002 外壁近くの厩舎にて
ようやく迷宮都市ガレルに入ったが、その時点でもう暗かった。
今からでは宿は取れないだろう。クリスは諦めて、外壁近くにある馬車や馬の預かり所でペルと共に過ごすことにした。
お金のない旅人は厩舎で過ごすことも多い。これだけ大きな都市ならば選べるほど厩舎が乱立している。交渉すれば問題ない。
――と、思っていたのだが。
「安全上の問題で断ってるんだ」
どこもかしこも、これだ。けんもほろろとはこのことである。
「安全上って! こんなに平和な都市の中なのに」
「いやいや、何言ってんだよ、お嬢ちゃん。田舎出で知らないのかもしれんがね。都会はそりゃあ怖いところなんだよ」
「おじさん、田舎の方が怖いよ? 問答無用で襲ってくる魔物ばっかりなんだもん。三メートルもある狼の群れに追われた時は死ぬかと思ったんだから。オグルは怒り狂って牙を突き立てにくるし。すぐ逃げられる厩舎にいるのが一番安全だったんだから」
管理人や厩務員が絶句する。
それもそうだ。オグルは猪に似た魔物で、四メートルにもなる大物さえいる。都市の中で暮らしている人は、オグルが動いているところを見たことなどないだろう。
クリスは更に続けた。
「馬の方が安全だよ。守ってくれるんだもの」
「あー、いや、あのな」
「待て待て。それでもやっぱり、都会は怖いんだ。お嬢ちゃんみたいな小さい女の子を狙う悪い大人もいる」
「でも、今から宿は取れないでしょ」
「うっ……」
彼等は顔を見合わせて「こりゃ仕方ないか」と諦めてくれた。そして、クリスに合わせて屈んだ。小声で諭すように教えてくれる。
「あそこの管理人部屋に近いところ、使え。水場が裏にあるから通って構わん。他のやつには内緒だぞ。さすがに馬たちと同じ水場を使わせるわけにはいかんしな」
「ありがとう!」
「ああ。藁は新しいのを用意してやるよ」
つまり、ペルと同じ厩舎で休んでいいということだ。
クリスがにこりと笑ってお礼を言うと、彼等は苦笑した。
「お嬢ちゃんに何かあったら寝覚めが悪い。明日の朝までは気にかけておくからな」
「重ね重ね、ありがとう!」
クリスがもう一度お礼を口にすると、微妙な表情が返ってきた。
「……ったく。こんな小さな子が旅してきて、厩舎に泊まるなんざな」
「世も末だ」
「ああ、そうだ。養護施設の場所を教えておいてやろう」
親切な彼等だが、クリスは「いらないいらない」と手を振った。養護施設に入るつもりはない。
自由がなくなるではないか。
クリスは、面倒見が良いのかどうか分からない彼等との話を強引に終わらせた。
新しい藁を自分とペルのベッドに振り分け、門の前で売っていた硬いパンで食事を済ませる。ペルには申し訳ないが、長旅のために用意していた餌の残りを与えた。草だけは旅の間に新鮮なものを探したけれど、雑穀はいつものだ。
文句を言わないペルに、明日は野菜を買ってくるからねと約束した。
食事を済ませたら、さっさと寝る。が、その前に【防御】を掛ける必要があった。
一定の場所の中に誰も入れなくする仕掛けだ。管理人や厩務員が心配した「ロリコン」も怖いが、クリスにとって怖いのは魔物だった。魔物から完全に守ってくれる【防御】の「魔法」は、外で生活する者にとって必需品である。
今は迷宮都市という大きな都市内だが、外壁近くという不安もあった。大型の魔物の場合、これぐらいの外壁はあっという間に壊してしまうからだ。
魔物が外壁を壊している間に、町のトップや冒険者ギルドが指揮し、迎撃態勢を整える。その間に外壁近くの家など、それこそ馬の一時預かり所なんてものは尽く潰される。
外壁近くとはそういう場所だ。スラムもあれば畑といった緩衝地帯もあった。
お金のある旅人は中央地区にある預かり所を使う。いや、そもそも宿屋に併設されている。馬も馬車もまるごと預けられるが、大層高いはずだ。
クリスのような旅人は外壁近くの安い預かり所を利用する。
もちろん、クリスだって強盗は怖い。大は小を兼ねる「防御」の魔法は、か弱い女の子の自衛として必須なのだ。
さて、この防御の魔法は「紋様紙」と呼ばれるものを使う。
紋様紙とは魔法スキルのない者が、ごく少量の魔力で魔法を使えるようになる「使い捨て」の紙のことである。使いたい魔法を魔術文字で描いているが、緻密な絵と描き上げるのに大層な集中力と技術が必要になるため大変高価だ。
クリスのような子供が使うのは、あまり「普通」のことではない。
だから、こっそり使う。
胸元のポケットから小さな縦長の紙を取り出し、魔力を通す。すると描いた模様が順に光った。あっという間の出来事だ。最後の模様まで光り終えると、縦長の小さな紙は消えてしまった。
「相変わらず、一瞬で消えるんだから……」
クリスの表情が苦々しくなるのも仕方ない。
この紋様紙は買えば高い代物だ。なにしろ大変手間がかかる。そんな労力もお金もかかる紙が、一瞬で消えてしまうのだ。
しかし、この紋様紙のおかげでクリスはこれまで助かってきた。
胸元のポケットを確かめると、少し心もとない気がする。
「もうすぐ迷宮都市だからって、急いで来ちゃったもんなあ。永住もできそうにないんじゃ、お気楽に考えてたらダメかー」
「ブルルルル」
「ペルちゃんも、そう思う? え、なに、早く寝ろってこと?」
鼻で押されて、藁の上に座った。ペルも隣に横たわる。ペルとは一年前に仲間になった。彼女は大きな体で強面ながら、心は優しく、まるでクリスを娘のように守ってくれた。
こうして早く寝ろと勧めることも多かった。
彼女の体温に温められて過ごした夜は多い。
「分かった。もう寝るね。内職は明日やるよ。手持ちはまだあるし。最悪はポーチの中の売り物に手を付ければいいよね」
「ブルルル」
荷物の中から毛布だけ取り出し、クリスは包まった。
手の届く範囲に荷物は置く。服は着替えない。ペルのお腹に寄り添うようにして藁の中に潜った。
ペルは竜馬の血を引いているのか魔物の気配に敏い。大丈夫。
ここは少しは安心してもいい場所だ。
早く安全な家でゆっくりと羽根を伸ばして過ごす日が来ないだろうか。
浅い眠りを繰り返しながら、クリスはいつものようにペルの匂いに包まれて眠りについた。
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