第72話 永禄三年になりて候
道三と半兵衛の提案は俺も考えた事の有るものだった。
それは皆殺し。
この時代では『根切り』と呼ばれるものだ。
正直そんな事はしたくない。
それをやれば一時的には物事が解決するが、根本的な事は解決しない。
それに悪評がいつまでも付いて回る。
道三はそれで苦労したのだ。
蝮という言葉がそれだ。
そして、信長がこの根切りを行ったのは時間的余裕がなかったからだ。
幸いな事に今の織田家は周りに敵が居ない。
焦っそんな行動を取る必要がない。
そう、長島を急いで取る必要性が無いのだ。
長島は織田家の安全保障において重要な場所では有るが、今すぐどうこうする必要がない。
なぜなら長島に明確な主が存在しないからだ。
主が居れば、その者と交渉出来る。
成功すれば味方に、失敗すれば敵にと問題を単純化出来る。
主が居ない場所で有るために厄介なのだが、それと同時に尾張と伊勢の間にある不干渉地帯でもある。
現在の長島は本願寺の僧侶『願証寺 証恵』が実質治めている。
しかし、証恵はそれを否定している。
『ここは何者にも縛られない自由な土地』だと言っている。
実際はお布施を貰って(出させて)支配しているのにだ。
土地の支配者が行う仕事は治安維持が主だ。
そして、それに裁定や治水等を請け負っている。
まあ、治水は領主が民を使ってやっているのだが、支配者はそうした安定した暮らしを民に与える事で支配しているのだ。
しかし、本願寺はそれらの行いをしてはいない。
一方的にお布施を貰っている(搾取している)だけだ。
民同士のいさかいは民に任せ、治安維持も民に任せている。
民が揉め事を起こせば『それは信心が足りない』と一蹴し、収穫が安定しないのも『信心が足りない』で済ませている。
そして、良いことが起きれば『それは仏の教えの賜物である』としている。
豊作になると『あなた方の信仰が神仏に認められたからです』ときたものだ。
本人達の努力や苦労が全て仏様のお蔭になってしまっている。
無神論者である俺から言わせれば『ふざけるな!』と叫んでいる。
しかし、信者はそうは思わない。
悪い事が起きればそれは自分の信心が足りないと思い、良いことが起きれば自分の信心が認められたと思うのだ。
これはもう洗脳のような物だ。
仏にすがるのは悪い事ではない。
人は弱い生き物だからだ。
しかし、その弱い心に付け込むのは良くない。
仏の教えは弱い心に寄り添い励まし、そして自ら立ち上がれるように導く事だ。
少なくとも俺はそう思っている。
本願寺の浄土真宗の教えも人を救う為の教えだった筈だ。
それがいつの間にか大名のように民から搾取するのが当たり前になっている。
中には民に寄り添う素晴らしい僧侶も居るだろうが、それはごく一部の僧侶だけだ。
今の本願寺の僧侶は腐っている!
いや、本願寺だけが悪い訳ではない。
この時代の宗教は民を助けるふりをして、民を虐げている。
それを思えば根切りも悪くないと思ってしまう。
しかし、それを行う事で得るメリットとデメリットではどちらが大きいだろうか?
今の状態ではデメリットが大きいと言わざるを得ない。
そして、道三はそれを分かっていて俺を焚き付けているのだ。
しかし、俺はそれを行う事はしなかった。
そして……
「しばらくは服部党が面倒見ますので」
「ふむ、まあよかろう」
ぐ、偉そうにしやがって。
結局俺は道三を匿う事にした。
長島の件は俺の案で通した。
時間を掛けてゆっくりとその勢力を弱める。
少なくともこれ以上勢力を広げられないようにする事が大切だ。
「まどろっこしいのう」
道三の提案は拒否だ、拒否!
「えっと、その、わ、私の策は?」
半兵衛の策も却下だ、却下!
しかし、道三は笑って予言した。
「まあ、春になれば長島はお主の物よ。ふふふ」
なんだよその自信たっぷりな発言は?
すでに何にかしら仕込んでやがるのか?
「種明かしは春まで取っておこうかのう。楽しみが増えようぞ」
「半兵衛!」
「は、はい。すみません。私は存じません」
くそ、道三は何を仕込んだんだ?
「あの、旦那?」
「なんだ左京進?」
「本物なんですか。この人?」
ああ、道三を見るのは初めてなんだな友貞は。
「本物だよ。少なくとも俺は一度会ってるからな」
「旦那って……」
何か友貞の視線が熱い。
俺にその気はないぞ。
「それより今川とはどうなってるんだ?」
「ああ、それなんですが……」
友貞には長島もあるが、今川との交渉も頼んでいる。
結論、今川とは同盟関係が成立した。
大っぴらに宣言出来ないのが惜しいがそれはいい。
今川との同盟が成れば武田を背後から討つ事が出来る。
これは織田家にとって大いなプラスだ。
正直、武田家は信用しきれないし、松平のストーカー野郎の存在も不気味だ。
この二家を信用すると痛い目に会いそうな気がする。
それに長姫が武田と松平を嫌っている。
理由は教えてくれないがどちらも信用するなと言っているのだ。
俺は晴信とストーカー(家康)に会ったが、そんなに悪い人物だと思えなかった。
どちらかと言えば道三の方が胡散臭い。
これは本人にも言った事がある。
「何で俺を頼るんですか?」
「父親が息子を頼って何が悪い?」
「あんた、俺の父親じゃないでしょ」
「濃を嫁にすれば、わしの息子じゃろう。それとも若いのが良いかのう。娘達の誰かを嫁がせようか?うむ、悪くないのう」
やめて! それだけはお願いだから止めて!
「蝮が俺の身内になるなんて冗談じゃない!」
「何を言っておる。もうお主はわしの息子も同然じゃ。ほっほっほ」
本当に勘弁してくれ!
ほんと、この人信用出来ないんだよな。
でも、嫌いになれないから質が悪い。
その後話は武田、松平に変わった。
「松平はともかく、武田は確かに信用出きんな。わしも治部と同じ考えよ。おそらく晴信以外に武田を動かしておる者が居ろうな?」
「え、誰ですか?」
「まだ、分からん。まあ、あまり気にするな?」
いや、凄く気になるじゃないですか?
しかし、道三はそれ以上語る事はなかった。
長姫といい、道三といい、俺に秘密にする事ないじゃないか?
何が有るんだ武田に?
道三は服部友貞に任せて俺は清洲に戻った。
戻ったのだが、事あるごとに道三から呼び出しをくらい河内の服部屋敷に赴く事になった。
呼び出される度に周りの人達に誤魔化すのが大変だった。
少しは大人しく出来ないのかよ!
そして、そんなこんなで年が開けた。
本当なら今年永禄三年、西暦千五百六十年は『桶狭間の戦い』が有った年だ。
しかし、もう桶狭間は起こらない。
今年は織田家を中心にした特別なイベントは起きない。
……そう思っていた。
俺は新年の挨拶を行うので清洲城に登城した。
そして、そのめでたき席である話が飛び出した。
「伊勢の関家が我が織田家に服従致す事に成りました」
それを伝えたのは『滝川 一益』だった。
先を越された!
まさか、一益が長島を通り越して関家に接触していたとは思っても見なかった。
確か史実の『滝川 左近 一益』は北伊勢の国人衆を調略して出世したんだった。
それをすっかり忘れていた!
勝三郎の下で地味に働いていると聞いていたから、まさか伊勢の調略をしているなんて知らなかったのだ。
くそ、こんな事なら勝三郎に左近が何をしているのか聞いておくんだった!
しかし、おかしいな?
確か今の関家の『関 盛信』は六角と通じていた筈だ。
それなのに織田家に服従するなんて信じられない。
左近は一体何をしたんだ?
正月の祝いの席でこの報告は大層喜ばれた。
左近は市姫様直々にお褒めの言葉を頂き、さらに伊勢攻略の先鋒を任される事になった。
そして、信光様からこの春に伊勢に出兵する事が発表された。
とほほ、出遅れてしまった。
そして、俺はこの伊勢攻略に参加させて貰えるよう信光様にお願いしたのだが却下された。
信光様からは『お前の美濃の働きが大き過ぎて家中ではその方に嫉妬している者が多い。今回は留守居を頼む。他の者にも手柄を立てる機会を与えなければならぬからな』と言われた。
それを言われると確かにと思ってしまう。
市姫様は『藤吉、すまん。恩賞はこの伊勢の出兵が終わったら必ずするからそれまで我慢して欲しい。あ、それから右筆衆とその配下の小者達の禄は上げておくから安心してくれ』と言われて俺は百貫持ちから五百貫持ちに加増される事になった。
うひょー、やったね!
ちょっとはごねて見るもんだよ!
と、喜んでんいた俺に平手のじい様は……
「藤吉、準備を頼むぞ」
くそー、丸投げしやがって! 喜んで損した!
こうして俺は右筆衆を使って出兵準備を進めた。
しかし、準備事態はゆるゆると進めさせた。
出兵は春なのでそこまで急いで準備する必要はなかったのだ。
だが、問題はある。長島だ!
道三は春までには長島を落とせると言っていた。
しかし今回の出兵では長島は迂回する事になっている。
これって問題になるんじゃなかろうか?
俺はいつものメンバーに又左と松、それに寧々を加えて道三の居る服部屋敷に向かった。
『早く新年の挨拶に来んか!』と道三のお怒りの声が届いたからだ。
ついでに伊勢出兵の話と長島の件を話した。
ちなみに又左と松、寧々には道三の事を話している。
寧々と松はともかく又左はこれでも口は固いほうだ。
俺に不利になる事はしゃべらない。
それに又左は俺に借りが有るからな。
又左は今年ようやく松と結婚する事になったのだ。
昨年から時間を作っては荒子前田家に赴いて、外堀を埋めていたのだ。
又左と松が結婚するのは前田家では規定路線ではあったが、いざ結婚となると途端にしり込みする又左である。
そんな煮え切らない態度を見せる又左の尻を蹴っ飛ばして結婚を決めさせたのだ。
前田家からは問題児である又左が解決したと俺に感謝したが、それと同時に奴の面倒まで押し付けられた。
又左も又左で『これからもよろしくな』と言われた。
こいつとは一生腐れ縁なのかもしれない。
そして、俺の目の前にもう一人の問題児が居た。
「ほう、そうか。伊勢攻めか」
顎髭を触りながら思案顔をしている道三。
ここには俺と長姫、小六に道三と半兵衛が居る。
他の者達は又左が餅米を持ってきたので、それを炊いて餅つきをやっている。
正月だからな。
「まあ、問題なかろう」
ほ、そうか。
「しかし、大丈夫かのう。春に兵を出して?」
「それは俺の知る所じゃない」
「問題ないから市が決めたのですのよ?」
道三はまた考えている。
「蝮の旦那。何が気になるんだい?」
「う、う~ん。そうじゃのう。これ半兵衛」
「は、はい。説明します!」
手を上げて答える半兵衛。
何この子可愛い!
「春になって雪が溶けたら武田が出てくるのではないでしょうか? そうすると織田家に何らかの手伝いを頼むでは?」
「お、そうか!」
確かに言われてみるとそうだ。
また武田がやって来るのを忘れていた。
忘れていた? うん? ……忘れ、あ!
「四郎勝頼がやって来る!」
俺は思わず立ち上がっていた。
「おお、それよ。それ!武田の四男の嫁選びをするのが春であったのう。それじゃ!」
道三もポンっと手を叩く。
ああ、すっかり忘れていた。
武田の折衝は平手の爺さんの息子平手久秀が行っていたから、詳しい事は聞いてなかったのだ。
「なるほど、逃げたわね?」
「ああ、お市ちゃっんも大変だねえ」
長姫と小六が納得している。
「ほほほ、なるほど、なるほど」
道三も合点が言ったと笑っている。
分かっていないのは俺と半兵衛だけだった。
「何の事ですか? 藤吉様」
「さあ、俺は知らん」
そして、話は伊勢攻めに移った。
「ふむ、関が臣従のう。本当か?」
「あの祝いの席での話だ。嘘を吐くはずがない」
嘘何か吐いたら切腹ものだ!
「そんな筈なかろう。半兵衛」
「はい。説明します!」
元気良く答える半兵衛。
うん可愛いなこの子は。
「関盛信は前年に六角の家臣蒲生と接触しています。これは神戸家の当主が代わって神戸と関が和解した事が原因です。神戸家当主神戸具盛は関家を通して蒲生家から嫁を貰っています。なので、関家と神戸家は六角に臣従しているはずです。」
「「「おお!」」」
俺達三人は感心して拍手していた。
「いえ、そんな。恥ずかしいです」
この反応は年相応だな。
「で有るならばこの話。おかしいじゃろう?」
う~ん、確かに!
「でも蝮。こうは考えられないかしら? 六角に何か有ったのではと」
六角に何かねえ~?
「あれじゃないかい。確か浅井がどうとか?」
あ、野良田か!
「浅井か? 半兵衛」
「はい。分かりません!」
半兵衛が元気良く答える姿はなんか萌える。
「六角が浅井の嫡男に嫁を取らせる話ですわ」
「嫁のう? 半兵衛」
「はい。分かりました!」
ちょっとは自分で答えろよ。じいさん。
「六角と浅井の間でこの嫁取りが揉めているのではないでしょうか。そして、浅井が嫁取りを断って戦になる可能性が大です!それに浅井は朝倉が後ろに居ますので大戦になると思われます」
「でも、浅井が六角に勝てるのかい?それにそもそも戦を起こすかね?」
確かに、浅井が六角に勝てる保障はないし、戦事態起きるかどうかも分からない。
なのに関家は織田家に寄ってきた。
何で?
「まあ、おそらくは保身なのでしょうね?」
保身?
「うむ、それなら説明がつくのう。半兵衛」
「はい。お答えします!」
いや、だからあんたが答えろよ!
「関は六角と織田を天秤に掛けていると思われます。おそらく滝川には織田に付くと言っておいて欲しいと言ったのではないでしょうか? それを滝川は好機と捉えたと思われます。関の誤算は織田家が本気で伊勢に侵攻して来るとは思ってなかったのでしょう?」
なるほど、六角が不利になったら織田家にすり寄るつもりだったと、仮に六角が浅井を退けたらいままで通り六角に臣従する予定か?
しかし、そこを左近に愚かにものせられたのだろう?
『六角が敗れてから織田家に誼を通じても遅いですぞ。その時には武田が六角を、そして伊勢は織田家が取る事になりましょうな? 市姫様の気性ならば領地安堵はおろか領地取り上げも有り得ましょう。御家を残すも潰すも貴方様の決断次第ですぞ?』
こんな感じかな?
「これは荒れるのう」
道三の言う事は分かる。
これは今年は近江と伊勢で戦が起きる。
しかし、俺は今回お留守番だ。
もしかしたら、四郎勝頼の相手を俺がしないと行けないのか?
それは嫌だなあ。
「まあ、まだ先の話よ。どれ餅をつきにいくかの」
「大丈夫なのか? じいさん」
「なに、少しは体を動かさんとな? ほっほっほ」
俺達は庭に出て餅をついている又左達と合流した。
「お、話は終わったのか藤吉」
諸肌脱いで餅をついている又左。
「あ、藤吉様。つきたてですよ」
つきたての餅を持ってくる松。
「あ、松ちゃん待って!」
寧々が松を追いかけてくる。
「兄者変わっておくれよ」
「だらしないのな。小一殿」
小一と長康が交互に餅をついていた。
「旦那。この餅振る舞って良いんですよね?」
「ああ、皆にお裾分けだ!」
友貞がつきたての餅を配って回るように配下に伝える。
「さぁ、つくぞ藤吉!」
「分かったよじいさん」
俺と道三は一緒に餅をつき、長姫と小六が合いの手を勤めた。
永禄三年一月。
その年の初めの平和な一時だった。
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