156 人命救助




 クリスは顔にマスクをして、ゴーグルも着けた。

 ゴーグルに意味はない。いや、土鼠を倒すにあたって返り血を浴びたくないからだ。マスクは魔法遮断の布の残りを使った。魔法遮断なら魔力素も遮断できるらしい。完全にとはいかないが、ないよりマシだ。


「あとは【防御結界】でいいかな」

「それなら問題ない」


 プルピが断言するので、クリスはホッと胸を撫で下ろした。別の意味でも安心する。

 こんな時に言うことではないが、上級紋様紙の【魔力遮断】や【完全結界】を使うのは勇気が要る。【防御結界】でさえ中級用で、元手が掛かっているのだ。ほいほいと使いたくない。


「やっぱり、あとでギルドに請求しよう。人命救助だもんね」

「うむ。それでこそクリスだ」


 よく分からないが、プルピはクリスがお金の話をし出すと落ち着くと思っているらしい。エイフの前でなるべくケチなことを言わないようにしようと決めていたが、これからは誰の前でも言わない方がいいだろうか。クリスは場違いなことを考えた。



 気分の問題だった魔法遮断の布は、案外効くらしい。クリスが小屋に向かうにつれて魔力素が濃くなっていたそうだが、全く不調を感じなかった。

 単純にクリスが鈍感という可能性もある。ただ、魔力量がいまだに多いとは言えないから、そのせいかもしれないが。


「あ、いた。誰も動いてないけど……」


 大丈夫、生きている。直感的に思う。

 クリスは辺境の地で生まれ育ったからか、生き物の生死の気配に敏感だ。辺境地は常に死と隣り合わせで、生き物はひとしく平等だった。人間も動物も同じ。死はあまりにあっさりとしていた。

 その分、生きているものの気配は濃厚だ。その気配が、倒れている人から漂っている。


「まずは女性から見ようか。贔屓じゃないもんね。うん。カロリンは――」


 体に触れるが問題なさそうだった。体が楽になるよう位置を変える。次は近くにいたカッシーだ。彼も問題はなかった。

 あまり触れたくないニホン組にも順に触れていく。確認してもカロリンたちと同様に問題はなさそうだ。

 しかし、魔道具を壊したと思しき少年だけは様子が変だった。


「真っ青になってる。チアノーゼ?」

「急激に魔力素を吸収した状態になったのだろう。なんといったか。人間がたまになる病気だ」

「急性魔力器官膨張症……!」


 クリスまで真っ青になった。この症状になると体内で魔力が暴発し、悪くすれば死に至る。でももっと怖い可能性もあった。


「まずいよ、魔物化するかもしれない!」


 普通の人間なら耐えられずに死んでしまう。けれど元々魔力を溜める器官が大きいニホン族たちなら、耐えてしまうのだ。


「慌てるでない。オヌシには世界樹の慈悲の水オムニアペルフェクティオがあるではないか」

「あーっ! そうだった!」


 あわあわしながら、ゲンキという名の少年にもう一度近付いた。顔を覗き込むが、まだ大丈夫そうだ。血管も浮き出ていないし、おかしくなるような兆候も見られなかった。

 クリスはようやく落ち着いてきた。落ち着いてきたので、ある事実に気付いた。


「待って。だったら世界樹の慈悲の水オムニアペルフェクティオなんて使わなくてもいいじゃない。生命の泉の水……も必要ないな。浄水で十分対処できるよ」

「やれやれ。ここでそういう計算ができるのは、さすがと言えばいいのか」

「だってー。後でバレたら怖いものは使えないよ。絶対聞かれるもん。その時に看破スキル持ちがいたら、どうするの。というわけで、まずは浄水と~」


 と、その前に、クリスはまだ魔力素を垂れ流しているらしい魔道具に余っていた魔力遮断の布を掛けた。


「よし。じゃ、浄水を取り出してと。持ってて良かったー。あとは、うーん、やっぱり使わなきゃいけないか。【整正】の紋様紙も出して――」


 本来ならば聖水を飲ませた方がいい。ない場合は浄水でも構わないが、浄水は自然界に湧き出るため、どうしても余分なものが含まれている。たとえば微量な菌などだ。これを綺麗にする必要があった。

 他にも対処にはいろいろな方法があるけれど、クリスの今持っている中で取れる一番マシな方法がこれだ。

 ちなみに聖者や聖女といった最上級スキル持ちがいれば一瞬で彼等を治せる。ただし、呼んでもすぐにはお目にかかれない。最上級スキル持ちは王様よりも偉いと言われているのだ。おいそれと会えるわけがなかった。


「ゲンキ君、感謝してね。わたしが浄水を持っていたこと」

「オヌシ、相手が手出しできぬ状況だと強気ではないか」

「面と向かって言えない今のうちに言っておくんだよ」


 呆れた様子のプルピと話しながらもクリスの手は動いていて、浄水はきちんと綺麗な状態になった。さて飲ませようと思ったところでクリスの手が止まる。

 意識のない相手に水分を摂らせるのは難しい。

 誤嚥するかもしれず、柔らかい管を使ったとしても傷付けそうだ。

 数秒考え、クリスはハッとした。


「ククリ、お願いがあるんだけど」

「あい!」

「この人の口と胃に、これ、移せる?」

「……ぁぃ」


 嫌だというのがとても伝わる声に、クリスは笑いそうになった。


「物質だけ移すって難しいんだっけ? そう言えば、行ったことのある場所じゃないと飛べなかったかな」

「できゆ!」

「え、ほんと?」

「できゆも!」


 クリスはプルピを見た。彼は頷き、説明が足りないと思ったのだろう、クリスに分かるよう教えてくれた。


「視覚の範囲内ならば使えるはずだ。確かに制限はまだまだあるだろうが、この程度なら問題ない」

「そっか。じゃあ、ククリ、お願いします」

「ぁぃ」


 やっぱり嫌そうな声で、ククリは糸の手足を振った。一瞬で浄水が消える。


「おー! ククリ、ありがとう! 大好きー」

「!!!! くくも、くりちゅ、ちゅき!」


 興奮したククリがクリスの頬に飛び付いて、くっついてしまった。ぎゅぎゅっと掴んでくるが、痛くはない。違和感はあるけれど。

 そんなクリスたちをプルピはやっぱり呆れた様子で眺めていたが、足下から声がして視線を下ろした。


「うう……」

「意識が戻ったみたい。浄水すごいな~。顔色はどうかな」


 ゲンキの体を横向けから仰向けにする。顔色は大分良くなっていた。息も少しずつスースーと穏やかになっていく。

 ただし、そのままだと舌が落ちて窒息する可能性があるから、また横向きに戻した。


 他の人をもう一度確認し、カロリンたちのところへ戻る。カロリンはまだ目を瞑ったままだけれど、カッシーが動き始めた。

 カッシーはニホン族ではあるが、その前に種族がエルフだ。種族特性として元々魔力が高い。人族よりも魔力への耐性があるだろう。あるいは、普段から吸収と排出の訓練を心がけていれば、今回のように急速に取り込んだとしても耐えられる。


 かつてクリスが魔女様に勧められた魔力の器官を広げるドーピング方法は、本当に危険なやり方だった。急速に取り込んで排出するという滅茶苦茶な訓練を、退けられたクリスは偉いと思う。人族がやると危険な状態になったかもしれないからだ。

 もっとも、魔女様はクリスがドワーフの血を引いていると知っていたのかもしれない。ドワーフは頑丈な種族だ。耐えられると考えた可能性はある。


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