最終話 Future “未来”
しまったと気付いた時にはもう遅かった。とてつもなく重量を持ったモノが体に触れたと思うと一瞬の内にそれに押しつぶされる格好になった。一瞬の内に世界が真っ白になって、全身を覆う鈍い痛みと共に視界が戻るのを感じた。
自分はこのまま死んでしまうのだろうか。遠のきそうな意識の中で入嶋は自問自答した。目に映るのはアンドロイドの残骸の一部と殺風景な天井。耳だけがケインとアレクセイの動向を掴むことが出来そうだった。
「最後に言い残すことはあるか?」
そうアレクセイが言うと数発の銃声が上がった。
「もう無駄なことだ。諦めろ」
それでも銃声は止まらない。ケインがアレクセイに向けて放っているのだろう。
「冥途の土産に、ゾンビアに見送られるといい」
遂に銃声が途絶えた。ケインがやられてしまったに違いない。入嶋の頬に痛みと共に涙が零れて頬を伝う。畜生。こんな終わり方をしていいのか。
「どういうことだ?」
ほんの静寂の後、アレクセイが困惑する声が耳に入る。完全に希望を失った入嶋には耳に届くその困惑を聞き入れる余裕が無かった。
「おのれトーマス!最初からそのつもりだったのか!」
また空虚に轟く銃声の中、入嶋はゆっくりと意識を失った。
目を覚ますとそこには白い世界だった。柔らかいものが全身を包み込んでいることに気付く。きっと自分は死んで、ここは天国なんだろう。実感が湧かなかったが、地獄では無いことに安心した。そうしてまた安らかな気分になって目を閉じる。
すると何かが肩を揺らしてこの安らかな眠りを妨げるような気がした。それは次第に大きくなっていき、天国のサービスの質の低さにがっかりしたように目をもう一度開いた。
「忠さん」
天使でも居るのかと思ったが、そこに居たのはケインだった。
「ああ。同じところに来れて良かったな」
ぼんやりとした視界の中で、ケインの顔を見つめながらそう言った。
「何を言っているんですか?」
「何を?って。ここは天国じゃないのか?」
「質問に質問を返すのは無礼だと思いますが、まあいいでしょう。ここは天国ではありません」
「天国じゃ、ない」
その言葉の意味を咀嚼する。
「じゃあここはどこだ」
入嶋は咀嚼しきれなかった。
「寝慣れたベッドの上ですよ」
そう言ってケインはけらけらと笑っていた。そうか、生きているのか。顔をケインの反対側に向けると外の景色が目に飛び込んだ。清々しい晴天の下、放射能で枯れ切ってしまった木々が島内を囲うように生えていて、近代的な研究所と最低限の難民用の住宅がちぐはぐに映る。この島にまた帰って来られたのか。
また揺さぶられたが、もうひと眠りすることにした。
あの時に何が起こったのか。正直な所あまり興味が無かった。とにかくトーマスと交わした約束は守られて、アレクセイの野望は潰えた。それだけで十分だった。
トーマスと交わした約束のひとつに「最後までケインを守って欲しい」という約束があった。あの時はその真意が分からなかったが、先程の緊急集会でやっとその意味を理解することができた。私はアレクセイに向けて銃を躊躇なく放ったのはその約束を守るためだったのだ。
ケインはトーマスの実の息子で、この島の新たな責任者になる。叔父さんはそう高らかに宣言した。私はその宣言よりも、叔父さんがこの騒動に乗じて副責任者になることと右足と左腕を骨折しながらも堂々と話すその力強さが印象的だった。
この島はトーマスの遺した光であるケインの意思の元でこれからも存在し続ける。世界から忘れ去られた島はこれからも忘れ続けられることを条件に、秘密裏に合衆国の支援を受けながら非合法の研究を続けるそうだ。自分の撮った映像は世界中に流れることはなかったが、合衆国がロシアを強請るには十分過ぎる証拠だった。ロシアはこの島に莫大な資金を提供して、この島は国際平和の為の自衛用の兵器を製造する。驚異的な再生力を誇るゾンビアは過酷な環境での救助活動や、対テロ専用の生物兵器として用いられるそうだ。ケインと叔父さんがこの島を引っ張っていくのだからきっと問題は無いだろう。
そうして叔父さんにこの島に残るかどうか聞かれた時、私は正直にこの島から離れたいと伝えた。ケインは残念そうにしていて強く引き留めてくれたが、ここに自分の居場所が無いことは確かだった。だからと言って自分にそっくりなアンドロイドが稼働している日本に帰る訳もなく、合衆国の斡旋の下で難民を援助する組織に加わることになった。今の自分のやりがいは彼らの為に汗をかいて、彼らの喜ぶ姿を写真に収めること。その写真は間接的に世界へと届けられる。誰ひとりその写真が居ないはずの人間によって取られたことなど気づくはずもないが。ただそれでいいと思う。存在しない人間が撮った写真が誰かの心に響くなんてのも悪くはない。
炎天下の中、錆び付いたシャベルを地面にひたすらに滑らせる。乾ききった土はシャベルの刃を受け付けず、表層の僅かな土を剥がすことしか出来ない。この一帯に緑を取り戻すプロジェクトの難易度の高さを全身で体感する。何度も洗濯して薄茶色に染まった軍手で額を拭う。うんざりするような日差しに投げ出したくなるが、深く吸った息を大きく吐いて作業を続けることにした。
入嶋はアフリカの砂漠地帯でのプロジェクトに参加していた。気候変動で失われた緑を取り戻すためにまずは土壌を整えるのだと責任者は言う。声にすれば簡単だが、実現させるのは本当に難しい。骨の折れる仕事というのはまさにこのことだ。
しかし充実していた。誰かの役に立っていることは確かであった。日本に居た時に取材してくだらない記事をでっちあげる仕事に戻れそうな気がしない。ひたすら汗を掻いて、身体を動かして、目に見える変化を作る。そして現地の人々の写真を撮る。これが自分の生きる意味。シャベルがすくうのは微かな土だが、それを何度も繰り返せば沢山の土になる。
「タダシさん!」
現地のコーディネーターが腕を振りながらにこやかな表情でこちらに駆けてくる。なんだろうと思いながら、笑顔で反応する。
「タダシさん!お客さんです」
そう聞いてコーディネーターの背後を見ると二人の男女がこちらに近づいてくるのが分かった。一方は黒人の女性で、もう一方は白人の男性だ。そして何よりその黒人の女性に見覚えがあった。あのダリアだ。
「タダシさん。精が出るわね」
「久しぶりです、ダリアさん。なかなか進まないんですけどね」
そう言うと彼女は何かに気付いた素振りを見せて、腕を組み直した。
「私ね。実はサラって言うの。ダリアっていうのは偽りの名前なの」
「そうなんですか。ではサラさん、改めてお久しぶりです」
「あなた」
サラはにこやかに言った。
「変わったね」
カメラのメモリとバッテリーを確認する。これは仕事ではないが、仕事と同じくらい熱意を持ってやっている。テントから出ると子どもたちがにぎやかに騒いでいる様子が目に入った。すぐさまカメラを構える。子どもたちの見せる一瞬の輝きを見逃さないように次々にシャッターを切る。
そうしてメモリを子どもたちの写真でいっぱいにしている時、ひとりの男の子が近づいてきた。手には一冊の漫画が握られていて、その表紙をこちらに向けてこう尋ねた。
「ねえねえ。これマンガってやつでしょ。お兄さんなら読めるかもって聞いて持ってきたの」
日本で寄付された絵本や漫画が海を渡ってここに辿り着くことは珍しいことでは無かった。入嶋は誇らしい気分になってその色あせた漫画を手に取った。
「これはね。妖怪戦士ペッパーっていうマンガさ」
「どんなマンガなの」
「うーん。世界を救った救世主が昔読んだマンガかな」
「ん?どういうこと?」
「読んでなかったら世界は滅んでいたかもしれない。ということ」
「よくわかんないや」
興味を失ったその男の子はその漫画をそのままにして駆けて行った。入嶋は懐かしい気持ちになると共に頭に浮かんだくだらない偶然を笑い飛ばした。
「まさかな」
漫画の背表紙に書いてあるかもしれない持ち主の名前を確認してみる。
<FIN>
イン・ジ・アイランド ハルヤマノボル @halu_spring
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