129 宿無しクリス
とりあえず、家馬車を預けなければならない。クリスは、先日から観察していた町の様子を思い出した。幾つか心当たりがある。下調べをしていた自分にグッジョブと言いたい。まずは動き出す前に、中級紋様紙【浮遊】を家馬車に掛ける。他にも使えそうな紋様紙はあるが、無難なものを選んでみた。
最初に家馬車を作った時、クリスはペルに【身体強化】を掛けるつもりだった。初級だから、使う度に「勿体無い」と悶絶しなくて済むと考えたのだ。
けれど、その後クリス自身に【身体強化】を何度も掛ける機会があった。紋様紙は魔法だ。紋様紙自体に込められた力と周辺の魔力素を使って強制的に「事を起こす」。それが自然に対してならまだいい。しかし、人間に対して使った場合、反動が来る。クリスも掛け続けた反動で筋肉痛のような痛みに苛まれたし、気分も最悪だった。
つくづく、ペルにやらせる前に気付いて良かったと思う。とはいえ、身体強化をしないまま家馬車を引かせるのは大変だ。クリスはペルの体を撫でた。
「ペルちゃん、一頭引きになるけど頑張ってくれる?」
「ヒヒーン」
「ありがと。じゃ、ゆっくりと進んで。いくら【浮遊】を掛けたとはいえ、それでも重いからね」
動き始めると進むのは楽になる。大きな段差があれば困るが、幸いにして道は整備されていた。
少し気になるのは坂になっていることだ。しかし、ブレーキを使いながら徐々に下った。
クリスが当てにしていた預かり所はすでに予約が入っていた。それでも他に行くところがないと懇願すれば、別々の場所になってしまったけれど受け入れてもらえた。
「こんなところで悪いな、お嬢ちゃん。さっきニホン族が来て押さえていったもんだからよ」
「ううん。仕方ないもの。こうして間に入れてもらっただけでも助かるよ」
「だが、こいつは重種で大きいから、ここじゃ辛かろうな」
「うん。早めにどうにかする。それまでよろしくお願いします。無理を聞いてくれてありがとう」
「おう、餌はいいものをやっておくからな」
厩務員が笑顔で請け合ってくれた。
クリスはペルに「ごめんね、ちょっとだけ我慢してくれる?」と頼んだ。彼女は仕方ないわねといった様子で「ブルル」と鳴いた。
これまでも大変な旅を続けてきたクリスとペルだ。ふたり寄り添って狭い厩舎で寝たこともある。ペルは我慢強いから、耐えてくれるだろう。でもクリスは甘んじるつもりはなかった。
「最悪、ヴィヴリオテカを出よう。少し戻れば小さな町があったし。そこから手紙を出せばいいもんね。念のためヴィヴリオテカの冒険者ギルドにも言付けを頼んでおけば、行き違いにもならないし」
「ヒヒン」
「ペルちゃん、ありがと」
いいのよ、と彼女はクリスの頭にキスをした。
ヴィヴリオテカを出てもいいと考えたのはニホン組が大挙して来ると知ったからでもある。
エイフも言っていた通り、ニホン組の全員が悪いわけではない。けれど今朝の言い合いを聞いても、冒険者ギルドのやることは全て正義、といった考えが怖ろしかった。
もちろん内容にもよる。その内容を知らされていれば、宿の人だって反発はしなかったかもしれない。
たぶん、言い方なのだ。もっと柔らかく頼めば、すんなりと受け入れた。
と、そこまで考えてクリスは首を振った。
――だけどやっぱり怒ってはいたかも。
突然、宿から追い出されたのだ。怒っていいはずだ。
「さて、のんびりしてる暇はないよね。この調子だと早めに宿を探さなきゃ、あぶれた人たちと取り合いになるもん」
「ピッ」
「イサは、プルピたちがどこにいるか知ってる? ちゃんと戻ってこられるよね?」
「ピピ」
そう言えばクリスは彼等の加護を得ている。加護を与えた相手の場所は分かるらしいから、気にしないでいいのだろうか。
はたして。
「ピッピッピ」
「あ、大丈夫なんだね。よし。じゃ、ふたりはどうでもいいや。先に宿を探そう!」
「ピルゥ……」
溜息みたいな鳴き声で、イサはクリスに付いてきた。
しかし、クリスと同じ考えの人は多かったようで。
「嘘、ここもダメ?」
下地区のどこの宿屋も軒並み断られてしまった。さすがに大部屋なら空いていると言われたけれど、女の子はダメだと言われる。当然だ。クリスだって大部屋で雑魚寝する勇気はない。曲がりなりにもクリスは女の子なのだから。
「まずい。ものすごくまずいよ。家馬車を預けたところは泊まり禁止だって言ってたし」
大きな都市にありがちな「保安上の問題」で、お目こぼしもしてもらえない。
「居酒屋併設の宿はどうかな。ちょっと煩いだけだよね?」
「ピッ、ピッ!!」
「ダメ? そっか、ダメか……」
エイフがイサにも「クリスを頼んだぞ」と言ったせいで、彼は少々心配性になっている。多少治安は悪くても大部屋よりはマシだと思ったのだが。
クリスが渋っていると、イサは文字ボードを出せと要求した。そして、こう言ったのである。
「『連れ込み宿だからダメ』? あ、そういう感じかー。……ていうか、なんだってイサはそんなこと知ってるの?」
「ピピピ」
「んーと? 『常識』って、なによ、それ。わたしが常識ないって? 妖精に言われるとは思わなかったわー」
「ピピピ」
ふたりで言い合っていると、見知った顔が通りがかった。
「クリスじゃないの!」
「イザドラ」
「一人で喋ってる変な子がいると思ったらクリスだったわ、あはー」
待ち合わせの時間には早かったけれど、せっかく出会ったし、イザドラも仕事の予定が空いてしまったというからカフェで話をしようと決まった。
そのカフェでランチを取りながら事情を話すと、イザドラは我が事のように怒ってくれた。
「何それ。信じられない! 先に入ってるのを追い出すなんてさ。それにニホン組も何様だよ」
「あー、冒険者が、だね」
「……冒険者か。だけどさ、そんなに大勢が来るなんて何があったのかな」
「分からないんだよね。ギルドに行って聞いても教えてくれないだろうし」
「そうなの?」
「情報料を支払ったら教えてもらえるかもしれないけど。一つの質問に銀貨三枚取られそう」
「高っ」
「だよね。あと、お金払っても教えてもらえない可能性が高い」
「なんで?」
「ニホン組が受ける仕事だから。たぶん上級ランク用だし、機密情報なんじゃないかなあ」
ヴィヴリオテカの冒険者ギルドの対応はあまり良くなかったので、情報収集する気になれなかった。何より、優先順位は「家馬車とペルの預け場所を探す」と「クリスが今夜泊まる宿の確保」だ。
それを思い出すと溜息しか出なかった。
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