096 巨樹の上部へ行こう



 巨樹の上部への出入りが制限されているのは当然だが、実はもっと制限のかかっている場所がある。巨樹の内側の根元だ。根元側にぽっかり空いた洞があり、地面から少し登って入る。

 中は空洞で、行政の中心となる建物や領主一族の別荘があるらしい。空洞内に別荘なんて暗いんじゃないかと思うが、意外とあちこちに穴が開いているそうだ。そこから光が差し込んで幻想的に見えるとか。もちろん、その穴の周囲は厳重に守られており、誰も巨樹の外側から入れない。

 用事があるときは地面側の入り口から入るしかないけれど、もちろん誰でも入れる場所ではなかった。巨樹の中央にある役場で手続きし、許可された者だけが入れるという仕組みだ。

 とはいえ、ほぼ貴族や神官しか入れない。何かあれば神官付きの護衛騎士、あるいは領主お抱えの騎士たちが収める。滅多にないが外から招いた学者や賢者などが過去に入ったそうだ。


 そこまで厳重にするのは、地下に神殿があるからだった。神殿は地下から湧き出る泉を大事に守っている。巨樹の下には巨大な地下水脈が流れており、一部が泉として湧いて出ているそうだ。巨樹を巨樹たらしめんとする聖なる泉だから、大事に守っている。


 クリスは巨樹の上部へ向かいながら、熱心に話す案内人の話を聞いた。

 案内人は領主の下で働く養蜂家の従業員だ。まだ若い。他に、見届け人として役人も一緒だった。見届けといっても現場を見るわけではない。上部に誰かが勝手に入らないよう、頑丈な柵を巡らせているため、唯一通り抜けができる門扉の開閉係として付いてきた。現地で警護に当たっている兵には鍵が与えられていないせいだ。

 作業や見回りなど、用事のたびに役人を伴って来るしかない。なかなかの厳戒態勢だ。クリスは、脚力が鍛えられるだろうなと変なことを考えた。


 事実、登るには時間も体力も必要だ。もしずっと歩きだった場合、クリスなら丸一日かかりそうだった。しかし、そうはならなかった。

 実は途中から専用の乗り物が使えたのだ。トロッコ列車みたいな乗り物だ。動力は馬なので馬車と呼ばれている。クリスたちが泊まっている宿より少し上に最初の乗り場があることからも、上流階級専用の乗り物だと分かる。

 といっても、今回のように依頼で上部へ行く場合にも使える。

 馬は三頭立てで、坂道をどんどんと登っていった。とにかく楽だし早いし有り難い。

 しかも、クリスには嬉しいことが他にもあった。


「うわぁ……! すごいお屋敷ばっかり」

「このあたりは領主一族の家だからな。立派なのさ」

「すごいねえ」


 せっかく説明してくれていた案内人の話もそこそこに、クリスは中流の家々を眺めていたが、上層に行くと我慢できなくなってお屋敷に見入った。

 案内人は苦笑し、役人も肩を竦めている。彼等は見慣れているのだろうが、クリスは初めてだから仕方ない。

 巨樹では住居ゾーンと畑や工場などが分けられている。冒険者が依頼を受けるのは害虫駆除系が多いから、住居側を観察する機会はない。しかも立派な屋敷を見るのは巨樹では初めてだった。


 お屋敷は、立派ではあるが城というほどでもなく、ドイツで見かけそうな木組みのホテル風だ。屋敷の両端に丸く出っ張っている建物が付いており、日当たりが良さそうなことから応接室か温室代わりの部屋かもしれない。

 巨樹に沿って建てられているのは下層の家と同じだ。けれど、お屋敷レベルのため、端の方がどうしても巨樹とピッタリ貼り付いていない。そこがどうなっているのか目を凝らしていると、役人にツンと服を引っ張られた。どうやらあまり見てはいけないものらしい。

 クリスはしゅんとして席に座り直した。


 それにしても、お屋敷が巨樹にへばりついて建てられているのは本当に面白い。庭もあるけれど建物前の部分は狭い。全体としてやはり横長に作られている。隣の家との間隔が空いているため特に狭い感じはしないけれど、不思議な感じだ。

 更に敷地を囲むように木製の塀が並んで立っている。その外側が道路だ。ここはトロッコだけでなく馬も通れるようになっていた。

 領主一族には秘密の抜け穴があるため、外の道路を使わずとも巨樹の内部へ行き来は可能だ。けれど、外からの訪問もあるため道路を立派に作っているのだろう。


 途中で一際大きいお屋敷も見た。領主の本宅になるそうだ。住宅地の最上に建っている。枝振りの立派な場所で、巨樹に沿いつつも太い枝の上へと横長に伸びた屋敷だった。

 この太い枝ごと全部、領主の土地になるらしい。

 方角も枝振りも最高の一等地というわけだ。


 それを横目に通り過ぎると道路が細くなりガタガタとしたものになっていく。

 中流の住宅地から領主の屋敷までは、枕木舗装のような硬くて丈夫な木を使ったオシャレな道路だった。ところが下層の住宅地にある道路は枕木みたいな立派な木材は使用しない。砕かれたチップを圧縮して敷き詰めている。それはそれで重量や音を吸収して向いているのだろうが、悪くなるのも早い。

 トロッコを牽引する馬の歩く道もところどころに穴が開いていた。御者が「帰りに塞いでおくか」とブツブツ文句を言っている。

 レールの横に申し訳程度の幅で通路もあるが、雑草が伸びてきて手入れがされていない。自然に飛んでくる土が溜まって、いつの間にか生えているのが雑草だ。


 雑草の周囲には小さな虫が飛んでいた。クリスは慌てて、ナタリーにもらった渦巻虫の殻から作った虫除けオイルを塗った。現地で様子を見てからと思っていたが、早いに越したことはない。

 平衡感覚を保つ薬は飲まなかった。今のところ高い場所は平気だ。たぶん大丈夫だろう。

 エイフにはどちらも要らないと断られた。頑丈な肌に高い運動能力は羨ましい限りだ。


 トロッコは上部へ入る柵の門近くで終点となる。近くには、柵を守る兵たちのための宿泊施設があった。

 役人が門の鍵を開ける際は兵が二人立ち会う。クリスがキョロキョロしながら観察していると、エイフが頭を押さえた。


「不審人物みたいだぞ」

「だって初めてだもん。気になるよ」

「まあな。他の冒険者たちも初めてだとクリスみたいになってるよ」


 二人のやり取りを聞いていた兵たちが笑った。頑張ってな、と応援もしてくれた。役人以外は皆、愛想が良い。

 見届けの役人とはここまでだ。クリスたちは案内人と三人で上部へと徒歩で向かう。



 大きな柵の向こうは見事に景色が変わっていた。

 見渡す限り鬱蒼と生い茂った森のようである。これでは枝がどうなっているのかさえ分からない。

 まさか、こんなにも葉が生い茂っているとは思っていなかった。

 クリスはポカンとしながら、さくさく歩いて行く案内人とエイフの後を追った。


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