第6話 Telepathy ”思念”
ゲイルが両隣のアンドロイド達に目をやると、二体のアンドロイドが入嶋の方へ近づき「こちらへ」と反抗するのは不可能だと言わんばかりの勢いでそう告げた。
入嶋にはどちらがそれを発したのか分からなかったが、二体のアンドロイドを怪訝な目つきで見つめそれに従った。
こっちだって知りたいことが山のように、いやひとつの山脈を成すようにあるんだけどなあと嫌味を言いたがったが、心の中にしまい込んでベッドから降り、丁寧に並べられてあったスリッパに足を通して歩き始めた。
部屋を去るとき入嶋はダリアと名乗るナースを横目で見ると彼女はこちらを向くことはなく、ただ俯くようにして浮かない顔をしていた。入嶋はそれが酷く印象に残ったまま施設内をゲイル達と移動することになった。
この日常からかけ離れた悪夢のような現実の世界に慣れてしまったのか気がふれてしまったのか、廊下に響き渡るペタペタというスリッパの音がやけに可笑しく聞こえる。
無言のまま歩き続け、長い廊下を終えるとエレベーターホールの前に出た。ゲイルは首に下げていたカードのようなものを備え付けられたパネルにタッチする。するとたちまち扉がゆっくりと開き、ゲイルはまたアンドロイド達に目をやり乗り込む。アンドロイド達もそれに倣い続き、入嶋も従うことにした。
一定のペースで窓外の景色と音が交互に響くエレベーターの中は沈黙が全てを支配しているようであった。
「入嶋くん、君にやってもらいたいのはある青年の世話役だ」
この沈黙に耐え切れなくなったのか、ゲイルは急にやってもらいたいことのひとつを話し始めた。
ぼんやりとしていた入嶋は急に話しかけられたせいでびくつき、「だ、誰のです?」と当然の答えを述べる。
ゲイルは「来ればわかる」とだけ吐き捨て、エレベーター内はまた元の沈黙を取り戻す。
そういえば拉致されたのはエレベーターの中だったなと入嶋はぼんやり考える。近くに居るのはあの時の安谷さんとそっくりのゲイルという白衣の男、同じことが起きるのではと少し期待したが、その期待をありえないとすぐに投げ捨てた。
あの典型的な音を鳴らすこと無くエレベーターは到着を告げて扉を開いた、先程とは異なる空気がこの箱の中に侵入してきたように感じる。
鼻に抜けていく空気が少し籠って冷たい、恐らくここは地下なんだろう。
入嶋の推測など意に返さず、ゲイルを中心とした集団はその地下をぐいぐいと進んでいく。等間隔に割り振られた扉と設置された蛍光灯がどこかこの地下室が永遠に続いているような予感をさせた。
「ここだ」とゲイルはある扉の前で止まり、右手を小さく上げた。その指示に従うようにアンドロイド達も動きを止める。入嶋もそれに従う。
この扉の向こうに居る誰かの世話をこれから任されると思うと今にも逃げ出したくなった。年下の世話ほど難しいことは無い。そもそも何を考えているのか分からない。
「会う前にキミに任す青年について色々話しておこう。知っておいた方が話しやすいかもしれないな」
ゲイルはまた入嶋の意思など意に返さず予定された事を円滑に進めるために青年の話を始めた。
彼の話によるとこの部屋にいる青年は幼い頃からこの研究所内の様々な分野の研究者たちから教鞭を受け、科学や数学において高度な知識を得ているようだ。
その反動か知識に対しての意欲は幅広く開いているが、プライベートな部分に対しては他者への警戒心が強く、自ら心を開くことは滅多に無いという。
そう言うゲイルも心を開いて貰えない側の人間のようだが、それに関しては少しばかり部屋の中の青年に共感を覚えた。
そしてそんな青年が唯一自ら心を開いたのが入嶋の叔父であり、その繋がりかその青年は入嶋自身に世話役を要求したようだ。
「しかし、なぜ研究者でも何でもない私なんですか?」
「そんなことは私にもわからない、彼がキミと言うならキミを連れてくるしかないだろう」
「ははあ」と入嶋はゲイルの半ば投げやりな返信に対して、納得していないがこれ以上掘り下げる気もないという諦観したような反応を見せた。
ゲイルはまた首に下げていたカードのようなものを用いて扉のロックを解除する。アンドロイド達にはこれ以上ついてくるなというような態度を見せ、ゲイルと入嶋の二人はその青年のいる部屋へと入っていく。
部屋は想像以上に生活感があり、無機質な研究所にはそぐわない近代的な室内になっていた。
特にぎっしりと難しそうな本が詰められたいくつもの本棚がその部屋にあり、様々な研究者達の教鞭を受けたという青年の聡明さを際立たせている。入嶋は目を凝らしてそれらの背表紙を睨んでみたが大半が外国語で何の本なのか見当がつかなかった。
部屋の奥には書斎机があり、そこに当の青年と思しき人影がこちらを向いて座っている。それはどこか社長室に似ていて、青年とは思えないような威厳を漂わせていた。
「初めましてケインです。申し訳ありませんが、ゲイル局長。僕は入嶋さんと二人で話がしたい」
大方の予想通り利発そうで穏やかな声でケインと名乗る青年はそう言った。
「やれやれ、いつもこの調子だ。入嶋くん後はよろしく頼むよ」
ゲイルはそう言って入嶋ににやりと笑みを向けて踵を返した。残された入嶋は何を頼まれたのか全く分からないまま、未知の青年と向かいあった状態で立ち尽くしている。
少しの沈黙が場を満たした後、ぼんやりと頭の中に声が入ってくるような気がした。この感覚は入嶋に身に覚えがあった。
『入嶋さん、これはいわゆるテレパシーです』
まさかと思い青年の方を向くとはっきりとは窺えないがかすかに笑っているように見えた。入嶋はまさかそんなことは無いだろうと思いながらもその青年の口元から目が離せなくなった。
『慣れるまで大変ですがこの状態で話したいです。とりあえず見つめられてばかりだと話しにくいので、そこらの椅子に座って本でも読むふりをして下さい』
この発言で入嶋は全てを察した。青年の口元が少しも動くことなく頭の中で声が響いた。これは恐らくテレパシーだと感じながら青年の指示に従い、座っても良さような椅子を探した。そして適当に目に付いた本を本棚から手に取り、中身を確認する。何語なのかわからないがとりあえず読むふりを演じることにした。
『僕が入嶋さんを呼んだのは、入嶋さんがこの世界を救う救世主だからです』
今度は突拍子の無いことを言われ、動揺した入嶋は青年の方を横目で見る。
『突然過ぎて理解し難いかもしれませんが、僕の話を聞いてください』
これまでに先が読めない展開を幾度となく経験したせいか不思議と心臓の鼓動は落ちついたままで、体の体温が少しずつ上昇していくのを感じる。
きっとこれが自分に与えられた使命でありチャンスでもあると入嶋は根拠もなくそう信じた。
人間は夢を見ている時、すなわち眠りの浅い状況下にある時、これまでの記憶の中に存在する他の人間と短期間共に何かを経験したような感覚を得る。
それはもちろん全て脳内が作り出した虚構であり、実際にはあり得ないことが起こったりする。それは目が覚めることで初めて自分がその創造された世界に居たことに気付く。夢は人に時には絶望や恐怖を体験させたり、時には幸福や快感を経験させたりする。
興味深いことは夢の中で音が聞こえるという点である。もちろんそこには夢の中で出会った人物の声が聞こえるということも含んでいる。
音は発生源があり、そこから耳に届いて初めて脳内で音として捉えることが出来る。当たり前だが、夢の中で、つまりは脳内で音を出すことなど出来るはずもなく、夢の中では音が聞こえるような感覚を得ているだけに過ぎない。
夢の中で音が聞こえるひとつの要因としては、その夢の中で出会う人間の音声や会話のクセを一種のデータとして脳内に記録しているからである。その記録が何らかの作用によって経験や記憶が脳内で再生され、夢の中で音が聞こえるような感覚を得るのである。
そしてそれを応用したのが現在、入嶋とケインの間で行われているテレパシーを用いた会話であるようだ。
『まず僕が、いわゆる発信源が伝えたいことを脳内でデータ化し、入嶋さん、転送先の脳内にあるチップに送ります。そこで入嶋さんの脳内に記録された僕の音声データを用いて再生することによってテレパシーを成り立たせているんです』
脳内にチップが埋め込まれているという事実に多少の不快感を持ったが、現在この青年とテレパシーという高度な科学を体験しているという実感とそれに伴う高揚感であまり気にならなかった。
たまたま読んでいた本の挿絵には、被験者が円型の装置を頭に取り付けられて脳波のようなものを測っている様子が描かれており、何の実験なのか分からなかった。しかしこういった研究の成果として完成したものを体験していると感じると思わず笑みがこぼれてしまう。
これはノーベル章に値するほどの発明だと入嶋の興奮は収まらなかった。
『入嶋さん』とまた音声が再生される。『興奮しているところ申し訳ないのですが、このテレパシー装置の欠点は思考が意図せず暴発することがあります。入嶋さんは特にその傾向が強いようで、先ほどからの思考のほとんどが僕に送られてきます』
なんという欠陥、しかし引っかかるものがあった。私はこの部屋に入ってから一言も発していないはずだ。このテレパシー機能は音声データが無いと再生できないはずでは?
『あ、それに関しては入嶋さんの音声データはゲイルから取得しています』
入嶋は何もかも相手が知っていることに落胆し「はあ」とため息を解読不能の文字列にこぼした。しかし今までの思考を読み取られるという不快感の原因が分かったことでも十分である。自分に無理やりそう言い聞かせて腑に落とそうとした。
そういえばダリアと言ったか、あの黒人ナースとの会話はテレパシーだったのか。いや、彼女の口が動いていたことは覚えているし、自分も声を出したことを覚えている。あれはいったいどういったことなのだろうか。
入嶋は届いているはずだろうと言わんばかりの目線を青年に向けた。
『入嶋さん、あれは脳内のチップで行われている翻訳機能です。私は日本語や英語など様々な言語が話せますが、この島内には多様な人種がいるため、どうしても双方でコミュニケーションを円滑に行うのが難しいのです』
青年によると相手から聞こえた音声を脳内のチップで翻訳し、自らが最も用いる言語かつもっとも音韻的に安定した音声で再生させる機能のようである。そして違和感を生んでしまう原因はやはり言語によっての音韻体系が異なり、脳内の音声データでは再現するのが難しい音があるためである。
『入嶋さん、テレパシーを多用するのは構いませんが疑問ばかりぶつけられると僕のしたい話が一向に進みません』
青年が少し笑っているように入嶋は感じた。
そう言えばあの青年、ケインというのは世界を救うとかいった話をしていたような。つまり私がその世界を救う救世主なのか。
『そうです』とケインから聞こえた時にはまた心臓の鼓動が早まるような感じがし、手汗がにじんでくるような気がした。一端のカメラマンであるが故このようなスクープ間違いなしの状況に気分が高まるのはもはや性である。
『その前になぜ自分はこの島に呼ばれたのかはっきりさせておきたい』
入嶋はそのように強く願った。先ほど成功したようにこれもケインの脳内に届いているはずだ。
『もちろんそれも踏まえてお話します。心して聞いて下さい』
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