第7話 彼

 あのふねという乗り物が人間をのせ海を漂う入れ物なら、僕はこの土地という海にどっしり構えた大きな乗り物なのだろう。


 僕は僕の上にいる人間たちを結界を張ってありとあらゆるものから守った。

 土地そのものとなってからは、精霊のときとはまるで異なる大きな力を使うことができた。

 人の願いに左右されず、この土地から見える海の範囲までなら僕の思うままに力を奮うことが出来た。


 病気というものは汚れた水、汚れた空気、汚れた食べ物がもとになっていることが多いから、少しでも害になりそうなものは僕の土地から追い出した。

 子供というものは、そうでなくても目を離した隙にすぐに死んでしまうものだからよく見ていたし、死にそうになったらすぐに助けた。

 彼の言っていた通り、遠い国のやつらがふねとやらで大勢おしよせてきても片っ端から沈めていった。

 結界の中にはどのみち入ってこれないのだが、奴らには恨みがあったので目に入った瞬間、容赦なく渦潮をつくり海の藻屑にした。

 ただあいつらも意地になっていつまでもやってくるもんだから、途中からは飽きてやめてしまった。


 彼の魂はふよふよと海へ向かおうとしたところを捕まえた。

 その魂を決して離すつもりはなかったし、そういう約束であった。


 けれど魂だけの存在では放っておいたら自然の摂理なのか海に向かってしまうし、脆く儚くすぐに壊れてしまいそうなため、器にいれることにした。

 初めに魂をいれたのは土人形であった。

 動いたときは嬉しかったが、すぐに魂は器から離れた。

 捕まえてきたトリやウサギの魂と入れ替えてみると、土人形よりは長く保ったがこれまたすぐに動かなくなった。

 人の子の死体を拾ってきていれてみると、これは良かった。

 人の子の魂は人の子しか器と見なさないと、ようやく分かった。

 しばらくは四肢をじたばた動かす彼を見ているだけで幸せであったが、そのうち動くだけでは満足できなくなった。

 僕のことを見て欲しかった。話しかけて欲しかった。


 幾度もの試行錯誤から、人の子よりも海の子の方が、他人よりは彼の縁者の方が、そして体が完全に形成された後よりは、まだ母親の腹の中で魚の格好をしている頃に魂を入れ替えた方がより魂がなじみやすいことが分かった。

 生まれてすぐに連れ帰り獣の乳を与えて育てたこともあったが、僕の手では人の子にまで育つことはなかった。

 海の子は人の子の手によって育てられねば、人の子にはなれなかった。


 出会った年齢の時にまで彼の魂をもった者が育つことができた時は、それはもう嬉しくてその日に連れて行くことにした。

 けれどしばらく一緒に過ごすにつれ、それは失望に変わっていった。

 彼は彼ではなかった。

 彼の魂ではあるはずなのに、あの日出会った彼ではなかった。

 日に日に募っていく違和感と、約束の日以来補充もなしに力を使い続けていた影響で腹が減っていたのもあって、身のうちから沸き上がる衝動に勝てず彼を食らった。

 人の血肉を味わうのは二度目であった。

 食べた瞬間は後悔に打ちひしがれたが、それは後からくる充足感には勝てなかった。

 それぐらい彼の血肉はおいしかった。


 それからというものの、彼の魂をいれた人の子が八つになる直前になったら連れて行った。

 しばらく一緒にいて、本当の彼ではないと思ったら食らった。

 そして器から飛び出た魂を捕まえ、再び器にいれ幼子として生まれかえさせた。

 いつか本当の彼に出会うために。


 生まれて死んでを繰り返し続けた魂はだんだんとこぼれていくようになった。

 僕はなんとか集めてつぎはぎし、砕け散らないようにした。


 何度も繰り返したが、本当の彼に出会うことはできなかった。

 誰も彼もが、彼でなかった。

 今回のミナワという名の彼の魂を持つ者なんて、僕に会う前から怖くて泣きじゃくっていて、論外の極みであった。

 本当の彼なら、僕に初めて会った時にそのまっすぐな瞳で見つめてくれるはずだった。

 すぐさまその場で食らおうかと思ったが、彼の魂はすでにボロボロで、あと何度も使えるものではなかったからしばらく放っておくことにした。


「僕が会いたいのは君じゃない」


 そう言い残して僕は去った。



 目下やることはこの土地の異物を取り除くことであった。

 今まで、数例の例外は別として、土地の者に手出しをするようなことはしなかった。

 この土地の人間を守って欲しい。

 それが彼との約束だったから。


 けれど、あの二人だけは例外であった。

 外から来た女とその子供。

 女は結界を破って唯一、この土地にどこからともなくやってきた闖入者だった。

 僕には女の存在が、彼を死に至らしめたあの七人の男たちを連想させ目障りでとっととどっかにやってしまいたかったのに、変な守が覆っているせいで手出しができなかった。

 土地神になって以来、初めて僕の力が及ばなかったことだった。

 敗北感にかられながらも、一人だけならやがて死ぬだろう、そのときむき出しとなった魂を追い払おうと目をつぶろうと思ったが、女は子をなした。

 それだけには飽きたらずあろうことか、彼の魂を結界の外へやろうとした。

 危険な芽をつぶす必要があった。

 けれどやはり、女にもその子供にも隙がなかった。

 仕方なく、僕は彼の父を誘い込み食らった。

 そして、女が打ちひしがれ隙ができたところへ二度と彼と会えぬように呪いをかけた。


 子の方は、女とはまた別の意味で目障りだった。

 ミナワというのが、あいつをかわいがる度に嫉妬で狂いそうになった。

 彼の魂を持つ者が僕以外への者へ愛情を向けていると考えるだけで憎悪で身が焦がれた。

 彼の魂をもつ者に本当の彼になって欲しい。

 だがあのミナワは彼の魂の持つものであるだけで、彼自身ではないはずだ。

 相反する矛盾とは分かりながらもそうやって気を鎮めなければならなかった。


 守のせいで僕は手出しができなかったが、今や僕の核となっている大石のそばであれば話は別であった。

 あの大石周辺は僕の領域であり、どんなものであれ僕の支配下における。

 あいつがやってくる七海八人の儀式の日をただただ待ちわびた。


 実際話してみるとあいつは想像以上にクソ生意気であったが、魂は非常においしかった。

 新鮮で少し食べただけだというのに、心地よさに震えた。

 食べたあともしばらくは、あの幸せだった日々の充足感に包まれたような気分であった。


 二度目に食らったあとも、再びの心地よさにしばらく目をつむって帰らずの日々を思い出していた。

 だが起きたときに彼の魂がどこにもいないことに気づくと愕然とした。

 どこにもいなかった。この土地のどこにも。

 彼が死んでしまって以来、ずっと目を離さなかったのに。

 少しの間、ちょっと目をつむっている間に彼の魂はどこかに消えてしまっていた。


「弾けた……?」


 だとしても痕跡すら残らないわけがない。

 けれど探しても探してもどこにもいなかった。


 誰かが隠しているに違いなかった。

 こんなことをするのはあいつしか考えられなかった。

 あいつの魂を食らってから、僕の調子がおかしくなったのだ。


「う……くぅ……」


 怒りは僕に余計な力を使わせた。

 何物もこの土地に入ってこれないよう結界を張ることも骨がいるがそれ以上に、海に逆らって、魂を還さずにとどめておくというのはこの土地の力をもってしてでもあがなえないほど想像を絶するほどの力がいる。

 彼の魂だけでもそうなのに、僕はそれ以上の魂も引き留めている。

 限界以上の力を使い続け、存在にひびが入っているのは自覚している。

 いっそのこと彼以外のは手放しても良いと思うのだが、万一彼の魂が海に還ってしまうことを考えると結界から誰も抜け出てしまわないよう続けるしかなかった。


 だというのに、この失態だ。

 新月の夜を待たずにして、あいつを呼び出そうとしても、これまたこしゃくなことに頑迷に抵抗し続けた。彼の左腕の痣は僕の怒りで赤く光り続け、彼を苦しませてもだ。


 だが一ヶ月だ。

 新月の夜に会うという契約だけは破ることができない。

 そんなことしたら魂が砕け散る。

 焦りと焦燥にかられながら僕は待ち続けた。


 あいつは骨と皮になり果てながらもふらふら歩いて、ようやくやってきた。

 一ヶ月、僕へ抵抗を続けた彼がまだ生きていることに驚嘆はすれど、怒りは収まることはない。

 彼に会うなり、襲いかかりすぐに問いただした。


「この一ヶ月、彼をどこにやった?今どこにいる?」


「……それ、僕がお前に聞こうと思っていた質問だけれど?」


「なに訳分からないこと言ってるの? お前が隠したんだろう?」


 僕の下に横たわるあいつの顔には、なんのことだと書いてあった。

 嘘の色ではない。

 だが、お前でなければ誰なんだ。


 疑問が顔にでていたのだろう。

 彼は僕をみて笑った。


「もしかしてお前、兄ちゃんのこと見失った?」


「……うるさい」


「それってお前から逃げることができたってことだろう? 兄ちゃんの魂だって散々お前に良いようにされていい加減お前に飽き飽きしていたんじゃない? ざまあみろだ。この粘着野郎!」


「うるさいって言っているだろう!」


 憎悪が憤怒が頭を突き抜ける。

 あぁいいだろう。

 彼の魂を探すのが先だと思いもすれど、目の前にいる虫を排除せねば気が済まなかった。

 泣きじゃくれ。絶望しろ。

 その顔が絶望に染まっても。

 哀願しても媚びても。

 嬲って嬲って嬲って。

 魂が砕け散るまで壊し尽くそう。


 目を細め、睨みつけてくる彼に向けて一歩、二歩。

 三歩を行こうとして足を止めた。


 明け方まで明かぬはずの斎庭の扉が開いた。

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