第18話 浮野の戦い

 清洲城を発った軍勢は二千。


 市姫様を大将に一路岩倉城を目指す。


 そして進撃している途中で信光様の軍勢と合流して岩倉城を包囲降伏させる予定だ。

 問題があるとすれば岩倉から敵が出て来て野戦に持ち込まれることか?

 こちらは訓練の行き届いていない兵士が半数近くいる。

 半分が素人だ。


 そして、俺も素人だ。


 ところで今日の市姫様の格好は当世具足を自分のサイズに直して着ている。

 兜は付けていない。

 長い髪を靡かせながら馬に乗り悠然と進んでる。


 ………カッコいい。


 ちなみに俺も鎧を……着ていない。


 頭に鉢がねと体には革性の鎧を着けている。

 靴はまだ捌けるが草鞋に変えた。

 そして、箱と帳面を持っている。

 硯箱と帳面はこちらに来たときの下げ鞄に入れている。

 この鞄は何かと重宝している。

 この姿で馬に乗っている。


 正直カッコ良くない。


 又左には笑われ、勝三郎はポーカーフェイスのままだったが時より手を口に当てていた。


 そんな俺達織田家の軍勢は大きく三つに別れている。


 一つは先頭の集団、数は七百。


 一つは俺達のいる中段、数は千。


 残りは荷駄隊で三百。


 そして先頭を率いるのは『佐久間 大学助 盛重』だ。

 盛重は元は信行側の武将だったが稲生の戦いが始まる前に信長に付いた武将だ。

 勇猛果敢だが冷静に戦局を見れる武将だ。

 攻めの部分だけを見ても織田家中でも随一だ。

 柴田勝家よりも上だと俺は見ている。


 猛将盛重を先頭に岩倉城まで急ぐ。


 とにかく岩倉城を包囲出来れば何とかなる。

 城攻めは専ら包囲しての兵糧攻めが主流だ。

 無理に力攻めをすれば兵を無駄に損なう。

 兵を失う=領民を失う。

 領民を失えば国力を失う。

 これが負の連鎖だ。


 力攻めを行うなら絶対に勝たないといけない。

 そうでなければ無駄に消耗して逆に攻められかねない。


 力攻めはリスクを伴うのだ。


 そして、今回はそのリスクを抑える為に兵糧攻めを行う。

 兵糧攻めなら時間は掛かるが負傷者が出にくい。

 城攻めを行っている以上怪我人が出るのはしょうがない。

 しかし力攻めよりは少ない。


 こうして時間を掛けて城攻めを行えばきっと、いや必ず信行が動き出す。

 岩倉織田家に味方するか?

 それとも俺達と岩倉織田家との間に入って和睦を提案して来るか。

 いずれかの方法で介入して来るはずだ。

 そこで岩倉織田家と信行の両方を始末出来れば尾張で織田家を越える勢力は無くなる。

 後は中立を誇る勢力や独立勢力を攻め立てれば、尾張統一は目の前だ!


 だが、そうそう上手く行くはずがない。


 慎重に一つ一つ潰して行く。


 まずは岩倉城を攻め落とし岩倉織田家を滅ぼす。


 今は七月に入ったばかりでそろそろ米の量を心配する時期だ。

 そして今は米の相場が上がっている。

 目端の利く商人ならこの時期に米を売り飛ばす。

 実は美濃の商人を使って米を買い取った相手が岩倉織田家である。


 岩倉城の余剰米を買い取ったのだ!


 からくりはこうだ。


 まず美濃の商人から米を買い取る。

 そして美濃の商人は失った米を岩倉織田家から買い取ったのだ。

 こう言うと美濃の商人が得していないように思えるが、俺が美濃の商人から買い取った米は一貫一石だ。

 岩倉織田家の米の買い取りはだいたい一貫一石三升ないし四升だ。

 十分に美濃の商人は稼いでいる。


 今の岩倉城は兵糧米が少ない。

 城を囲んでの兵糧攻めを行えば必ず勝てる、……はずだ。

 絶対にとは思っていない。

 勝てる確率を上げただけだ。

 上手く行けばそれでいい。


 そう、上手く行けば……



 もうすぐで信光様率いる軍勢との合流場所につく予定であったが、その目の前に数百はいるだろう人の群れが見えた。


 俺は市姫様の近くに居たが俺にも見えていた。

 こちらが近づくと向こうも近寄って来た。

 俺は味方の軍勢かと思っていたが先頭を行く佐久間盛重から伝令がやって来た。


「伝令、伝令であります」


 直ぐに伝令は市姫様の所に連れてこられた。


「叔父上の軍勢か?」


 市姫様の問いは近習筆頭の勝三郎が伝令に伝える。


「分かりません。ただこちらに向かって来ます」


 続いて次の伝令がやって来る。


「直答を許す。答えよ」


 市姫様は伝令に直接尋ねる。


「敵です。向かって来る軍勢は岩倉城より出て来たものと」


「佐久間は?」


「既に兵を向けております」


 更に伝令がやって来る。


「伝令、伝令。先鋒は既に戦闘に入りました!」


 早い。


 なし崩しに戦闘を始めたようだ。


「盛重を援護する。誰か!」


「この又左にお任せを」


 市姫様の問いに又左が出てくる。


「では又左衛門に任せる。勝三郎。兵はいかほど出せるか?」


「三百ほどがよろしいかと。敵は我らよりすくのうござります。ですが佐久間勢の半数近くは雇ったばかりの兵です。浮き足立つと危のうございます。急ぎ兵を向けましょう」


「うむ。又左衛門は三百を率いて右翼から攻めよ。盛重に伝令を。正面で敵を抑えよと」


 又左が俺を見てニヤリと笑うと。


「では行って参ります。皆の者、行くぞ!」


 又左は馬廻衆三百を率いて行った。


「勝三郎」


「はっ」


「左翼にも攻めさせる。誰がよいか?」


「私と言いたいですが、平手様より姫の側を離れるなと言われておりますれば、五郎左がよろしいかと?」


「五郎左か。荷駄隊を任したのではないのか?」


「荷駄は別の者に任せております。ここは五郎左をお使いくだされ」


「よし、五郎左に右翼より攻めさせよ」


「はっ」


 勝三郎のが近くの者に伝えると直ぐに兵達が動き出した。




 この間の俺はただ見ているだけだ。


 何もしていない。


 空気のような存在だ。


 ところで先ほど名の上がった『五郎左』って誰だ?


 勝三郎に聞いてみるか?


 しかし、勝三郎はいつものポーカーフェイスを貫いているが、緊張感がこちらにまで伝わって来るほどだ。


 これでは聞けない。


 俺がぼーと突っ立って居ると、薙刀を携えたまつが側に寄ってきた。


 そう、この戦にはまつが付いてきているのだ。


 まつだけじゃない。


 城に居る侍女達が付いてきている。

 その数二十人。

 この侍女達は市姫様の護衛である。

 女大名には小姓ではなく侍女達が世話をしている。

 その為、女大名が戦に行くと侍女達も付いて来るのだ。

 只の侍女ではない。

 武芸に秀でた者達ばかりでその辺の男達が束になっても敵わない。


 当然、まつも強い。


 俺は朝の鍛練で又左とまつにしごかれているが、まつには一度として打ち込めた事がない。


 情けないけど事実だ。


 そしてまつが俺の側に来た。


「藤吉殿。ちゃんと記録をつけてくださいね」


「あ、ああ、そうか。そうだね」


 俺は自分の仕事を思い出す。


 直ぐに携帯していた硯箱を取り出し書を書こうとすると勝三郎に注意される。


「藤吉まだだ。目付けが来てからだ」


 この目付けとは戦目付けの事だ。


 戦目付けは戦の中を見て廻り、誰それが手柄を立てたのか確認するのが仕事だ。

 そして右筆の俺は戦目付けの報告を受けて功名帳に書き記していくのだ。

 ちなみに功名帳は名前の通り功名を上げた者の名前を書く書物の事だ。


 その後しばらくすると戦目付けの者達が順に報告してくる。

 俺はその報告を功名帳には直接書かずに別の帳面に書いてる。

 これは戦目付けの報告が人によって違う為、後で確認する為だ。


 戦の最中は色々と混乱するのだ。


 それにしても戦の様子は芳しくない。


 こちらが三方から攻めているのに(正面は敵を抑え左右が攻めている)中々敵を崩せない。


 それどころか正面は崩れそうになっていないか?


「佐久間様より救援の要請です。『至急増援を』との事」


 伝令がやって来るが市姫様は何も答えない。

 増援を送ろうにも本陣には三百ほどしかいない。

 それに正面の味方に増援を送ってもかえって混乱するだけじゃないか?


「そろそろのはずですが……」


 勝三郎が不意に呟いた。


 そろそろ?


「後方より軍勢です」


 後ろに居た荷駄隊からの報告だ。


 周りこまれたのか?

 敵は遠回りして直接本陣を狙ったのか。

 こちらは数が少ないぞ。


 どうする、どうなる?


 しかし俺の心配は杞憂に終わった。


「お味方です。信光様の軍勢です」


 『おおおっ』と皆から歓声が上がる。


「叔父上め。いい時にやって来る」


 市姫様は文句のつもりだろうが声は明るかった。


 信光様の軍勢が現れると敵は崩れだした。


 しばらくして敵は敗走した。


 こちらは追撃しなかった。


 というよりは出来なかった。


 正面を支えた盛重隊の被害が多かったのだ。

 死亡者は少ないが怪我人が多く隊を維持するだけで精一杯だったのだ。

 信光様の軍勢と合流した俺達は急ぐことなく岩倉城に向かった。


 そしてほどなく岩倉城を包囲し、三日間包囲した後城主である織田信安は降伏した。


 こうして岩倉織田家は市姫様に滅ぼされた。


 尾張の統一に一歩近づいた訳だ。





 しかし、この岩倉攻めに信行側からの反応は何もなかった。

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