061 闇落ちクリスと都市の不思議




 水代と聞いてクリスは首を振った。大きく振った。

 なんて贅沢なんだ。無理だ、絶対無理。だったら、お風呂に入らなくていい。道すがらに採取してきた洗浄剤を使えば十分綺麗になる。

 いや、そもそも【清浄】の紋様紙があるじゃないか。【水】の紋様紙を使ってもいい。お湯にして出せば――。


 クリスが脳内で騒いでいると、エイフが止めてくれた。頭をポカリと叩いて。


「毎日じゃなくてもいいだろ。数日置きに運んでもらって、節約すりゃいいじゃないか」

「エイフ。今の話のどこで節約って言葉が使えると思ったの?」


 エイフは黙ってしまった。

 宿の女性は苦笑だ。たぶん、こうした話は今まで何度も交わしてきたのだろう。「頼む時は早めにお願いしますねー」と、サラッとまとめて部屋から出ていった。



 クリスの前世は、男女平等で割り勘主義が普通だった。

 婚約者も「共働き&生活費は同額持ち寄り」生活を希望していた。

 当時の暮らしはシビアで、都会で暮らすにはお金もかかった。大学を出て良い会社に入っても、それほど贅沢な暮らしはできなかったのだ。

 それなのに婚約者と別れてから「家だ、家を買おう」と思い立ち、更に節約生活が続いた。

 クリスには前世からのケチ臭さが染みついているようだ。

 ここで男性に「お願い~」と甘えて頼めるような性格だったら良かった。

 そう、婚約者が浮気した相手もそういう女性で――。


「あ、ダメだ。記憶よ、消えろ」


 闇に落ちかけたクリスは何事もなかったかのように澄まし顔を作った。

 そしてエイフはといえば、クリスの独り言を華麗にスルーしたのだった。





 大きな衝立が二つ、部屋に用意された。

 一つはベッドとベッドの間に。もう一つは部屋の片隅だ。そこがクリスの陣地、もとい個人スペースとなる。


 エイフはクリスのことを「子供」だと思っている上、彼の好みからは大きく外れているようなので、そういう意味での不安はない。

 しかし、だからといって見られて平気かというと、そんなことはない。

 クリスだって年頃の女の子なのだ。裸を見られるのは恥ずかしい。

 しかも、前世の記憶については忘れようと思いつつも、いまだにしっかり覚えているわけで。

 つまり、三十路間近の女性の感覚も残っているのだ。

 同年齢に近い「男らしい」エイフの前での着替えは、できそうになかった。


 自意識過剰なのはクリスも分かっている。イサに言われたことがあるし、勘違いで恥ずかしい思いをしたこともあった。

 でもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 子供のフリして無邪気を装うこともできないし、奢ってくれてありがとう~と、可愛く言うこともできない。

 ようするに、男性からすれば「可愛げのない」女の子なのだった。


 今生でも恋愛できそうにない気がして、クリスはどんよりした気持ちになった。


 しかし、暗い顔をしていても手は動く。

 家馬車から運んできた荷物をクローゼットに片付けるなど、やることは多い。

 エイフは大きな収納袋に何もかも突っ込んでいるため荷物の片付けはなかった。


「手伝うか?」

「ううん。服がほとんどだから」

「それが終わったら冒険者ギルドに行こうぜ」

「分かった。その後、市場を見てもいい?」

「そうだな。朝市ほどの活気はないが、飲食系の屋台が出るはずだ。ついでに食ってこよう」


 エルフが多い国なので、飲食店はエルフ好みが多いらしい。が、屋台なら他国の人間や他の種族でも食べられるものになっているようだ。

 クリスはそのどちらにも興味があり、エイフは笑って「じゃ、明日は店の方にも行ってみよう」と言ってくれた。




 まずは冒険者ギルドで異動届を提出し、どんな依頼があるのか確認することになった。

 金級のエイフにはすぐに受付から声が掛かり、彼は窓口で話し合いを始めた。同じパーティーとはいえクリスは銀級である。まだまだだ。

 ちなみに、銀級の上が半金級、そして金級と上がっていく。たった二つの差のように思えるが、上へ行けば行くほど上がりづらくなる。しかも、金級になるには特別な試験があるという。

 金級へ上がるためには冒険者に向いた特別なスキルがなければ難しい。そうした噂はクリスの耳にも入る。

 クリスには「家つくり」というスキルしかなく、冒険者向きではない。普通に考えてランクアップは無理だろう。

 たぶん一生銀級だ。それでもいい。地道に働けたらそれで。クリスは、自分のランクに見合う内容を掲示板で確認した。


 確認が終わると夕方になっており、二人ともお腹がペコペコになった。ハンバーグを作る話は先延ばしにし、本格的に市場で食べることにした。


「外の人間向けの市場は、この巨樹の外側に張り巡らされた木々への通路沿いにあるんだ」

「外側の木々には家はあまり作られてないんだね」

「あれは貴族の屋敷のようなものだ。そうだなぁ、辺境の貴族を想像してくれ。一本の木が彼等の領地だ。この都市では守護家と呼んでいる。目に見える屋敷は守護家のものだ。彼等は領地である木と、それぞれへ通じる通路の管理を請け負っているんだ。通行料を取る守護家もある。その代わり、取引となる材料があるってことだ」


 その家の木にしか成らない実もあるという。特殊な実は薬や嗜好食品などへ作り替えられる。

 屋台から場所代をもらって通行料はタダという守護家もあるらしい。

 とにかく、網の目のように張り巡らされた橋を通って、関係者は各々の木へと移動する。貴族である守護家の人々は地面に降りることがほぼないそうだ。


「変なの」

「だよな。まあ、そうした風習も含めて、天空都市と呼ばれているわけだ」

「わたしたちは巨樹の上には行けないの?」

「幾つか方法はあるぞ。冒険者ギルドで依頼を受けるのが一番手っ取り早い。貴族に知り合いを作ってもいいな。一番上には入れないが、そこそこの上空から見下ろす世界は壮観だ」

「行きたい!」

「じゃ、虫退治の依頼が入ってることを祈ろうぜ」


 その不穏な言葉におののきかけたクリスだったが、魔物退治だと思えば問題ない。自分に言い聞かせて、屋台通りへと突入した。



 屋台では迷宮都市ガレルでも食べたような、串焼きや肉巻き、サンドイッチなどが売られていた。ハンバーガーも多種多様で選ぶのが大変だ。

 野菜が足りないと思ったものの、それらはエルフ料理で食べられるらしい。


「エルフの飲食店って、つまり野菜料理ってこと?」

「あとは虫の肉だな。木の実も多いが」

「……虫か」


 クリスの顔は自然と顰め面になった。

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