第19話 Resist “抵抗”

 アレクセイは眉を顰める。何故だ。何故お前がここに居る。入口には致命傷を与えたはずのサラが居た。


「わざわざ世界が変わる瞬間を間近で見ようとするとは感心するね」


「ええ。とても光栄よ」


 今の発言が自分に向けられていることを十分理解してサラは返事した。


「しかしこの状況をどうするつもりだ?」


「もちろんゾンビアを破壊して、貴様を打つ」


「レディらしくない物言いだな。それじゃあ男は寄り付かない」


「軽口叩くのもそこまでよ」


 サラは小型の注射器を頭上に掲げた。そして勝ち誇ったような表情でアレクセイを睨む。


「何だそれは?」


 アレクセイはその注射器に入った液体に訝しげに見つめる。


「ゾンビアの再生細胞を破壊するウイルスよ」


 ハッタリだ。


「そうかそれは恐ろしいな」


 そう真面目腐って言った後、堰を切ったように笑った。恐ろしく陳腐だ。これが合衆国の著名な組織の捜査官か。笑わせてくれる。アレクセイは笑い過ぎて乱れた呼吸を整え始める。


「この短時間でそんなモノを作ってしまうとは驚いた。是非ともこの島の研究員になってもらいたい」


「これがブラフだと思っているようね」


「何を?」


 こいつは何を言いだすつもりか。


「あなたの言葉を借りるなら、『残念だ』ね」


 何故そんなに強気でいられるのか。しかしこの時確かにサラの声真似がアレクセイの冷静さを欠かす致命的なひと言であったことは間違いなかった。


「これは本物だ」


 老けた声がサラの背後から聞こえる。するとゆったりとした足取りで小柄な老いた白衣がアンドロイドの陰から現れた。


「まさか」


 これは一体どういうことだ。再生細胞の完成に尽力した後に失踪した入嶋博研究員がそこに居るだと。となるとアレはもしかすると。


「その通りだ。ケイン!命令せよ!」


 ただ繰り広げられる舌戦に唖然としていたケインはその声にスイッチが入り、残った武装アンドロイドたちに目前のゾンビアへの集中砲火を命令した。先手を取られたアレクセイは最前線のゾンビア向けての命令も虚しく、そのゾンビアはまたしても肉塊となる。


「やめるんだ!」


 アレクセイは我を失ったように声を張り上げたが、サラはそれを聞き入れることなく注射器の針を目前のゾンビアに飛ばす。針は確かにゾンビアに命中し、ウイルスが注入されたゾンビアは膨らみ縮みながら元の形に戻ろうとしたがやがてその速度は失われ、不完全な形で動きを完全に止めてしまった。


「やったぞ」


 ケインはゾンビアを再起不能に出来た事実に深く喜びを感じ、この絶望的な状況から希望を見出すことが出来た。


「許せない」


 血管という血管に流れる血の速さが凄まじいことになっているのを感じる。身体の底から憎しみが立ち昇る。何てことをしてくれたんだ。最前線のゾンビアは作りかけの粘土細工のような情けない姿で行動を停止している。生み出すのは大変だが、壊すのは簡単だ。それをわかっている人間がどうしてこんなことを。


「許せない」


 まずはあのくだらない注射器を持った負け犬からだ。残りの男どもはあの注射器を壊してからどうにでもしてやる。


 アレクセイは二体のゾンビアに命令を与える。するとゾンビアは殺された味方への復讐心を滾らせた兵士のような動きでサラの方へ突撃する。


「これはマズい。別々の方向に逃げろ!ケインは残りのアンドロイドを分割して彼女を援護するんだ!」


 ゾンビアを破壊出来たことに自信を持ったのか、アンドロイド達は命令されるよりも早く残りの人員を二つの小隊に分けて、ケインの護衛とサラの援護に回った。


 その動きの速さは五分五分でぶつかり合う。サラは何とか部屋の四隅に追い込まれないように変則的な動きをしながらゾンビアと距離を取る。援護するアンドロイドはゾンビアに銃弾を撃ち込み、動きを鈍らせたり注意を向けさせたりと仕事をこなす。ゾンビアは代わり替わりサラに接近して攻撃を加えようとし、援護に回るときは目障りなアンドロイドを容赦なく破壊した。


 消耗戦か。アレクセイは少しずつ冷静さを取り戻して戦況を分析した。ヤツらの持つ注射器がどれだけあるのか分からないが、サラさえ殺せば遠距離から打ち込める腕の立つヤツは居なくなる。そしてヤツを援護するアンドロイドも確実に減っている。勝機はまだこちらにある。


 その時集中的な銃撃音が鳴り響き、一体のゾンビアがよろめいて倒れた。ケインを護衛する小隊がゾンビアの足目掛けて集中攻撃を放った。サラはその状況をチャンスだと察知して倒れたゾンビアにウイルスを撃ち込んだ。しかしサラが銃を構えている隙に距離を詰めたもう一体のゾンビアが片手で無防備なサラを弾き飛ばす。さらにその直後アンドロイド達がサラを攻撃したゾンビアに突撃し、その内の一体が隠し持っていた注射器をゾンビアの損傷部に打ち込んだ。


 そして辺りは静まり返る。二体のゾンビアは苦しげな形相を浮かべて中途半端な姿で動きを止めた。そしてその辺りには役目を終えて安らかに眠るように横たわるアンドロイド達。ケインによる作戦は犠牲を伴ってゾンビア二体を破壊する成果を挙げた。


 その見事な連携と判断の素早さに何の感情も抱かず、アレクセイは息をゆっくりと吸って落ち着きを取り戻そうとした。まさか三体もの私の芸術が。私のかけがえのない芸術が。何故邪魔をされる必要があるんだ。何故私のモノを傷つけようとするんだ。


 しかしサラを殺すことが出来た。そしてアンドロイドもかなり減った。残った一体を構造解析すれば、時間がかかるがまたゾンビアは生み出せる。とにかくケインと博、この二人を生かしてやるわけにはいかない。私の正義を、私の権利を、私の素晴らしき芸術を理解出来ない者など排除するまでだ。


 弾き飛ばされたダリアは壁に強く叩きつけられて、放置された人形のようにぐったりとしていた。一部始終はこのカメラが抑えたはずだ。繰り広げられた会話も、戦闘も、勇敢な女性の死も。入嶋は完全な傍観者としてこの戦況を眺めている。それはまるで映画を撮る映画監督であった。


 ゆっくりとこの戦況をカメラで収めていると、アレクセイの方で動きがあった。なんとアレクセイ自身がゾンビアの背中に登って、戦いに参加する意思を見せた。そして最後のゾンビアはジグザグに動き、ケインの小隊から放たれる銃弾を避けながら動き続けていた。


「何が起きているんだ」


 そう呟かずに言われなかった。何故ならアレクセイを乗せたゾンビアは小隊と一定の距離を保ちながら銃撃戦に応じていたからだ。弾切れを目的にしているのか。とにかくこの不自然な戦闘から目が離せないことは確かであった。


 アレクセイの目的が理解出来た時、その執念と才能に愕然とした。アレクセイはゾンビアの動きに合わせて標準を構えて、ケインの小隊のアンドロイドを次々と撃ち抜いている。あんな不安定な場所から寸分狂わずに撃ち抜くなんて人間業ではない。


 ケインの小隊は不利な状況にあると悟ると博の方にいるアンドロイドに援護を求めた。今度は二方向からの銃弾を受けながらの戦闘になっているがアレクセイは物怖じせずにアンドロイドを打ち抜き続ける。数弾は躱しきれずに受けるが、多少の銃弾を受けたぐらいではゾンビアは倒れない。そしてすぐさま回復する。


 この有利に見える方が不利な状況にいるという不思議な戦闘を眺めながら入嶋は自分に何か出来ることがあるんじゃないかと感じ始めていた。必死に銃弾を放つアンドロイドたちは次々に倒されていく。ケインや叔父さんがその狙われるのも時間の問題かもしれない。


 このまま撮り続けて何が起きる。アレクセイの勝利でゾンビアは島外に出ていく。そして未知数ではあるが世界は新たな兵器の登場に混乱する。あの生物兵器を巡って世界が疑心暗鬼に包まれていく。そんな未来があってはならない。


 しかしどうすれば。どうすればいいのか。今この瞬間にもアンドロイドたちは撃ち抜かれて無念にも倒れていく。自分には武器はない。あっても使いこなせるはずがない。ただこの戦況を見続けるというもどかしさ。そして何か出来るかもしれないのに、何が出来るのか思いつかない焦燥感に駆られて全身から汗が滲み出す。頬に流れる汗を拭った時、手の甲があるモノに触れた。これだ。



 急に頭の中に声が入って来る。アンドロイドたちからの声では無い、人間からの声だ。そしてその声には聞き覚えがあった。これは忠さんの声だ。


『アレクセイ!俺は背後に居るぞ!』


 この部屋に居る全員が突然脳に響く声に意識を向けた。


『叔父さんから受け取った一発!食らいやがれ!』


 その声に反応するようにアレクセイを乗せたゾンビアは背後を振り向く。しかしそこには誰も居ない。虚を突かれたと気付いた瞬間、残りのアンドロイド達はゾンビアの両足にありったけの銃弾を打ち込んだ。


「どこだ!入嶋ァ!」


 敵に背中を見せたことに危機を感じたアレクセイはゾンビアから飛び降りて、ゾンビアを盾に周囲の情報を把握して状況を判断しようとした。


 博はこれを好機と捉えて従えて、全てのアンドロイド達に注射器を渡して接近するように命令した。足を破壊されたゾンビアは身動きが取れず苦しそうな呻き声を上げる。その咆哮に恐れることなくアンドロイド達は距離を近づけながら注射器を構える。


 もう少しで射程範囲内という所でゾンビアの陰に隠れていたアレクセイが顔と銃口を覗かせて、驚くほどの正確さで近づくアンドロイド達を殲滅した。ケインはこの突撃の成功を祈ったが、次々に撃ち抜かれては倒れていくアンドロイド達を見て悟った。


『入嶋、残念だったな』


 アレクセイは煙の立ち昇る銃口を上方に向けて冷徹な目線をケインの方へ向けた。ゾンビアの足は既に膨らんでは縮み、回復を始めていた。


『テレパシーを逆手に取って気を引こうと考えていたようだが、それも失敗に終わったようだな』


 博にもこの勝ち誇るようなアレクセイの声が頭に響き、さっきの攻撃で仕留めきれなかったことに悔しさを覚える。


『出て来い。お前には何も出来やしない』


 入嶋はこのとっさの思い付きが失敗に終わったことを理解した。そして訪れる絶望感。視界がぼやけて、頭がくらくらとする。ケインから貰った思考が漏れないように制御するメガネを掛けなおしたが、視界に変化は無かった。


『最後まで隠れているといい。そうして二人が死んでいくのを眺めているといい』


 アレクセイは再びゾンビアに乗り直して、ケインを護衛するアンドロイド達への攻撃を再開した。アンドロイド達も必死の抗戦を見せるが、圧倒的な力の差になすべく無く次々に倒されてやがてケインの前には死屍累々としたアンドロイドの残骸が残った。


「さあケイン。次はどうする」


 ゾンビアに乗った状態でアレクセイは銃口をケインに向けて問い詰める。


「まだ望みはある」


 ケインは震える手で拳銃を構えてアレクセイに向けた。


 そして銃声。


 アレクセイの頬に赤いひと筋の線が出来てはそこから鮮やかな血が溢れる。


「貴様」


 アレクセイは銃声の起きた方を睨む。そこには不格好な姿で銃を構える入嶋の姿があった。


 先程の銃撃戦の間に入嶋は死角から飛び出し、再起不能のアンドロイドが残した銃を拾い上げてアレクセイに標準を合わせていた。出鱈目に撃った一発がアレクセイの頬をかすめた。


「まだ諦めてない」


 震えるような声で入嶋はそう言ってまた銃口をアレクセイに向けて躊躇なく放つ。ゾンビアは大きく後ろに飛びのいてアレクセイと共に後退する。ケイン、博、入嶋の三人から最も離れた方まで下がる。


「人間じゃあどうしようも出来ないとわかって立ち向かうその愚かさをお前らは理解しているのか?」


 アレクセイは呆れたように大声で怒鳴る。


「結局強きものが正義だ。私が勝てば私の正義が正しかったと証明される。死んでいく貴様らの正義など元から存在しなかったことになる。私は私の正しさを信じている。だからそれを犯すようなヤツには死を与えるのみだ」


「それが答えか」


 博がいきなりいきり立って言った。


「死んだ者は生き返ることは無い。しかしそこにあった信念は受け継がれていく。お前の掲げた正義が塗り替えられるその日まで信念は消えることなく燃え続ける。お前の正義は正義ではない。ただ一時的にそれに口を出す者が居なくなっただけで、それが本質的に間違っていることは変わらないんだ」


「老いぼれが今更口を出すな!研究データに鍵を掛けて逃げた弱虫が正義を語るな!」


「博先生を悪く言うんじゃない!」


 ケインが我慢できなくなって感情を剥き出しにした。


「博先生はトーマスの過ちにいち早く気付いて行動を起こした。そしてその過ちを正すには数が足りないから賛同者を集めるためにその行動を私たちに託した。その結果がこれだ。こっちにはまだ三人残っている。これが僕たちの正しさだ!」


「無能が三人集まったって仕方ないだろ。どうなんだ、ミスター忠?」


「俺は」


 入嶋は少し言いよどんで口を閉じる。そしてごくりと空気を飲み込む。


「俺はケインたちの味方だ」


 アレクセイは期待外れの解答に嘲笑してケインに向けていた銃口を下げた。


「わかった。私は間違っていた」


 緊張が走る。アレクセイは何を理解し、そして間違ったと気付いたのか。


「正しさを語り合うこと自体が間違っていたんだ!」


 ゾンビアは近くに横たわるアンドロイドの残骸を素早く掴んで博と入嶋の方に放り投げた。三人は不意を突かれる形になり、焦って銃を放ったが、この距離では弾が当たるはずもなかった。博と入嶋は投げられたアンドロイドの残骸に押し倒されて、ケインとアレクセイが対峙する最悪の状況に陥ってしまった。

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