ガラス越しの世界

ロボと呼ばれたかった男

この世で生きる事に疲れた男が選んだ道。 そこで男の胸に去来した思いとは…?

この世界は、最初からどこか僕を受け入れていなかった。

 いつも何かしらの居心地の悪さを感じる世界。


 今、僕が見上げている空は晴れ渡っている。

 空の青と白い雲のコントラストが美しい。

 ふと目線を移すと、鮮やかな木々の緑が目に飛び込んでくる。

 爽やかな草の香りが、僕の鼻孔を刺激する。


 さらに柔らかく、気持ちのいい風が僕の全身を撫でて通り過ぎて行く。

 言い様も無い程に清々しい気分だ。

 だが、気持ちの良くなるはずの全てが。どこかで僕を拒み、完全に受け入れる事がない。


「お前なんかいらない。」


 ハッキリとそう言われている訳じゃない。でも、笑顔を僕に向けながらも、どこかよそよそしい。

 例えるなら、本当は預かりたくないのに、お願いされて僕を嫌々預かった親戚の家にいる様な気分。

笑顔を僕に向けながらも、どこかよそよそしく、僕を扱い兼ねている。

 そんな雰囲気を、幼い頃からこの世界に感じていた。


 僕の家は、特に裕福でもなく、また貧乏でも無かった。目を見張る様な贅沢は出来なかったが、生活に困る事もない。僕は、ごくごく普通の人生を歩んできたと言えるだろう。


 両親に優しく育ててもらって成長し、学校に入って友達を作り、特に優秀では無いが、落ちこぼれてもいない、平々凡々な人間。

 そんなまったく目立たない存在。

 全く注目される事もなく、人畜無害な人。周りからはそう思われていた。


 だけど、本当の僕は人畜無害でもなんでもない。

 恐ろしく傲慢で、恐ろしく不遜で。

 人間としては欠陥商品だと言ってもいいだろう。

 だから僕は幼い頃から、どこかこの世界に受け入れられていない居心地の悪さを感じていたのだと思う。人間と言う動物の営み全てが、恐ろしい程にくだらないものに感じる。

 あまりにも矛盾だらけの世界。


 偽りの笑顔で自分を良い人に見せながら、裏では平気で悪い事をする。

 いや、僕はその事自体は悪い事じゃないと思う。むしろ、それで当たり前なんじゃないだろうか。

 良い事も悪い事も含めて、人間なんだと僕は思う。ただ、それを認めない人間のなんと多い事か。


 自分も間違った事をした事があるくせに、同じ間違いを犯した人の事を悪く言う。

 それは自分の間違いに気が付いていないからなのだろう。

 自分の非を見つめる事が出来ない人間が、他人の非を正義ぶって批判する場を見ると、呆れるどころか笑ってしまう。

 そんな人間に限って、自分の意見は絶対に正しいものだと決めつけているのだから。


「多くの人達が同調した意見の方が正しい。」


 この世の中ではそれが常識になっているが、大きな間違いじゃないだろうか。

 ただ単に、同意者が多かっただけで、その意見が正しいと言うのはおかしい。

 この世に、真に正しい答えも間違いもあるはずがない。

 単純に、人間の価値観に合っているか合っていないかと言う、人間目線での物の見かたをしてるだけだと思う。

 それをハッキリと感じたのは、僕が学生時代の時だった。


 僕は、小説好き達が集まる文学サークルに所属していた。

 そこには本当に本が好きな人達が集まり、自分達の好きな作品の話をしたり、自分が書いた小説を見せ合ったりと様々な活動をしていた。

 この頃ももちろん、僕を受け入れない世界を感じていたが、同じ趣味を持った人達と語る事は嫌いではなかった。

 だがある日。サークルの中で、ある二人が本気で論争していた。

 日本文学好きは、大抵の場合「三島派」と「太宰派」に分かれる。

 片方は三島派で、片方は太宰派。そんな二人が激論を交わしていたのだ。


「お前は全く三島の事を理解してない!」

「いや、お前こそ太宰の何も分かってない!お前の解釈はおかしい!」


 僕はそんな二人を、思いっきり冷めた目で見つめていた。

 三島派の彼も、太宰派の彼も。どちらも三島・太宰の事を理解していないだろう。

 何故なら、彼等は三島本人ではないし、太宰本人ではないのだから。

 自分の価値観や世界観により、思い込みで三島や太宰を理解してると考えているだけじゃないか。

 三島の書いた小説を本当に理解してるのは、三島自身だけだろう。

 もちろん、太宰の書いた小説を真に理解しているのは、太宰だけだろう。

 太宰本人に、二人の太宰作品の解釈を聞かせたら。もしかしたら、三島派の彼の解釈が、太宰が書きたかった事に近いと言う事も有り得る。


 もちろん、三島や太宰の作品を読んだ読者の感想を聞いて「そんな解釈もあるのか。」と作者本人がビックリする事もあるだろう。

 しかし、あくまで三島や太宰が書いた作品を、本当に理解出来るのは、書いた本人達だけなのだ。

 なのに、自分の解釈こそが絶対だと主張しあう二人を見てくだらなくなり、僕はサークルを辞めた。

 無難に勉強し、無難に就職し、無難に今も生きている。

 だけど僕はずっと、この世界に受け入れられず、ガラス一枚隔てた異世界からこの世界に関わっている様な感覚を感じ続けている。


 見上げた空は、やはり蒼い。

 そしてやはり、僕の事をどこかしら受け入れていない。

 僕はこの、少しばかり肩身の狭い親戚の家の様な世界から旅立とうと思う。

 今座っている、とてつもない山奥の旧道にある橋の欄干。

 ここから一歩踏み出せば、この窮屈な親戚の家を飛び出せる。


 僕がこの世から飛び出した事を知ったら、多くの人が驚く事だろう。

 何のトラブルもなく、会社では課長に出世したばかりの僕がこの世から消える事を。

 僕の事を想ってくれている女性も、数名いる。

 その中には、会社の仲間が羨む程のマドンナ的存在の女性もいるのだ。

 皆、口ぐちに言う事だろう。


「何故、あの人が自殺をしたのか、理由がまったく思い浮かばない。」


 そんな風に。誰も理解出来ないだろうが、自殺ではない。

 ただ、僕を受け入れない世界を飛び出すだけだ。

 愛想笑いをされながら、腫物に触る様な扱いを受ける世界にいるのは沢山だ。

 そして、その世界の住人達が馬鹿ばかりなら、なおさらの事。

 僕は、まるで散歩に出かける様に、なんの躊躇もなく橋の欄干から一歩踏み出した。


 想像を超えた磁力を持つ磁石に引き寄せられる様に、僕の体は遥か下にある地面に向かって落下する。

 自分の体が、どの様な形で、どの方向に向いているのかすら分からない。ただ、落ちていく僕の目に、やはり眩しい程に蒼い空が見えた。

 眩しすぎて、少しばかり顔をしかめる。

 その時、どこか僕を受け入れていない世界の空を見ながら、ふと思った。


「逆に僕自身は、この世界を受け入れようとしたのだろうか?」


 そう考えた瞬間、どこか他人じみていたこの世界が、僕を受け入れてくれた様な気がした。

 同時に何かに衝突し、首の当たりからボキッと生木が折れる様な音が聞こえた。

 その瞬間、僕の目の前は真っ暗になり、全ての思考が停止した。

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