第5話 Past ”過去”
視界がゆっくりとはっきりしてくる。夕暮れの空の下、開け放たれた障子から入り込んでくる爽やかな風を感じながら私は縁側で足をぶらぶらさせながら漫画を読んでいた。
恐らくこの記憶は父方の祖父のお通夜で、これはきっと叔父との初めての出会いの場だったような気がする。読んでいる漫画が何なのか鮮明でないが、コロコロと変わりゆくモノクロの画像を一生懸命睨んでいるような感覚を得る。
これはきっと夢だ、と入嶋は確信した。しかしその確信とは裏腹に脳は目覚めることをせず、その虚構の世界の住人になることを良しとした。
不意に気配を感じる。背中から誰かが私の読んでいる漫画を覗くような視線。
「忠くん。何読んでるの?」
その声は紛れもなく叔父である入嶋博の声であった。私は叔父と出会った時の記憶を夢という場で再上映しているのだ。
目線は叔父の顔に向いているはずだが、記憶の中の当時の叔父の印象が薄れてしまっているせいか最後に見た少しやつれて老けている叔父の顔がそこにはあった。
「これは妖怪戦士ペッパーだよ。おじさんだあれ」
自分でそのように言いながら変な感じがした。それは現在放送中の子供向け戦隊ヒーローものであったからだ。しかし夢の中なので都合良く会話は澱むことなく続けられた。
「僕はね、君のお父さんの弟の博おじさんだよ」
「ひろしおじさん?おじさんは先生?」
「叔父さんね、忠くんのお父さんとは違って研究者なんだ」
「けんきゅうしゃ?」
「そうだよ。科学者とも言うべきかな」
老け顔の叔父は優しい笑みをこちらに向けた。気づくと叔父は白衣を身に纏っており、それは強く威厳を感じさせるものだった。
「じゃあ、おじさんは悪者だね」
「ん?どうしてかな?」
悪意の無いその無邪気なその一言に叔父は訝しげな表情を見せた。それを見ている私はこの続きが見たくないような気がしたが、私は夢の世界を自力で止める術は持っていない。
「かがぐの力はしぜんをほろぼすってヒーローが言ってたもん」
「自然を滅ぼす、か。一理あるかな」
「しちり?でもおじさんも気をつけないとヒーローのちょう必さつわざでたおされちゃうよ」
「そんなことは起こらないよ。そもそも忠くんの暮らしは科学の発達によってずいぶん便利になったんだよ。それを悪者扱いするのはあんまりじゃないかなあ」
叔父さんは年齢を厭わずに自分の論を振りかざす人だった。夢の中であってもその叔父さんらしさが反映されていて安心する。しかし本当にこのような会話をしていたのだろうか。
「でもでも心のびょーきはかがくじゃなおせないってヒーローは言ってるんだ」
「それは、うん、そのその通りかもね」
私という子どもの無邪気な返答に納得していないが、子ども相手にこれ以上説き伏せるのはやめにしようとしたような、どこか深い所での諦めを感じさせるような顔でそう言った。この時大人は子供と違ってわかりにくい顔をするもんだなとぼんやりと感じていたように思う。
「僕はね、長い間ずっと微生物の研究をしているんだ」
当然目の前の視界が変わり、今度は見上げていた叔父を同じ目線で見合うようになっていた。
これはきっと何かの食事会で、恐らく珍しく酒に酔った叔父さんが身の上の話を私にしている状況の再上映なのだろう。感じるはずのない宴会特有のアルコールとたばこと揚げ物の混じり合ったツンとして湿っぽい空気が体に纏わりつくような気がする。
「人間の目でも見えるかどうかわからないようなこの一つ一つの小さな小さな生物たちは自分がどうすれば生きていけるのかを理解しているんだ」
「宇宙からすれば私たち人間もこの生物たちと変わらないぐらい小さな存在なんだ。その点では微生物も私たちも似ているかもしれない」
寡黙で他人との交流を余り好まない叔父さんが唯一饒舌になっていたこの場面は、その語りの内容が全て再現できるほど私の記憶に印象付けられていたのだろう。
叔父さんはグラスに手を付け、残った何かの液体をぐっと飲みほした。そしておしぼりで口を拭うとまた話の続きをした。
「でもね、人間たちはなんで自分が生きているのか悩み始めてしまったんだ。心がびょーきになってしまったんだよ」
「それ治せるのは科学じゃなくて、きっと妖怪戦士ペッパーのような優しい心を持った人なのかもね」
またこの記憶の時代には存在しえないものが現れたが、私は何故か心が強く揺さぶられるような感覚を得た。この二つの記憶が、叔父さんとの数少ない思い出が、ちぐはぐな夢の中でリンクする。
叔父さんが何を言いたかったのか分かるような気がした。
その時、入嶋の意識が戻った。入嶋の目が、意識が、それを単なる夢であったということを理解した。そしてこの現実を実感する。そこは優しい光に包まれた無機質な部屋であった。
柔らかいものに体が沈むようにして支えられていることに気付く、どうやらベッドの上にいるらしい。
「目が覚めたようですね。気分はいかがですか、入嶋さん」
突然少し棒読みのような言葉が耳に入ってくる。声のする方へ顔を向けると、そこにはナースのような恰好をした黒人女性が優しい笑みを綻ばせながら座っていた。
入嶋は状況を素早く把握した。
ゲイルと会話をしている内に倒れ、叔父さんとの思い出に似た夢を見て、ベッドの上で目を覚ました。目の前に居るのは恐らくナース、この部屋は救護室の類に違いない。そして自分の意識が自分でコントロール出来るこの状況は紛れもなく夢の続きでなく現実だ。
「私の名前はダリア。この病院のナースです」
あれから何時間経過したのだろうと考えこもうとした時、目の前に居る黒人女性から声をかけられていたのを急に自覚した。あっ、と情けない声を漏らしてしまう。
「ええと、入嶋忠です」と少しの間無視してしまったことを恥じるように丁寧に応じる。
何故本名で答えてしまったのかと自問自答し、また「あっ」と余計な声を漏らす。入嶋はどうにかその気まずさを誤魔化そうとした。
「タダシさん。あなたは一時的に気を失い、ここに運ばれてきました」
ダリアと名乗る彼女はそんなことなど意に介さず入嶋の置かれている経緯や状況を話し始めた。
入嶋には純白の服装と個性である黒い肌のコントラストがどこか現実離れした印象を与えた。そのせいなのか心なしか彼女の話す言葉の一つ一つが少し機械的な響きを含んでいるように感じた。
「タダシさん。あなたには大切なことを伝えなければなりません。この島、ロストワールドについて」
「それは安谷さんに教えてもらっているんだ。その原子力の事故やら何やらの話でしょ?」
「世界ではそのような認識になっています。私が今から伝えようとしているのはその認識で隠されたこの島の裏の姿です」
「裏の姿?」
ふとこの島が何故存在しているのかという疑問を気に掛けてなかったような気がした。この目の前の彼女はそれを私に伝えようとしているのか。
入嶋はそれを聞いてしまうと二度と引き返せなくなるような予感とそれを聞かずには居られないゴシップに携わる身としての性の背反する意思の中、決定を定めあぐねていた。
「この話を聞くことは強制ではありません。しかし聞いてしまうと少し面倒になるかもしれません」
入嶋の悩む様子を察したのか、彼女は入嶋に退路を与えるようで後に退けないような物言いをした。
「いや、聞くことにするよ。もう既にロクな目に遭ってないしね」
そう言って入嶋は笑って見せた。彼なりのジョークのつもりだったがダリアはそれに釣られることなく真剣な目で「わかりました」と告げた。
「この島を語る上で理解しなければならないことがあります。それはこの島に住む人々はこの世に存在していないとされています」
「は?」と入嶋は目を丸くする。突拍子の無いことの連続でそろそろそういった驚きに精神が慣れ始めたと思っていたが、まだまだダメなようだ。
「私もそうなのですが、この島に住む人々のほとんどは以前暮らした国や地域では既に亡くなった者として扱われています。この島はそういった過去を持つ人とアンドロイドが共存する場です」
「ええとダリアさん、だっけ」彼女はコクリと丁寧に頷く。「俺も亡くなったことになっているんです?」
「タダシさんのケースは稀です。代わりとなるアンドロイドが稼働する限り、日本では存命という扱いになるでしょう。しかしいずれは事故死もしくは失踪扱いになると思われます」
「それはどういうこと?事故死だって?」
「はい、アンドロイドにも寿命がありますので」
彼女の言う寿命とはバッテリーの類の事だろう。そして忘れかけていたがいくら外見が人間と変わりがないとしてもアンドロイドは機械だ。人間と機械は同じように年を取ることは出来ない。その差が露見する直前に姿を何らかの方法で消すのだろう。
入嶋はそのように解釈し、なかなか考えられているんだなと感想をこぼした。
「私は戦火に巻き込まれて亡くなったと自国では扱われています」
「でもダリアさんは生きている。それはどういう事です?」
「タダシさんは鋭いですね」入嶋には彼女が少し笑みを綻ばせたような気がした。
「それがこの島の裏の姿であり、世界の闇の部分になります」
「本来であれば私は戦火に巻き込まれ住む場所や家族を失った難民になるのですが、その難民の受け入れに関して国家間での論争が激しいらしく、私のように宙ぶらりんの状態になってしまった難民たちは様々な都合によってここに運び込まれたのです」
「つまり居るはずの人々を隠したということなのか」
彼女の慎重な頷きを目にした時、やけに部屋の外が騒がしくなるような気配を感じた。それは彼女の方も感じているようで、二人は開けっ放しの入口の方へ目を、意識を向けた。
「あることないことを勝手に話すナースなんてのもいるんだな。まあ良い、おかげで手間が少し省けた」
武装した数名のアンドロイドたちに守られるようにして現れたのはあの白衣をまとった男、ゲイルであった。
「入嶋くん、キミにはまだまだやってもらいたいことが山のようにあるのだ」
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