第9話 Speculation "思惑"

 すべきことがはっきりとしたその直後、ある矛盾が入嶋の中で浮かび上がってきた。それは家のカギをどこかで無くしたと気付き散々周辺を探し回って心身共に辟易したが、そもそもその日はカギをかけずに家を出ており、当のカギも家の中に置き忘れたままというような気分に近いものだった。


「入嶋さん、ゲイルを殺せば済むのなら、何故私たちがそうしなかったのか疑問に思っているのですよね」


 心の奥底を見透かされて思わずハッとする。ケインがくれたメガネを付けているはずなのにどうして理解出来るのか。ケインが真剣でありながらも全ての疑問を抱擁してくれる余裕のある目つきでこちらを見つめている。


「驚かせたようですみません。敢えて言っておきますがこれは完全な私の読みです。きっと入嶋さんならこう考えると思いました。もしかして当たっていましたか?」


「ああ、このメガネが故障したのかと思ったよ」


「それは誠に光栄なことです」


 そうして非凡な青年は嫌味の無い純度の高い笑みを見せた。アレクセイも少し愉快そうな表情を見せる。入嶋は何だか肉食動物に囲まれた草食動物と同じような気分になった。この2人には敵いっこない。またその確信が違った意味で安心でもあった。


「アレクさんもういいですよね?」


 ケインはアレクセイに儀式的に確認を取る。アレクセイは当然と言った頷きをする。


「入嶋さん、簡潔に言いますとあのゲイルは本物のゲイルではありません」


 入嶋は2人の期待通りの驚いた顔を見せた。そしてすぐそれが感じていた疑問を解決させる理由であることを理解した。


「この事実に最初に気付いたのは博さんでした。博さんは研究所内での健康診断のデータを調べている内にゲイルのデータが不自然であることを見つけたのです。その健康診断は10年前に実施しなくなったそうなのですが、その10年前のゲイルの結果がどう考えても2足歩行が出来る状態ではなかったのです。しかしゲイルは今でも当然のように歩いている。博さんは全てを立証するデータを持ち合わせてはいませんでしたが、今のゲイルが10年前のゲイルとは違うことは信憑性が高いことを私に教えてくれました」


「そしてその疑惑を確固たる事実にしたのが私だ」


 アレクセイが満を持して登場する主人公のようにケインの話に横槍を入れた。ケインはアレクさん、と心配そうに声をかけたがアレクセイは聞き流して続けた。


「私は1度ゲイルを殺害した」


 入嶋は戦慄した。まるで昨晩食べた料理を紹介するような軽快さで「殺害」という言葉をアレクセイは用いた。それは同時に彼がこれまでその行為を幾度もなくやってきたかのような事実を裏付けるような軽快さであった。


「しかしゲイルは復活した」と入嶋の驚きをまたもや流してアレクセイは続ける。


「確かに急所を打ち抜き、脈が止まるのを確認したはずだった。なのに、だ。この意味が分かるか?ミスター入嶋」


 アレクセイは隠しきれない苛立ちを声に滲ませながら入嶋に問いた。


「それは、おかしい」


 それは答えになっていないのは明白だった。しかし目の前で座っている男がほんの数分で魅力的な存在から恐怖そのものに変化した。あまりの動揺に頭がうまく働かず、そのような言葉しか導くことが出来なかった。きっとケインの言う「信用し過ぎるな」というのはこういうことなのだろうか。


 しかし信用されていなかったのは入嶋の方であり、アレクセイは確かに1つの質問を通じて入嶋の覚悟を確かめた。そしてその覚悟がこちら側にあると感じた為に事実をさらけ出したのである。アレクセイはそうしてこの場の空気をコントロールした。


「ああ、おかしいんだ。だがケインの話を聞いて全てが氷解した。10年前からのゲイルはアンドロイドのゲイルで、“オリジナル”のゲイルはこの島のどこかで静かに暮らしている。つまり、だ。私たちの目標はその“オリジナル”を見つけ出すということだ」


「で、でもどうやって?」


「入嶋さん、これを使います」


 ケインはどこから持ってきたのか1枚のカードをテーブルの上に置いた。


「このカードはどの扉も開くことが出来ます」


「え、まさかこの島内しらみつぶしに探すということ?」


「そのまさか、だ。残念ながら何もかも用意周到にやっているゲイルは何ひとつヒントを残さなかった。残された方法は古典的で笑えるがこれしかない」


「でも1枚しかないのはどうして?3枚あれば効率がいいだろうに」


「もちろんそれが最大効率なのは間違いありません。しかし私たち2人はこの島内での研究員ですので怪しい動きをすれば計画がバレてしまうのです」


「ええ!1人で探してオリジナルを見つけ出せってこと?」


 世界を救うかもしれない勇者は全くいいように使われるものだ。そう言えば今までやってきたゲームの主人公は自ら引き寄せられるように面倒ごとに巻き込まれて、ぼろぼろになりながらも全てを解決してきたではないか。だからと言って巻き込まれたかったわけではない。それでも入嶋はどこかで胸の高鳴りを感じていた。この島の裏側に触れる、決して表沙汰にならない部分を公にする。それはすなわち日本で報道カメラマンとして1番やりがいを感じていたことに違いなかった。


 魔法のカードと原子力事故当時のこの島内の地図の写しを手にして入嶋は世界平和の為の会議を後にした。アレクセイという存在から離れることが出来たのか、自分に与えられた使命に誇りを感じているのか、入嶋の足取りは以前よりも確かな強いものであった。



 個別に与えられた研究室内でアレクセイは恍惚な表情を浮かべていた。なぜなら彼の念願の計画が実行されようとしているからだ。コーヒーカップからは新しい湯気が立ち昇っていて、心地よい香りが部屋を満たしている。


 彼の家系は高貴な歴史あるロシアの一族であり、親戚兄弟みなそれぞれが政界経済界を中心にとてつもない権力を国内で握っている。その環境下で政界経済界には興味を示さなかったアレクセイは研究者という道を選び、そして現在この忘れ去られた孤島でゲイルの庇護の下で研究を続けている。


 アレクセイは幼少期から変わった趣味を持っていた。外で元気よく遊ぶような性格ではなく、ラジオなどの電子機器を分解そして再構築に没頭するような室内での一人遊びを好む性格であった。やがてその趣味は電子機器だけには飽き足らず、遂には動物へ手を出してしまう。命あるものを単なる命令で動く電子機器と同じように捉えてしまった彼の行動は許されざる行動に違いなかった。


 しかしながらアレクセイの親や兄弟はそれを咎めることなく、むしろアレクセイの個性になると考え、その実験用の研究室や動物、またその分野に詳しい研究者を招いて動物を分解して元に戻す実験を繰り返し好きなようにさせた。その結果合成獣の生成に成功するなど、アレクセイをとんでもない研究者に育て上げてしまったのである。もちろん親戚含むロシア政府の数名はアレクセイの研究に眉を顰め、マッドサイエンティストと暗に認定して国外追放を試みたのである。


 その時アレクセイに手を差し伸べたのがゲイルであった。アレクセイはあの時の決断を後悔していない。そして過去の合成獣の生成の研究から得られたデータを基に二足歩行と四足歩行の両方が出来る人型の生命体ゾンビアをアレクセイは完成させた。


 だがアレクセイにとって不満であったのはそのゾンビアのコントロール権を持つのが自分自身ではなく、ゲイルにあるということ。手を差し伸べてくれたことに対する感謝は持ち合わせているものの、彼は彼自身が創り上げたものに対する執着心の強さからそれとこれとは別問題だと捉えている。それ故にゲイルを何度か殺害した。それでもゲイルは翌日何事もなかったようにどこからか現れる。そこからアレクセイはゲイルがアンドロイドであり、その本体である本物のゲイルがこの島のどこかにいる仮説を立てた。


 その仮説は間違いなく正しかったと立証される。そして本体を思い通りにすれば不満は解決される。アレクセイは左手に持ったコーヒーを飲み干して、優しく書斎机の上のコーヒーカップに載せた。入嶋忠。私の思い通りに動いてくれ。



 あの密会の翌日から入嶋の生活が変化した。午前中から晩までの生活は相変わらずだったが、島内が静寂の闇に包まれた夜に地図とカードキーを持って密かに研究所内を探索するようになった。始めた頃は誰かに見つかりやしないかと緊張していたが、この研究所内はどうやら侵入者への対応が甘いようでその探索は徐々に大胆になっていく。


 探索の結果は翌日ケインにテレパシーを用いて報告した。ある時、入嶋はこの研究所内のセキュリティが甘い理由をケインに尋ねた。すると「この島は大海の中で孤立しており、外との繋がりを絶っているためにそこまでする必要がそもそもないんです」という答えを得た。全くもってその通りだが、その甘さが命取りになる、はずだ。


 その日も人間もアンドロイドも寝静まる頃に部屋から抜け出して研究所内の探索を始めた。入嶋はどこを探索するのか予め決めて書き込んでおり、以前アレクセイから貰った地図はその予定と結果で少しずつよれてしまっていた。その汚れに何となく充足感を持ちながら入嶋は迷いのない足取りで進む。その日もいつも通りに事が進むと考えていた。


 今回探索に選んだのは入嶋が寝泊りしている病室から連絡橋で繋がっている建物で、ケインが言うに難民たちが生活している区画を訪れることが出来るゲートがあるそうだ。しかし入嶋が興味を持ったのはそのゲートではなくその建物の地下であり、この探索を始めて入嶋は気付いたようだがこの島にはやたら地下施設が多い。


 何となく都心部の地下を迷路のように走り回る鉄道を思い出し、不意に電車がホームを訪れることを知らせるメロディが頭の中で流れた。あの頃が夢のように懐かしい。自分と瓜二つのアンドロイドはよろしくやっているだろうか。


 一定のリズムを刻みながら響き渡る足音を感じながら入嶋は目的の建物に向かうべく連絡橋を進む。窓外から差し込む柔らかな月明かりが足元を照らし、外では満天の星空が自由に輝いていた。まるでこの世界には自分ひとりしかいない。そんなよくある妄想を浮かべていた。


 目的の建物も他の建物と似たような造りをしており、入嶋は迷うことなく下階に向かった。この階層の突き当りにある部屋が恐らく地下に繋がっているはずだ。そう決めた理由は単にその部屋の使用目的が不明であり、長年閉ざされたまま放置されていると他の研究員から直接聞いたからである。今更ではあるが、入嶋は記事の取材の経験で得た必要な情報を引き出す術を十分に心得ている。


 しかしそれは単に長年使われていないだけであり、施設内のその扉の電子ロックを解除出来るという魔法のカードキーを用いて封印を解いたとしても、そのほとんどがスカであることはここ数日で理解していた。今回もきっと何も起こらない。入嶋はそのように思い込もうとしているが、どうしても閉ざされた扉が近づくにつれて心臓の鼓動が早まるのを抑えきれないでいた。人間は何かと期待してしまうものだ。


 目的の扉が目前に迫る。カードキーをポケットから取り出して扉の横のパネルにかざす。月明かりに反射してカードキーが光る。そして扉の施錠を解除したことを伝える音が反響する。この瞬間がたまらない。未知の世界へと飛び込むような、決して知られたくないような闇を暴いていくような感覚。自動的に扉が徐々に開いて、少しずつ暖かさを持った空気が流れてくるのを肌で感じる。何かがおかしい。この部屋は使われていないはずでは。そう疑問に感じた時に目にしたのは、こちらに銃口を向けている人間の影だった。


「何故ここに」


 その声は困惑と驚愕、そして冷徹で鋭利な二つの音を響かせた。

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