第10話 Reunion ”再会”
「なぜここに居るのですか」
同じことを今度は改まった表現で問われた。語尾は優しさを含むようであったが、語気は警戒心をたっぷりと含んでいた。入嶋は目の前の人間が目の前に立っている理由を考えるよりも、こちらに冷たい目線を向けている銃口を下げて貰えるように努力しなければならないと考えた。
この展開は全くの想定外だ。ここ数日のスカと同じ思いきや、自分がスカー(傷)を負う羽目になるかもしれない。いや、それで済むかどうか。
「ええと、理由を話すのでその銃みたいなものを下げてもらえませんか」
いつになく入嶋は冷静な態度で愛想笑いを持ってそう答えた。なぜならその目の前に居るのが周辺の世話をしてくれる黒人ナースのダリアであり、彼女の日々の言動からとても銃を放つような人には思えなかったからである。
「それは出来かねます、タダシさん。理由によっては残念ながらこれを使わざるを得ないかもしれません」
「それは残念ですね」
いつになく強気なダリアの語気で入嶋は撃たれるはずがないという思い込みが揺らぎ、もしかすると撃たれるかもしれないと急激に弱気になった。
「ええ、残念です。では私の質問に答えて下さい」
何を答えれば助かるのか脳内をフル活動させて理由を探したがどの引き出しにもこの状況を好転させるようなものはなく、ただただ曖昧な笑みを浮かべることしか出来ない。
「質問に答えにくいのなら具体的に尋ねます。タダシさんはどうしてこの扉を開けることが出来たのですか」
「それは、これを使ったんだ」
入嶋はそう言ってジーンズのポケットからカードを取り出そうとした。
「動かないで」
ダリアは鋭くそう言い放った。入嶋は思わずたじろぎ、彼女そのようなパワーがあった事に驚く。
「私が‘それ’を確認します。手を挙げて後ろを向きなさい。言う通りにしなければ足を撃ちます」
よどむことなくそう告げられた入嶋はただただそのように従うほかなかった。振り向いた先に見えるのはこの廊下が永遠に続いていくような闇で、まさにその闇に自分が吸い込まれていくのではないかという恐怖を感じる。
「そのままの姿勢で答えて下さい。‘これ’は何ですか」
いつダリアにポケットの中をまさぐられたのか気付かなかった。
「研究施設内のどの扉も開けることが出来るという魔法のカード。ケインとアレクセイから貰ったんだ」
「アレクセイ、ですか」
ダリアはカードのことよりもアレクセイに引っかかったようである。
「それにケインですか。確かに彼ならそのようなものを持っていても不思議ではありません。タダシさん、確認したいことがあります。イエスかノーで答えて下さい」
そう告げられた瞬間、背中に何か冷たく細い棒のようなものでつつかれているような感触を得た。まさか銃口では。答え方によっては撃たれる。入嶋は感じたことのない焦燥感で心臓の鼓動が早くなり、眩暈に似た違和感を覚え始めた。
「あなたは‘本物のゲイル’を探している」
予想外の質問に入嶋は目を丸くした。ダリアが何故そのことを知っているのか。絶望感に満たされた脳内に疑問という新たな液体が混ざり込む。確かアレクセイはあの場に居合わせた三人以外には話していないはず。まさか盗聴されていたのか。もしそうであるなら何故俺なんかを盗聴するのか。疑問が疑問を生み出しては増殖し、入嶋の絶望を覆い尽くしていく。少し入嶋は冷静さを取り戻せたような気がした。
「答える前に、ひとつだけ確認したい」
「イエスかノー以外の答えは期待していません」
銃口が背中を押す圧力が強まった。
「死ぬかもしれないんだ。お願いだ」
「そうですか」ダリアは少しだけ逡巡して「質問の内容によっては撃ちますがよろしいですか」と入嶋の嘆願に答えた。
「出来れば撃たれたくないものだけど。ええと、寝ている間に、体のどこかに盗聴器を付けたり、とか、していたかい」
少しの沈黙。息がつまりそうになる。
「なぜそうする必要はあるのでしょう。タダシさん」
ダリアはそう答えて、入嶋の背中に立てた銃口をあっさりと離した。
「ダリアさん、これはいったい」
背中に立てられた銃口が離れるのを感じた瞬間、そこに柔らかな風がそよいで、心臓に纏わりついていたべったりとした何かが取り払われるような感じがした。解放感とはこのことか。
「その質問から私は私の質問に対する答えがイエスであることを察したまでですよ。もし本当に知らなかった場合はノーと答えるはず。私に質問したということは私の質問そのものを疑った結果であり、それは自分たちしか知らないはずの情報を知られているという事実が原因です。なぜ私がその情報を知っているのかタダシさんはあれこれ考えて、盗聴されていたのではないかという可能性に辿り着いた。タダシさんのその質問の元を辿れば自然とイエスという答えにしか結びつきません」
「それはどうして」
入嶋はダリアの言っていることがうまく掴めなかった。
「簡単に言うとアレクセイと繋がっているからです」
「アレクセイが盗聴されている、ということなのか」
「タダシさん、そういうことではありません」
かすかに笑うような声が背中に届く。
「まずは両手を挙げたまま背中をこちらに向けている状態を直しませんか」
入嶋は急に恥ずかしくなったと同時に、この状況を作った責任にはダリアにあるのではないかと訴えたくなった。
振り向くとそこにはいたずらな笑みを見せる彼女がいた。ただ入嶋はこの女性の底知れぬ能力に恐れるほかなかった。
ダリアは部屋の明かりを点けて入嶋を招き入れた。入嶋は目の前の彼女が一瞬の内に昨日までのにこやかで落ち着きのある姿に変わってしまい、まるで狐につつまれたような心地になる。それでも微かに残っている緊張感が狐など居ないことを教えてくれるようだった。
部屋の内部は簡易的な休憩所のようで、ベッドは一台しかないが学校の保健室を彷彿とさせるような造りをしていた。中央には四角いテーブルがあり、その二面を囲うようにソファが並べられている。ダリアはテーブルの上にあるものを片付けて部屋の奥の水場に向かった。
「タダシさん、想像以上に事は進んでいます」
ダリアはそのように言いながらテキパキと紅茶を注ぎと茶菓子を盛り付けテーブルに簡易的なくつろげる空間を準備した。入嶋は彼女の言ったことが何を意味するのか考えながら自動的に席に着いた。まだ銃を突き付けられたことが頭から離れず、紅茶から昇る湯気が硝煙のように立ち昇っているような気がした。
「会わせたい人がいます。いえ、会わなければなりません」
入嶋の向かい側に立った状態でまだ放心状態にある入嶋の目をしっかりと見つめてダリアは言った。そして少ししゃがんで紅茶に口をつけた。入嶋はその動作を眺めながら脳内で情報を整え始めた。
「ダリアさん」
「何でしょうか」
「銃まで使い慣れているんですね」
他に聞かなければならないようなことは山のようにあって、その頂上は森林限界の境界線を突破しようとしているのに口から出たのは何故かそんな感想だった。思考は森の中の奥深くに迷い込んでしまったのかもしれない。しかし何か話さないとこの場を完全にダリアに支配されるような気がしてしまった。
「その理由が知りたかったら着いて来てください」
優しい笑みを投げながらダリアはベッドへと向かう。そしてベッドの底を覗くように屈み、何やらしている様子が伺えた。するとベッドが枕元を支店に上部へと直角に回転し、ベッドがあった場所から隠し階段が露わになった。
「タダシさん、行きましょう。あなたの探している人はここに居ます」
彼女の唐突な言葉で口にしているクッキーの味がわからなくなった。
二人の乗るエレベーターは規則正しいリズムを刻みながら目標の場所へと向かって行った。隠し階段を下った先にはエレベーターの入り口があり、当然のようにまた強制的に乗るように促された。ダリアが言うにはこの先に‘本物のゲイル’が居るそうだ。アレクセイが探していたこの孤島の実権の全てを握る人間。世界転覆を望んでいる謎に包まれた男。世界を救うために会わなければならないはずなのに会いたくないと素直に思った。
エレベーターは目的の場所に辿り着いてはチーンという間の抜けた音を響かせた。入嶋は相反する感情を持ったまま、その‘本物のゲイル’が居る場所へとダリアに連れられて向かう。エレベーターから二人の間で交わされる会話は無く、彼女が何を考えているのか見当がつかない。それは相手にとっても同じ条件ではあるが、そもそもの情報量に差があり過ぎる。
やっと入嶋は冷静さを完全に取り戻した。今自分が陥っている状況を考える。ダリアは自分たちが‘本物のゲイル’を探しているという情報を持っていた。そのゲイルを探すために魔法のカードを用いて研究所内を探索中に偶然的にも彼女とあの部屋で遭遇し、彼女は自己防衛か銃を突き付けて来た。そして彼女のペースのまま地下に足を踏み入れてしまった。
ここで入嶋はある疑惑を思い付く。あれは偶然ではなかったのでは。もしダリアが元からあの場所で待機して自分が来るのを待ち構えていたとしたら。そうであればあの落ち着き様や魔法のカードに対して無頓着であった理由の裏付けになる。そういえば元々あの部屋は長らく使用目的が分からないまま放置されているとあの研究員が言っていたはず。これはどういうことだ。目の前を進む彼女の姿を追いながらさらに考える。
もしダリアが自分を待ち構えていたとしたら、それは何のためだろうか。‘本物のゲイル’に会わせるためか。しかしケインとアレクセイとの話し合いで決めたのはそのゲイルに退場してもらうこと。つまりダリアが味方かそれとも敵かでこの後の展開が変わってくる。
気が付けば入嶋は歩くのを止めて立ち尽くしていた。導きだした解がプラスとマイナスというこの状況にどう対処すれば良いのか全く思いつかなくなったのだ。しかしここから逃げる手段はなく、ダリアは武器を所持しており生殺与奪の権は圧倒的に彼女が握っている。八方塞がりとはこのことか。
「タダシさん、どうされましたか」
「ここに来てまた命の危機を感じているんだ」
ダリアはあまり理解出来なさそうな顔をして首を少しひねった。
「ダリアさんはどっちの味方なんだ。つまり、ゲイルの味方なのかどうか」
「どちらだと思いますか」
心なしか入嶋の質問から愉しさを見出したようにダリアは答える。
「希望としてはゲイルの敵。でもきっとゲイルの味方でしょうね」
「どうしてそう思ったのですか」
「味方ならわざわざゲイルが居る場所へと連れて行かないはず。こちら側の目的を知って居るのならそれとなくケインやアレクセイに伝えていたと思うし、何ならダリアさんがゲイルに退場してもらうことだって出来た」
「退場、ですか」
「ああ、さっきの銃でね」
ダリアは意味ありげな笑みを入嶋に向けながら隠し持っていた銃を取り出して銃口を向けた。入嶋はその行動で自分の推測の正しさを確信し絶望した。これは完全に罠だったのか。救世主はこんな終わり方をしてしまうのか。次々にこれまでの自分の取った行動がどれほど愚かであったか自分で評価を下して後悔の汗を流す。乱れていく呼吸と心拍数。また目の前がぐらつくような感覚。
「ちょっとおいたが過ぎるんじゃないかな」
背後から声がするような気がした。そしてすぐに気配を感じる。この絶望的な状況でとうとう幻覚を見るようになってしまったのか。その気配はこちらに迫りくるが、それを確認することは向けられた銃口から目を離すことに繋がるため出来ない。
「うちの親戚にそれを向けるのはやめて欲しいね」
その気配は真横を通り過ぎて確かに存在する一人の人間としての姿を現した。そして片手で銃口を制するようにしてこちらを振り向く。
まさか。どうして。
そこにはどの記憶にも無い年老いた姿をした入嶋の叔父である博が立っていた。
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