7月

菜津希のほんの少しの憂鬱

 7月。それは高校生にとって、夏休み前のラストスパートのようなもの。穂農の生徒たちは、学期末考査を終えて一息つく間もなく、夏休み中の活動計画を練っていく。

 ある生徒は部活動の日程を顧問と相談し、ある生徒は実習の計画を仲間たちと共にたてていく。ある生徒はアルバイトの申請書を持って走り回り、ある生徒は追試の知らせに深く傷つく。またある生徒は夏休み後の体育祭に向けての準備をし、ある生徒は農業クラブで発表するプロジェクトをまとめている。


 一方で、実習生たちはそんなことなどお構いなしに、いつも通りに実習をこなしていた。


 強いていつもと違うところを上げると、菜津希の調子が悪いことだろうか。


「なんか、今日は一段と疲れたかも……」


 午前の実習は、トマトとキュウリの収穫。どっちも長いこと継続的に続いている仕事だ。それはつまり、長期的に安定した収入を得られている証拠でもあるんだけれど、こう、いつもと同じで代り映えしない作業というのは、なかなかに堪えるものがある。

 特に、この夏野菜たちの収穫は、定期的に大量に収穫出来てしまうものでもあるし、作業自体も淡々としていて簡単。特にトマトは、ヘタの部分が関節のような構造をしていて、ある方向に力を入れると簡単にもぎ取れてしまう。ハサミすら使わなくていいラクさだ。それは同時に、張り合いがないというかなんというか、こう、単純につまらないのだ。


 特に、去年まで切磋琢磨と張り合いの中で生活していた菜津希にとっては。


「……ハァ~。布由っち、早く帰ってこないかな~」


 菜津希はそう呟きながら、リビングの机に突っ伏した。食堂の概念がないこの寮では、誰かが一足先に戻ってご飯を作らなければならないという面倒くささがある。一見非効率的に見えるし、なんだったらケチ臭さすら感じるこの制度.。だけど、いずれ自立して自分の農地を得たときに、自分で料理が出来なければいけない。当たり前といえば当たり前で、普通の会社と違って職場=自宅だから、社員食堂なんてものはないからだ。それに、せっかく自分で食材を生産するのだから、それを食べないなんてあらゆる意味で勿体ない。そう考えると、この自分たちで自分たちのご飯を作らなければならない状況というのは、とても理にかなった状態ではある。


「メンドクサイな~……ハァ~」


 とはいっても、男2人はロクに料理もできないし見ていてこっちがハラハラするし、布由っちはなんとなくマイペースなうえに小食だから、作る料理もこじんまりしているしで、結局ほとんどのご飯を菜津希が一人で用意しているというのが現状。

 そして、そんな状況が長く続いたせいもあってか、菜津希の料理のレパートリーは底を尽きてしまっていた。とまあ、そんな状況なわけで、正直モチベーションが上がらない。せめて布由っちが帰ってくれば、ちょっとは気が楽になるんだけどな。

 そう考えながら、壁にかかった時計を眺めていると、玄関の方から声がした。


「菜津希ちゃ~ん、いる~?」


 声の主は、佳代さんだ。どこかのんびりとした口調は、少し離れたところからでもわかる。菜津希は返事をしながら、玄関へ歩いた。


「どうしたんですか……あ、それって」


 玄関の外にいる佳代さんの手には、木目がプリントされた箱がひとつ。


「貰いものなんだけど食べきれなくて。まだ料理してないなら、どうかなぁ~って思って」


 そういいながら、佳代さんは箱の上蓋を外す。中には、白くて細い棒状の束が。


「わ、そうめんじゃないですか!」


 この暑い季節に、さっぱりした冷たいそうめんは格別に美味しい。しかも、湯がして冷ますだけの簡単調理。モチベーションが駄々下がりだった菜津希にとって、これはまさに渡りに船といった感じだ。


「ありがとうございます! さっそく今日のお昼ご飯にしますね!」

「うふふ、それはよかったわ~。あっそうそう、これも渡しておくわね」


 そういって取り出したのは、赤い蓋をしたタッパーだ。中には梅干しが形を崩さない程度に詰め込まれている。


「暑くなってきてるから、一日一個は食べるようにしてね」


 梅干しは主に、干した梅を紫蘇や食紅とともに塩漬けにすることで作られる保存食だ。塩による浸透圧で、細胞内の水分を放出されると同時に、濃度の高い塩分によって雑菌の繁殖を抑制する。


 そんな方法で作られるため、塩分を大量に含んでいるのが梅干しだ。そこに、梅に含まれる酸味成分のクエン酸をはじめとする栄養素が、夏バテ予防に役に立つ。酸っぱいから口直しのご飯が進むし、その分水分も自発的に摂るようになる。


 早い話が、梅干しはこれからの季節に異常なレベルで役に立つ食品なのだ。


「夏バテには気を付けるのよ~」


 佳代さんはそういうと、菜津希に手を振って母屋に帰っていった。今から佳代さんもお昼ご飯の準備なのだろう。

 菜津希は貰ったものをキッチンまでもって入り、鍋に水を張ってIHに乗せる。


「よし、沸騰するのを待つ間に、なにかおかずを用意しなきゃ」


 どうやらスイッチが入ったようで、先ほどまでの気怠さはすっかり収まっていた。

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