第7話 History “歴史”

 入嶋は手が汗ばんでいることを急に自覚した。両手のひらをジーンズにこすりつけ、恐る恐る右手のひらを天井照明が投げる穏やかな光にかざすとキラキラとした線が拳線に沿って流れていた。


 気付けば頬の後ろに、首筋に、汗が流れているのを感じる。これまでに感じたことのない高揚感が体に変化をもたらしているようだ。


『入嶋さん、まずはこの島の存在について説明しましょう』とケインは答え、テーブルにあるコーヒーカップに手を伸ばし、それを口に含んだ。そしてこの島のことについて淡々と説明し始めた。


 この島は元々周辺の島国が保有する領地であったが、戦時中の植民地支配により連合軍の駐屯地として近代化が進められた。そして戦後、敵国の捕虜を幽閉して人体実験を行う施設と代わり、製薬の歴史の裏で大きく貢献したようだ。国際社会へと時代が移り変わる中で締結された和平条約によりその島から人の尊厳を奪う施設は失われたが、その代わりに科学実験としての最先端の施設へと変貌を遂げた。


 失敗しても周辺の海域以外に重大な被害をもたらさないという極めて利己的な理由の下、推し進められた危険な科学実験の数々はこれまた人類の進歩に大きく寄与することになった。しかしその数年後行われた原子力の実験に失敗し、人間を含む全ての生物が生存できない程に汚染されてしまう。


『入嶋さん、これまでがロストワールドといわれる所以です』とケインは告げ、またしてもコーヒーを口に含む。


『人が住めるようになったのと、難民に何か因果関係があるようだな』


『よくご存じですね』


 ケインは少し意外そうな視線を入嶋に向けた。入嶋はまだ手のひらでキラキラ光る線を眺めていた。


『ここからが本題です』とケインはまた淡々と語り始める。


 最悪の状況に陥った中でも希望は存在したようで、わずかな生存者たちが放射能汚染を自力で除染し、崩壊したネットワークシステムを立て直し、何とか最低限の連絡は取れるほどの状態に戻したそうだ。

 その生存者たちから送られたメッセージに当局は驚いたが、実験の失敗の詳細を知る者の存在をよしとしない快く思わない上層部の命令により秘密裏にその生存者たちは殺されることとなる。そこでこの島の歴史が終われば良かったものの、島の状態の良さに気付いた上層部たちは何か有効活用出来ないかと思案し始める。そこで生まれた計画こそがこの島の抱える闇である。


 その一つが自国に受け入れるはずだった難民たちを戦死したことにして、この島に送りつけること。もちろん非人道的行為であるが、難民を受け入れようとしたという表向きの事実は国が誇れる実績となり、国際的な会議などで他国に貢献度をアピールできると考えられた。


 そしてもう一つは核に代わる新たな軍事力の開発を行うこと。過去の世界大戦と同じ惨劇を繰り返すわけにはいかず、近年の戦争において核に頼ることは世界的にタブーとされている。批判され続ける「核保有国を抑えるために核を持つ」に代わる新たな力の開発を秘密裏に行うには、世界から見放された島はうってつけの環境であると考えられた。


 これら二つの極めて身勝手で利己的な動機によりこの島は今も存在し続けているとケインは締めくくった。


『核に代わる新たな軍事力っていったい何のことだ?』と入嶋はシンプルに興味を抱き、ケインに対してこのような質問を投げかけた。


『僕もその概要についてあまり深く関われていないので詳しくはわかりませんが、いわゆるゾンビです』とケインは答える。


『ゾンビ?』


 パッと入嶋の脳内に浮かんだのはボロボロの服を着て褐色もしくは緑色の不気味な肌を露出させてよたよたと歩く典型的なゾンビの姿であった。


 入嶋は狐につつまれるような気分になる。


 このような極限の環境に無理やり加えられて、まさか一番聞いてはならないような秘密の真相が「ゾンビ」だと聞かされて落ち着いていられるわけがないだろう。


『きっと入嶋さんの想像するものとは異なると思いますが』


 ケインはゾンビというありきたりな単語を使ってしまったことを後悔しながらも、入嶋が想像するゾンビを思い描くと思わず笑いそうになる。


『それで、どう俺がここに連れてこられた理由に繋がるんだ?』


 入嶋は手のひらをひらひらさせるのをやめにして、真剣な顔でケインの方へ向いた。見つめ合う二人、ただ空調の気の抜けた音が部屋を満たす。


『ゲイルの野望を止めてください』


「ゲ、ゲイル…?」


 自分の口から声が漏れたことなど気が付かないほどに入嶋は動揺していた。島の歴史と尊厳を奪われた難民たち、そして謎に包まれた核に代わるゾンビの存在。その先にある私がこの島に連れてこられた理由がゲイルの野望を止めること。


 手のひらがまた水っぽくなるのを感じる。

 どうすればそれらが繋がるのか?


『ゲイルはこの島の支配者です』


 ケインが前触れなく話し始めた。今度はコーヒーを口に含まないようだ。


『そして世界転覆を企む者でもあります』


『それがヤツの野望なのか』


『そうです。ゲイルは利用するだけ利用してきた世界に対して強い敵意を抱いています。そしてそれを実現するためにゾンビの開発を進めているのです』


『君の言う核に代わるゾンビか』


 改めて言われても実感が湧くはずが無かった。そもそも核という圧倒的脅威に対抗しうるゾンビというものが想像できるはずがない。だいたい核そのものについての知識が乏しいんだからなおさらだ。


『この島内でゲイルに逆らおうとする人間はいません。全ての難民と研究員は望まない形もしくはゲイルからの勧誘によりこの島に送られてきた身、私はこの島で生まれ育ったので少し異なりますが、大半はゲイルに感謝しているのです』


『俺はその勧誘とやらに当てはまるのか…?』


『入嶋さん、あなたは無理矢理連れてこられた例外です。それ故にゲイルの脅威となりうる存在になれます』


『だいたい何を根拠に俺が脅威だの、野望を止めるだのと思われているんだ?』


『博さんがそう言っていたからです』


『博…おじさんが…?』


 この瞬間、入嶋は叔父のせいで自分がこの島に拉致されるという迷惑を受けていたことを急に思い出した。しかしその後に感じたのは叔父に対する憤りではなく、何か他に理由があって叔父は私を選んだのではという自分の勘が正しかった事に対する満足感であった。



『そうか、叔父さんが俺をここに呼んだのか』


『そうです。博さんはよく入嶋さんの話をしていましたよ』


 思わぬケインの発言を意外に思う。叔父さんが俺の事について話していたのか?


『兄に似て知識は残念だけども、正義感と行動力は人1倍強い子なんだって教えてくれました。僕もその可能性に賭けて今伝えようとしています』


『そこまで買い被られちゃあ困るなあ』


 実際の所、そのように評価されている事実は嬉しかったし、警察官の父に似て昔から正義感の強い子どもだとよく言われた事実もある。出版社に入社したのも、この現代社会に蔓延る悪だの不誠実だのを暴きたいという動機が強かったからだ。と言っても今ではすっかり窓際の名ばかりの社員になってしまったが。


『でもどうやってゲイルの野望とやらを止めるんだ?』


 入嶋は突拍子も無く与えられた役割を果たす前提でケインにそう尋ねた。

 目線の先には回転装置のようなものに張り付けられた被験者が回転するような状況を記した挿絵があった。何の実験なのか見当がつかないが、この行為から得られた結果は何かの役に立つのだろう。


『それについてはもう1人の協力者と計画しています』


 入嶋はその協力者という新たな人物よりも気にかかる点があった。


『それはつまり叔父さんはゲイルの野望を止める方法については何も残さなかったということか?』


『はい、残念ながら』


『叔父さんは止めなければならない野望を知っているのに関わらず何ひとつ残さずに消えたのか』


 挿絵のあるページを支えていた右手で軽く髪をほぐした。それはケインに対して、叔父の行動の意図が理解できないという当惑を示しているようであった。


『いえ、入嶋さん。あなたがここにいるじゃないですか』


『俺が…?いや、待ってくれ。俺は何も聞いちゃいないし、何も知らない。ましてや叔父さんがこの島に居たこと自体が初耳だったんだよ』


『ええ、知ってます。それでも入嶋さんがこの島を、この世界を救う救世主になるのです』


 ここまで叔父さんを盲目なほどに信用する人間は初めてだった。いや、自分自身も叔父さんのことを尊敬しているし、疑うつもりなど毛頭ない。しかし、わからなかった。叔父さんは何故ゲイルの野望を止めなければならないと知っていて、それを俺に、このケインという青年に任せたのか。


 世界の命運が関わると知っていながら何故敵前逃亡してしまったのか。


考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。まるでそれは世界各地の数学者が取り組んでいる証明不可能と考えられる数式の証明に取りかかるような挑戦であった。どんな数式にもその根拠があるように、きっと叔父さんの失踪にも何か根拠があるはずだ。


 だが、それがわからない。


『もう少し詳しく叔父さんの話を聞かして欲しい。ケイン君の主観が入っても構わないから』


 何か少しでも意図が、その意図が見えるようなきっかけを求めて入嶋は願うような気持ちでそのように伝えた。


『わかりました』


 そう届けるとケインはコーヒーを口に含み、ひと息ついた後に俯き始めた。


『博さんは失踪する1ヵ月前程から入嶋さんの話をし始めました。僕自身も博さんが急に身の上の話をするもんですから驚きました。内容は先ほど話したように、入嶋さんには正義感と行動力があるということ。あれはもしかすると入嶋さんに対するイメージを作らされていたのかもしれません』


 入嶋は素直に鋭い考察だと感じた。同じような話を定期的にすることによってその話の内容を脳内に刷り込ませる。何というか科学者らしいなと恐ろしく浅い感想を自分で自分にこぼした。


『そして突然1週間前程度の頃に僕に対してゲイルの計画について話してくれました。余りにも真剣な目つきをしていたので、僕はすぐに事実であると感じました。そしてその後に「私が居なくなっても彼の計画は進む。味方を増やさなければならないんだ」と付け加えて話してくれたのを覚えています。きっと1人ではどうしようも出来ないと博さんも感じていたのでしょう』


 私が居なくなっても彼の計画は進む、か。入嶋は叔父が感じた無力感と似たものを以前感じたことを思い出した。大手裏商売の幹部のスクープを拾い上げたが、それは記事にならずに会社の上司から「もう2度と関わるな。次は無いからな」とまるでそれが生命に関わる重大な事柄のように強く言われた事があった。


 叔父さんは1人では限界があると感じて同じ意思を持つ味方を増やそうとしたのか。そして自分がこの島に呼ばれた。そう結論付けると自分の力でこの島を、世界を救える気なんてちっともしないけど、叔父さんの意思やケインと共にあると思うと何か成し遂げられるような気がしてきた。


『入嶋さん、あなたは前向きな人なんですね』


 また脳内を読み取られていたのに今回は少し嬉しくなった。

 そうなんだ。俺は冷静なフリしてポジティブシンキングの冒険好きなヤツなんだ。


『必ずゲイルの野望と止めてやりましょう。この島、この世界の為にも、そして博さんの思いに応える為にも』


『ああ、何だってやってやろうじゃないか』


 充実したような笑みをうっすら浮かべながら入嶋は異なるページの挿絵を眺めていた。そこには頭上に不思議な形をした機会を取り付けられた複数の被験者が共同で作業を行う様子が描かれていた。

 当然のことながらこれが何の実験なのかはわからない。


 それからテレパシーを活用した世間話をした後、入嶋はケインの部屋までやってきたアンドロイドたちに半ば強制的に移動を余儀なくされた。部屋から出て行く際、ケインがアンドロイド達を制止する命令を下し、席を立って入嶋に長方形の箱を渡した。


「これは何だい?」


「これはメガネです。この島ではこれが必要になると思います」


 必要という言葉がやけに含みを持っていたが、入嶋は深追いすることなくそれを感謝と共に受け取った。

 アンドロイドに挟まれる形で移動する道中、その長方形の箱を開いてみるとケインの言う通り縁の太いメガネが入っていた。歩きながらそのメガネのグラスの度を確認すると意外にもそれは度の入っていない、いわゆる伊達メガネであり、ケインなりの冗談かと空想した。


 しかしあれほどに真面目な青年が面白半分で必要になるというはずも考えられず、とりあえず何らかの必要があると信じてそのメガネをかけながら移動することにした。


 息が少し切れるくらい歩いた先に案内されたのは厳重に施錠されていた扉であった。黄と黒が交互に斜めに積み重なるあの工事現場などで見るようなペイントが至る所で施されており、ここは何か危険なモノが保管されているという雰囲気を一層強めていた。


 アンドロイドに先導される形で入室するとそこには白衣を身に纏った研究員たちが様々なに発色するモニターを真剣な眼差しで見つめていた。そのドラマのような光景に入嶋は見とれていたが、こちらに近づいてくる男がゲイルと分かるとその世界からを目を離して、ゲイルのみを見つめた。


「ケインからそのメガネを貰ったのか」


 ゲイルはこちらに近づきながらそう言い、ニヤリと笑った。


「確かに入嶋くんにはそれが無いと困るだろうね」


「困るって?どういうことだ?」


「ケインに何も言われなかったのか。ふん、ケインらしいじゃないか」


 笑みをこぼしながらゲイルは言う、こぼれた笑みが入嶋を十分に不快にさせたのは言うまでもない。


「このメガネには何か特別な効果があるのか?」


「もちろん。そのメガネは入嶋くんの脳内から発せられた電気信号を阻害して、勝手に考えていることを読み取られないようにしてくれる効果があるのだ」


「そんな効果が」


 入嶋はこの何の変哲もない縁の太い伊達メガネがそのような素晴らしい機能を持っていることを知って唖然とした。そして同時にそのような機能を持っていることを伝えてくれなかったケインに不思議に思った。


「ケインに教えてもらっていないという事はこれからの世話は難航だな」とゲイルは、はははと声を上げて笑う。


 何を根拠にそのように断定したのか問いただしたくなったが許した。このメガネのお陰で当分の間は脳内で好きなように施行を巡らせても良い事が分かり、何でも許せるような気がするためだ。


「話が変わるが、入嶋くん。君には見せたいものがあるのだ」


 そう言ってゲイルは談笑していた時とは大きく異なる真剣な目つきで入嶋の目を見つめた。大型の肉食動物が小型の動物を捕食の対象として捉えたようなその目つきに入嶋はただただ緊張するほかなかった。

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