が痛んで、クリスは飛び上がった。カロリンが慌てて手を離し「ごめんなさいね」と顔を覗き込んでくる。同時に、ヒッという声が上がった。複数だ。声からして、少年たちだというのは分かった。

 クリスが顔を上げると、三人の少年たちはカッシーの方を見ていた。

 何気なくそちらを見ようとしたクリスを、カロリンが止める。


「クリス、あなたは本当に良い子ね。はい、お姉さんを見てちょうだい」

「う、うん。カロリンどうしたの? 顔が怖いよ」

「あらぁ、怖くないわよぉ。さ、もう用事は終わったわね。帰りましょう。先生、構いませんよね?」

「あ、ああ。君たちは帰っていい。そっちの三人はまだ安静にしなさい。いいね?」


 何故か先生まで態度が変だ。そわそわして立ち上がると、クリスを追い立てるように部屋から連れ出す。


「先生?」

「なんでもないよ。君も当事者だったんだろう? 早く帰って休みなさい」

「はい。先生ありがとうございます」

「膨大な魔力素が渦巻く場所にいたのだから、少しでも体に異変を感じたら治療院へ来るように。それと、できれば【整調】や【清浄】、他に【抽出】の紋様紙があれば買い取らせてもらいたいのだが」

「えっ?」

「研究という名目での買い取りなら問題ない。実際、研究目的だからね。専門家ではない人の描いた紋様紙がどれだけ使えるのかを、実地で知りたいだけだ。もちろん自己責任で使うよ」


 パチンとウインクされた。先生はクリスの描く紋様紙を個人的に買って、応援したいと言ってくれているのだ。クリスは胸が温かくなるのを感じた。


「はい。全部、あります!」

「その代わり、申し訳ないが価格は抑えてもらうよ? 研究名目なのでね。そうだな、一般価格よりも四割引いてもらおうかな」


 とは、ギルドに納品するよりもやや低いぐらいの値段だ。クリスはほとんど損がない。

 カロリンやカッシーは知らなかったのだろう、ギョッとした様子だったが、クリスには分かった。先生が二重にクリスのためを思って言ってくれていると。


「少額かつ研究目的なら、税金はかからないんですよね?」

「その通り。やはり君はよく勉強している。ヴィヴリオテカでなければ、凄腕の紋様描きになっていただろうね」


 勿体無いと言うが、クリスは首を振った。


「わたしには、家つくりスキルっていう、自慢のスキルがあるんです。そちらでもっと頑張る予定です!」


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