第8話 Changes ”変化”

 ゲイルは入嶋を招くようにあるモニターの前に呼び寄せた。そこには画面を9分割して、様々な視点や角度からどこかのホール内を撮影している様子が伺えた。ゲイルの言う見せたいものとは何であろうか。入嶋は何となく見張られているような感じがして、研究室内の監視カメラの位置を探るように辺りを見渡した。


 それにしても私という異質な存在が研究室に足を踏み入れたというのに、他の研究員達はこちらの動向に関して全く関心を持たないようだ。彼らの仕事である以上、目の前の研究に没頭するのは必要な素質であるかもしれないが、人間として生きている以上、他人にもっと関心を持つべきではないかとふと思う。


 しかしその正論とも取れそうな意見は、独身を貫いている入嶋の経歴を顧みると全く信頼できない意見であることは言うまでもない。

 ゲイルはそんな入嶋の動作など意に介さずとあるモニターの画面をタッチして、少し操作を加えてまた腕を背の方に回して組んだ。


「さて今から入嶋くんに見せる“ショー”は私たちの最高傑作のその素晴らしさを十分に表しているのだ」


 不敵な笑みを浮かべながらゲイルはそう告げた。入嶋はゲイルの言う“ショー”という言葉が本来の意味とは異なる響きがしているような気がして不安になる。


 するとモニターの中で何かが動き出す。人がぞろぞろと現れたかと思うと武装したアンドロイド達がぞろぞろと陣形を組むように整列した状態で現れた。何かのSFの映画のようなヘルメットやサポーターで身を固め、両手を使わないと扱えないような大きな銃を構えるその姿は確かにショーを見ているような感覚になる。


 しかしその期待はモニター内の部屋の反対側、つまりはアンドロイド達が現れた側の反対側から現実離れした巨体が確かな歩みで画面内に侵入してきたことによって見事に打ち消される。


「これは…?」


 アンドロイドの2倍以上の高さ、少なくとも3メートル以上はありそうなその巨体は武装したアンドロイドたちよりも厚い筋肉でおおわれており、まるで1台のトラックが後輪で立っているような威圧感がある。全身は肌色に覆われ2本脚で立っているため、大きな人間のような錯覚を起こすが、その頂点に伺えるのは馬と鳥を混ぜ合わせたような奇妙な顔面であり、その目の位置のアンバランスさがこの巨体がとんでもなく不吉な存在であることを十分に感じさせた。


 そしてその巨体は薄緑色のパンツだけを装備しており、裸同然の丸腰の姿で武装したアンドロイド達の前に堂々と現れたのである。この巨体が銃でハチの巣にされるのがゲイルの言う“ショー”なのだろうか。いや、そうであって欲しい。


 入嶋は全身が感じ続ける嫌な予感と本当にそんなことが起こるのかという期待感の両方に揺さぶられながらモニターの画面を見つめている。


「準備が整ったようだな。早速始めたまえ」


 ゲイルがそのように言った瞬間、モニター内の世界では一方的な銃撃戦が繰り広げられていた。放たれる全ての銃弾はその巨体に注がれ、耳を引き裂くような轟音は夕立のように突然現れては去って行き、元の静けさを取り戻す。


 モニターに映るのは肉塊としか言いようのない物体が沈黙する様子であった。その惨たらしい姿は見る者全てを不快にさせた。入嶋は嗚咽に似た声を思わず漏らす。


「入嶋くん。“ショー”はここからなのだよ」


 ゲイルが静かにそう告げると、突然モニター内の世界が騒がしくなる。原形を留めていないその物体が驚くべき速さで元の形を取り戻そうと動き出す。それは映画を早送りで見る不自然さに近く、また鉄を高温で溶かす様子を逆再生しているようであった。


 入嶋は目の前の世界で起こるこの奇妙な現象に何も物を言うことが出来なかった。ただただ圧倒され、また隊列を組むアンドロイド達が感じているであろう絶望感と同じものを感じるほかなかった。


「さあ、反撃だ」


 ゲイルの声と共にその巨体は動き出す。先ほどまで単なる肉塊であったとは想像できない程確かな足取りでアンドロイド達に近づいていく。目の前に迫る絶望に対してなおも無表情を保つアンドロイド達がまるで己の運命を察した兵隊たちのように見えた。


 そしてその沈黙の隊列の最前まで向かったその巨体は1体のアンドロイドを掴むとそのまま片手で簡単に握りつぶしてしまった。鈍い音がモニター内の世界から研究所内へと響き渡る。そしてまた轟音。危険を察知したアンドロイド達がまた銃弾の雨を降らす。しかしその巨体はその豪雨に怯むことなく次々にアンドロイドを易々となぎ倒していく。この非情な光景から目を離すことが出来なかった。いや、離してはならない気がした。


 やがて雨は止み、周りにはかろうじて人型を保つ物体たちが横たえている。そこにただ残るのは2本足で確かに佇むその巨体であった。


 これが“ショー”なのか…。


 入嶋は堪え切れない嗚咽を漏らしながらその生命倫理を崩壊させる光景に魅了されていたことに気付いた。


「入嶋くん。これが私たちの最高傑作“ゾンビア”だ」



 まさかあれがケインの言うゾンビだったとは。何度も何度も脳内で再生されるあの光景を瞼の裏で再生してはあの巨体の異常さを忘れないように、言葉にして上手く残せられるように思考を巡らせる。

 入嶋はあれからゲイルからゾンビアについて説明された後、ナースのダリアと初めて出会った病室に戻って目を閉じて横になっていた。心臓の動き、緊張と興奮はまだまだ収まる気配を見せず、あの怪物を掌握するゲイルとこれから立ち向かわなければならないという自分の未来をひたすらに呪った。


 ゾンビアと呼ばれるあの巨体はゾンビの典型的な特徴である不死の部分を再現し、またそれに加えてありとあらゆる地球上の生命体の長所をつぎ込んだ合成獣であるらしい。あの禍々しい頭部は人間以上の視野の入手とくちばしによる攻撃を可能にするためにあのようになったようだ。

 その他ゲイルに色々と説明されたのだが、あの惨状を見た後に平常心で居られるはずもなくこのような断片的な記憶しかない。そのためにあの映像をどうにか脳内で再生し、何か抵抗の糸口を探そうとしている。


 立ち向かってはいけない相手だとわかっていても、自分の変に強い正義感と冒険好きな性格のせいでこのような不毛な時間に意識を向けてしまっている。当然ながらゲイルから言われた説明以上の情報を記憶から導き出すことは成功していない。

 しかしながらあの巨体をこの島の外に出してはならない。叔父さんの意思やケインからの期待に、そしてこの世界を保つために自分がどこまで出来るのか不安で仕方ないが何か大きなことやるしかない。


 入嶋は満足という2文字では少し違和感を産むような充実感を確かに感じながら静かに、それはあの雨が止んだ後の世界のように眠りについた。



 翌朝はダリアに起こされた。何時間眠りについていたのか分からないが、体の調子から考えるに結構な長い惰眠を貪っていたに違いない。彼女は相変わらずナースらしい格好をしている。黒い肌とのコントラストがとても魅力的に見える。

 入嶋は体を起こして、軽く腰をひねって枕元に置いてあった(いつ外したのかわからない)メガネをかけて、おはようとダリアに間の抜けた声であいさつをした。


 素敵な笑みをたたえながら彼女は「おはようございます、入嶋さん。体の調子の方はいかがですか」と丁寧に答えてくれた。


「ああ、なかなかにいい感じだね。昨日はとんでもない悪夢を見てしまったから尚更さ」


「悪夢、ですか」と彼女は少し訝しげな表情を見せる。


 余計なことを言ってしまった。彼女の素敵な笑顔に安心しきってしまったのか、寝起きで頭の回転が始まる前だったのか、迂闊にも余計な話をしてしまった。


「あ、ああ。そうなんだ。ええと、昔のトラウマがね」


「それは大変でしたね」


「そうなんだ。でも大丈夫」


 何とも情けない言い訳だったが彼女はそれ以上の詮索はせず、既に用意してあった朝食を紹介し、その際の飲み物は何がいいか尋ねてきた。この仕事はナースというよりもメイドのようだなと感じたが、余計なことを言ってしまってから彼女が少しばかり考え事をしているように見受けられる方が気になってしまった。


 もしかして彼女もゾンビアについて既に知っていて、私が昨日ゾンビアを観たということまでも知っているのではないか。ふと彼女の表情の違和感からそのようなことが察せられるような気がした。しかしこれ以上の余計な詮索はやめにすることにしたので諦めて、朝食として出されたトーストを口に運んだ。


 これからは誰が味方になりうるのか、誰が敵対しうるのか、そういう色眼鏡で出会う人たちを観察していかなければならない。

 いつの間にか食べているトーストの味がわからなくなった。



 青年の世話役と言っても特にやることは無い。やることが無いというよりも世間話をすることぐらいしか入嶋には出来ないのである。入嶋は青年から貰った特殊な伊達メガネを外して世間話をテレパシーでする準備を始めた。本日の眺めるだけに選んだ本はヴォイニッチ手稿についての図解とその考察を記した1冊である。全文英語なので彼はそれを眺めることしか出来ないのを理解しての選択だ。


『入嶋さん、こんにちは。そのメガネ使いこなせているようですね』


『ああ、お陰様でね。ゲイルが説明書代わりになったよ』


『ゲイルなら説明してくれると思いました。あの人はああ見えてもお節介焼きなんですよ』


 ケインがお節介焼きなんて言葉を知っていることに驚いたが、これだけの本や様々な国からの研究者に囲まれて育ったのだから博識なのは当然か。部屋に数多ある本棚がケインの知識の豊富さを無言で語っているように見えた。


『ところでゲイルと何かあったのですか』


『一緒に研究所デートだ。厳重に管理されてそうな部屋で見た“ショー”には圧倒されたよ。あれはとても1人じゃ見に行けそうにないな』


 そう言いながら気付けばあの映像を脳内で再生していた。目の前の奇妙な絵も相まってか少し気分が悪くなってくる。


『それは結構なことです。そしてあれをこの島から出してはならないと思いましたか』


『君はテレパシーだけでなく、エスパーまでも操れるんだな』


『入嶋さんならそう思うだろうという推測が当たっただけですよ』


 つい最近会ったばかりなのに長年の交友関係があるような会話をしていることが入嶋は何だか愉快に感じられた。この研究所では人と話す方法までも学ぶことが出来るのだろうかと思ったが、会話が不愉快な存在がこの島に居ることを思い出し、その講義が開講されていないことにすぐ気づいた。


『その話にも直接関わってくるのですが、今日は先日話した協力者を入嶋さんに紹介しようと思います』


『協力者だって?いくら何でも急すぎないか?』


『いえ、ゲイルが入嶋さんにあれを見せたということは全ての準備が整いつつあるという訳です。博さんのデータをあれに適用させるのがこれほど早いとは想定外でした』


『つまりあれを島外に出す算段が付いているかもしれないというのか』


『そうです。とにかく協力者に会いに行きましょう。これは予断を許さない事態です』


 そう言うとケインは立ち上がりどこから取り出したのか白衣を慣れた手つきで身に纏い、両手をポケットに突っ込んでスタスタと書斎机から離れた。入嶋もそれに倣い、ヴォイニッチ手稿の解説書を閉じて立ち上がった。


「あ、入嶋さん。メガネをお忘れなく」


 ケインはそう言って屈託のない笑みを見せた。この青年はきっとどんな映画でも主演男優賞を勝ち取れる演技力があるに違いない。



 ケインを先頭に2人は研究室内を迷いなく歩いていく、特に会話は無く、それはまるで主治医と患者のような関係のように伺える。他の研究者はそんな不思議な関係性を匂わせる2人を興味深々な目で見つめている。いつの日か彼らの実験対象にされるのではないかと入嶋は不安になったが、その日は来ないことを心のどこかで感じていた。


 2人はエレベーターに乗り込み研究所の地下へと進んでいく、狭い個室でごうんごうんと鳴り響く中で入嶋は日本での最後の記憶であるあのエレベーターを思い出していた。


「入嶋さん」


 入嶋は急に話しかけられて肩を震わせて情けない反応を見せる。今はどこか遠くの島の研究施設の中に居る。そしてこの青年と協力者と世界を救わなければならないらしい。


「協力者を信用し過ぎないで下さいね」


「どうしてそんなことを」


 その回答は得られることが無かった。何とも言えない不安が全身を襲った。しかしふと考えてみるとこれから会う協力者について何1つ情報を教えてもらっていない。それがケインの言う「信用し過ぎるな」ということに繋がるのだろうか。その答えを導くと同時にエレベーターが到着を伝えるベルを鳴らしたような気がした。


「こちらです」


 ケインの後を言われるがまま着いていくと遠くに人影が見えた。進むにつれてその人影は姿を鮮明にし、その人影が私たちを待ち構えていることがはっきりと見えるようになった。あれが協力者か。初対面の人に会うのは取材をする仕事上慣れているはずなのに今回は変な汗が腋から垂れるのを感じた。


「やあ、ケイン。そしてキミがミスター入嶋だね」


 顔がはっきり見えそうな距離でその協力者は歓迎といった雰囲気でそう言いながら近づいてきた。その協力者は驚くほど高身長の美形で入嶋は思わずたじろぎながら「は、はい」と情けない声を漏らしてしまった。いくら同姓であっても美形な人

間を目の前にするとうろたえてしまうのは仕方ないことであるが、これほど同姓を動揺させてしまうのもある意味では罪である。


「私はアレクセイだ。早速中で話そうじゃないか」


 その罪深きモデルは手早く自己紹介を済ませて2人を部屋に招き入れた。その段取りのスムーズさでこれまでに幾度もなく女性を招き入れたに違いない。独身を貫く入嶋でも嫉妬してしまうほどの魅力的な協力者なのだ。


「この部屋には予め細工を施している。どんな会話をしようとも奴らに知れ渡ることは無い。さあ素晴らしき世界平和の為の会議を始めようではないか」


 会議室のように殺風景なテーブルとイスとホワイトボードが整理されたその部屋の奥側の席に座るや否やそのモデルは声を高らかにそう宣言した。

 入嶋はただただ圧倒されながら席に着く、ケインも同様にする。全ての時間や人間、そしてお金までもが目の前のモデルを中心に回っているような気がした。こんな協力者、事前に信用し過ぎるなと言われていなければとっくに彼の世界の背景の一部にされるに違いなかった。


「早速ですがアレクさん」


 ケインはこの伊達男のことをそう呼んでいるようだ。


「ゲイルが最終データを最適化させたようです。恐らくここ2週間のうちに動き出すに違いないです」


「それで間違いないな。他の研究員から同じことを聞いた」


 アレクセイはテーブルに両肘を乗せて、両手を顔の前で組みながら神妙な顔をしながらそう言った。やはりこの男は一挙一動が芝居がかっていて、何だか不思議な感じがする。


「とにかく私たちも動き出さなければならないと思います」


 入嶋はケインがこちらを見るような気配を感じて急に電源が入ったおもちゃのようにちぐはぐな反応で肯定感を示した。


「ミスター入嶋も同意見という訳だな。ここでキミに1つ質問しよう。ゲイルの計画を止めるには私たちは何をすべきだと思う」


 両手をそのままにアレクセイは目線を入嶋に移してそう尋ねた。その瞬間、入嶋は何だか試されているような予感がした。この島外から連れてこられたこの日本人が世界を揺るがす計画を止める計画に加わるに相応しい人間かどうか値踏みされている予感がした。


 「そうですね」


 入嶋は考える。ゲイルの計画とはあのゾンビアを用いて世界を滅茶苦茶にしてしまおうということ。その計画を止めるために私たちがすべきことは何だろう。あのゾンビアそのものをどうにかすることは不可能に近い。あの惨状を目の当たりにして、あれと対峙することだけは避けなければならないことは十分にわかっている。ふとまたあの映像が脳内で流れる。脆い果物のように潰されていくアンドロイドたち、そしてそれに満足気な表情を見せるゲイル…。ゲイル…?まさか?


「ゲイル自身が居なくなれば…」


 その答えは以前から知って居るような気がした。しかし平和が掲げられた世界でのうのうと生き続けて来た入嶋にとってはかけ離れた発想であった。その悪魔が導いたような考えを意識しながらも自分自身の答えとして発言したことに入嶋は驚きと後悔の両方が入り混じった感覚を味わった。


「合格だ」


 アレクセイは口元を少し綻ばせながらそう告げた。この日本人を仲間に含めることに賛成した響きを十分に含んでいた。


 世界を救うには世界を滅ぼそうとする黒幕を倒さなければならない。それは少年青年時代にやり尽くしたゲームの内容と同じだが、現実世界でそれを語るとなると勝手が全く異なる。生きている人を殺す。ゲイルという存在をこの世から消す。突き詰めればここにいるのはその目的で結束した3人である。入嶋は初めてそこで自分が以前の自分とは異なる人間に変わりつつあるような実感がした。この環境が、境遇が、過去と現在が入嶋を少しずつ変化させていっているようであった。

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