第58話 伊勢長島の一向宗

 斎藤道三の会談から一夜が明けた。


 俺達は一旦尾張に戻る事にした。


 昨夜は大変だった。


 昨日の事を思い出すと震えが来る。



 ※※※※※※


 その日、道三との交渉は決裂した。


 双六勝負で俺達の安全を確保したのだが、二人の花魁は直ぐに帰る事を拒否し、そのまま一泊する事になった。


 俺達が居た賭場は宿泊施設も一緒だ。


 奥の部屋がVIP用の部屋で食事も楽しめる。

 そして、ここには遊女(男娼)も居る。

 賭場で勝って食事をして女(男)を買って泊まる。


 すべてがセットになっているのだ。


 小六はここのVIP会員のようでこの花魁姿は俺に見せる為に着替えたのだ。

 そして、長姫も嫌がる所かノリノリで着替えたそうだ。

 まあ、二人供似合っているから良いけどね。


 そんな二人と俺は食事と酒を楽しんでいる。


 扇情的な姿の小六と長姫は本当に眼の保養じゃない、眼の毒だ!

 自然と胸元や生足に目線が行ってしまう。

 それに二人とも隠そうとしていない。


 困ったものだ。


 そして、そんな二人は……


「小六さん。夜更かしは肌に良くないですわよ」


「あら姫さん。ご心配ありがとうね。でもこのくらい平気よ。姫さんこそ早く休んだらどうだい?」


「おほほほ。わたくしはまだまだ若いですからご心配には及ばなくてよ。おほほほ」


 とまあ、こんな感じである。


 しかし、真面目な話もしている。


「濃姫が旦那と繋がってるなんてないよ。ない」


「本当か?」


「旦那得意のはったりだよ。いかにもそれらしい話をして誘導するのさ。あたしもよく使う手だよ」


 そうか。あの話は嘘なのか?


 道三と濃姫が文のやり取りをしていても不思議じゃない。

 本当かどうかはこの場では確かめようがない。

 いや、確かめる事が出来たかもしれないが衝撃が大きくてそこまで頭が回らなかった。

 これも道三の話術が巧みだったからだ。


 俺も今度真似してみよう。


「武田が動いてるのは本当かな?」


「間違いないでしょうね。晴信の性格からしたら慎重に動いてるつもりでしょうけど、家臣達の動きで丸わかりですわよ」


「道三はそれを知って焦ってるのか?」


「先の同盟話は織田家には利がありましたわ。市なら龍重を操るくらい分けないでしょうに。そうすれば織田家は美濃と尾張の二か国の大名。武田や今川等相手になりませんわよ」


「武田は強兵だよ。相手するのは難しいだろう?」


「おほほほ、武田は四方を敵に回してますわ。上手く立ち回れば武田等恐れることはありませんわよ」


 長姫は強気だな。


 確かに史実では武田は四方から攻められて裏切りが続出して滅んだ。

 でもあれは他にも色々と原因が有ったからそうなっただけで、それに武田信玄は今も健在なんだ。

 そう簡単には行かないだろう?


 それからは三人で次の手を考える事にした。


 今までは小六が案を出して俺が修正して策を考えていたが、長姫が加わった事でより戦略と戦術を考える事が出来た。

 やはり一国、じゃない三か国を支配していた大名は違うな。


 しかし、長姫はなんで俺にこうも協力的なのだろうか?


 いや、分かっているんだ。


 俺は分かっていて分かってないふりをしている。


 俺はとても卑怯な男なんだ。


 小六にしてもそうだ。


 道三に向けた小六の言葉は俺の心に突き刺さっている。

 もちろん責任は取るつもりだ。

 これ以上の不義理はしたくない。


 でもな~


「姫さん。いい加減おねむの時間だよ。早く寝所に行ったらどうだい?」


「あら、小六さんこそ。夜更かしは良くありませんわ。そんなに若くないのですから?」


「ああ!」「なんですの!」


 二人は額が付くか付かないかの距離で睨み合っている。


 けっこう飲んでるし、大丈夫だろうか?


 取っ組み合いになる事はないと思いたいけど、どうしよう?


「俺は先に寝るからね? お休み」


「あ、後で行くからね。藤吉」


「直ぐに参りますわね。藤吉」


「「決着をつけようかねえ(つけましょうか)」」


 好きにしてね。



 結局二人は明け方まで寝所にやって来ることはなかった。


 俺が起きて隣の部屋を見てみると二人とも仲良く寝ていた。

 案外この二人仲が良いのかもしれない。

 もう少し一緒に行動したら良いコンビになるかも?


 そうなって欲しいもんだ。



 ※※※※※※




 美濃での工作期間は既に二十日間が過ぎている。


 今は織田家と斎藤家が水面下でやりあっている。

 俺のように調略を仕掛けている者は多数いるのだ。

 きっと今も両家の家臣達が伝を使って文のやり取りや密会をしているだろう。


 だが、織田家から裏切り者が出ることはないと思う。


 野心ある人物は居るかもしれないが、積極的に織田家を裏切る人物はいない。

 そんな人物を信行が命懸けで排除したからだ。


 今の織田家は一枚岩と言える。



 そして、斎藤家はどうか?


 斎藤家は先の内乱の傷が癒えていない。

 それが証拠に西美濃四人衆のうち二人は確実にこちらに付いてくれる事になった。

 他にも味方する国人衆は多い。

 しかし、当主の龍重と隠居した道三はその国人衆を処罰する事が出来ない。

 やり方は色々と有るかもしれないが、処罰すると多くの国人衆は今勢いの有る織田家に走ってしまう。


 龍重と道三が取るべき道は二つ有る。


 一つ目は大きな合戦で織田家ないし周辺諸国と戦って勝つ事だ。

 これによって斎藤家が今も力有る大名家だと国人衆にアピールできる。


 二つ目は織田家以外の大名と同盟関係を結ぶ事だ。

 この候補には朝倉家、六角家が上げられる。

 朝倉と六角は浅井を挟んで陰険な関係だ。

 両方と同盟関係を結ぶのは難しいだろう。



 武田は長姫が言ってた通り無理だ。


 そもそも東美濃の遠山家は元々斎藤家に臣従していたのだ。

 今は斎藤家を見限って武田に付いてる。

 武田は美濃侵攻を目論んでいるのは明らかだ!


 そうなると斎藤家が取る現実的な手段は?


 織田家との合戦を行う。


 朝倉か六角と同盟関係を結ぶ。


 武田とは合戦を避ける。



 こんな所だろうか?



 これは長姫が予想した物だ。

 それに俺もこの案が妥当だと思う。

 となると合戦の時期は今夏か晩秋か?


 いずれにしても大きな合戦を起こすには銭と米が要る。

 去年は凶作で米がない。

 夏に戦を起こすだけの米がないのだ。

 銭は最悪借銭すればいい。


 戦は稲刈りが終わった秋だろうか?


 それまでに色々と手を打っておく。


 西美濃国人衆の調略は引き続き行うつもりだ。

 氏家殿との約束も有るしな。

 稲葉良道の解放は秋を目処にした方が良いかもしれない。

 後で文を書くことにしよう。


 そして、その間にある土地の調略を行わないといけない。



 その土地は……




 三日ほど掛けて尾張清洲に戻ってきた。


 約一月ぶりの帰還だ。


 こんなに書類仕事をしていないのは久しぶりだ。

 もっと外に出ることにしよう。


 屋敷に戻るといつも通りの光景を目にする。

 母様ととも姉が畑に出ている。

 朝日は寧々と蜂須賀屋敷で手習いだ。


 小一と弥助さんの姿が見えない。


 どうやら俺が頼んだ仕事を真面目にやっているようだ。

 弥助さんは嫌がってやらないと言っていたが、小一が引っ張って行ったのかもしれない。

 もう少しやる気を出して欲しいもんだ弥助さんには。


 そして長旅で疲れて部屋に大の字になって寝っ転がっているとドシドシとした足音がしてくる。


「大将ー! 居るかー!」


 この声は長康だな?

 弟の利定の事も有ったからな。

 一度じっくりと話そうと思っていたのだ。


 ちょうどいい。


「ここだ! 長康!」


 俺が返事をすると長康がやって来た。


「良かった。大将が今日にも帰ってくるのは知ってたけど、直接会えて良かった」


 なんだ。 長康の顔色が良くない。


 何か有ったのか?


「どうした長康。連絡はしていたろ?」


 今日にも帰る事は家の者は知っている。

 使いを出したからだ。

 城には報せていない。

 報せたらきっと拘束される。


 間違いない!


「大将すまん!」


「何か有ったのか?」


「小一と弥助が捕まった。油断していた。まさか、彼奴ら」


 俺は自分の血の気が引いていくのが分かった。


「誰だ!誰に捕まった!」


 俺は長康の両肩を掴んで迫る。


「服部だ。服部左京進に捕まったんだ」


 服部左京進。


 伊勢長島近くの国人衆だ。


 俺が小一に頼んだのは長島の調略活動だった。




 小一と弥助さんが捕まった!


 捕らえたのは『服部 左京進 友貞』だ。


 友貞は津島の南にある河内一帯を支配する国人衆であり、尾張の国人衆の中で独立を貫いている最後の人物だ。


 なぜ彼が独立していられるのか?


 それは彼が長島の一向宗と繋がりが有るからだ。



 長島の一向宗。


 言わずと知れた浄土真宗の門徒達だ。

 彼らは伊勢長島一帯に勢力を持っており無主の地である長島の実質的な支配者でもある。

 その勢威はそこらの大名よりも強い。

 なにせ門徒すべてが死兵となって戦うからだ。

 女、子供、老人すべてが兵なのだ。


 彼らは南無阿弥陀仏と唱えながら戦う。


 その姿は異様だ。


 一向宗の敵と戦って亡くなれば極楽に行けると門徒は本気で信じているのだ。

 いや、信じたいのかもしれない。

 この戦国の世に疲れはてた者達の唯一の救いが宗教なのだから。


 そんな門徒を戦わせる坊主達の方が大名よりもよっぽど酷いと思うのだけれど。

 しかし、それを感じさせない何かが有るのだろう?

 それは門徒にしか分からないのかもしれない。


 俺は無神論者だ。


 彼らのように目に見えない何かに頼るなんて出来ないし、したくない。

 助けてくれるのか分からない物を信じる気にはなれない。

 かといってすべて否定する訳ではない。


 それはさておき。


 並の大名よりも強い力を持っている一向宗と繋がりがある友貞を攻めると言う事は、一向宗を敵に回す可能性がある。

 その為に友貞は今もって独立して要られるのだ。


 その服部友貞が小一と弥助さんを捕まえている。


 その理由は、俺が小一に頼んだ『長島一向宗』の調略が原因だ。


 俺が考えた一向宗の取り込み方法はわりと簡単だ。


『一向宗の門徒に土地と仕事を与える』これだけだ。


 長島に居る一向宗門徒はそのほとんどが難民だ。

 故郷の土地で食えなくなった者達だ。

 その境遇は様々だが共通しているのは食べる物が無いと言う事。

 尾張にやって来た難民を受け入れた時彼らの多くは農民であった。

 彼らは故郷で土地を耕しその収穫を納めて生活してきた。


 しかし、長引く戦乱と凶作による飢饉が彼らの生活を成り立てなくしてしまった。


 税を納める事が出来ず荒廃していく土地での収穫も見込めず、彼らは故郷を離れて難民となった。

 難民の多くは噂を頼りに各地をさまよう。


 そして、桶狭間合戦で今川を破った織田家の尾張に難民が殺到したのだ。

 強い大名の庇護を受ける事で安定した生活を送る。

 これが尾張に難民がやって来た理由だ。

 それに尾張は日ノ本でも有数な石高を誇っている。

 民を受け入れる土壌が有るのだ。


 そして、俺は気づいた。


 長島に居る一向門徒も元は農民だ。

 彼らをこちらに引き込めないだろうかと思った。

 長島の人々は数が多く溢れている。

 仕事に付けない者が多いのだ。

 その為に治安が悪く問題にも成っている。

 その問題を解決する為に土地や仕事を与える。

 上手くすれば長島の人口を減らして、その脅威を弱める事が出来るはずだ。


 しかし、これを行うのは中々難しい。


 長島の中に潜入して噂をばらまき、人々を勧誘するのは大変だ。

 潜入工作は蜂須賀党がやってくれるが、門徒を説得する事が出来ない。

 門徒を説得するには門徒の気持ちが分かる者で無くてはならない。


 そこで適任者を見つけた!


 それが小一であり弥助さんでもある。


 小一と弥助さんは元農夫だ。

 彼らの心情が分かるはずだ。

 何より小一は犬山でその力を見せてくれた。

 俺は危険な役目と知っていたが敢えて小一に任せて見ようと思った。


「小一。頼みがある」


「なんだい兄者?」


 俺と小一は二人きりで話していた。


「お前に任せたい仕事が有る。でも危険な仕事だ。話を聞くか?」


「おいらにしか出来ない仕事なのかい?」


「ああ、お前にしか出来ない」


「分かった。話を聞くよ」


「じゃあ話すぞ。話を聞いて断っても良いからな?」


「分かったよ。兄者」


 そして俺はこの危険な仕事の内容を小一に話した。


「………」


 話を聞いて考え込む小一。

 やっぱり小一には無理かな?

 俺でもこの話を断るだろう。


 かなり危険な仕事なのだ。


「兄者。おいらやるよ!」


「小一!」


「兄者が美濃で命懸けの仕事をやるだろう。おいらも兄者に負けない仕事をやるよ!」


「断っても良いんだぞ。危ないんだぞ。死ぬかもしれないんだぞ?」


「そうならないように気を付けるよ。大丈夫、任してくれよ」


「小一」 「兄者」


 俺は小一を抱き締めた。


「蜂須賀党の腕利きを護衛に付けるからな。長康ならお前を守ってくれる」


「護衛なんて連れて行ったら門徒達を説得出来ないよ?」


「お前の安全の為だ!」


「分かったよ」



 こうして小一に伊勢長島の一向門徒切り崩しを頼んだのだ。

 弥助さんは小一一人だと心細いので、とも姉が無理やり付いていくように説得(殴った)したのだ。


 そして、その小一が服部友貞に捕まってしまった。


 どういう経緯があって捕まったのか分からないが、長康の話だといつも通り長島に潜入した後、落ち合う場所で待っていたのだが小一と弥助さんが姿を見せない。

 辺りを探して見たのだが見つからない。

 そこで聞き込みをしてみると、小一と弥助さんが服部の部下に連れて行かれたのを見た奴がいた。


 その後長康は急いで服部の居る市江島に向かった。

 そこで小一達を見つけたが取り返す事が出来なかったのだ。


 正確には手が出せなかったようだ。


 下手に手を出せば長島の一向門徒を敵に回してしまう。


 そこで一旦戻って俺と小六に報告しに来たのだ。


「直ぐに助けに向かうぞ!」


「でもよ大将。どうするんだ?」


「任せろ!堂々と正面から乗り込んでやる!」


 俺に秘策有りだ!


 拐ったのが一向門徒ならかなり厳しかったが、今回は服部友貞だ。

 彼らは海賊も営む連中だ。

 そして、同時に商人でもある。

 商人ならば話が出来る。


 それにもしも小一に何か有ったら、その時は……


 俺の身内に手を出した事を後悔させてやる。


 俺は服部友貞の居る市江島に向かうのだった。

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