第17話 Hope “光明”

 ケインがアレクセイに連絡を取ったのをその動作で確認してから、博は掲げたゲイルの頭部を床に降ろした。わかってはいたが、精密機械とだけあって非常に重い。片方の肩が外れそうになるのを感じながらゆっくりと肩を回した。その動作に合わせて武装したアンドロイドたちが武器を構える。


 そうか。これがマズかったのか。博は今思い出したように握りしめていた拳銃を床に落とす。一体のアンドロイドがそれを慎重な動作で拾う。そしてその騒ぎから緊張感が失われる。ケインはどこかちぐはぐなその異様な雰囲気から目を離すことが出来なかった。


「じゃあ私たちは誰について行くべきなんだ」


 痺れを切らしたように一体のアンドロイドがそう言った。そしてそれに付随するように他のアンドロイドたちも同じような意見を言い始めた。


 雇い主の命令を絶対としてプログラムされた彼らにとって雇い主の消滅、ましてや雇い主が人間ではなく同種のアンドロイドだと理解して混乱を起こしているのだろう。博はそのように解釈した。無理もない、自分も同じアンドロイドだったらそのように混乱するに違いない。


「ミスター博、これは非常事態です。我らはゲイルの命令に基づいて行動していましたが、そこにはゲイルが人間であるという条件がありました。今この目の前にあるのは見ての通りゲイルという名の付いたアンドロイドです。これではゲイルが人間であるという条件を満たさずに、ゲイルに危害を加える者を排除するというプログラムを実行することが出来ません。よってこれ以降の行動が不能になりました。代替案の提示を求めます」


 アンドロイドは実にプログラムに忠実に作られている。感情に左右されることなく、事前に与えられた命令通りに行動する。博は頭の中で思い描いていた展開通りに事が進んでいるのを実感した。


「アンドロイド諸君。ゲイルの素体であるトーマスは既に亡くなってしまったが、そのトーマスはゲイル以外に存在を遺していったのだ」


「しかしその存在がアンドロイドではどうしようもありません」


「私は一言もそれがアンドロイドだと言ってはいないだろう。私は先程トーマスの憎悪が生み出したのがゲイルだと言ったな。そしてトーマスは光明を遺したとも言った」


「トーマスが婚姻関係を結んだ。又は成り行きの関係で子孫を残したというデータは残っていません」


「君たちは何かと話に棒を突っ込まないと気が済まないのか?」


「ミスター博、これは緊急事態ですので」


「わかったわかった。そのトーマスの遺した光明というのはトーマスの遺伝子から作られたクローン人間という存在だ」


「クローン人間だって?」


 思わずケインはその会話を聞きながら漏らした。アンドロイド達の発した言葉と重なり、まるで自分の声が響き渡ったかのように感じてドキリとする。しかしここまでのアンドロイド技術が発達していればクローン人間を発達させることだって不可能ではない。ケインは博の何かとんでもない重大な機密を発するのではないかと察した。


「しかしクローン人間というのは人間の倫理に反していると国際的に認知されているのでは?」


 アンドロイドが反論する。それに同意するかのように他のアンドロイドも反応する。


「この島にそのような倫理観が通用するのか」


「生物兵器を完成させてしまったんだぞ」


「そもそも我々の存在自体が倫理観に反しているのでは?」


 指揮官を失い混乱を極め始めた小隊は迷い始める。博はその光景を眺めながらのんびりと呟いた。しかしそのように悠長に過ごしている場合ではない。そして注目を集めるように片手を大きく挙げて、アンドロイドたちが静まるのをじっと待った。


「素晴らしきアンドロイド諸君。確かにクローン人間は倫理観に反しておる、しかし自らの意志を遺すために息子を生み出すことは生物として不思議なことではない。単純にその方法が認められていないだけだ」


 オペレーションルーム内の全てのアンドロイドと人間が博の言葉に注目していた。


「トーマスは自分の遺した憎悪が実現することを夢見ていた。しかしその実現の途中で取り返しのつかないジレンマに陥ったことに気付いた。せめてもの救いとしてその暴走を自分の代わりにいつか止めてくれるようにという思いを遺すためにクローン人間を生み出したんだ」


 話を続けながら博は部屋の出口の方へ向かって歩みを進めていた。


「それがトーマスの遺した光明。トーマスの遺伝子、そして意思を受け継ぐ息子」


 これは悪い夢か。いつになく真剣な表情をした博が近づいてくる。


「ずっと黙っていてすまなかった。ケイン、君はトーマスの息子だ」


「そんな、先生。それって、つまり」


「すまない」


 ずっと誰にも明かされることのなかった、自分を語る上で欠けていた最後のピースがかちりと音を立てて嵌った瞬間ケインは猛烈な吐き気を感じた。どうにか我慢しようと試みたがどうにもならず、博の足元にそれをぶちまけた。確かに感じる、胃酸が残す酸っぱい香り、そして漂うすえた匂い。自分は人間らしいのに人間ではない。突然告げられた事実をどのように受け止めれば良いか分からず、ただ自分の吐しゃ物を眺めては愕然とした。


 博はケインに背を向けて同じく驚愕の表情を浮かべているアンドロイドたちに向かう。そして頭の中で思い浮かべたシナリオを整理する。全てが滞りなく進んでいる。完璧だ。残すはケインの覚悟だけだ。そして宣言する。


「これを持ってこの島の全権はトーマスより息子であるケインに譲渡された!全てのアンドロイドはプログラム上のゲイルの名を全てケインに書き換えて行動するように!正式な発表は後日行うとする!以上だ!」


 博は素晴らしいストーリーの主役を演じているような心地だった。悪を打ち滅ぼす正義のヒーローになったような心地だった。これが私の求めていたものだったのかもしれない。研究がどうかとか発明がどうかなどではなく、ただ価値ある人間として認められたかっただけなのかもしれない。


 満たされたという余韻を感じながら、未だに立ち直れないでいるケインの下に駆け寄った。呆然とする新たな島の指導者に最初の仕事をやってもらわねばならない。


「ケイン、君はこの島の管理者になった。それは全てのアンドロイドのコントロール権を得たということだ。全てのアンドロイドは君に従い、そして盾となる。さあ君のしなければならないことは何だ」


「僕のしなければならないこと…」


「そうだ。それは何だ?」


「ゾンビアを、アレクセイを止めなければ」


「その通りだ。時間が迫っている。急がなければ」


 博は強引にケインを立たせて、オペレーションルームの外へと引っ張っていった。アンドロイドたちは何をすべきかよくわからないような表情をしながらとりあえず二人を追うことにした。



 小型コンピューターの画面にコンプリートの表示が出た時、アレクセイは勝利を確信した。旧プログラムの強固な防壁を破り、新プログラムに書き換えている間ずっと背中に熱い視線を感じていた。サラ・テイラーは想像よりも強い女性だ。しかし無力化した以上、彼女にはこの状況をどうにかすることは出来ない。


「カニェーツ」


 アレクセイはそう言うと懐から拳銃を取り出し、迷いなくメンテナンス中のゲイルに五発撃ちこんだ。極めて冷酷な音が部屋に響き渡る。ケーブルを剥き出しにし、ただの鉄の塊と化したゲイルの頭部を眺めて最後の仕事が完了したことを認めた。


 特に特別な感情は湧かなかった。ここまで滞りなく進むことように計画したのだから当然だ。そしておもむろにダリアの方を見る。絶望か、恥辱か。簡単には形容出来ないような表情がそこにあった。


「さて、ダリア。私はこれからゾンビアの保管室へ向かう。つまり君とはここでお別れだ。本当に残念だ」


「アレクセイ。アレで、世界をどうするつもりなの…」


「アレは私のモノだ。どうしようが私の勝手だ」


 この女にこれ以上の時間を費やす必要は無い。残りの銃弾をダリアに向けて躊躇うことなく放った。そしてアレクセイは無情にも他に何も語らず、そのまま部屋を後にした。堂々とした足取りでゾンビアを保管する部屋へと向かう。



 入嶋はゾンビアの保管室の前に居た。恐らくまだアレクセイは辿り着いていないはずだ。手には片手で易々と持てる大きさのビデオカメラが握られている。これが最後の自分の仕事。世の中の巨悪を暴く正義の仕事。トーマスに教わったパスワードと、アレクセイに貰ったカードキーで扉を開ける。分厚い扉がゆっくりと開いて、隙間から冷えた空気が漏れてくる。


 研究所内の最高機密であるゾンビアが保管されているこの部屋は想像以上に広く、そして殺風景であった。昨夜のショーで見たのと同じ巨体が四体ほど並んで立った状態で保管されている。今にも動き出しそうなその威圧感に入嶋はどうしても緊張せざるを得なかった。


 死角になりそうな所をどうにか見つけて、ビデオカメラの設定を始める。独学でマスターしたつもりの操作に手こずる。肝心な時ほど人は緊張するものなのだろう。自分がそうであるから簡単に納得出来た。そして準備が整い、後は博叔父さんの言う役者が揃うことを期待した。アレクセイとケイン、そして叔父さんとダリア。自分を含めた五人で最後の舞台が幕を上げる。その瞬間を待ち続けることにした。



 上手く足に力が入らず思うように前に進むことが出来ない。肩を貸してもらっている博先生にも迷惑がかかってしまっている。このままだと保管室なんて辿り着けそうな気がしいない。どうにかしないとアレクセイが、ゾンビアが。


「先生、一度止まります」


「ケインくん、そんなことをしている場合じゃないだろう」


 博先生はここまで誰のお陰で、誰の肩のお陰で進めたんだと言わんばかりの怒り顔でそう言った。


「わかっています。しかしこれでは辿り着く前にアレクセイがゾンビアを手にしてしまいます」


「それは困るが、恐らくダリアくんが足止めしてくれているはずだ」


「それを考慮しても、です」


 今度はじゃあどうするつもりなんだと言わんばかりの顔で博はこちらも見る。何か考えなければ、何か手を打たなければ。その時、背後から一定のスピードで追ってきた武装アンドロイド達の姿が見えた。


「先生、閃きました」


 博もケインと同様の閃きがあったらしく、かすかに笑みを綻ばせた。


「アンドロイドの君たち!すまないがゾンビアの保管室まで運んでくれないか!」


 その声が届くや否や、武装アンドロイドたちは駆け足で二人の下に駆け寄り、二体のアンドロイドが背負うために屈んだ。ここまで従順に動いてくれるとは。ケインは彼らを思い通り動かすことが出来るという事実に初めて感動した。


「お二人とも保管室まででよろしいですか」


「ああ、頼むよ」


 アンドロイドの背中は案外暖かい。何故か懐かしさと安心感を覚えた。


「いや、私はゲイルのメンテナンス場所へ行くとしよう」


「先生?」


「ダリアくんを助けなければならない」


「では部隊の大多数は保管室まで、ミスター博を乗せたアンドロイドを含めた三体でゲイルのメンテナンス場所へ向かうとします。いいですね?」


 二人の同意を得たのを理解した瞬間、素晴らしき科学の力でそれぞれの目的地へ向かい始めた。



 再び訪れた静けさの中、ダリアは虚ろな目で煌々と光る小型コンピューターのモニターを眺めていた。まるで溶接したかのように装備に施した金属加工部分が壁と接着し、身動きが取れないことは相変わらずではあったが、時間の経過と共に動けない苦しみに慣れてしまったことは確かだった。


 アレクセイに打ち込まれた一発は胸部の防弾チョッキを命中し、その衝撃の反動で一時的に意識を失っていた。時より鋤骨の辺りが鋭く痛むので骨折しているかもしれない。しかし確かに生きていた。


 あれからどれだけの時間が経ったのであろう。もうアレクセイはゾンビアの保管室に辿り着き、ゾンビアを動かし始めたのだろうか。ロシアを追放された有名な一族のマッドサイエンティストは何をするつもりなのだろうか。


 どれだけ考えを巡らせようとも、もう何も出来ないことは理解していた。この不甲斐なさ、打ちひしがれるような無力感をただ味あわせるためにこのような状況下に置いたのであれば、やはりアレクセイは異常だ。時より弾けるようにゲイルの破壊された頭部から飛び出す火花が滑稽に見えてくる。どうせならこんな風にされた方がよかったのかもしれない。


 その時かすかに何かが近づいてくるような気がした。気のせいにしては確かな足取りでこちらに向かっているように感じる。アレクセイが戻ってきたのだろうか。それとも誰かが駆け付けに来たのだろうか。


 その気配は複数の足音を伴って急ぐように次第に大きくなっていく。ダリアはその足音が味方であることを確信し、安堵と共に不甲斐なさをまた感じた。


「ダリアくん、大丈夫か!」


 突然現れた三体のアンドロイドに馴れ馴れしく言われて戸惑う。答えに躊躇っていると一体のアンドロイドの背後から博が現れた。どうやらアンドロイドにおぶって貰った状態でやって来たのだろう。


「博さん、すみません」


 泣きそうになったのを何とか我慢して答えた。


「アレクセイにはめられました。両側の壁の磁力に吸い込まれて身動きが取れません」


「生きているようで何よりだ」


 話を聞いているのか聞いていないのか、博は神妙な顔つきでそのように言った。そして状況を分析するように部屋を一瞥した後に、アンドロイドの方へ顔を向けた。


「君らの内の一体は今から動力室に行ってこの部屋の電力供給を止めるように伝えろ。ケインがそう命令したと言えばいい」


 何故ここでケインの名前が出てくるのかダリアには分からなかったが、この電気を止めることがこの磁力をどうにかする方法だということは納得した。そして一体のアンドロイドが脱兎のごとく駆けて行った。


「ダリアくん、まだチャンスはある。忠くんがアレクセイを足止めしてくれるはずだ」


 その意味深長な博の発言にダリアはただ訝しげな表情をするほか無かった。そしてダリアでいることを止めることにした。

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