第62話 曽根城籠城戦

「おお、絶景だな!」


 俺と又左は櫓に立っていた。

 眼下には斎藤勢八千が居る。

 その斎藤勢を見下ろし、又左はニヤニヤして笑顔である。


 まるで獲物を見つけた狩人のように。


「今川に囲まれた時よりは少ない。あの時は俺も勝三郎もちょっと震えていたからな」


「なんだ、だらしない!もっと喜べよ。ああして手柄首が向こうからやって来たんだ。討ち取って名を上げる好機じゃないか?」


 討ち取られる好機の間違いじゃないのか?


 声には出さなかったが危うく漏れそうになった。

 そう言えばあの時は愚痴めいた事は言わなかったな?

 あの時よりはましなのか。

 それとも悪化しているのか。


 どちらにしても勝つ事よりも生き残る事を目的にしよう。


 どうせ誰も助けになんか来ないのだから。



 織田家の援軍が来ない事は昨日はっきりした。

 そして、今日は氏家直元の援軍も来ない事が分かった!


 今朝早く稲葉頑固じゃなかった、稲葉良道を捕まえて聞いてみたのだ。

 昨日の行動を見て、もしやと思っていたのだ。


 すると案の定。


「直元には大垣で待つように伝えた。わしに付き合う必要はないからな。お主達も明日には城を出てもらう。申し訳ないが妻子を頼む」


 まさしくこの時俺は絶句した。


 ここまで人の事を考えないのかと呆れ果てたのだ。


 そして、思わず手が出た。


 俺に頭を下げて頼む良道が頭を上げた瞬間にその顔を殴っていた。


 遠慮や手加減等出来なかった。


 こんなに腹が立ったのは初めてだったかもしれない。


「き、貴様!」


「ふざけるな! 死ぬなら一人で死ね! 皆を巻き込むな!あんたのわがままで一体何人が死ぬと思ってるんだ!」


「ぐ、ぐぬ」


 俺に罵倒された良道は俺を睨む事も出来ずに目線を反らした。


 それを俺は襟元を掴んで無理矢理顔を向けさせる。


「俺を見ろ! 俺はあんた達と一緒に戦う為に残ったんだ! その俺の気持ちをあんたは踏みにじったんだ! 俺の覚悟を! 俺の思いを! あんたは何も思わないのか。何も感じないのか?」


 俺の目から自然と水が流れていた。


 悔しい、悔しくて悔しくてしょうがない。


 きっと良道は俺が口先だけの男だと思っていたのだろう?

 そんな良道の思いは態度に出ていた。

 俺はそれを見て見ぬふりをしていた。


 しかし、昨日の俺達の戦いでそんな物は無くなったと思っていた。


 確かにその考えは無くなったかもしれないが、良道の頑な思いは変わっていなかった。


「貴様の思い等、わしの知ったことか! 貴様に何が分かる! わしの、わしのこの悔しさを。この憤りを。貴様に分かるか! 我が甥に託した思いを。義龍ならば、義龍なら……」


 良道の厳つい顔がくしゃくしゃになっていく。

 良道の思いを俺はこの時初めて知ることが出来た。


 だからといって同情等するものか。


「だからなんだ! 生き残ったんなら、生者なら死んだ者よりも生きてる者達の事を考えろ! あんたが死んだら今度はあんたの身内が、あんたの後を追うかもしれないんだぞ! それでもあんたは死者の為に戦って死にたいのか?」


 良道が俺をキッと睨み返す。


 良いぞ、目に光が宿った。


 さっきまでは目が半分死んでいたから。


「貴様の様な若造が、知ったふうな事を言うな! わしは義龍と喜太郎(龍興)を助けられんかった。だが、このままおめおめと生きておる事等出来ん! 裏切り者と一緒に槍働き等出来ん!ならばやる事等決まっておるではないか!」


 そうだ。吐き出せ。その思いを吐き出すんだ!


「わしは斎藤山城が憎い訳ではない。しかし、守就だけは許せん。そして、その守就を重用する龍重が許せん! そうだ、龍重を許せるものか! 知っておるか? 龍重は義龍を自らの手で切ったのだ! そして、捕らえた喜太郎をもその手で、うう……」


 それは、初めて聞いた。


 まさか、肉親殺しをその手でやっていたとは?

 いくら謀叛を起こした人物とは言え、肉親だぞ!


 それに喜太郎はまだ十歳ぐらいだと聞いた。


 寺にやるなり出来た筈だ。


 それなのに……


「どうだ。分かったであろう。わしは生きて龍重に仕える等せん! 分かったならわしの妻子を連れて城を出ろ! いいな?」


「分かるか! この頑固親父!」


 あ、はっきり言ってしまった。まあ、いいや。


「だったら死んで終わりじゃなくて、生きて戦え! 生きていれば龍重を殺せる機会は必ずある筈だ! 守就が憎いなら、守就よりも先に死ぬな! 龍重や守就よりも生き長らえて、笑って死ね! どうせ死ぬなら悔しさにまみれて死ぬより、笑って死ぬほうがましだ!」


 良道がキョトンとした顔で俺を見ている。


「憎いんだろう? 龍重と守就が憎くてしょうがないんだろう? だったら俺が手伝ってやる。俺があんたに仇を取らせてやる。だから、俺と一緒に。いや、俺達と一緒に生きて仇を討とうじゃないか!」


 ……どうだ?


「ふ、若造が、生意気を言いよる。この状況で仇が討てるのか?」


 よし、掛かった!


「当たり前だ! 俺は桶狭間で今川の大軍を破った男だぞ! あんな軍勢一捻りだ!」


「ぶ、ぶははは。言いよるわい。この状況でそんなホラが吹けるとはな。ぶははは」


 まあ、今川を倒したのは俺じゃくて、市姫様達だったけどさ。


 ホラでは無いよな。


「ははは。ふう、久方ぶりに心の底から笑ったわ。貴様はおかしな男よ。そんなおかしな男に直元も動かされたのかも知れんのう」


 そう言うと良道は起き上がった。


 そして、空を見上げて呟く。


「すまんのう義龍、喜太郎。わしはどうやらまだ、死ねんようだ。もう少し待ってくれるか?」


 よし、やったぞ!


「おい若造。いや、木下 藤吉。貴様の口車に乗ってやろう。生きて仇を取る手伝いを致せ。その後は、貴様の手伝いをしてやる」


 ふう、一時はどうなる事かと思ったが何とかなったな。



 こうして俺は稲葉良道の説得に成功した。


 しかし、良道の説得が成功しても事態は好転しない。


「さあ、これからだな藤吉」


「ああ、これからだ又左」


 俺達の眼下には倒すべき敵が居る。


 斎藤勢、その数八千。


 その中に斎藤龍重と安藤守就の軍勢が居る。


 この二人を倒すのが最終目標だ!




 ※※※※※※※



 ある稲葉家の兵。



 俺は、俺達は稲葉様と一緒に戦って死ぬと思っていた。

 だが、尾張からやって来た『木下 某』って奴が来てから様子が変わった。


 城を囲まれたその日。


 稲葉様は俺達を集めてこう言った。


「外には憎き龍重と守就が居る! 我が仇が居る! 我らはこれよりこの城に籠り戦う。時を待ち奴等を疲れさせ兵が退くまで戦い抜き生きて仇を討つのだ! これよりは勝手に死ぬことまかりならん。わしと供に生き抜くのだ! よいなー!」


「「「おおおー!」」」


 稲葉様の力強い言葉を受けて俺達は心を一つにした。

 正直に言えば、このまま戦って死ぬのは怖かった。

 俺の父や叔父、それに従兄弟や親類連中はこの前の戦で死んでしまった。


 稲葉様が言っていたが、仇は憎い。


 しかし、俺が死んだら家は幼い弟と妹が残るだけだ。

 そんな弟達を残して死ぬのはやはり心残りだった。


 だが、今は違う。


 稲葉様は生きろと言った。

 俺は生き残って弟達と一緒に暮らすんだ。



 そして、その日は戦う事は無かった。


 使者が来たからだ。


 俺は使者を見ていないが何でも年若い者がやって来たそうだ。


 降伏を勧めに来たらしい。


 しかし、稲葉様は一喝して追い返した。


 さすがは稲葉様だ。


 俺達はそう簡単に屈したりしねえ!




 あれから十日が過ぎた。


 城に敵がやって来たのは最初の数日だけで、それは俺達が追い払った!


 いや、俺達だけじゃ無理だった。


 悔しいがあの尾張者の助けで何とか追い返した。

 尾張者は日根野家が攻めてきた時にも助力してくれた。

 その後も俺達と一緒に戦ってくれている。


 正直尾張者は好きではなかったが、こいつらは別だ。


 それになぜか蜂須賀の者も居た。


 あの木下某って奴は何者なんだ?



 ここ数日敵が攻めて来ないのは、あの木下某のお蔭だ。

 奴は朝早くに城を出て奇襲をかけやがった!

 それが上手くいって次の日も明くる日も夜襲をかけて敵を散々に討ち破った。

 そのせいなのか、敵は遠くに陣を移して遠巻きに包囲している。

 お蔭で退屈でしょうがない。


 でも、このままなら生き残れるかもしれない。


 いや、生き残れるだろう。




 二十日が過ぎた。


 最近は激しい戦いが続いている。

 どうやら向こうは焦ってるみたいだ。

 昼夜問わずに攻めて来やがった。


 俺達は三交代で戦っている。


 これも木下某、いや、『木下 藤吉』の考えらしい。


 上手い事を考え付くもんだ。


 まるで敵の戦い方を前もって知っているみたいだ。

 負傷者は多いが、死者は少ない。

 それに皆元気だ。

 今日も明日も生き残るって、皆口々に言っている。

 俺もそんな一人になっていた。


 今日も生き残って、明日も生き残るんだ!



 一月が経った。


 もうダメかもしれない。

 敵が退く様子がない。

 攻め寄せる度に散々に痛め付けたのに、全然退かねえ。


 傷を負って亡くなる奴も増えてきた。


 昨日生きてた奴が今日は死んでるんだ。


 俺ももしかしたら……


 そんな時にあの男は。


「下を向くな! 前を向け! 生きてるんなら下を向くな! 前を見て友に声を掛けろ。俺達も苦しいが相手も苦しいんだ! 根性見せろ。まだ俺達は生きてるんだ!」


 何を言ってやがるのか?


 何が言いたいんだ。


 でも、不思議と前を向いてしまう。


 さっきまで下を見ていた連中が顔を上げて前を向いている。


 あの男、木下藤吉って奴は諦めが悪いみたいだ。


 そして、どうやら俺達も諦めが悪い奴らばっかりみたいだ。



 ※※※※※※



 一月粘る事が出来た。


 敵が来た初日は稲葉家の身内の者と年寄りや女子供を逃がした。

 帰って来た時には龍重の使者が帰った後だった。


 その使者の名前を聞いて驚いた!


『竹中 半兵衛 重治』が使者として来ていたのだ。


 ああ、くそ! 残っていれば会えたのに!


 次の日から敵の攻勢を受けた。


 これは稲葉家の兵で撃退出来たが、たびたび又左と良之が飛び出して加勢していた。


 大人しくしていれば良いのに?


 俺は蜂須賀党を除く二百の兵で朝駆けを行った。

 これは夜襲を警戒した敵の意表を突けた!

 都合三度行って散々に暴れてやった。

 ちょっと最近むしゃくしゃしていたので良い発散になった。



 十日を過ぎてから敵の攻勢が続いた。


 昼夜問わずの攻撃に大変だったが、前もって進言しておいた三交代制のお蔭でギリギリ耐える事が出来た。


 もっと兵がいたら楽出来るのになと度々思った。


 そして、敵の攻撃の合間に兵達に檄を飛ばしている。


 苦しいだろうが耐えて欲しい。


 後少し、後少しだけ耐えれば……


「兵糧はまだ有るが、兵が持たん」


 稲葉良道は怒るでもなく淡々と話している。

 この一月あまり、彼はよく我慢してくれた。

 一時は暴走するのではと思ったが、そんな事は無かった。


「氏家殿と坪内が動いてくれている。……筈なんだけどな?」


 俺は小六に確かめる為に聞いてみる。


「連絡は貰っているけど、まだ準備が掛かるみたいさねえ」


「後十日も持たんぞ。どうする?」


 どうすると言われても?


「城を捨てるか?」


 又左の珍しい消極策。


「兄上。それでは傷ついた者達を連れて行けません!」


「ああ、そうだったな?」


 又左は惚けたが、これは俺に撤退しろと言っているのだ。


 俺には分かる。


 又左も、もう持たないと思っているのだ。


「ならば、わしが残る。貴様達は動ける者を連れて」


「待った! それは絶対に駄目だ!」


「しかしだな?」


「約束したでしょう? 一緒に仇を討つと」


 それきり良道は何も言わなかった。


「小一が必ずやってくれる筈だ。信じて待つしかない」


 頼むぞ小一。お前の働きに掛かってるんだ!


「なら、しょうがねえな。まだまだ暴れますか?」


「ふん、まだまだ若い奴には負けんぞ」


 利久と良道が一緒に立って出ていった。


「しょうがないですね兄上。藤吉殿。私も行きます」


 そう言うと良之も去っていった。


 残ったのは俺と小六だけだ。


「で、小六。本当の所はどうなんだ?」


「利定の奴にはきっちり言ってあるからね。大丈夫だよ。問題は相手に気づかれてないかだけどね?」


「まあ、その辺は長姫が上手くやるだろう? 本人の発案なんだからな」


「本当にそんな事で兵を退くのかねえ?」


「こっちが囮だと思えば必ず退く。筈だ?」


「頼りになるんだか、ならないんだか」


 小六が肩を竦める。


 そんな小六を俺は抱き締めて囁く。


「心配ない。俺を信じろ」


「……藤吉」


 小六も俺を抱き締める。


 大丈夫だ。


 一月持たせたんだ。


 後少し、後少しだけ時間を稼げれば……



 その時、大きな声が響いた。


「外が騒がしいな?」


「どうやら悪い事が起きたみたいだねえ?」


 俺と小六は立ち上がり外に出た。


「大将! 門が、門が!」


 どうやら大手門が破られようとしているらしい。


「こりゃあ、ヤバイかな?」


 俺がわざとおどけて見せると。


「ふふ、そんな事思ってもいないくせに?」


 小六が笑って返してくれた。


「よし行くぞ! 最後まで足掻いてやるさ!」


 俺と小六は門に向かって走った。




 その日、曽根城の大手門が破られたが城兵の必死の抵抗によって城は落ちなかった。


 しかし、明日にも曽根城は落ちる。


 それは城にいた者達全員が思っていた。

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