8月

台風の過ぎた後

 8月19日、月曜日。

 台風10号がようやく過ぎ去り、雲一つない――とまではいかないが、天候も回復した今日。夏休み期間中ではあるけれど、研修生たちは緊急の招集によって、農家農園に集まっていた。

「というわけで、今から修繕作業に取り掛かるよ。息吹は、僕と倒木の撤去を。菜津希と布由は、佳代と柵の修繕を。秀明は涼とビニールハウスの張替えを、それぞれやってもらうね」

 時刻は午前7時。最近は気温も湿度も高く、人間の平均体温である37℃を優に超えることもあるので、特に気温の高い11時~5時の作業は熱中症の危険がある。しかも、ヒデが担当するビニールハウスでは更に気温が上昇し、熱と水蒸気がこもる上部では呼吸すらままならないこともあるのだ。

 それほどまでに危険で大掛かりな作業をしなければならないのが、台風というものだ。数年前まで台風が来たら、学校が休みになるからと大はしゃぎしていたころには想像もつかないことだった。

「各自、水分補給はこまめにして、安全第一で取り組んでほしい。……それじゃあ始めよっか」

 孝義さんの号令によって、それぞれがそれぞれの作業場へ向かった。



 息吹たちが向かったのは、山沿いの畑。一面が山の斜面と隣接し、反対側には山へ続く道路がある畑だ。4月にゴボウを植えたのもこの畑だ。

 その山側から、大きなクヌギの樹が一本、畑の中にある作物を押しつぶす形で倒れていた。古い上に、虫の被害に遭っていたであろうクヌギの樹は、地上1mほどの場所から縦向きに裂けている。

 そんな巨大な樹をそのまま運ぶのは困難なので、まずは運びやすいように細かく切ることになった。

「さて、息吹君。チェーンソーとノコギリ、どっちを使いたい?」

 孝義さんが、軽トラの荷台に積んだものを指しながらそう聞いた。ちなみにチェーンソーは樹の幹や太い枝を切るのに使い、ノコギリは細かい枝を切るのに使う。

「せっかくなので、チェーンソーの使い方を教えてください」

 未だ高校生の身でありながら、チェーンソーを使ったことのある人間はそうそういない。そういった意味では、今回は滅多に無いいい機会だと思った。

 すると孝義さんは「よし来た」と上機嫌に言い、操作説明を始める。といっても、基本的なことは他の農機具と一緒だ。手動で燃料を送り、チョークを開いてスターターを引っ張ってエンジンを始動させる。

「1回で切ろうとはしないこと。これだけ重い樹だから、途中で重量がかかって刃が挟まっちゃうし、キックバックっていう現象が起きることもあるからね」

 キックバックというのは、チェーンソーが突発的に押し戻される現象のことだ。ゲームなどで見かける「剣を固いものに振り下ろすと弾かれる」といったイメージをするとわかりやすいかもしれない。特にチェーンソーはエンジン駆動なので、場合によっては大けがに繋がることも。

「とうせ捨てるか薪にするかのどっちかにしかならないから、綺麗に切るとか形を整えるとか考えずに、持ち運びやすいぐらいのサイズに切り刻んでくれればいいよ」

 とのことなので、息吹は一呼吸置いた後チェーンソーのエンジンをかけ、目の前のクヌギの樹を恐る恐る切り始めた。




 菜津希たちは家の周辺にある、主に夏野菜が植わった畑に来ていた。軽トラには波上の形をした鉄板(トタンという名前らしい)と、3㎜ほどの鉄棒が格子状に並んだ柵(こっちはメッシュというらしい)が数枚。それらを固定するためのV字の支柱と、それを埋め込むための金槌が積まれている。

「さーて、今日中に終わらせるわよ~」

「って、ここ全部ですか!?」

 菜津希が驚愕の声をあげる。というのも、前から設置されていた柵のほとんどが浮いていたり、どこかに飛ばされて無くなっていたりしていたからだ。

「そうなのよ~。ここ風当たりがいいから、台風の影響が強く出ちゃったのよ~」

 今回の台風は、どちらかといえば暴風の方だったため、こんなことになってしまったらしい。そのかわり近くに川も用水路もないこの土地は、暴雨の台風の時はそこまで被害は出ないそうだ。

「とにかく、鉄柵を並べてトタンを並べて、支柱で止める。これを繰り返せばいいんですね」

 布由は既に金槌を手に取り、やる気十分のようだ。どうやら昼から予定が入っているらしく、さっさと終わらせて帰りたいらしい。そんな布由を見て、菜津希は俄然やる気を出す。

 やる気が出れば早いもので、3人はそれぞれ作業を分担して一気に柵を作り直す。しかし早ければいいというものではなく、また風に飛ばされないようにしっかりと埋め込み、柵本来の役割である害獣の侵入を防ぐという機能を果たせるように隙間なく設置しておかなければならない。足元にはつる植物のスイカが、辺り一面につるを伸ばしているので、うっかりするとスイカに足を取られて転んでしまうかもしれない。

 そんな場所での作業ではあったが、工程自体は単純なので小1時間で作業は終了した。

「ふぅー終わったー」

 と菜津希が気を抜いた瞬間、佳代さんが「まだよ~」と言いながら軽トラのエンジンをかける。

「畑は他にもあるからねー。……まだまだ終わらないわよー」

「えー……」

「お昼までに終わるでしょうか」

 時刻は8時過ぎで、回らなければいけない畑はあと3か所ある。単純計算で11時には終わるけれど、時間がたつにつれ気温も上がるため、集中力は消耗してゆく。

 2人は顔を見合わせた後、なにかを諦めた表情をしながら軽トラに乗り込んだ。





「よし、とっとと終わらせてとっとと帰るぞ」

 秀明たちは山頂のブドウ畑にやってきて、破れたビニールを剥がしていた。足場と言える場所はなく、強いて言うなら雨どいや梁、ハウスの骨組みを足場として利用するほかないような場所での作業だ。

 当然といえばそうだが、ハウスというのは用途や前提によって様々な種類がある。そのため、毎年ビニールの張替えをする前提のハウスは比較的こういった作業が楽になるよう設計してある。

 しかし、このハウスは5年に1回張り替えるかどうかといったもので、修繕のしやすさより耐久力を重視した設計になっている。

 2人は息を合わせながら、ビニールを何かに引っかからないように降ろしていく。ある程度広い場所まで降ろしたら、邪魔にならないような場所に(どうせ産廃なので)放り投げておく。

「あとは新しいビニールだな。要領わかるか?」

 そう涼が聞いてきたので、秀明は自信満々に答える。

「ホームセンターでバイトしてたんで、バッチリッス」

 まずはビニールの入った長さ2mほどのロールを、茶色の包装紙から取り出して、ロールの中にパイプを差し込む。そのあと広い場所に持っていき、ビニールを必要な長さになるまで広げていく。ビニールによっては2枚折になっていることもあるから、その場合はハウスの上に持っていく前に広げておく。

 広げるといっても、トイレットペーパーを広げるのと訳が違う。ものによっては100㎏を超えるものもあるため、非常に重たい。しかも、頑丈とはいえ所詮はビニールなので、力を入れ過ぎると破れる危険もある。破れたビニールを捨てて破れたビニールに張り替えては意味がないので、そこは慎重にならなければいけない。

 特にハウスの場合、金具のような出っ張りに引っかかる可能性もある。体力も集中力も両方消耗するから大変だ。

「やっぱ5年使うビニールなだけあって、重いっスね」

 ビニールの耐久力は厚さによって変わり、今回使うのは0.2mmのビニールだ。2年物のビニール0.075mmと比べて約2.7倍重い。広げるのも、広げた後ハウスの上に持ち運ぶのも一苦労だ。

 その後も四苦八苦しながら、ようやくビニールを持ち上げたら、今度はそれを固定しなきゃいけない。

「そっち金具あるか?」

「錆びてるのしかないっス」

 波上の長い金具を使って止めていくのだが、雨どいのすぐ近くに止める場所があるため錆びやすい。しかも波打った形のため色んなものに引っかかって割とうっとおしい。

「おい! 風吹いてきたぞ! 押さえとけ!」

 しかも山の頂上にあるため、突発的に突風が吹くこともある。そしてそういった突風は、気温が上がって上昇気流が発生する日中になるほど頻度が上がる。

 つまり、時間がかかればかかるほど難易度が上がる。そのため、作業は迅速に行わなければならないわけだ。

 その後、風が止んだ隙に手早く固定して、雨どいの掃除や最終的な点検をして、今日の作業を終わらせた。

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