第6話 僕
この土地を守り続ければ彼といつまでもいられる。
ただその想いだけが僕を支えていた。
始まりの記憶は遠い彼方の向こう側。
どこからやってきたのか分からない。
たぶん空からだと思う。
青い球を見つけたと思ったら気づいた時にはふわりふわりと茶色の平面を漂っていた。
最初はただ見ているだけのものであった。
動くものが好きだったから、いつの間にやら現れた大きなトカゲが大地を闊歩するのを飽きずにいつまでも見ていた。
けれど、この土地が大地から切り離されて、やがては海に囲まれた場所になる頃にはもう彼らはいなかった。
僕が僕になるきっかけとなったのは人間がこの土地へやってきたことだろう。
よく動く変なのがきたなあ、と思ったのを覚えている。
彼らはせかせか動き回りよく増えてよく減った。
来たときよりも三十増えたと思ったら、いつの間にやら二十までに減っていた。でもその次に見たときは百になっていた。
彼らの数を数えるのが僕の好きなことになっていた
けれど大きな台風がきた年、穀物が実らず彼らの食べ物がなくなり餓死していった。
それなりに増えていた人間の数は一気に減り、その後もどんどん減り続けた。
ずっと見ていた彼らがこの土地からいなくなることが嫌だった。
彼らが穀物さえ実ればと願ったので、枯れた草が再び実るようになればと思っていると、目の前にあった干からびた稲穂がみるみるうちに緑色になり伸びていった。
穂が実ると人間の減る数がぴたりととまり、また増えていった。
ただ見ているだけであった自分が存在しているのだと認識したのはその時であった。
存在していると分かってからも、しばらくふわふわそこらへんを漂っていた。
でもあの日。
――君、だれ?
彼が僕を見つけたその瞬間、僕は僕となったのだ。
彼に呼ばれた時に人の形になったのか、人の形になったから彼に呼ばれたのか。
どっちが先だったのかなぁと、彼はよく疑問にしていたが僕にも分からない。
そんなどうでも良いことでうんうん悩む彼が好きだった。
僕はこの土地に住まう精霊というものであった。
長年この土地に居着いている間に僕の中に大地の力が流れていたらしく、人間のいう“奇跡”というものを使うことができた。
雨を呼び寄せる力。
枯れた植物をよみがえらせる力。
虫を追い払う力。
僕が知らないだけで本当は使える力も他にあったと思うが、力が使えるようになる時はいつだって人が“そうであれ”と具体的に願った時だった。
どれもが僕にとっては意味のないものであったが、人々が切望したから彼のために使った。
最初のうちは何も考えずに望まれれば力を使った。
人々の数も増え、彼も喜ぶからそれはもう、存分に奮った。
けれどある時、力を使い続ければ僕の存在が削れていくことに気づいた。
お腹が減り続け指先からどんどん体にヒビが入り消えていく状態、というのが近いのかもしれない。
彼に訴えると、すぐに握り飯を持ってきた。
「腹がへったのなら、これを試しに食べてみてよ」
「僕、人の食べ物なんて口にしたことなんてないからちょっと怖いんだけど」
「いいからいいから。一度、口にしてごらんって。これを食べたら君がお腹いっぱいになれるようにって俺が願うよ」
おそるおそる握り飯を食べたとたん、僕の中に力が戻ってきた。
そのとき、人の想いは僕を満たしてくれるものであることに気づいた。
いつしか人々は僕のことを祭るようになった。
僕がよく腰かけていた大石に祈りと食べ物を捧げた。
彼と出会った当初は村の中をよく一緒に駆け回って遊んだが、願いを叶えていくにつれ人との距離が遠くなって、前のように見ている時間が増えた。
寂しい思いはすれど、そこまで不満はなかった。
彼は二人きりになったら初めて会った時のように接してくれたからだ。
そのうち、僕自身の力も万能ではないことも分かってきた。
人間個人への願いは叶えることはできない。
病気を治して欲しい、長生きしたいという、人に直接力を使うような望みははいくら願われても叶えることができなかった。
転換期は、あの男たちがふねにのって海からやってきたあの日だ。
彼らが海を渡ってくるのをみた時、飢饉を引き起こした台風がきた時のような、嫌な感じがした。
彼らの目的は僕だった。
当時、僕は腹が減っても人々の想いで回復できる程度に力を使い続けていた。
人間の数は増えていき僕に感謝するものだから、その想いでいつも満たされていた。
穀物はいつもたわわに実り豊作で、豊かな気配に誘われるのか海産物もよくとれた。
栄養状態が良くなった人々はあまり病気もせず、生きている時間もぐっと伸びた。
他の土地に比べて雲泥の差であった。
だからなのであろう。
――あそこは精霊のいる豊穣の地で、そこに住まう人々は不死となる。
いつのまにか噂に尾鰭がつき周辺の島々だけではなく、海の彼方の遠い国の方までにそのように知れ渡っていた。
当時、僕にはそこまでの力はなかったのだが、その話を真実と思いこんでこの土地にやってくる人は少なくなかった。
ふねに乗って遠い国からきた彼らはそんな人たちのうちの一人であったが、彼らの目的はこの土地に住むことではなく、僕をこの土地から奪い去ることであった。
「例の男たちが、この土地の精霊である君に会いたいとまた言ってきたんだがどうするかい? 会うか?」
「嫌に決まっているでしょう。絶対会いたくもないし、僕は住み慣れたこの土地が好きだから離れたくないって何度いったら分かるんだろう。そもそもあいつらの態度を見てると、僕のことをお守りか魔除ぐらいにしか思っていないのがみえみえだよ。この間なんて僕の大石に許可なくベタベタさわりやがってさ。あのまま放っておいたらそのままふねってやつにのっけられていたよ。僕にだって意志はあるんだってこと分かっちゃいない」
「全くだ」
ふだん滅多に感情を荒立てない彼がめずらしく怒気をこめていった。
その頃には彼は成長し大人になり、人間をまとめ上げる村長の立場になっていた。
「外の人間は身勝手きわまりない。前なんて君と引き替えに、この島の“じちけん”とやらを俺に与えてやろうと上から目線で言ってきたな」
「なにその“じちけん”ってやつ?」
「俺がこの土地を治めても良いという権利らしい。それがないと俺はこの島で村長ができなくなるそうだ。外の人間の考えはよく分からん」
「馬鹿じゃないの? なんの権利があってあいつらがそんなこと言い出すの? 僕はこの土地に草も生えていないころから住んできたっていうのに。とっととお帰りいただきたいよ」
「それが、君を連れ帰るまで祖国に帰れないそうだ」
「はた迷惑な連中だなぁ。だだっ子じゃないんだから」
断ってもなお、彼らは居続けた。
当然ふねに積んであった彼らの食料もそのうちつきたが、村人は今年も豊作だからと喜んで分け与えた。
「なんで! あげるの! 馬鹿じゃないの! 食べるものがなければあいつらだってとっとと帰るだろうってずーっと言っているのに!」
「まぁまぁそう怒るな。腹が減ってはさすがにかわいそうだ。それにこの土地がお前と強く結びついている場所だって分かれば、そのうちあきらめて帰るだろう」
「それいつまでかかるの? お願いだからさ、もう力ずくで良いから追い出そうよ。無理矢理ふねに押し込んでしまえば、僕の力で海の彼方においやるから」
「それも難しいんだ。そんなことすると、次に彼らが来るときにたくさんのふねを引き連れて押し寄せると脅されている。この土地で争いは起こしたくないし、なるたけ平穏にすませたい。それに人のことは人の力で解決したいんだ」
そういわれると僕にはそれ以上言うことができなかった。
もし、あの時今の僕みたいに海に結界をはれる力があれば、どれだけふねが押し寄せてもへっちゃらであっただろう。その後に起きたことだってなんなく力で解決できただろう。
でもそんな力はあの頃にはなかった。僕はまだ、人の願いや想いに依存して、ちょっとした願いなら叶えられる精霊にすぎない存在であった。
ふねが燃えた。
あいつらの火の不始末に間違いないのだが彼らは村の者らが放火したのだと言い張った。
困り果てた村の人たちは、かわりに新たなふねをつくることになった。
「君たちって本当にお人好し集団だよね、本当に馬鹿みたい。あんな威張り腐ったやつらの話をへいへい聞いてさ。あいつらもそうだ。文句ばっか言ってないで少しは手伝って欲しいよね。誰のために作っていると思ってるんだろう」
「そういうな。俺だって彼らのように生まれ故郷のこの土地に帰れぬとあったら、同じように荒れた気持ちになるだろう」
「はいはい。でもさ、そのふねってやつ嫌いだな。君を海の彼方まで連れて行ってしまいそうで」
「行くわけないだろう。お前と出会ったあの日から、俺の居場所はお前のそばだ」
「そんな嬉しいこといってもなにもでてこないよ」
村人はそれっぽいものをなんとか作ろうとしたが男たちはこんなんじゃあ沈むといってなんくせつけ壊し続けたため、ふねはいつまでたっても出来ず、そして、ついぞ完成することはなかった。
いつだって後悔するのはあの日のことだろう。
あの日あの時あの場所で。
あんなことがなければ今後の展開は違ったかもしれない。
そうやって思ってしまうのはまやかしで結局は何一つ変わらなかったかもしれないけれど、引き金となってしまった出来事であることには間違いない。
原因は僕が油断していたこと。
何も考えていなかったこと。
それ以外、言う言葉はない。
彼はのらりくらりとかわし、なんとか僕と奴らを会わせまいとしていたのに。
僕が彼の元へ行こうとした道中、遠い国からやってきた男の一人にばったりでくわしてしまった。
彼がそばにいなかったのも不運であった。
即座にきびすを返したが奴もすかさず追いかけてきた。
森のなかへ逃げ込んでも奴は執拗でしつこくどこまでも後ろをついてきた。
捕まったらこの土地から引き離される。
彼と離ればなれになる。
怖くて怖くてがむしゃらに走って逃げた。
気がついた時には奴はおらず、その後、ようやく出会えた彼に泣きながらあった出来事を話した。
彼は奴らに抗議したけれど、あいつらは怒鳴り返してきた。
男が帰ってきていない。どこにやったのだ、と。
僕を追いかけてきた男を村人総出で探し、見つかった時には奴は崖の下にいた。
――頭から赤い血だまりを作って。
僕を探しているうちに崖から足を滑らせたのだろう。
そんなつもりは一切なかった。
けれど、僕が殺したようなものであった。
報復として奴らは村人を殺した。
村人もまた黙っておらず「これは精霊さまのご意志だ」といって、村長であった彼の制止を振り払い奴らを皆殺しにし、死体は僕の大石に捧げられた。
否応なく、人の血肉の味を覚えた。
男たちがいなくなって元の日常に戻ることはなかった。
あいつらがいなくなって数日後、子供が一人下痢で苦しんで死んだ。
それを呼び水として、一人また一人死んでいった。
ひたすら吐いて米のとぎ汁のような下痢をだしつづけ、体の水分を吸い取られ干からびて死んだ。
下痢がひどいからと水をのませてもかえって死に近づくだけであった。
飢饉の再来のように、人はどんどん減っていった。
けれど飢饉は食べ物があれば解決できたが、それはどうすればくい止めることが出来るのか誰にも分からなかった。
なんとかしてくれ、という漠然とした願いでは僕の力は使えない。
――死にたくない
――楽にしてくれ
どれだけ願われてもどちらの願いも僕は叶えることはできなった。
――なぜ救ってくれぬ?
――なぜ我らを呪う?
人々の呪詛が体を覆い、僕は変質していった。
病の原因が汚れた水にあること、海の水を沸騰させきれいな水で薄めたものを飲めば回復すると分かったときには、土地の人間は三分の一以下にまで減っていた。
わずかに残された人間は、生気も正気も失われていた。
彼もまた死の淵にいた。
病ではない。
他ならぬ、土地の人間の手によってだった。
彼を傷つけた人間たちは言った。
彼が遠い国の人間に僕を売ろうとしたから僕の怒りを買ったと。
だから、僕がこの土地に呪いをふりまいたのだと。
そんなこと決してないのに、そう信じる人が多ければ、それが真実になってしまった。
間違っている、と声をあげても聞こうとしないものには僕の声は届かなかった。
こうなってしまったのは僕のせいで彼のせいである。
それが彼らの願いだから。
彼は僕への生贄として大石に捧げられた。
首をはねられそうになるところを寸前でくい止めたが、ボロボロの彼が死ぬのは時間の問題であった。
「最後に俺の願いを聞いてくれないか」
息も絶え絶えな状態で彼は言った。
「良いよ。誰を呪い殺せばよい? 手始めに君の首を切ろうとしたやつ? やったことないけれど、今の僕なら簡単にできると思うよ。分かるんだ。さあ願って」
「違うよ、逆だ。この土地の人間を守って欲しい。今の彼らには救いが必要なんだ」
死を目前にしても彼はどこまでもお人好しだった。
「たとえ君の願いだとしても嫌だ。君にこんな仕打ちをするやつらなんてこのままのたれ死ねば良いんだ。呪ってやる。この土地を、ここに住まう人間たちも」
「そしたら……君はまたひとりぼっちになってしまう」
「別に良い。君が見つけてくれたから僕はここにいたんだ。君がいないなら僕は僕でなくなるのだからひとりぼっちも何もない。この土地がなくなっても僕は呪い続けよう」
「俺はそんな君を見たくない……お願いだよ」
「僕に君のいないこの土地を守れっていうの?」
「そうだ。あまりに身勝手なものだっていうのは、分かっている」
「本当に酷い仕打ちだよ。じゃあ……君の願いを叶えるかわりに僕の願いも聞いて欲しい。たとえ今の君がいなくなってもずっとこの土地にいてほしい。この土地に君がいる限り、そこに住まう人間をどんなものからでも守り続けよう」
「分かった、約束する。たとえ魂となってもこの土地に君といよう」
僕と彼との間に契約が交わされた。
しばらくのうち、彼は息絶えた。
力が欲しかった。
彼の願いを叶えるための力が欲しかった。
だから、この土地を僕は少しずつ食べていった。大地の力を吸収した。
すべてを食べ終わったその日、僕はこの土地そのものとなった。
僕は土地神となった。《ルビを入力…》
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