147 唐突な始まりと終わり




 翌朝、イザドラが魔法ギルドに薬のチェックを行ってもらってる間、クリスはカロリンたちと冒険者ギルドに顔を出した。

 しかし、クリスに合うような依頼はなかった。

 幸い、二人にはいい依頼があったようだ。


「畑に土鼠が多く発生してるんですって。都市内に魔物が多いのは異常だわ。でも変よねぇ。普段なら回ってこない仕事らしいわよ」

「土鼠程度なら薬を撒けばいいからね。そもそも結界士がやる仕事じゃなかったけ?」

「ここに来た当初、そう説明されたわね」


 ヴィヴリオテカには多くの上級スキル持ちがいるため、都市内で魔物が発生したままなのはおかしいと二人は話している。

 ひょっとすると、緊急依頼が関係しているのかもしれない。

 その緊急依頼についても、ここの冒険者ギルドでは分からないそうだ。王都のギルド本部が主導で、事情を知っているのも領主関係者だけらしい。

 蚊帳の外感があって、仕事のない冒険者たちがくだを巻いている。

 カロリンとカッシーに「クリスはしばらく来ない方がいい」と早々に連れ出されてしまった。

 クリスも情報を得るのが目的だったので仕事は諦めた。



 寄り道しながら帰るとニウスが元のサイズで日光浴中だった。イザドラはまだ戻っておらず、ペルとニウスだけで留守番だ。ペルものんびりと過ごしている。

 この日も、プルピとククリはどこにも出掛けずクリスと一緒だった。イサはもちろん肩に止まっている。

 こんな日があってもいい。市場で買ったお土産の野菜をペルとニウスに渡してから、クリスは家馬車の下から椅子を取り出した。

 旅の間も使った外用の椅子だ。ゆったりとして大きく、角度を変えてクッションを置けば優雅なデッキチェアの出来上がりである。

 石造りの三階建てアパートに挟まれているし、目の前の道路は石畳で緑もないけれど、雰囲気だけはバカンスと言えないこともない。空き地には草があるし思い込みは大切だ。クリスはテーブルにお茶を用意して、デッキチェアに深く腰掛けた。


 しかし、クリスの優雅な時間は十分ほどで終わった。

 空から変なものが落ちてきたからだ。


「……何、あれ」

「さて」

「ぼろ!」

「ククリ、ぼろは言い過ぎだよ。せめてモップって言おう」

「モップもひどいのではないカ?」

「……ピル?」


 三十センチメートルぐらいの布の切れ端みたいな物体が空から落ちてきて、ニウスの頭の上に乗った。が、ただの布ならクリスだって「誰かの洗濯物が飛んできたのだろう」で済んだ。

 問題は、布が動いていることだ。

 だから「何あれ」とプルピに聞いたわけだが――。


「ふむ。アレは精霊だな」

「やっぱりかー」

「……何故やっぱりだと思ったノダ」

「いやほら、精霊って変な姿が多いから」


 プルピが黙ったので、クリスは慌てて弁解した。


「よ、妖精は普通の生き物の姿を模しているのが大半だって言ってたもん。わたし、あんな姿の生き物知らないから!」

「確かに。あれは鳥のように見えるガ鳥ではないからナ」


 そもそも鳥だと思っていなかったが、クリスは黙って頷いた。


「流れの精霊のようだ。大物ダな」

「へぇぇ。上位精霊ってこと?」

「……うむ」

「なんで不機嫌なの?」

「不機嫌などではナイ」


 と、不機嫌な様子で言う。上位精霊だと問題があるのだろうか。クリスは首を傾げながら、ニウスの上にいる精霊を眺めた。ふたりは何か話している様子で、しかし声は一切聞こえなかった。ニウスが時折「キュ」と鳴くだけだ。

 すると、唐突に毛糸みたいな端切れを寄せ集めた塊が動いた。どうやら振り返ってクリスたちを見ているらしい。まるでダスターだ。

 ニウスが一メートルサイズになり、のっしのっしと近付いてきた。頭の上にはダスターがいる。


「キュ」

「ピ…ピルルッ!!」

「イサ?」


 不思議に思って肩を見ると、イサが羽をバタバタさせた。頬がバシバシ叩かれるが、彼は自分の行動に気付かない。いつもの彼らしくなく、クリスは不安になった。


「イサ、どうしたの?」

「ピッ? ピピピ……」


 ようやく気付いてくれたイサが静かになった。けれど、クリスとダスターを交互に見ては悩ましそうだ。

 クリスが戸惑っていたら、プルピが目の前に飛んできた。ただしお尻をクリスの鼻の前にして、だ。


「ええい、性格の悪い奴メ! この娘にも分かるヨウニ話せば良かろう!」

「ピィ……」

「え、え? どういう?」


 クリスがオロオロしていたらククリが転移してきた。いきなり頬のあたりに来るからギョッとするが、もっと驚くことがあった。


「くりちゅ、ちゅき!」

「えっ?」

「いちゃも、ちゅき。……むぅー!」


 ククリはクリスに話しているのではなく、ダスターに向かって喋っていた。糸の手がクリスの頬にくっついたまま、体はダスターに向いている。

 一生懸命、何かを訴えているようだった。


「やっ」

「え、え、どうしたの? ククリ、大丈夫?」

「やーっ!」


 クリスの頬にある手は動いてないが、反対側の手と足の糸がバタバタと揺れる。ククリがこれほど興奮するのは初めてだ。

 反対側の肩に止まっていたイサも、また羽ばたき始めた。

 そして「ピッピ!」と叫ぶように鳴く。

 目の前のプルピも、まるでクリスたちを守るかのごとく大の字で浮かんでいる。

 もしや、クリスには分からない電磁波のようなものがダスターから飛んできているのだろうか。

 そう思うと不安になり、そっと胸ポケットに手を当てた。そこにはクリス専用の紋様紙が入っている。


 紋様紙は【防御】がいいだろうか。でも相手は精霊だ。しかも上位精霊だという。初級スキルなんて屁でもないだろう。

 ならば中級の【防御結界】を、いやそれより上の【完全結界】がいいのではないか。

 クリスはじりじりと後退りながら、胸ポケットから紋様紙を取り出した。手に取ったのは【防御結界】だった。上級紋様紙はいざというときの【業火】以外は髪の毛の中に仕込んでいる。敵が目の前にいる時に大きく手を動かすのは危険だから、諦めた。


 しかし、突如始まった緊張感は、終わるのも唐突だった。

 クリスの頭の中に声が届いたのだ。


(事情はよく分かった。落ち着け。そこな娘も敵意を抑えるがよい)


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