第14話 Scenario “シナリオ”
「研究に関系ない人間を巻き込むというのか」
トーマスは思考を巡らせる。確かにこの島内には研究員と難民の他には大国から派遣された数人の極秘捜査官しかいない。この研究を止めさせる大義名分は難民にはないのだから彼らは当然除外される。とすれば大国の極秘捜査官を巻き込むということか。しかしそれでは。
「その人間が必ずしも賛同するとは限らない」
あの捜査官たちは極秘の任務である以上表に顔を出してはならない。彼らはこの島内の動向と常在する数名の研究員の監視を任務としてそれぞれが属する国から請け負っている。そしてその任務の存在は大国と結んだ援助に関する契約の1つであり、彼らの素性は私しか知らないはずだ。さらには博の言っていることは明らかに彼らの任務を超越している。彼らがそれを兼任する理由は無い。断るに決まっている。
「必ず賛同してくれる人間を1人知っている」
博は強い眼差しでそう言い切った。照明が投げる光が博に集中的に照らしているように見えた。
「それは驚いた。いったい誰だと言うんだ」
トーマスは得も言われぬ不安感を抱いた。目の前の男はこの島の秘密をどこまで知っているのか。そしてその背後には誰が、どの国が隠れていると言うのか。まさか。
「私の甥だ」
「甥だと?」
思わず身を乗り出して聞き返す。その勢いでベッドに繋がる管や電子機器がかすかに揺れる。日本人の潜入捜査官など聞いた覚えがない。となれば単なる身内ではないか。
「私の甥なら私を理解してくれる。私の望みを叶えてくれる。この研究に関系のない1人の人間として」
「自分の言っていることが分かっているのか?」
そう言いながらも博が十分な理由を持ってそのようなことを言っていることは博が滲ませている気迫から理解出来た。彼の頭の回転の速さはこの研究所内でも随一だ。
「心配なら甥に監視役を着ければいい。私と友好のあるケインの一時的な家庭教師とでもすればいい」
許可も何も言っていないのに入嶋の甥を島内に送り込む算段を付け始めている。その目は何も捉えてはなく、ただ思考の世界のみに集中している。
「そうか」そして博は何かに気付いたように顔を下げて目を丸くする。「私が居なくなればいいのか」
何が「そうか」なのか、何故「居なくなればいい」のか。トーマスには彼の言っていることがまた分からなかった。
「つまり叔父さんはこうなることを予想していたのか」
語られた真実があまりにも飛躍しており受け止められそうになかったが、叔父がこの島で二度目の失踪を遂げた理由が明らかになっただけでも十分だった。
「忠くんは私の予想通りにケインと親交を深めてゲイルの計画を阻止するように動き、アレクセイという不安も付きまとったが何とか私たちを見つけてくれた。予想通りと言うよりもシナリオ通りと言った方がいいかもしれない」
そう言って博は躊躇いがちに下を向いた。「しかし」行間を取るように慎重に続ける。入嶋にはこれから発せられるのは明るい話では無いことが簡単に察せられた。
「ここからはアドリブだ」
驚きよりも落胆を感じた。叔父の昔話には一切アレクセイという存在が登場しなかったことに違和感を持っていたが、それは悪くない勘だったようだ。アレクセイの存在が叔父とトーマスの計画をさらにややこしくしてしまったようだ。
「アレクセイのせいか」
「その通り。彼の野望は私たちの目論みを遥かに凌駕していた。トーマスと約束した台本に登場しないはずの人間があまりにも増えすぎたんだ」
あまりにも増えたとはどういうことか。その刹那、入嶋にもう一人の人物像が浮かんできた。先程まで違和感なく確かに存在していた彼女。ナースのふりをして潜入捜査官を務めているアメリカ人のダリア。彼女もアレクセイ同様にシナリオには登場していないに違いない。
「彼女はなぜ」
「忠くんが言わんとしている彼女は私たちが必要として呼んだわけではなく、アレクセイの監視の為に送られて来た潜入捜査官だ。だから計画の詳細を伝えてはいない。彼女はアレクセイの野望を食い止めるというベクトルで一致して行動している。だから現に私はここで忠くんだけに全てを話しているんだ」
「書きかけのシナリオに役者を増やしてしまいざるを得なくなった」
「そういうことだ。人生というものは実に奇妙だ」
なぜここでそんな比喩を用いたのか入嶋には理解出来なかったが、ただひとつだけこの会話を通じて理解出来たことがある。それは到底出来そうもないことだが、やらなければならないことだった。
「それで、その劇の現筆者は僕だってことか」
「そうだ。どうにかハッピーエンドで終わらせてくれないか」
「どう転んでもこの島に来た時点でバッドエンドは確実だと思うんだけど」
叔父の口元が歪んだ。「ケインによろしく頼むよ」とだけ言い残してエレベーターがあった方とは別の方向へと向かっていった。
「叔父さん?こっちじゃないのか?」
「私はトーマス同様に存在しない人間なんだ。忠くんにまた会えて良かったよ。と言ってもこの出会いは必然だったがね」
入嶋は何も言い返すことが出来ず、ただ小さくなっていく叔父の背中を見つめるしかなかった。
「合わせて下さい」
話を聞き入っていたケインの口から発せられたのは入嶋の想像通りの切なる願いだった。しかし予想外だったのはその目があまりにも鬼気迫るもので怒りと悲しみが混在した苦痛に満ちたものであったことだ。
「それは」
入嶋はそれをキッパリと断るつもりでいたはずがケインの勢いに圧倒されて言いよどんでしまう。
「わかってます」ケインは俯く。「会えないことはわかっています。ただ、ただ先生は自分の知識のみをひけらかす他の先生とは違って色んなことを教えてくれた特別な人なんです。私にとってはもう父親同然の存在で、わかっていてもこの情動は抑えきれそうないんです」
その言葉に詰まった想いが全身を駆け巡って揺さぶりかける。あの日、あの時、叔父が失踪して月日が経ち、捜査が打ち切られて死亡届を提出したと聞かされたあの頃。自分も目の前の青年のような悲痛を浮かべていたに違いない。テレパシーをしている時のように感情がリンクするような気がした。
「ただ、私は恩師として、先生に、博さんに感謝を伝えたかった」
一筋の光が頬を伝って流れていくのが見える。この島に来て初めて美しいと感じた。気が付くと入嶋の視界もおぼろげになり始めていた。
入嶋とケインが感傷に浸る中、アレクセイはトーマスとの対話を続けていた。
『そういうことだったのか』
『そうだ。そういうことだ』
『しかし、そのようにプログラムされているとなるとあなたの存在がどうしても障壁になってしまう』
『わかっているとも。それを見越して優秀な君にお願いしたい。私を殺せ。そして全てを終わらせてくれ』
『そんな大役を私に任せると言うのですか?しかし、殺せだなんて』
『私は存在しているが生きてはいない。こうやって同期しない限り会話出来ないなんて死んだも同然だ』
『しかしゲイルという仮の体を借りてこの島に存在しているではないですか』
『代わりに活動しているゲイルというのは所詮アンドロイドであって私ではない。そして私のコントロールも効かなくなったゲイルを止めるには私の存在の消滅が必要不可欠だ。私の言っていることがわかるかい?』
『そこまでの決意が。わかりました。必ず全てを終わらせます』
『理解が早いのは悪いことじゃない。幸運を祈る、アレクセイよ』
目を覚ますと柔らかな光が注がれるのを感じた。全身に疲労感が滲む、しかしその披露の代価以上の成果を得たことは確実だった。身体を起こすと心配そうに見つめるケインの姿と安心した表情を見せる入嶋忠の姿があった。どうやら二人がこのベッドまで運んでくれたようだ。
「意識を戻すのに結構時間がかかったので心配しましたよ」
「自分よりも長いのでもしかすると、なんて考えました」
そう言われて腕時計を確認すると、この部屋に入ってから三時間ほど経過したのが分かった。あの装置は画期的だが身体への負担が大きすぎる。そんな研究者らしい分析をして満足したような表情を二人に向けた。
「さて、恐らくミスター入嶋は同じような話を聞いただろうがトーマスは既にゾンビアへの執着は無く、むしろ破壊を望んでいる。しかしそれにはゾンビアを完成させてこの島内の研究員たちの長年の研究成果を感じて欲しいという条件がある。実に人間らしい男で感動すら覚えた」
入嶋は確かにそれには同意した。トーマスは復讐心から生まれた生物兵器で研究員たちに生きがいを与えてしまった。そこには色々な葛藤があったに違いない。
「私は彼に計画の全てを話した。すると驚いたことにほぼ完全に同意を示してくれた。トーマスが存命する限り、ゲイルは破壊されても新たに再生産され続ける。トーマスの死を持って最後のゲイルが決定し、そのゲイルの完全停止がゾンビアの活動を止める。簡単に話すとこのようなことだ」
「忠さんが言っていたことと一致しますね」
「なんでこんな状況で嘘をつかなきゃいけないんだ」
「敵がどこに潜んでいるのかわからない上に私たちには情報が少なすぎる。ミスター入嶋には失礼かもしれないがこれで君への信頼がまた上がったようだ」
とてつもなく上からの物言いだったが、入嶋は不快感を覚えずむしろ誇らしくなった。カリスマ性のある人間が放つオーラというものは人に与える不快感までも十分に消し去るようだ。
「さて」アレクセイが手を宙で大きく広げて二人の意識を自分に向けさせた。「ここからが大切な話だ。この計画をどのように進行していくか。まずは私の考えを明らかにしておこう」
アレクセイは本心を悟られぬように用心して語り始める。
「この計画を達成するために重要なのは最後のゲイルを確実に停止させることだ。それには最後のゲイルを決定する必要がある」
「トーマスの生存が確認されなくなれば最後のゲイルが決まるのでは?」
「その通りだが、どのゲイルが最後のゲイルになるかまで触れていない。というのも私は以前ゲイルを殺害している。しかしゲイルはまた復活した。それも恐るべき速度での復活だ」
「確かに」
「そこで、だ。これはあくまでも仮説だが、この島内で稼働しているゲイルが二体以上ある可能性が考えられる」
入嶋はアレクセイの仮説に心底驚愕した。確かにあのトーマスは活動中のゲイルが一体のみということには触れていなかった。彼のその思考の深さに驚嘆せざるを得ない。
「興味深いことにトーマスにこのことを尋ねると現在二体が稼働していることを明らかにした」
「まさか。二体が同時に稼働しているんですか?」
「そのまさかだ。それぞれは会話記録や行動記録を共有しながらこの島内で顔合わせにならないように活動している。どうやらバッテリーの劣化や定期メンテナンスの必要などでそうせざるを得なかったらしい。とにかくこの状況から最後のゲイルを決定する必要がある。トーマスの生存如何についてはその後の話になる。そしてここからが肝心だ。メンテナンス中のゲイルは身動きが取れない。その間この島内に居るゲイルは一体に限られる。つまりその時間を狙えば身動きの取れない最後のゲイルを相手にプログラムの書き換えを実行することが出来る」
「すると、この三人で実現可能だ!」
計画の現実性に感動したのかケインが嬉しそうな声を出した。表情にも喜びの色が見られて興奮しているのが伺える。アレクセイはそれを見てほほ笑んだ。しかしその笑みには念願のゾンビアがもうすぐ手に入るという野望が叶う瞬間が近づいているという喜びが含まれていた。
「という訳だ。具体的にはこのように行動するとしよう」
アレクセイは万を持して計画の詳細を話しだした。
トーマスの意思を実現するために製造されたアンドロイドであるゲイルは通例一週間毎に三十分程度のメンテナンスを要する。部品の劣化や損傷があった場合の取り換え、視覚や聴覚から蓄積された情報の整理、バッテリーの充電と指示系統の更新とゲイルを出来る限り人間に見せかけるために様々な修正が定期的に施される。そしてそれは秘密裏に行わなければならないため、ゲイルはメンテナンスが近づくと人目に付かないルートを自動的に計算して地下へと姿を眩ます。
「どこでそのメンテナンスが行われるのか分からないとどうにも出来ないじゃないのか?」
「場所に関してもトーマスから情報を得ているよ。アレクセイは本当に用意周到な凄い男だ」
「感心してしまっては彼に取り込まれてしまいますよ」
入嶋は昨日話し合った計画の詳細を今度は博とダリアに伝えている。アレクセイの野望を阻止するためにはどのように動くべきか出来る限り早く話し合わなければならないのは明白だ。入嶋はこの島内の地図を取り出して二人に見せた。
「この赤い丸がメンテナンスの行われる場所へと向かう地下へと入り口となる部屋で、こっちが今居るトーマスへと向かう部屋だ」
「で、アレクセイはどのように動くのかい?」
「アレクセイは最後のゲイルのプログラムを書き換えるためにメンテナンスが行われる場所へ向かう。当然、彼は自分の思い通りにするためにプログラムを書き換える必要があるから」
「では私が彼を待ち伏せするとします」
ダリアは固い決心を滲ませて名乗り出た。
「この三人の中で戦闘に心得があるのは私だけです。プログラムの書き換え中を強襲すれば何とか倒せると思います」
「女性にこの役を押し付けるのは紳士として情けないばかりだが、私と忠君は銃すらまともに撃てないからね」
入嶋も同じように恥じたが、戦闘の心得がある人間なんて日本では限られているし、ましてや銃なんて持つこと自体が犯罪なのだからこの役を務める資格なんて元から無いとふと気付いた。
「で、自分はトーマスの延命装置を止める役割になった。アレクセイはトーマスに心臓の鼓動と対応するセンサーを取り付けて、心臓の停止をリストバンドに振動で伝わるように設定した。だからトーマスの心臓を必ず止めなければならない」
「トーマスの望みを叶えてやる役割になるんだな」
博がすかさずフォローを入れたが、それでも人ひとりの生命を奪うことに対する抵抗感と罪悪感はどうしても拭えそうになかった。
「タダシさん、何事にも犠牲は付き物です。それに私たちの計画を実行するにもやはりトーマスの命の灯を消す必要があるのです」
「そんなに心配しなくても、やるさ」声には出せるが本当に彼を目の前にして出来るかどうかわからない。
「じゃあケインはそのもう一人のゲイルを破壊する役割を担う訳か」
博は入嶋の代わりに計画の詳細を憶測ながら進めた。
「そうなる。順序立てるとまず自分がトーマスの延命装置を止める。そしてその知らせがケインとアレクセイに伝わる。ケインは出来る限り早く活動中のゲイルを破壊する。恐らく尾行していつでも銃口を向けられる準備をすると思う。アレクセイはケインから任務遂行の連絡を受けてメンテナンス中のゲイルにプログラムの書き換えを実行する。自分も出来る限り早くダリアさんの元に行けるようにする。アレクセイを止めるにはこれが最大のチャンスに違いない」
そう言って二人を伺うと、入嶋は博が何か考えこんでいる様子を見せていることに気が付いた。もしかするとこの計画に欠点があるのかもしれない。そう思うと不安になった。
「叔父さん、何か問題でもあった?」
「実は」博はそのままの姿勢で続ける。「ケインはトーマスの遺伝子を受け継いでいる。詳しくは話せないがそういうことになんだ。何というか親殺しというものだけは避けたいものだな」
「親だって?そんなこと一度も」
「そうか」博は何かを思いついたように宙を見つめて言う。「私がケインの代わりをするとしよう」
何か「そうか」なのか、入嶋には博の言っていることが全く理解出来なかった。
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