第2話 七海八人

 土地神さまに連れられて、帰ってきた海の子は誰一人といなかった。

 どこへ行くのか、連れられた先でなにが起こるのか誰も知らない。

 ただ、土地神さまの一部になるのだと伝わるのみであった。


 逃げ場はどこにもなかった。

 海の子は、どこにいるのか分かるように足首に鈴がつけられる。

 歩けば、丸い中空のなかに入った石がころころ鳴き、どこへ行こうとしても村の者の誰かが気づいた。

 そして海の子は村からでてはいけないと連れ戻されるのだ。

 たとえ森の中に入ろうともいずれ見つかる。

 万一逃げ果せたとしても、土地神さまは見ているぞと遠回しに祖父に言われていた。

 鈴の中の隙間から見える、でれぬ石を見ては自分のようだとミナワは感じた。


 村の人間の多くは、村の長の家に伝わる慣習を知らなかった。

 海の子が一人消えたところで、ああ、海に還ったのだと思うだけであった。

 彼らは穀物を貪る虫の厄介さを知らず

 病に苦しむことなく

 海からの餓鬼におびえることもない。

 その幸せを、あたかも当たり前のように生きているのだ。


「ひとりがみんなのために犠牲になるなんて間違っている。僕は土地神さまのところなんて行きたくない。死にたくない」


 ミナワが言うと祖父は言った。


「死ぬわけではない。土地神さまの一部になるだけだ」


「一部になったらどうなるの? 二度と会えなくなるというなら、それは死ぬのとなにが違うの? どうしてそんなことしなくてはならないの?」


「この土地を守るためだ。お前はこの家の長男として生まれたのだから、聞き分けなさい。お前の曾祖父の兄のように、そして土地神さまのもとへ去った祖先のように」


「絶対、嫌だ!」


 祖父はため息をついた。そしてお仕置きだと言い、ミナワを一晩中納屋に閉じこめた。



 七つになってからというものの、一日一日が重く感じるのに過ぎるのはあっという間であった。

 どうすることもできなかった。

 目に見えない恐怖がじわじわと体を覆っていた。

 土地神さまに連れて行かれ食べられる悪夢を見た翌日に寝込んでは、なんと無駄な日になってしまったのだと後悔した。


 平然を装って同い年の子らと外で遊ぶこともあった。

 けれどある日、彼らが人の子になれたら海に行って魚釣りをしたいという話になったときには、頭が真っ白になった。

 ミナワは八つにはなれないことを彼らは知らないのだ。

 ミナワのいない先の未来のことをふられても、あいまいに笑うしかできなかった。


 時間は止まることなく残酷に過ぎていく。

 そしてついにというべきか。

 とうとうミナワの七海八人の日が訪れた。


 その日。

 不思議とミナワは落ち着いていた。

 さんざん泣き、見えない恐怖におびえる日々だった。

 これでようやく終われる。

 もう、どうにでもなれとなげやりな気持ちであった。

 頭のてっぺんから手足の先まで綺麗に身を清められる間も、祖父につれられ島の中央の土地神さまの大石があるところへ行くときも一言も話さなかった。

 


「恨むならこの土地ではなく私を恨め」



 斎庭の中央で正座を命じ、ろうそくに火をともし出て行こうとする寸前、祖父はミナワを目を見て一言そう告げ、ぱたんと斎庭の唯一の扉が閉めた。

 暗闇の中、ミナワの両側に灯された炎がゆれるだけだった。


 ――もう、逃げられない


 そう思うと、蓋をしていた感情が弾けてぼろぼろと涙が出てきた。

 海へ行き、仕掛けた罠で魚をとりたかった。

 森へ行き、弓矢をうちぬき獲物をとらえたかった。

 届かぬ憧れが一つ、また一つ頭に浮かんでいく。

 けれどそれはもうミナワには出来ぬものだと思えば、シャボン玉のように弾けて消えた。


 ぽたりとぽたりと涙が床に落ち、シミのように広がってはやがて消えた。

 ミナワは泣きながらぼんやりと、その様子を眺めていた。


 ふいに、視界のすみにあったろうそくの炎が大きくゆれた。

 なにかの気配に顔をあげると、そこには同い年か少し年上の少年が立っていた。

 いつの間に目の前に立っていた彼は、その不思議な青緑色の瞳でじっとミナワを見ていた。

 ミナワはいきなり現れた少年に驚きのけぞりそうになるが、足がしびれ動けなかった。

 彼は涙でぬれるミナワの頬をつかむと、その瞳で顔をのぞきこんだ。



「僕が会いたいのは君じゃない」



 少年はそういうと、ミナワの肩を両手でとんと押した。

 バランスを崩し、ミナワは後ろへころんと転がった。

 体を起こしあたりを見回した時には、少年はどこにもいなかった。


 明くる朝、斎庭が開きのぞきこんだ祖父の顔を見て、ミナワは安心のあまりもう枯れ果てたと思っていた涙がまたぼろぼろ流れた。

 祖父はミナワをみて、一瞬ほころびかけ、すぐさま顔を引き締めた。


「なにが起きた? 土地神さまは現れなかったのか?」


「現れたけれど、“僕が会いたいのは君じゃない”って言って去っていった」


「なんだと?」


 土地神様が現れたのに海の子を連れて行かなかったのは前代未聞のことであった。

 お前があまりにも泣きじゃくるから呆れて帰ったに違いないと道中、手を引きながら祖父は言った。

 ミナワはそのまま家に帰れると思ったがそうではなく、隣の隣の村の呪術師の家にミナワは預けられた。


 三代続いて連れて行かれなかったこと、土地神様が来訪したのにそのまま帰られたことなど、ミナワには今までなかったことが起きていたため事細かく記録する必要があったのだ。特に土地神さまの容姿には、何度もきかれ繰り返し同じ話をしなければならなかった。

 また悪しき物がついていないか、家に戻っても大丈夫なのかも散々調べられた。


 ミナワがようやく家に帰れたのは一週間後のことであった。

 だが家では、祖父はミナワを腫れ物のように扱った。

 以前のように、一緒の食卓を囲むことさえ許されなかった。

 祖母はなんとか祖父をなだめようとしオロオロするばかりで、どのようにミナワを扱って良いかには困り果てていた。

 いつもどおりに接してくれたのは弟だけであった。


「兄ちゃん、無事でよかったよぉ!」


 泣きじゃくる弟に抱きつかれ、ようやくここに生きて戻ってこれたという実感がミナワにわいた。


 弟はミナワよりもよっぽど出来が良かった。

 2つも年が違うというのに、弟の方がうまくやれることが多々あった。

 もし、弟とミナワを並べどちらが良いかと聞かれたら誰もが弟を選ぶだろう。


 ――僕が会いたいのは君じゃない。


 ミナワの頭の隅にはずっと土地神さまの言葉が離れず消えなかった。



 君じゃない。君じゃない。君じゃない。君じゃない。君じゃない。



 その言葉は弟を見た瞬間から、頭の中をぐるぐる回る。



 ――もしかして



 ミナワは頭に浮かんだ考えにひやりと心が冷えた。 



 ――土地神様が選んだのは弟ではないのか、と。

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