024 日本の料理とセンスと急ぎの依頼




 次の日も早めに仕事を終わらせると、昼から休むことにした。

 というのも、日本の料理を食べたかったからだ。

 クリスは、以前エイフに食べさせてもらった小汚い店へ向かった。昼時を外したものの、店は半数ぐらいの席が埋まっていた。


「おや、この間のお嬢ちゃんかい?」

「はい。美味しかったので……。あの、カウンターでもいいですか? 作っているところを見てみたいの」

「いいとも。構わないよ」


 イサを連れているから気になったが、問題はなさそうだった。


 中を覗くと、本当に日本の食堂そのものだ。しかも格式高い日本料理店などではなく、裏通りにありそうな食事処、あるいは居酒屋めいている。

 こんな店に一人で入れるようになったのは、ブラック企業で残業続きが当たり前になってからだった。

 遠い過去のことを思い出しながら、クリスは厨房の様子を眺めた。そしてすぐに諦めた。


「わたしに料理は無理だね」

「ピ?」

「あ、でも、卵を焼くぐらいはできるよ。大丈夫大丈夫」

「ピ……」


 イサが呆れたような声で鳴くけれど、クリスは気にしないことにした。


 食事処の料理は文句なく美味しく、クリスは幸せな気分を味わった。

 あまりに美味しそうに食べるからか、食べ終わった客の誰かが支払いを済ませてくれていた。「いいのかな?」と戸惑うクリスに、店主はやっぱり甘いお菓子を出しながらこう言った。


「うちの店ではアリなんだ。気にするこたぁ、ない。酒場でも奢り奢られってのはある。お嬢ちゃんも冒険者だろ? そのうち、同じようなことをするさ。駆け出しで頑張っている若い子を見て、な?」


 満足に食べられないような若者に、ほんの少しの手助けをする。

 そんな世界もあるのだと店主は言う。

 それもこれも、店主の師匠の師匠が広げたことらしい。

 クリスは神妙な顔で話を聞いた。


「ニホン族ってな、珍妙な奴も確かに多い。だけどな、こういう仕組みを考える優しさも持っているのさ。それに美味しいものを世に出してくれた。すごいじゃねえか。な?」

「うん」

「ちょうど今、ガレルにもニホン族の上位冒険者たちがやって来てるんだ。今度、中央地区のギルドへ顔出ししてみな。会えるかもしれないぞ」


 嫌だとは言えず、クリスは空気を読んで頷いた。

 もちろん会うつもりはない。遠目に見るぐらいなら問題ないかもしれないが、どこでどんなスキルがあるか分からない。目をつけられて同じ日本人転生者だとバレたくなかった。


 とりあえず、テイクアウト分を作ってもらうことで話を終えた。

 ついでに調味料の仕入れ先を聞いてみたが、出回っている市販品は少々味が違うらしい。ニホン族からの「許可」も得られていないという。


「ニホン族の承認印がないんだよ。今のところ、俺たちのような暖簾分けされた飲食店にしか下りてなくてな」

「そうなんだ……」


 しょんぼりしたクリスに店主が苦笑する。


「なんだったら、少しの間だけでも下働きしてみるかい?」

「え?」

「調理自体はスキルがないと難しいっちゃ難しいが、基本の調味料なら覚えられるかもしれん」

「……え? でも、いいの?」

「いいさいいさ。お嬢ちゃんが店を開くってんなら問題だが、そうじゃないんだろ?」

「う、うん。自分でも料理したいの。でも、美味しいのが作れる自信なくて」


 だったら二、三日だけでも手伝いにおいでと言ってもらえた。

 ちょうど下働きが一人休んでいて困っていたところらしい。クリスも、例の男のことがあってクサクサしていた。ここは一つ、料理を覚えて気分一新だ。

 店主はギルドに指名依頼を出してくれた。

 おかげでポイントにもなるし、クリスは店主に感謝した。



 採取の仕事を休んで三日間、みっちりお店の手伝いをした。

 調味料は意外とあっさり作れるようになった。いや、作れるだろうことが分かった。

 本来なら出汁作りなどには時間がかかるものだ。鰹節は一応作られていて売られてもいるが、そこから出汁にするまでには一手間かかる。豚骨スープもそうだし、鶏ガラスープも、基本となるものには手間がかかるのだ。

 けれど、何が必要でどう作ればいいのかが分かっていれば、少なくとも「味を知っている」クリスなら「作れる」。

 料理センスはなくても、基本的なものが作れるクリスにとっては問題ない。

 マヨネーズだってソースだって、何が必要なのか教えてもらえたら作ることはできた。実際に下働きの最中にこれらを作ってみたが、店主からは及第点をもらった。


 ただし、料理センスはないと断言された。

 調理スキルがないのだから仕方ない。彩りよく飾ることはできないし、二品も三品も同時に作り上げるなんてことも無理だ。

 けれど、普通に「家庭人としてなら」合格らしい。


 店主はレシピを隠すことなく、一生懸命メモをとるクリスにあれこれ教えてくれた。

 前世では作ったことのない料理も多く勉強になった。

 だからといって、それを作っても「自分の好きな味」に持って行くだけで精一杯だ。売り物になんてできないし、何よりも見た目が悪い。

 調理スキルとは、そうした点でも優れているのだった。




 そんな日々を過ごしていたクリスに、ギルド本部から呼び出しがあった。

 厨房の下働きは指名依頼だから問題ないはずだ。だから、別件なのだろうが思い当たる節がない。首を傾げつつ、ギルドへ向かった。

 待っていたのはワッツだ。彼はクリスに紋様紙が欲しいと言う。次の納品までまだ日があるのにだ。


「え、紋様紙ですか?」

「そうなんだよ。ちょっと、増産してほしいんだ。できれば指定したものを」

「えっと、でも、急ぎなら魔法ギルドから手に入れたらいいんじゃないですか?」


 そもそも、魔法ギルドの方が本家本元だ。クリスが作る紋様紙の何倍もしっかりしているはずだった。なにしろ、専門のスキル持ちが描くものなのだから。

 ところが――。


「あちらのお抱え紋様士が逃げ出したんだ。それまでも仕事が多いとボイコットしてたらしいがね。魔法士は面倒な紋様紙を描きたくないと、こちらも突っぱねてる。錬金術士はそもそも紋様描きを習得していない者が多いときた。どのみち彼らのような上級スキル持ちは、急いでやってくれと頼んでもやってくれないことが多いんだよ」

「なんですか、それ」

「無駄にプライドが高いのさ。で、中級の写生スキル持ちは、こちらが欲しい『紋様』を知らない」

「知らないって、だって習うだろうし、何よりも教本があるじゃないですか」


 あるはずだった。

 クリスも魔女様の家で、彼女いわく「カビの生えた紋様を後生大事にしているお偉方とやらが作った教本」を見かけた。紋様紙を作る人なら絶対それを読むはずだ、そう聞いていた。

 しかし、ワッツは頭を振った。


「上級の紋様紙の教本を金庫から出すにも許可がいる、だのなんだのとね。そもそも一発で描けるほど腕の立つ者がいないらしい。……というのは建前で、実はこちらへの嫌がらせでもあるんだろう」

「あ、まだ揉めてるんですか」

「特急料金を出せ、と言われてね。ほら、最近こちらからほとんど頼んでいないものだから怪しんでいるんだ。あるいは、儲けが減ってその分を上乗せしようとしているのか。どちらにしろ、法外な値段を提示されたんだよ」


 かなり吹っ掛けてきたらしい。

 こそっと聞いてみると、びっくりするほどの金額だった。


「ひぇ……」

「だよねー。で、君ならもしかして、って思って。何より急ぎなんだ。そういうことを言ってもいい相手って、君しか思い付かなくて」

「それ、どう返せばいいんでしょうかね」


 クリスが呆れて笑うと、ワッツも肩を竦めて笑った。

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