第3話 Arrival ”上陸”
「ロストワールド直行便だと?」
何事にも最悪の状況を想像したものだが、そうなったことは今までにない。そうならないように最善の方法で努力して行動するための思い込みであって、そうなることを一度も望んではいない。しかしこの今、その最悪の状況が身に迫っている。
「そんな…。バカな…」と頭で考えていたことが自然に口から洩れてしまった。
それを聞いて、声の主はフフフと笑う。きっと彼にとっては予想通りの反応であったのだろう。私は彼に弄ばれているのだ。私の反応は全て彼の思惑通りなのだろう。いったい彼は何者だ。
「そろそろ陽の光を浴びたくなりませんか、ミスター入嶋」
声の主は突然予想外の提案をしてくる。これまでの応答を考え、彼は何か意図を持ってこの提案を口にしたに違いない。あくまでも冷静に彼の意図を考えなければ。
「ふふふ、単なる気分転換ですよ、ミスター入嶋」
これを屈辱と言わずして、何を屈辱と言うべきか。相手の一手先を読もうとしても、その「相手の一手先を読もうとしている」ことを読まれてしまう。自分の脳内を勝手に覗かれているような感覚。何をしても敵いそうにない、完全な白旗状態。
入嶋は考えるのをやめにした。そして「ああ、頼む。頭がおかしくなりそうだ」と皮肉を込めて小さく呟いた。「お察しします」と声の主は気の毒そうに言う。
すると鈍い音が鳴り響き、上方から少しずつ光が差し込んでくる。まるで暗幕が取り払われ、舞台が見えるように、ゆっくりとそして着実に光が闇と代わる。
なるほど私の周りが真っ暗であったのは薄い暗幕のようなものですべての窓を覆っていたからなのか。
久しぶりに見る強烈な光、暗闇になれている私の目には強すぎて思わず目を細める。そして声の主の顔が少しずつ明らかになる。無国籍というべきか、どこで生まれたのかわからない顔つきだ。しかし日本語を流暢に話す。多民族多言語な世界でもまだまだ日本語が流暢な外国人(ここでは顔つきが日本人でないという意だ)は珍しく思う。
もちろんそういったことも読み取っているその声の主は入嶋を一瞥し、にこやかに笑った。それは挑発であるべきものだが、入嶋には不快なものでなかった。むしろ愉快だった。
「本当に。船だったんだな」
目前に広がる海原、テレビで見慣れた光景であるはずなのに圧倒される。自分が本当にちっぽけな存在であることを感じる。自然とは偉大で恐ろしい。
そして驚くべき事実にふと気が付く。私は誘拐されていた間ずっと斜めに向いた椅子のようなものに深く腰掛けていただけなのだ。最初から拘束されてなどいなかったのだ。
「おい、なぜ縛ったりしなかった?」
「そういうものをご所望でございますか」
「いや、そういう性癖の話ではなく。手が自由なら私が逃げる可能性もあるだろ」
「ミスター入嶋、あなたはそういう人間ではないでしょう。現に今までそこでじっとしていたではありませんか」
「確かに…。そうだ」
「そしてあなたはこれから何が起こるのか楽しみにしている。そうでしょう?」
「確かに…」
何かも見透かされて少し恥ずかしくなる。逃げ出すことが不可能であることは最初からわかっていた。この密室の状況、思考を読み取る謎の男、どんな人間だってここから逃げ出せるはずがない。仮に逃げられたとしても現在地不明の海上だ。八方塞がりである。
そして私はこれから何が起こるのかと興味を持ち始めていた。最悪の状況なのは既に理解している。しかし人間というものはその最悪の状況でも余裕を持とうとする。恐らくそうしないと精神が持たないからだろう。私は極限状態にあるという訳だ。
だが状況以外にもこの好奇心を煽ったものがある。それは世界から消え去ったとされているロストワールドが実際に存在するのか、そしてそこで何が行われているのか、私が呼ばれた理由は何なのかという単純な興味と疑問だ。
これら全てを解き明かせば、きっと大きなスクープになるに違いない。カメラマンとしての血が騒ぐ。日本中を席巻する写真を収めてやる。そしてそれを安谷さんに…。
安谷さん?
彼はどこへ?
不覚にも最後まで一緒にいた安谷さんのことを失念していた。しかしこの部屋には私と声の主である彼以外に人がいる気配がない。これはどういうことだ。
「おい、安谷さんはどこへ行ったんだ。確か私と一緒にいたはずだ!」
「現在ヤスタニは日本にいらっしゃいます」
耳を疑った。
遂に頭がおかしくなったのか。
あのエレベーターで私は安谷さんと一緒にいたはずだ。それなのに私だけが誘拐されたというのか。じりじりと体温が上昇するのを感じながら必死に頭を巡らせる。
私だけを誘拐すれば安谷さんがおそらく警察に通報するに違いない。また、これは考えたくないが、安谷さんが殺害された場合でも私の失踪は彼の死と共に明るみになるはずだ。まずはそこから聞き出す必要があるだろう。
「それはつまり…。安谷さんは普段通り会社にいるということか?」
「左様でございます」
ますます頭が混乱してくる。目の奥がじんじんとした熱を帯び始めた。安谷さんの存命をあっけらかんと話すその清々しさと、何か考えているようで何も考えていないような表情が私を困らせた。まるで安谷さんのようだ。
安谷さん次第でこの誘拐が大々的に報じられ、私の安否に関して政府を巻き込んだ交渉が始まるのではないのか。そうなればこの誘拐グループは圧倒的不利になるに違いない。それなのに声の主は暢気に私に海を見せてくれている。
さっきまで快晴だった空に少しずつ雲が増えてきたように感じる。海の気候は全く読めない。
「ミスター入嶋、あちらがロストワールドでございます」
突然声の主は右手をあげて海の向こうの水平線を指さす。その点にしか見えなかったモノがじわじわと面積を広げていく。その全貌を明らかにしていく。
「あれが…?」
それは島というよりは海に浮かぶ要塞に近く、自然なものを一切感じさせない無機物の塊であった。
「あれがロストワールド…!」
本当に存在するのか半信半疑であったその忘れられた島は確かに存在した。それを確認する根拠はどこにも無いが、目前に迫るその島が持つ負のオーラが私にそれが真であることを予感させた。
島に近づくにつれてその全貌が少しずつ明らかになった。大きなドーム状の形をしたその島の外側の目に入る部分はコンクリートブロックで高く固められており、海上から船を寄せて上陸することは不可能に見える。そしてそのコンクリートブロックの先には枯れた木々が顔を覗かせており、それが私の感じる負のオーラを放出しているようだ。
生命の存在を匂わせるような緑色が外観には無い。キラキラと光る水面と活気の無いその島とのコントラストが不気味である。なるほどこれはロストワールドだ。
「ミスター入嶋、上陸の準備を致します」
無国籍な彼がそう言うと暗幕がまたゆっくりと窓を覆い始め、船内がまた暗闇へと変わる。
「なぜ上陸するのに暗幕を?」
入嶋は単純な好奇心でそう尋ねた。
「はい。海中より島内へと侵入いたします、ミスター入嶋」と彼は予想通りの質問が来たというような態度で答える。
そして宣言通り船はごうごうと大きな音を上げていく。おそらく海中へと沈んでいくのだろう。光を遮られた船内ではそのように想像するしかない。
沈黙を保ったまま船が海中を切り進んでいく。海という無音の世界。入嶋はこの付近にはどのような魚が生息しているのか気になったが、安谷さんがこの海域は汚染していると言っていたのを思い出し、少しがっかりする。
「これより上陸です、ミスター入嶋」
海中でどのように進んだのかわからないまま入嶋は上陸を告げられる。また暗幕がゆっくりと上昇し外の光が船内を照らしてくれる。目を細めつつ外を見ると先ほど目にした一面の大海原とは真逆のコンクリートで囲まれた世界が目に入った。いかにも人工的な世界であるという印象を受ける。
「ミスター入嶋、こちらへ」
急に背後から声がして少し動揺する。振り向くと椅子の裏側がこの部屋の出入口になっているようだ。やれやれという気概で立ち上がろうとするが長い時間同じような体制と取り続けたせいか足がしびれる。
「足が、す、すまない」と入嶋は足のしびれに耐えながら答える。
なんとか動けるようになり、椅子の裏側の出入口を抜けると軍人のような肉体を持った屈強な男が二人入嶋を待ち構えていた。屈強な彼らの顔は船内でずっと二人きりだった彼と同じように無国籍というべきか、どこで生まれたのかわからない。きっとこの島の国民は皆このような顔つきをしているのだろうと予想する。
「さあ、こちらへ、局長がお待ちです、ミスター入嶋」と二人組のどちらかが答える。
見た目だけでなく、声もどこか似ているような気がしたが余計な詮索はしないと決めたので正直に従うことにした。
ロストワールドに辿り着いたという事実は少しばかり入嶋を興奮させたが、あまりにも殺風景なこの内観にその興奮は一瞬にして熱を失った。
「島外から島内への連絡口は先程の一か所しかありませんが、島内はもっと生活感に溢れていますので心配なさらずに、ミスター入嶋」
突然、二人組のどちらかが入嶋にそう答える。
また脳内を読まれてしまった訳だが入嶋は特に大きく驚くことはなく、むしろ会話をしているような気分であった。これは一種のテレパシーではと妄想する。
「島内に入る際、局長との謁見がございますので、粗相のないようにお願い致します、ミスター入嶋」
そう言うと二人組の内の片方がカードのようなものを取り出して、頑丈に締め切られた鉄の扉の横にあるパネルにそれをしっかりとタッチさせる。すると鈍い音を上げながら扉が少しずつ開き、中から人影のようなものがこちらを向いているように見える。
「これは?」
扉の向こうでは銃を武装した四人組が待ち構えていた。そして驚いたことにこの四人組も私を挟んでいる二人組と同じような顔つきをしている。ここまで来ると不気味を通り越して非現実な夢を見ているような心地だ。
「ようこそ入嶋くん。長旅ごくろうであった」
どこからともなくそのような声が届き、奥の方から小柄な人影が現れる。目の前に居る六人組に少し緊張が走るような雰囲気を感じ取った。恐らく局長かそのくらい地位の高い者が来るのであろう。
しかし目に入った小柄な男の姿を見て入嶋は正気を疑った。
「は…。安谷…、さん…?」
何とそこに居たのはつい数時間前まで一緒に行動していたはずの安谷の姿であった。しかし入嶋の思う安谷さんとは異なり、その男は目が鋭く、白衣を身に纏っている。醸し出している威厳のような雰囲気がいつもの安谷さんではないという確信を入嶋に与えた。
「ふむ、そういえばそのようなモデルを使っていたような…。まあいい、君には時間をかけて色々説明する必要があるからな」
目の前の安谷さんにそっくりな男が何者であるのか考えようとしたところ、その男から気になる言葉が遅れて耳に入る。
「モデルって…」
つまりどういうことだ。
まさかそんなことがあるのか。
「ああ、紹介が遅れた。私がこの島の副管理責任者でもあり、報知関係局長でもあるゲイルだ」
入嶋の疑問など意に返さずその白衣の男は勝手に自己紹介を始めた。
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