第73話 滝川 左近 一益

 伊勢出兵まで一月を切った。


 予定では神戸、関、長野を服属ないし殲滅する。


 その他北伊勢の国人衆はその殆んどを殲滅する事になっている。


 一応、降伏勧告をするが即座に応じなければこれを滅ぼす予定だ。



 左近が勝三郎に報告した内容では、北伊勢の国人衆四十八家の内、服属したのは僅か五家。そして、関家のみだ。


 それ以外は中立もしくは互いに反目している。


 北伊勢四十八家は纏まりを欠いているのでこれを叩き潰すのは容易だ。


 何も心配要らない。



 心配なのは長野家を攻略する時に北畠家が援軍に出て来るかもしれないと言う事だ。


 一昨年北畠と長野は争っていたが和睦して、長野は北畠から養子を貰っている。


 だから、長野家が攻められたら北畠が出てくる可能性があるのだ。


 これは注意しないと行けない。


 それと六角。


 神戸家は六角の蒲生家から嫁を貰っている。


 だから援軍を出す可能性は十分にある。


 それに南近江と北伊勢を繋ぐ場所に居る六角の親族梅戸氏も居る。


 六角が動き出す前に北伊勢を征服する。


 この伊勢侵攻作戦は速さが勝負だ。




 そして俺は、左近と話す機会を持った。


 左近が長島の事で動いているのではないかと気になったからだ。


 場所は清洲城の一室。


 俺と左近だけの密会だ。


「漸くお会い出来ましたな。木下殿」


「私もです。滝川殿」


 立場的には俺が上なのだが気にしない。


 目の前の男はかの織田四天王の一人なのだから。


 しかし、なんだな?


 左近は特徴の無い顔をしている。


 どこにでも居そうな普通の顔だ。


 もっとこう、特徴的な顔をしていると思っていた。


 歳は三十を越えているか?


 体型も普通だな。


 背丈は百六十くらいか? 一般人よりは高い。


 だが、肉付きはそれほどでもない。


 服から膨らみが見られないからだ。


 又左や勝三郎はあれで結構マッチョなのだ。


 特に又左の胸板は広い。



 しかし、目の前の左近は背は高めだが、それ以外は何の特徴も持っていない。


 強いて言えば笑顔だろうか?


 いつもニコニコした顔をしている。


 だが、営業経験のある俺には分かる。



 あれは作り笑顔だ。


「私にお話が有るとか? 何でしょうか?」


「伊勢の件です」


「ほう、これはこれは。武名名高き木下殿からご助言が頂けますかな?」


 何か白々しいセリフだな。


「助言では有りませんね。話は長島の事です」


「ああ、長島ですか。確か木下殿が色々と動いておりましたな」


 やっぱり知っていたのか。


 長島の事は市姫様と信光様、平手のじい様が知っている。


 他には知らない筈だ。


 勝三郎も知らない。


「どうしてそれを、と言いたいですが教えて貰えないでしょうね?」


「まあ、それはそうです」


「では、滝川殿は長島には何もしていないのですか?」


「長島は木下殿にお任せします。私にはあの地をどうこうしよう等思いもよりませんからな」


 これも白々しい。そんな筈無いだろうに?


「分かりました。では長島は私が何とかしましょう」


「おお、そうですか! 長島は私もどうしようかと思っていたのです。さすがは木下殿。いやぁ、私等足元にも及びませぬな。ははは」


 笑っているが目は笑っていない。


「では滝川殿は伊勢にてご存分にお働き下さい。後ろを気になさる事なく」


「はい、これで私も憂いなく働けます」


 力強い目でこっちを見ている。


 ああ、これは俺を競争相手と見ているのか?


 左近はろくな後ろ楯もなく織田家で働いている。


 今回の伊勢攻めは彼にとって大博打なのだろう。


 だから俺は彼に聞いてみた。


「勝算はお有りで?」


「無論です」


 ふ、こんな自信満々に答えられとはな。


 そうだな。


 たとえ自信や勝算がなくても有ると言えば、有るんだ。


 そうやって自分を奮い立たせるのだからな。


「私に何か手伝える事があれば言って下さい。私に出来る範囲でお手伝い致しましょう」


 だから、思わずこんな事を言ってしまった。


「有難い! 実は先鋒を賜っているのですがそこで……」


 左近との話は遅くまで続いた。




 永禄三年 三月某日


 織田家は一万五千の兵力を持って伊勢に侵攻を始めた。


 大将は市姫自ら、副将として信広様と佐久間盛重様の二人が付いている。そして、先鋒には左近。


 期間は三ヶ月を目処にしている。


 それ以上かかると北畠が出てくるかもしれないからだ。


 そして、六角なのだが左近曰く出てくる事はないと言っていた。


 左近の事なので信用出来る話なのだろう。


 とにかく皆の無事を祈るしか俺には出来ない。


 早く帰って来て欲しい。


 それと言うのも今回の出兵には又左と松が参加している。


 又左は馬廻りとして松は侍女としてだ。


 二人とも帰ったら婚姻が待っているのだ。


 だから何としても帰ってきてくれ!


 フラグ何かへし折ってやれよ!



 俺は天に祈った。




 留守居は結構暇のなのだ。


 戦の準備には十分な時間が有ったし、それに陣代の市姫様が出ているので重要案件は信光様が処理している。


 それに市姫様がやるより信光様の方が速い。


 そして俺達右筆衆はいつも通りの仕事をしている。


 時間が有るって良いよね。


 締め切りに追われる恐怖が無いからな。


 しかし、こんな平和な時間でも俺はそわそわしていた。


 又左や松の心配ももちろんだが、それ以上の案件が俺に任されたからだ。




 それは……



「そろそろ武田の四男が来るそうですね? 藤吉殿」


「はい」


「どんな人なのでしょうね?」


「お父上の大膳様は見目良きお方でしたから、きっと大膳様に似て見目良きお方だと思いますよ」


「それは楽しみですね。ほほほ」


 そう、俺は『武田 四郎 勝頼』の接待役を仰せつかったのだ。


 本来ならこの役目は平手久秀がやる予定だったのだが、武田家からの要望で急遽俺に任されたのだ。


 誰だよ俺を指名したの?



 そして久秀は市姫様の近習として戦に出ていった。


 これは俺達平手派の武勲を立てる為だ。


 左近は勝三郎の元で働いていたので平手派では有るのだが身分が低い。


 今回は大抜擢されているが伊勢攻めで大功を立ててもそれほど発言力はない。


 久秀はじい様の嫡男で今後うちの派閥のトップに立つので、なるべく箔を付けたいのだ。


 今回の戦は派閥争いも含まれている。


 佐久間派の盛重様はどちらかと言えば俺達平手派に近い。


 しかし、その下に居る者達はそうではない。


 今回の戦に参加している佐久間派の多くは桶狭間で戦っていない連中だ。


 こいつら実は日和った連中なのだ。


 桶狭間の時に市姫様自らが率いて今川と戦ったのだが、その時に市姫様が率いた軍勢は一万。


 しかし、戦場にたどり着いた時には六千まで兵は減っていた。


 残りの四千は遅れてやって来たのだが、それは何もかもが終わった後だった。


 この四千の兵を率いていたのが佐久間派の連中なのだ。


 彼らはどうせ間に合わないからとわざと速度を落として行軍していたのだ。


 おそらく着いた時に今川が勝っていたらその場で降伏したかもしれない。



 もちろん、佐久間派の中には桶狭間で戦った者達も大勢居る。


 佐々や森、川尻等だ。


 今回の戦にも彼らは参加している。


 彼らは佐久間派でも俺達平手派に近しい存在と言える。


 今回の戦は実は派閥間で、色々と仕掛けが有るのかもしれない。


 だが、今の俺は戦場を離れている。


 その場に居ないのでどうなるのか何も分からない。


 もどかしい事この上ないが、今はこの職務を無難に勤める事にしよう。



 そして俺は今は四郎勝頼の連れ合いになるかもしれない人と話をしている。


 市姫様の妹君『お犬様』だ。


 お犬様は歳は十二、四郎勝頼が一三なのでお似合いだ。


 史実ではお犬様は尾張知多半島の豪族佐治某に嫁いでいる。


 ちなみにお犬様がその後どうなったかは俺は知らない。



 お犬様はこの婚姻を前向きに考えているようだ。


 俺の知っている織田家の人達はポジティブ思考なんだよな?


 なので俺としては結構気が楽だったりする。


「私も漸く御家の役に立てそうです。市姉様ばかりに頼ってはいられませんから」


 うう、なんて健気なんだ。


 こんな健気な女の子を泣かせたら承知しないからな!


 あ、でもお犬様が選ばれない事も有るのか?


 その場合はやっぱり市姫様に御鉢が回ってくるのかな?


 それは困るな?


 市姫様にはくれぐれも頼むぞと言われている。


 でもね、こればっかりはどうなるか分からんよね?




 そして、武田四郎勝頼が織田家にやって来たのだった。

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