052 ワンランク上の家馬車が完成




 魔術紋は描くのにとても神経を使う。しかし、これを家つくりスキル発動中に使用すれば良いのではないか、とクリスは気付いた。


 プルピに言われて踊り橋の補修をした際、家も作り直した。その時にも扉にまじない程度の「保護」を彫ったことがある。あれと同じだ。

 ただし、材質が木であることから紋様紙ほどに強力ではない。

 紋様紙は魔法を発動させるための最適な素材で作られているから、きちんと発動するのだ。けれども、木だからといってできないことはない。ゆるやかにしか効かないが、魔力を通さなくても「それなりに」効いてくれる。

 大変面倒な作業だったが、なにしろクリスのスキルは「家つくり」だ。


「これは家、家、家」


 まるで呪文のように呟きながら、ものすごい勢いで馬車の外側に魔術紋を彫り上げていった。

 彫る場所は決まっている。特別な素材だ。地下迷宮から採れたトレントである。魔力を通しやすい素材として有名で、他の木材よりも高い。木製の魔道具にもよく使われる。

 当然、全体に貼り付けることはできない。

 余り物として置いてあったあった端材だ。これを細く切りそろえ、馬車の周囲に張り巡らせた。

 ぱっと見た目には端を飾る模様だ。全体に彫っていないため、お金がなかったのだろうと思ってもらえる中途半端さにした。


 これで「防御」は寝ている夜だけで済む。


 他にも細かい箇所に手を入れ、「これで終わり」と思った瞬間にスキルが切れた。



 前回よりも時間がかかったのは彫り物があったせいだ。でなければ、これほど時間は掛からなかっただろう。なにしろ、あらかじめ棚や物入れ、ベッドなどが用意されていたのだから。

 お風呂も以前頼んだものより良い物に仕上がっていた。素材もさることながら、造りも強化されている。また少しだけ広めになっていた。

 ただし高さは変わらない。クリスが使うことを、ちゃんと想定しているからだ。クリスが大人になっても、高さはそれほど必要ない。十三歳の女の子がこれから育ったとしても、さほど背が伸びるとは思われなかったのだろう。

 ただし、広くなればゆったりと入れる。以前のものは、体を縮めて浸かるだけのサイズだった。

 お風呂の底には工夫があり、五徳の足のようなものが付けられるようになっている。どうしても猫脚には見えないため、クリスは五徳と名付けた。土の上に置けるよう細工したものだ。底を傷付けないための工夫である。


 クリスは疲れていたが、心地の良い疲れであった。

 誘拐騒ぎの時のような力が抜けるような疲れではない。

 紋様紙を発動しっ放しで神経を使い続けた時とは雲泥の差だ。これがスキルなのだ。


「終わったのか?」

「相変わらず、すごいものだ」

「この間よりもレベルが上がってないか」

「なんて速い動きだ」


 見ていた人たちの声が背中に届き、クリスは振り返って笑った。

 すぐそこにエイフがいる。彼は驚いた様子で家馬車を眺めていた。その後ろにガオリスたちがいる。

 ガオリスの奥さんもだ。彼女は前回と同じように手を叩いて皆の注目を集めたあと、クリスを休憩させるようにと注意した。


「さあ、クリスちゃんは頭がいっぱいの状態なの。休ませてあげないとね。クリスちゃんには飲み物を持ってくるわ」

「ありがとう」

「ほら、鬼人の兄さんも。座って座って。ずっと立ったまま見ていたでしょう」

「あ、ああ」


 エイフはどうやら、感動しているらしい。口をポカンと開けたまま家馬車に見入っている。

 それがクリスには何やら恥ずかしい。しかし、同時に誇らしい気持ちにもなった。


 実際、喉を潤した後のエイフは、一気にクリスを褒め称えた。


「すごいじゃないか! なんだ、あれは。俺はあんなスキル発動見たことがないぞ。すごい集中だったし、誰も寄せ付けないようなオーラを感じた。まるで結界を張っているような状態だった。しかも、たった一人でこの作業をやり終えたなんて、すごすぎる。細かい作業でも手を止めずに同じ勢いで続けるし、本当に驚いた!」


 まあ、あまりに手放しで褒めるものだから、途中で止めたが。

 クリスはこの時、エイフのことを「大袈裟な」と感じていた。

 実際、ガオリスたちも「エイフさんは職人のスキル発動を間近で見たことがないんだね」と微笑ましげに語っていたからだ。

 大工スキルの持ち主の動きも、今日のクリスと同じように見えるだろう。

 ただ、エイフが言いたかったのは少しだけ違っていたのだが――。

 それが分かるのは後日のことだ。



 さて、何もかもが新調されたクリスの家馬車がこれで完成となった。

 余った素材については、もらっていいと言う。


「え、でも本当に良いんですか?」

「構わないさ。皆も返されたって困るだろう。まだ荷物置き場は空いているよね?」


 と、ガオリスに言われて、有り難く受け取ることにした。

 ただし、屋根にはペルたち馬の食事を積むつもりだ。とにかく二頭になるなら倍の量の餌が必要となる。

 クリスの持っているポーチには到底入りきらない。というか、元々、クリスの非常食だってそれほど入れていないのだ。

 余った素材は家馬車の裏扉側に作った、玄関スペースに詰め込むことにした。椅子の下が物置になっている他、天井部分にも吊り戸棚を作れば良いだろう。クリスなら頭を打つことはない。なんなら椅子じゃなくて、両サイドは完全な物置にしてもいい。


 馬車の下側にもじゃっかんの余裕があったため、そこに片付けてしまう。

 御者台の下の物入れには重めの食材を詰め込む予定だから、他にはもう場所がなかった。


「完成したね。すぐに出て行くのかい?」

「そのつもりだったんですけど、馬車が大きいから馬を一頭買おうと思ってます。その分の餌が増えるので、追加で頼まないといけないし」

「そうかい。じゃあ、まだ少しは滞在するんだね。良かった。お別れパーティーを開きたいからね」

「えっ」

「皆で計画してるんだ。ただ今日明日というのは難しいねと話していたから」


 クリスは、どんな顔をしていいのか分からずに眉を寄せた。それを見たガオリスの奥さんが苦笑する。


「泣かないで、クリスちゃん。ね、わたしたちに最後に良いところを作らせて」

「……もう良いところ、いっぱい見たよ」

「ふふ。クリスちゃんたら。本当に良い子なんだから」


 奥さんは泣きそうになったクリスを、その大きな胸に抱き締めた。

 クリスの向かいでは休憩用の椅子に座ったエイフが立ち上がり、おろおろしていたところだったのでちょうどいい。

 彼は何故か、クリスが泣くのを嫌がるからだ。

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