第3話 弟

 弟は利発で聡明な子であった。

 母譲りのこの土地では見られない風貌で、兄である自分から見ても綺麗な顔をしていた。

 周りから似ていない兄弟だと言われる度に、母が異なるから不思議ではないとミナワは思った。


 ミナワの母はこの土地生まれだが、弟の母は海の向こうからきた。

 海沿いで倒れていたところを父が見つけてきたそうだ。

 祖父は餓鬼かもしれぬから海に返すべきだと主張したが、父は土地神さまが受け入れたからこそ、この土地に来ることができた人だと言い張り、義母を村に招き入れた。


 義母は生まれてすぐに母をなくしたミナワの面倒をよく見てくれた。

 赤ん坊の頃の記憶など春の夢のように暖かでおぼろげなものだけれども、頬をなでる温かな手はぼんやりと覚えている。


 命を助けてもらった恩返しと、けなげに尽くす義母。

 慣れぬ赤ん坊の世話に振り回される、不器用な父。

 二人の間にやがて特別な感情が芽生えるのも無理からぬことであった。

 祖父としては後妻にはこの土地の女を迎え入れて欲しく、二人の仲を中々認めようとしなかったが、二人目の孫を見ると態度を変えた。

 ミナワは土地神さまに連れて行かれることがほぼ決まっているようなものだったので、後継者は必要であった。

 祖父は義母へのあたりを弱め、弟を可愛がった。

 弟の頭の良さが育つにつれ判明してくると、それはもう鼻高々であった。


 義母と祖母が作ってくれた料理を食べ、祖父と父に勉強をならい、弟と遊ぶ日々。

 ミナワにとっては、あの日々が今までの人生の中でもっとも温かで幸せな時期だったのかもしれない。

 けれど、日溜まりの暖かさはいつまでも続くものではない。

 いつしか、太陽は隠れ闇が満ちていく。


 父がいなくなった。

 唐突に。なんの前触れもなく。

 そして二度と帰ってこなかった。

 それ以来、祖父の態度は氷のようになり、義母を村から遠くの朽ちた小屋へ追いやった。

 村の者らには、あれは父を惑わせた餓鬼だと言いふらした。

 満ち足りた日々は、あっという間にもろく崩れ去った。


 父と義母を同時に失い、失意の中にあったミナワがどうにか立ち上がれたのは弟がいたからであった。

 弟は食事がのどを通らぬミナワを励まし、なにかと世話をしてくれた。

 ミナワよりも実の母を遠くに追いやられた弟の方がよっぽどしっかりしていた。


 その弟が土地神さまに連れて行かれるかもしれない。

 どうにかならないか祖父に相談すると、祖父は静かに言った。


「よりよい贄の方が土地神さまは喜ぶ」


 絶句するしかなかった。

 あれだけ弟を可愛がっていた祖父が、どうしてそんなことを言えるのかミナワには分からなかった。


 弟はミナワと違い、土地神さまのもとへ行くことに覚悟を決めていた。


「慣習なら従うしかないよ」


 弟はあっさりと簡単に言ってのけた。

 強がりでなはい。

 ただの事実として淡々と受け入れていた。


「まだ土地神様が連れて行くって決まったわけじゃない」


「なんとなく分かるんだよ、そうだろうなって。生まれた頃から何かに見られているような気配がしていたから」


「なら海の向こうへ行こう。一緒に逃げるんだ」


 ミナワの誘いに弟は黙って首をふった。


「そこからどうするの? 食べ物は? 水はどうやって手に入れるの? どこへ行くの? それにそんなことしたら……父さんのように消えてしまうよ」



 弟の言葉にミナワはなにも言うことができなかった。




 そうしてその日を迎えることになった。

 斎庭の中で一人、正座する弟は二年前のミナワと重なった。

 ただし、前回はミナワは送られる側にいて今回は送る側にいた。

 なにを言っても弟がここから逃げようとしないのは、今日まで弟が頑なに断り続けたことから分かっていた。


 その夜、祖父と二人で斎庭の外にある小屋でなにも言わずに一晩過ごした。

 中でなにが起きているのか。

 弟はどうしているのか。

 ミナワの会ったあの少年が来ているのか。

 なにも分からなかった。

 ただ、待つしかなかった。


 長く感じられた夜もいつしか終わりを告げる。

 雄鳥が朝を告げる声とともに、ミナワと祖父は斎庭の扉を開いた。


 中には誰もいなかった。

 左右の隅、天井と目配せても人の気配はまるでなかった。

 ただ、中心に布の切れ端がぽつりと落ちていた。


 ミナワは駆け寄り見覚えのある布を拾い上げ、手にあるものを見ると膝から泣き崩れた。


 弟の着ていた服であった。




 行きは三人、帰りは二人。

 弟を闇の中に置き去りにして離れていくようで、一歩歩くごとに、心が良心の呵責でひび割れていくようであった。


 家に帰ると、普段は誰も入れない祖父の部屋に通され、ミナワと向き合って座ると祖父は言った。


 お前はこの土地を背負って生きていかねばならぬ。

 お前の子は決して連れて行かれない。

 けれど、孫は分からない。

 しかし、たとえその運命にあろうとただ粛々と受け入れなければならない。

 続けなければいけない。土地神さまはいつでも見ている。

 皆のために。土地神さまの一部となったお前の弟のために。



 だが、三日後。


 弟は帰ってきた。


 五体満足で、家の軒先に立っていた。


 ミナワは、いつか弟がしてくれたように無事を喜び、その小さな体を抱きしめた。

 そして、家の中に入ろうとしない弟の腕をひっぱろうとしたが、弟はミナワの手を振り払った。


「兄ちゃん、僕には金輪際近寄らないで!」


「いったいどうしたんだよ」


 弟の豹変した態度にミナワは驚いたが、その腕を見てしまった時の衝撃は、ミナワを徹底的に打ちのめすものであった。


 弟はその左腕に青緑色の痣を宿していた。


 ――それは、土地神さまの目と同じ色をしていた。

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