ウタカタの地

ももも

第1話 土地神さま

 七つまでは海の子。

 八つになるまでは海にもぐってはいけない。

 己と海の境界が分からなくなってとけてなくなってしまうから。

 川や泉や森にも一人でいってはいけない。

 塩の香りで海の子が来たことが精霊たちに知られると、悪戯をしようとひきこまれてしまうから。

 八つを経て海と人の境界が分かり、初めて海の子は人の子へ生まれ変わる。


「だがお前は人の子になることはない」


 祖父は繰り返し、ミナワに言い聞かせた。

 それがどういうことなのかミナワは分からなかったが、村の長である祖父がそういうのであればそうなのだろうと思っていた。


 ミナワのすんでいる所は、海と呼ばれる大きな水たまりの中にぽつんと浮いた場所にあった。

 人の子になったら海へ行けるが、彼方にある海と空の混じるその向こうへは行ってはならなかった。

 そこには土地神さまの守る結界があり一度でてしまったら、戻ってくることができなくなるから。

 そして万一、結界が壊れてしまえば災厄が海の向こう側からやってくるからだ。


 病気を運ぶ悪い空気。

 作物を食い散らかす虫の群。

 そして血に飢えた餓鬼たち。

 幸せをねたみ、彼らはどうにかこの土地に入ろうと画策していた。

 人間には彼らを追い払う力はなかった。

 今の平和があるのは土地神さまのおかげであった。


 土地神さまは、この土地に人が移り住んでくる遙か前から存在していた。

 ミナワの祖先は、丸太の上に乗って海を漂いこの土地にやってきたそうだ。

 土地神さまは彼らを受け入れ、人の成長を喜び、人の営みを見守った。

 どんどんとにぎやかになる土地を選んだ。

 初めは数人であった人の子は、やがてはいくつもの村をつくれるぐらいに増えていった。

 人は土地神さまに恵みを感謝し、土地神さまは人を慈しんだ。

 いつまでも変わらずにそのつながりは続くかと思われた。


 ある日のことだった。

 奇妙な格好をした7人の男たちが海を超えてやってきた。

 この土地に人が移り住んで以来、初めての来訪であり人々は上を下への大騒ぎとなった。

 中には、あれは人ではなく餓鬼たちではないかと訝しがる者もいた。


 海の子は泡から生まれるが、餓鬼は泡から海の子になり損ねた者らである。

 海の子になれなかったばかりに、器のどこかに穴が空いており満たされるということを知らず、飽くなき欲望を持っていた。

 そして、人に嫉妬し、同じような存在におとそうと人を誘惑した。


 話に伝わる餓鬼は、人の背丈の半分にも見えない小人であったが、そのとき海を超えてやってきた者たちは見た目は村の者と同じ人の形をしていた。

 土地神さまは警戒したが、村の者らは話し合いの末、彼らに水と食料を与えることにした。

 村人たちは外の者らはいずれ去るだろうと考えたが、彼らはいっこうに外へ出ていこうとしなかった。

 彼らは村人たちから懇願し時に脅して得た食べ物を食べ、日がな一日、働くということもなく寝てばかりいた。

 なにか言おうものなら、怒鳴り散らした。

 平和な日常に慣れていた村人は、すっかり萎縮してしまった。

 村の女にちょっかいをだそうとした時は、さすがに村の若者らが怒って取り囲んだが、男らはすぐさま日頃の傲慢な態度をかなぐり捨て、頭を垂れひたすら命乞いをした。

 哀れなほどに卑屈な姿に村の若者は気が削がれ、もうしないという言葉を信じ許した。

 男らはその場では恭順を示したが、翌日にはけろりともとに戻った。


 彼らの扱いをどうすべきか、村の者はすっかり困り果てた。

 どうにか出て行ってほしいと村長が頼み込むと、彼らはふねという乗り物があればでていくと言い、それならば村の者で作りましょうと約束をとりつけた。


 村のものたちは、ふねを作らねばならなくなったが、見たこともないものを作れるわけがない。

 ふねがどういう物なのか、男たちから色々と請いながらどうにか作ろうとしたが、男たちはああでもない、こうでもない、こんなんじゃあ沈んでしまうといちいち文句をつけては破壊した。


 きっかけは分からない。

 その日、外の者たちは村の者を殺した。

 色々と限界が来ていた村人は残りの男らを縛り上げた。


 ――これは人ではなく餓鬼だったのだ

 ――餓鬼が泡に戻りまたいつか海の子になれるよう海に返さねばならない。


 村長の言葉に村人も同意を示し、そのまま海へ放り投げた。

 その夜、村人全員で彼らの魂が海に溶けるよう祈った。


 海の向こう側からきた者たちが海へ去りようやく、もとの平穏が戻るかと思われたが事態はさらに悪化した。

 外の者は悪い空気を運んできていた。


 一人の子供が米のとぎ汁のような白色の下痢を出し続け苦しみ死んだ。

 それをきっかけに、一人、また一人と村の者らに同じような症状だすものが増えていき

 コロリコロリと倒れ、干からびるように死んでいった。

 介抱していた者が翌日には介抱される側になった。

 人手が足りず、亡骸は埋葬することができず、村のはずれに死体の山が積みあがった。

 死があたりかしこに満ちあふれていた。

 そうして土地の人間が三分の一以下の人数になった頃、ようやく悪い空気は去っていった。


 人は絶望した。

 人の子のことは人の子に任せようと見守っていた土地神さまもまた嘆いた。

 やせ衰え、生気のない生き残りたちに、土地神さまはこの土地での恒久的な平和の約束をもちかけた。

 二度と外の者らがこないようにこの土地に近づく者がいればすべて沈めよう。

 結界を張り、悪い空気が入ってこれないようにしよう。

 このような悲劇がもう二度と起こらぬように。

 ただ、と土地神さまは付け加えた。

 災厄から人の子を守る代償として海の子が欲しい。

 力を使い続けるには身を削らねばならず、欠けた部分を補う必要があるから、と。

 村人は了承し、そうして人と土地神さまの間で契約が結ばれた。

 以来、土地神さまがお望みになった時、この土地の長の家の長男が捧げられた。


 七海八人とは海の子が人の子へと生まれ変わる儀式である。

 八つになる前日の日、海の子は村からはずれた場所にある納屋で一晩閉じこめられる。自分は人の子であると認識し、朝を迎えることで初めて人の子に生まれ変わる。


 村に生まれた海の子らは皆この儀式を受けねばならなかったが、長の家の長男だけは異なった。

 ほかの者らと違い、閉じこめられるのは村のはずれではなく島の中心にある、土地神さまがいると言われる大きな石の隣の斎庭であった。

 その夜、斎庭に土地神さまが現れ、中にいた海の子を気に入れば連れて行く。

 明くる朝、斎庭を開けてだれもいなかったら、土地神さまの一部になったのだと判断した。


 土地神さまに捧げられる海の子は男でなくてはならず、双子も好まれなかった。

 また、土地神さまが一度海の子を連れて行ったら、次の代の長男を連れて行くことはなかった。

 だが、次の次の代までと続くことはなく、少なくとも三回に一回は土地神さまのもとへ海の子は旅だった。


 ミナワの曾祖父の兄は連れて行かれた一人であり、八つになる前日の夜、土地神様とともに森の中へ去っていった。

 次の代である祖父は連れて行かれなかった。

 父のもとにもまた土地神様は現れなかった。

 連れて行かれなかった代が二回続いた。だが三回続くことは一度たりともなかった。

 つまりは次の長の家の長男として生まれた瞬間から、ミナワは海の子のまま生を終えることが運命づけられていたようなものであった。


 ――ああ、つまりは僕は、七つより向こうへは行けない


 ミナワが気づいたのは、いや、気づかぬふりをしていてもどうしようもない、と感じたのは七つを迎えた日であった。

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