第15話 Proceed “進行”

 ここまでは順調に進んでいる入嶋は確信した。ケインとアレクセイ、そしてダリアと博が凡その予想通りの動きをしてくれているように感じる。後は不測の事態に窮した時にどこまで冷静にそして出来る限り早急に解決策を導くことが出来るかどうかだ。


 今朝、身体を無理やり揺さぶられて起こされたと思うとどうやらゲイルより重大な発表があるらしく、島内の研究所に居る関係者全員がホールへと呼び出された。自分はすっかりこの研究所の関係者になっているようで例外なく招集をかけられたのが名誉なようで不名誉だと感じる。見慣れない白衣の集団に混ざってラフな格好の入嶋はとにかく今からの発表がつつがなく終わることのみを望んでいた。


 会場には他民族多国籍と言うべき顔ぶれが集まっていて、誰もが好き勝手に話していた。入嶋はどうにかケインかアレクセイを見つけようと考えていたが、この人の数では諦めた方がいいのかもしれない。そうやってのんびりと時間を過ごしている内に全ての照明が消されて、話し声がゆっくりと沈黙していった。そして中央のステージに証明が当てられる。もちろんそこに居るのはゲイルだ。


「皆さん、急な招集にも関わらずお集まり頂き誠にありがとうございます」


「そしておめでとうございます。我らが叡智を結集して研究を重ねた素晴らしき生物兵器」


 意味ありげに刹那的な沈黙で会場の注目を集める。


「遂にゾンビアが完成いたしました!」


 その宣言と共にどこからともなくファンファーレが鳴り響き、カラフルなライトが四方八方を照らしだした。研究員たちはその完成を喜びで表現するよりも先に、このサーカスのような違和感で満たされた世界にただただ驚愕している。


 そして今度は地鳴りと共に武装したアンドロイドたちを先頭に見事な巨体が三体歩調を合わせて行進してやってきた。それはあまりにも奇妙で恐怖で子供じみた狂気を感じさせる。どこまでも悪趣味なヤツだ。トーマスから切り離された憎悪が一人歩きしている。


「さて、皆さん。ご覧ください!こちらが素晴らしき生物兵器ゾンビアです!」


 そう高らかに宣言するも呆気に取られた研究員達はどのように反応するのが正しいのかわからず戸惑うばかりであった。するとゲイルの背後に等間隔で並んだゾンビアたちは両腕を大きく広げ手を叩き始めた。その拍手は徐々にスピードを増していき、鬼気迫るその迫力に誰もが拍手せざるを得ないような状況を生み出していた。


 これは悪夢に違いない。入嶋は誰しもが恐怖を音で表すかのように拍手している姿を辺りを見渡して理解した。そんな中、ただ腕を組んで冷たいまなざしを向ける一人の男が立っているのに気づいた。


 アレクセイだ。彼はこの状況をどのように理解しているのだろうか。そして手の届く距離にあるゾンビアたちに対してどのような感情を抱いているのだろうか。入嶋の想像の及ばないほど、彼の闇は深く、そして残酷である。



「茶番だ」


 アレクセイは辺りを見渡して吐き捨てるようにそう呟いた。


「間違いなくヤツはゾンビアで世界を混乱に落とし込むことしか考えていない。あのトーマスが言っていたことの通りだ」


 目の間で繰り広げられたパフォーマンスはゾンビアの完成を祝した式典の様相を呈しているが、その根底にはこの生物兵器を実践的に使用することへの反感を恐怖で抑え込むという狙いがあると理解した。博のように寝返る可能性を限りなくゼロにするにはこれが一番だとゲイルは考えたのだろう。


「甘い」


 ゾンビアを自分のモノにしたい。ただそれだけに執念を燃やすその男は冷ややかな目線で茶番を見続けながら心の中で呟く。


「それが命取りだ」


 もうすぐであれが我がものになる。もうすぐだ。



 ケインは周りに合わせて拍手をしていたがやがて馬鹿らしくなり、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。辺りを見渡してもどこにもアレクセイと入嶋は居ない。そしてかすかな希望を抱いていたが、恩師である博も見つけることが出来なかった。


「あれを忠さんが止められるのだろうか」


 ゲイルの命令で動くその巨体たちの全身を眺めては不安になる。到底一人の人間では敵いそうにもない。もちろんそれが二人や三人になっても結果は同じであろう。救世主。博がケインに残した言葉を思い出した。


 救世主とは誰かがそう呼んで初めて救世主になる。どんな結果になろうとも忠さんの生き様を救世主として語り継ごう。ケインは胸が熱くなるのを感じた。


「そのためにこの銃で必ず」


 ポケットの底で冷たく沈黙する小銃の存在を確かめるようにそう決意した。



 もうひとつの目線がアレクセイを監視していた。制服から暗闇に紛れやすい特殊加工を施した潜入捜査官らしい服装に着替えたダリアはこの式典を気にしながらアレクセイの動向を確認している。


「やはり拍手はしない」


 彼がどれだけプライドが高く、どれだけ自己中心的な人物であるのかはこの島に派遣される前から熟知していた。何も変わってはなさそうだ。


 ダリアは難民と遜色ない容姿をしているという人種差別に限りなく近い理由で派遣されたが、彼女にはただ自分に与えられた任務をこなすという義務感以外特別な感情は抱かなかった。


「必ず現場を押さえて確保する」


 アレクセイがプログラムの書き換えを実行しようとする痕跡さえ手に入れることが出来れば、それを理由に逮捕することが出来る。そしてこの島を明るみにしてアレクセイを筆頭にロシア人研究員の陰謀だと結論付けて世界の流れを変える。我々の功績は世界の果てまで届くはずだ。



 全ての関係者がホールに集まっている中で、博は自身の隠れ家として使用している地下室の書斎机に飾っている写真を眺めていた。


 そこには幼い頃の入嶋と若き頃の博の姿があった。親戚一同が集まった時に気付かない内に撮られていたらしい写真。博は当時のことを良く覚えている。


「『かがくのちからはしぜんをほろぼす』か。まさにこの現状はその通りだ」


 あの頃は科学が人間の暮らしを豊かにする。ただそれだけに盲目になっていた。自分の研究が必ず成果を生む。誰しもがこの成果を活用した環境で暮らしていくことになる。


 しかしその野望に似た希望は社会という現実に打ち砕かれた。ゾンビアで世界を混乱に陥れる。そんな文句を言われた時、その現実感の無さとその子供じみた野望に強く惹かれてしまった。


「あの時の私はもう既に悪者になっていたのかもしれない」


 写真の入嶋が手に持っているのは科学を悪用する悪者と戦う正義のヒーローを描いた漫画<妖怪戦士ペッパー>。トーマスに出会って決意を固めた日から自分に戒めるようにその写真を飾り続けている。


「私もヒーローになれるだろうか」


 写真立てを手に取って角度を変えたると、光の具合で自分の顔が写った。そこに居たのはあの頃の自分とそっくりの顔だった。



 式典の翌日、入嶋は夢を見ることなく実に自然に目覚めた。それでも見慣れてしまった自室の景色がいつもと異なっているような気がした。今日こそあの計画を実行する日、トーマスの望みを叶えてアレクセイの目論みを打ち壊すその日。窓外には気持ちのいい快晴が広がっていて、こんな日には相応しくないほど晴れ渡っていた。と言っても、こんな日に相応しい天気なんてわからない。


 現在稼働中のゲイルの行動周期が正しければ今日の内に片方のゲイルが定期メンテナンスの為に地下にひっそりと潜る。そのメンテナンスには約三時間を要し、その間に私たちは私たちのすべきことをやらなければならない。そのやらなければならないことの内で自分に任されたのはトーマスの延命装置を止めることだ。


 人の命の灯を消す。間接的な表現でその事実を誤魔化そうと試みてもそれに対する罪悪感というものは拭えそうにない。例えそれが正義だとしても正当化するのは難しいような気がする。人の命、人の尊厳、そういった道徳的な話はどうも苦手だ。入嶋は自分が息をしているのを忘れてしまうくらい考え込みながらあの地下室へと向かう。


 機械には意思は無い。そこにはあるのは命令のみだ。かつて誰がこんなことを言っていたような気がする。当時は納得したが、ここで生み出されたゾンビアには意思があるように感じる。トーマスの意思、裏切られた世界に復讐を誓う憎悪。人の意思は機械へと伝わり、それが実現化される。入嶋はエレベーターに乗りながら考える。このエレベーターも意思があるはずだ。もっと簡単に安全にモノや人を垂直方向に運びたいと考えた技術者たちの意思があるはずだ。その疑問に返答するようにエレベーターはチーンと音を鳴らした。もちろんそれは到着を知らせる合図に過ぎない。


 ならば私たちも機械と同じなのかもしれない。トーマスの居る部屋に向かいながらひとつの解に辿り着く。私たちもトーマスの意思を受け継いで行動している。その点ではゲイルと近いところがあるのかもしれない。しかし私たちは人間だ。機械は意思を実現したその先の変化を生み出すことは出来ないし、機械には命令により意思を実現し続ける未来しかない。ゲイルの望む意思の先の未来には何もない。そんな未来を実現させてはならない。決意を確かなものにした時、入嶋の目前にはあの老体が安らかに眠ったままでいた。


 アレクセイから通信連絡用に貰った腕時計を確認する。おおよそ定刻通り、作戦実行の合図まで残り数分といったところだ。入嶋はトーマスの約束を果たすべく最後の準備に取り掛かった。そして定刻を少し回った頃、延命装置の電源を落とした。



 振動と共に赤い点滅が腕時計の画面に表示されるのを確認して、アレクセイは作戦が開始されたのを理解した。それと同時に入嶋が作戦通りに行動してくれたことに安堵した。


「まずは第一段階を突破というところか」


 電子辞書程度の大きさの小型コンピューターを操作しながらメンテナンス中のゲイルのプログラムの書き換えを実行する準備に取り掛かる。メンテナンス用の機器のカバーは無残にも力づくで剥がされ、むき出しになったコードの一部がその小型コンピューターと繋がれている。


 ゲイルのプログラム防壁を突破してハッキングを掛けて、新たなプログラムに書き換える。ただそれだけであのゾンビアが私のモノになる。それでも不測の事態に備えて十分な危機管理をしながらこの場所で待機しているのには敵の存在があるからだ。アレクセイは研究者というよりは軍人に近いような装備と服装で作業を行っている。また人感センサーを数ヶ所に設置して、侵入者への対策までも視野に入れている。


 作戦は必ず成功させなければならない。もちろん、この場合の作戦と言うのはゾンビアのコントロール権の奪取だ。あの交わした作戦は味方を増やすための偽りの作戦だ。自分の望みを叶えるためには手段を選ばない人間はこの世には存在する。紛れもなくあのトーマスもその内のひとりだ


さてそろそろ連絡が来る頃だ。ケイン、失望させてくれるなよ。



 オペレーションルーム。研究所内全ての部門の管理と進捗の確認、この研究所内の全てを監視出来るこの部屋はゲイルが最も良く訪れる部屋だ。先程まで腕時計に響いていた振動は消えて、その代わりに心臓の鼓動が全身を波打つように感じる。ケインはゲイルが居ると思しき部屋の目の前で覚悟を決める準備をしていた。


 銃の扱いに関してはアレクさんから学んだ。島内のアンドロイドの弱点は命令系統と各部位との伝達を行うケーブルが詰まっている首だ。ゲイルも例外ではない。首に一発、そして身動きを取れなくしてからさらに首に二、三発撃ち込めば完全停止する。いかにそれを迅速にそして完璧に行うことが出来るかたったひとつの、そして最大の不安だ。


 しかしこんなところで意味もなく時間を食っている余裕はない。アレクさんがプログラムの書き換えを実行するために十分な時間を残しておかなければならない。ケインはその行動の目的を悟られぬように慎重にドアを開いて内部に侵入した。そしてすぐさま死角に入り、ゲイルが居ると思われる席を恐る恐る確認する。


 確かにゲイルはそこに居た。オペレーションルーム四方の一面を埋め尽くすモニターの海を眺めてじっとしているように伺える。ここから狙えるかもしれない。ポケットから拳銃を取り出して安全装置を取り外した後、サイレンサーが正しく固定されているか確認した。そして照準をゲイルの首辺りに構えて集中を高めるために深呼吸する。


 その瞬間、背後に気配を感じた。振り向くとその気配はケインの存在を気に止めず堂々とした足取りでケインを横切り、部屋の中央、ゲイルの場所へと向かう。こんなタイミングで邪魔が入ってしまった。思わずケインはその不運を呪った。そしてその不運を運んできた白衣を呪うように見つめた。


 しかしケインは目を疑った。座っていたゲイルが立ち上がりその白衣と面したと思うと、そのゲイルが不自然な動きをしながら倒れた。その白衣の手に握られている何かからかすかに立ち昇る煙は、数々のモニターの光に照らされてキラキラとしていた。誰かがケインの代わりにゲイルを撃ったのだ。

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