9月
2学期という折り返し地点
9月22日日曜日。
度重なる台風の襲来によって、農園はそこそこの被害を受けていた。しかし、大抵のものは半日かけて補修すれば何とかなる程度の被害でしかない。そのうえ、台風が過ぎ去るごとに気温が低下していったため、むしろありがたかったようにも思えてくる。
とはいえ、日本全土がそうというわけでもなく、千葉県では大規模な停電が発生していたりもしていて、連日ニュースとして取り上げられている。
そんな中穂農では予定通り体育祭が実施され、研修生たちも久し振りの学園生活を謳歌することとなった。とはいえ、1学期ぶん校舎にいないとそれなりの疎外感は生まれてしまうもの。そのうえ3年生は就活や進学受験などといった人生一大の大勝負が間近に迫っているのもあって、半分息抜き、半分達観、ほんの少しのナーバスな雰囲気といった状況だ。就職先がほぼ確定した研修組としてはあまり居心地のいい雰囲気ではなく、逃げるように寮へと帰っていった。
「――……といった感じでした」
9月23日月曜日。
ここは育苗用の小さなハウス。一部を除くほぼすべての野菜は、ここで一定期間生育される。外で育てると鳥や虫に食べられたり、雨で流されたり、発芽がそろわずまばらに育ったりすることがあり、そういったトラブルを防ぐためだ。
「毎年大変なのよねぇ~。研修を始めると、どうしても貴重な青春期間が短くなっちゃうものねぇ~」
今このハウスの大部分を占めているのは、冬野菜である白菜の苗だ。セルポットという育苗用の入れ物にずらりと敷き詰められた白菜の苗は、小さな本葉が4枚ほど展葉した小さなもので、白菜やキャベツの特徴である幾重にも重なる葉の塊になるような兆候はまだ見られない。
というより、今の段階ではアブラナ科の植物ということしか見た目ではわからない。一応、よくよく見てみれば葉の付け根が白くなっているし、柄の部分が若干太いから「白菜っぽい」ということはわかるが、素人目には判別できない。もっといえば、品種というさらに細かい区分となるとプロでも見分けはつかない。
本日午前の仕事は、この白菜の苗をセルポットから取り出して、少し離れたところにある畑に植えること。畑の方はヒデと菜津希が耕している最中なので、その間に晴間と布由で白菜の準備を済ませておく。
「それにしても、白菜多いですね」
セルポットは、名前にセルとついている通り、5㎝程度の正方形の形をしたマスで形成されていて、そのマスが縦に5、横に8ずつ。つまり、5×8=40個の苗を植えられるようになっているものだ。
そんなセルポットが、このハウスの中に10個。つまり、400本の白菜の苗が植えられているといった状態だ。
「仮に1つ200円で販売したら、合計8万円ですか……」
布由が即座に計算して、金額を提示する。8万円と聞くと少ないようにも感じるし、そこから支出を引いたり病気等で収穫できないものを考慮していくと、さらに金額は下がる余地がある。
「去年までは発芽率が結構低くって、半分しか芽が出なかったのよー。でも今年は土を変えてみたら、こんなに生えちゃったのよ~」
佳代さんはそう言いながら、ハウスの隅に束ねておいてある袋を指した。袋には大きく『育苗用』という太字のロゴが書いてある。
「おかげで今年は畑の方が足りないわぁ~」
そう笑いながら、佳代さんは生育の悪い苗をバケツに放り込む。いくつかの苗は生育が弱かったり強すぎたりといった個体差がある。生育の弱いものは収穫が遅れたり、病弱だったりといったデメリットがあり、生育の強いものは植え替えによる環境の変化に対応できなかったり、大きすぎる根が作業中に千切れてしまったり、葉が広がり過ぎて白菜特有のあの形にならなかったりするデメリットがある。そのため、そういった苗はこの段階で間引いてしまう。
「全体の利益っていくらくらいになるんですか?」
セルポットの底を軽く摘みながら、布由は佳代さんにそう質問した。2学期というのは、実質的に折り返し地点でもある。一般的な農家にとって、冬は農閑期と呼ばれる期間になる。この期間で道具のメンテナンスをしたり、資材の発注をしたり農地を開墾したりするわけだ。
そういったこともあり、3学期になったら就農後の計画を立てていかなければいけなくなる。何を、どこで、どれだけ、どうやって作るのか。それにかかるコストはどのくらいで、最終的な収益はどれくらいになるのか等々……。
農家になる。それは言ってしまえば、起業することと全く同じだ。用意した資本を駆使し、需要と供給のバランスを利用して最終的に利益を生む。
その仕組みを2年間、3科で学んできた布由の行動は、他の研修生と比べてもはるかに早かった。
「そうねぇ……穂農からの報奨金を抜いたら、去年は大体300万くらいだったかしらね」
去年というと、西日本を中心に大雨による大災害があった年だ。そんな年でも300万の黒字を出せるというのは、かなりの好例だろう。そこに報奨金が加算すれば、さらに収入は増える。
「あ、でも経営に関してはうちのやり方はあんまり参考にしないほうがいいわよ~。3人の家族経営に加えて、人件費が発生しない労力4人でこの値段なんだもの~」
「ふむ……やはり人件費はネックですか……」
確かに晴間達4人は、週末のアルバイトを除けば無料で(学校からの報奨金を考えればむしろ収入源でもある)働いている。まだ経験浅い高校生とはいえ、労働力が2倍になれば出来ることは段違いに増やすことが出来る。
「そもそも、なんで穂農とこういった協力関係になったんですか?」
気になった(半ば布由への対抗心)ので、晴間がそう質問する。白菜の苗はいつの間にか300本ぶん用意が済んでいる。佳代さんは「どこから話せばいいかしらね~」とすこし思案した後、空になったセルポットを重ねながら言った。
「ここの農園って、10年前までお義父さんとお義母さんもやってたんだけど、2人とも病気で亡くなっちゃってねぇ。あのころは涼もまだ小さかったから、私と孝義さんの2人でこの広い畑を回していかなきゃいけなくなったのよ~。そこまで収入も多くなかったから減らすに減らせなくって困ってたんだけど、それを孝義さんが母校の穂農に相談しに行ったら、研修の話が入ってきて、今に至るってわけなのよ~」
そう説明した後、佳代さんは2人のほうを向いてアドバイスをひとつ。
「友達も、学校だったり会社だったりのつながりも、めいっぱい作っておいた方がいいわ。必ず、いつかどこかで絶対に役に立つ時がくるんだもの」
いつもおっとりした口調の佳代さんだったが、その一言はいつもより力強く、多少のギャップがあるとはいえ、経験に基づいたたしかな説得力を纏っていた。2人はそれをかみしめるように理解する。
「そういえば7月くらいに涼さんも言ってましたね。涼さんがブドウを始めたのも、お友達の影響だそうで」
「つながりか……確かに、この研修生メンツとのつながりはかなり役立ちそうですね」
そうこうしている間に、白菜の苗400本の準備は完了した。あとはこれを、用意が終わっているであろう畑に植えるだけだ。3人は手分けして、苗を満載に積んだトレイを軽トラに運び込み、畑へ運んだ。
その道中、晴間は佳代さんの一言を何度も反芻させ、ある一つの決意を抱いた。
(玲とのつながりも、手放したくないものだよな……よし!)
その日を掴むため、晴間の決意はすぐに固まった。
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