第四話 地獄谷 道を登って来たのは……
それは、子供達が夏休みで帰省していたある蒸し暑い夏の日の事。
暇を持て余していた次男が、何処かへ出掛けようと言い出し、私は行き先が決まっているなら考えてもいいと生返事をした。彼が行きたがるのは大体自然が一杯な場所か、真逆の古本屋か中古のオーディオなどが置いてあるリサイクルショップの何れかなのは予想が付く。私も丁度どれかに行きたいかなぁと思っていたいた所だった。
「合掌集落の一番近い所がいい。」
初の提案に私の予想は大きく外れ、おまけに今までの行動範囲から大幅にはみ出した場所の為に、車を使っての所要時間など見当も付かず、私は一応惚ける事にした。
現在地は海辺の町で、合掌○○と言えば超が付く山奥だ。
「……何処?」
だって、あれは確か平安の昔、源氏に都を追われた平氏の残党が隠れて住んだ集落だけあって、わざと人里離れた、容易に一般農民が近付けない様にそんな場所を選んで居を構えたのだから……今は観光地だけど……
「スマホでナビ出来るから、直ぐに出掛けよう。一時間半ぐらいで行ける。」
既に情報収集ですか、と呆れはしたが、約束だしね、と私も一度も行った事が無い場所なので手早く出発の準備をした。
最短ルートで向かう山々はいよいよ目の前に迫り、道の傾斜もきつくなり、空は高い杉木立に段々狭くなった。
暑い猛暑の夏だが、ゼロ㍍ 地帯の我が家のある地上と違い、こんな山の中なら少しは涼しいのだろうか、などと考えながら目的地の事を想像していた。
一回も行った事は無いが、一応同県民なので多少の郷土の歴史については知識が有る。
日本古来の茅葺屋根は重量も相当だが、2mを超す豪雪に耐える為、支える柱は太く木の自然な曲がりを利用し、錆びる鉄釘などは利用せず、手入れのし易さを考えて縄で固定されている。
その昔、養蚕をしていた頃は、屋根裏部屋は御蚕様の為に色々な工夫がされて、冬は階下の囲炉裏で火を焚き続け、彼等を凍てつく寒さから守り、夏は少しでも涼しく過ごせるように風通しのいい構造となっていた。今もそれは残されている。
おまけに御蚕様を食べるネズミを退治する専門のネコに居付いてもらえる様に、彼等が気に入る手作りのネコ籠、ネコ炬燵なんかも用意して有ったのだとか。何と自然体な素晴らしい考えだろう。
ネコに無理強いしない所がいいね!
しかし、いくら山奥とは言え日本列島を包んだ太平洋高気圧の空気は熱かった。
高速道路も使わず難なく目的地に着き、私達はそんなに広くない集落の中を歩き回り、写真を撮るなりうだるような暑さの中とは言え、清浄な空気を満喫したり楽しんで帰路についた。
私は来た道を単純に戻ると考えていたのだが、ここへ誘った息子の思惑は実はこの先に有ったのだ。
暫く山道を走って行くと、来る時は気が付かなかった小さな看板が目に入った。
「そこを左に曲がって。」
初めて来る山道だったので息子にはスマホでナビを継続してもらっていたが、明らかにそれは脇道に入る事を意味していた為、私はわざと曲がらずに直進しようとした。息子の思考パターンとして、本道から逸れた山道をちょっと外れて峠越えの道を通って帰ろうと言う事らしい。しかし、ここはいつもの里山とは違うガチな山深い場所。道も人が住んでいない為に整備が行き届いていなくて途中で崩れているかもしれないし、そんな所に限ってとんでもなく細くてUターンも出来ない細い道だったりするので、私としては避けたかったのだ。
「おーい。曲がるの。そこを左だったんだけど。」
そら来た、と私は車を道端に停めた。
「ダメ。こんな所で冒険はしたくない。」
私の性格を息子も熟知している。
「行先が決まっているならって言ったよね。峠越えの道が通りたい。同じ道は面白くない。さっきの長いトンネルが付く前の道が今でも有るんだってば。」
同じ道を帰るのが面白くない、と言われると確かに弱い。
それでも年長者の意見としては、行ってはいけない事も有るのだと言わなければ。
「ダメ。途中で土砂崩れの為に通行止めになってるかもしれないでしょ。」
ちょっと説得力に欠けたかもしれない。
「それなら入り口に看板が立ってるよ。行ってみようよ。」
呪うべきは私の性格かもしれない。
私達は本道を左に曲がって昔の人が使っていた山道に向かって行った。
少し行くとやや新しいスキー場への案内看板も立っていた為、私の警戒心もやや和らいだ。しかし、和らいだのはスキー場の入り口までで、そこを過ぎると景色は段々明らかに寂れ始めた。道は舗装も新しく広めに作られていて、一見林間のキャンプ場の様に思えたが草は伸び放題、アスファルトの割れ目から生えた雑草の丈がこの道を滅多に車が通らない事を示していた。
さて、上り坂を行き着く所まで行くと、入り口が今まで見て来た中でも一番小さなトンネルが有った。出口まではほんの30㍍程だろうか、灯りの無い闇から切り取った様に見えて来た景色は青い空だけで、私は来た事を後悔した。出口は木も生えない崖の途中に空いた穴に違いない。
恐る恐る進んでみると、昔は車も通っていたらしく、私の想像よりも広く幅も取られた道がついてはいたが、ガードレールは無く、低いコンクリートで出来た車止めの様な物がその向こうの断崖とを隔てるだけだった。
ハンドルを握る私の緊張はピークに達していた。おおよそドライバー暦の中でも最悪と言える難所だと行く先を見れば分かった。
今通って来た小さなトンネルもそうだが、この道はさっき訪れた集落の人の為に切り立った岩山の斜面を削って作られたものだ。大型重機はもちろん入り込める場所ではない。森林限界と言う程まで標高は高くないが、山々の間から望む平野は遥か下に見えた。おまけに私は高所恐怖症なのだ。
とにかく崩れても補修されていない路肩に気を付けて慎重に降りて行けば大丈夫、と自分に言い聞かせて私は前を向き、いざ行かんと車を進めようとしたその時、一台の白い車が今から私達が下りて行こうとしている山道の私達の直前に突然現れたのだ。心臓がはっきりとドキリと鳴った。正確に言うとその車は山を登って来ただけなのだが、気が付いていなかった為に驚いてしまったのだ。
「こんな所を県外ナンバーが来るなんて、どう言う事?」
思わず言ったのも無理は無く、乗っていたのは、山道をドライブするのが趣味の人には見えない様な年配の夫婦と見られる二人連れだったのだ。
とにかく助手席の息子は急峻な山の景色の素晴らしさに終始興奮気味だったが、運転している私はそれどころでは無く、手に汗握るスリルの他は何も無かった様な気がする。下りて行って分かった事だが、向かいから車が来たらすれ違える場所は、おおよそトンネルを抜けたあの場所だけだった。あの小さく開けた場所で会ったのは正解だったと思う。後は小さな土砂崩れが有ったり、道に大きな石が転がり落ちて来ていたり、刈られていない草が道幅を狭くしていたりしていたのだ。
路肩を踏み抜くとか、脱輪をするとかのトラブルもなく私達は無事に峠の道を降りて来られた。いやはやお陰様で……
おや、何かおかしな事は有りましたか?
この後にそれが判明します。
帰りの道すがら息子が窓の外を見ながら言った。
「あの道のずっと下に車が落ちたままになっているの見た?」
そう言えばこの地区の有名な話に、余りに深い谷なもので車が転落しても引き上げられず放置されているのが何台も有るとか。色は確か赤とか白とか。
実はあの峠道よりも更に切り立った崖沿いに作られた道が他にも有り、正に地獄谷と言われる所も有る。合掌○○が本格的な観光地化がなされる以前、昭和40年代にはそこを訪れる町内慰安旅行が流行り、その頃はマイクロバスしかもちろん通れず、おまけに崖の深さと道端の狭さに乗っていた客は恐怖し、年寄りは念仏を唱えるやら、運転手に金を掴ませるやら、行ってはみたいが文字通り命がけのものだったらしい。
「見ている余裕は私には有りませんでした。そっちは見えた?」
「見えなかったけど……すれ違った白のワゴン車、あんなデカイのがよく上がって来たよね。ウチの車でさえやっとの所、沢山有ったのに。」
「えっ? 白のセダンだよ。京都ナンバーだったよ。」
「ウソだ。岐阜ナンバーのワゴン車で助手席に中学生の女の子が乗ってたから。俺、その子と目合ったし……」
「それこそ見間違いだって。トンネル出たすぐの所で、乗ってたのは年配の夫婦だったよ。見た車はそれ一台だけだから。」
「俺だって見たのはその一台だけだから。いきなり出て来たみたいで驚いていたでしょうが。だから俺もマジ見たのに。」
果たして……私達二人がすれ違ったのは……本当に車だったのか?
翌日、朝の地方版ニュースで、聞き覚えの有る峠道で、数日経ったと思しい車中での焼身自殺体が発見され、身元確認中であるとの報道がされた。
「ねえ、コレって昨日の所だよ。」
「俺達が帰った後か……」
「そだね。何日か経ってたって。あそこなら中々気付かれないかもね。……え?」
「どう言う事? 停まってたの見た?」
「見てない。」
「だよね。でも一本道だよ。」
「数日経過は警察の見立て違いだよ。昨日通った時は無かったから。」
「だよね。そんな燃えた車が停まってたら通れなかった筈だしね。」
私達親子はいつも内心変なのと思いながらそれ以上深く詮索せず、無理に決着を見ようとしない事に暗黙の了解を得ている。
そんな事も有るよ、で片が付くのだから。
ちょっと長くなりましたね。
最後まで辛抱強くお読み頂きありがとうございました。
次回 第五話「お寺の老婆」 こちらも実話です。
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