山頂の大仕事 その2

「涼さん。素朴な疑問なのですが質問してもいいですか?」


 6月12日水曜日、午後4時半。場所は山頂のブドウ畑。

 東日本はすっかり梅雨入りし、毎日ジメジメとした日々が続く中、今日は珍しく晴れている。とはいっても、ハウスの中はいつもと変わらず湿気があって暑い。昼間はハウスの中にいてはいけないほどに気温が上がる。


「ん? なんだ……布由…だっけか」


 そういった関係もあって、ここ農家農園では6月からは就業時間に変更が設けられるようになっている。5月までは13時からスタートですが、それが16時から。つまり、お昼休憩が3時間分追加されるということ。

 当然、終了時刻も変更される。普段は17時終了ですが、それが19時までに。実質的には1時間分就業時間は短くなっている。こうやって就業時間を自由に調整できるのも、自営業・自由業の長所のひとつ。


「このブドウの房の管理……摘果でしたっけ」


 でも、日が暮れればできる作業が限られるし、実質的に歩合制な農業ではその1時間仕事が出来ないというのはマイナス。かといって、無理して体調を崩せばさらに多大なロスを招いてさらにマイナス。この危うい均衡を保ちながら、どれだけ効率よく動くかがこの夏の間は重要になっていく。


「最初から3段にしたほうが効率はいいのでは?」


 今回の作業内容は、ブドウの実の塊(これをクルマというらしい)を切って、1房3段――約40粒程度にする作業。5月の中頃から、ずっと続いている作業。


 それを、つぼみの段階から40粒程度まで切り落としておけば、約3週間分の空き時間ができるのでは。と、布由は素人ながらに思ったのだ。


「ま、普通はそう思うだろうけどな。そういうわけにはいかねえんだ」

「何故ですか? 大きさ的な問題でしょうか」


 布由の目の前にあるブドウの粒の大きさは、約5㎜。でもこれもつぼみの頃は1㎜もないくらいの小さな粒々。その粒々を鋏で切っていくのは、確かに難易度が高いような気がする。でも、だからこそ技術でカバーできるようにも思える。

 涼さんは、「まっそれもあるがな」と呟いた後、房を切る手を止めずに説明した。


「ブドウの樹ってわりと馬鹿でな。自分で花を一杯付けるくせして、ちゃんと結実できるのはほんのわずかしかねえ。かといってそのほんの僅かだけを残すと、今度はしっかりつきすぎて破裂させちまうか、さらに結実しなくなってほとんど粒が無くなるかだ。そのバランスは、成長段階によってズレるんだよ。そのバランスを適宜とろうとすると、どうしても段階的な作業になる」


 と説明をしていると突然、涼さんが鋏を止める。その手元を見ると、素人目に見ても切ってはならない部分を切ってしまったのだと冬には見て取れた。


「……切り足りないなら後で切ることも出来るが、足りないからってくっつけることは出来ねえ。そういう意味でも、段階的な方がいい」

「……なるほど、そう簡単にはいかないんですね」


 2人は、少し気まずい空気を感じながら、出来るだけ切ミスをした房から目を逸らすようにして作業を再開。時刻は午後5時。終了まであと2時間。



「そういえば、なぜブドウをやろうと思ったのですか」


 踏み台を移動させながら、布由が聞く。ここは山梨や長野といった有数の産地でも、岡山のようなブランドを持った地域というわけでもない。そして、果樹である以上収穫までに数年を要する。涼さんの普段の様子を見ていても、楽しんで作業をしているという感じはしない。

 涼さんは、上に伸びた枝を横向きに直しながら答えた。


「まあ理由はいくつかある。1つ目は施設化の技術が発展していること。2つ目は樹を持ってる人が近所にいたこと」


 ビニールハウスのような大掛かりなものから、枝周りに屋根をつけるだけのものまで、ブドウの施設はたくさんある。用途や方法、規模に合わせて使い分けられるというのは、かなり便利。施設であるため天候の影響は少ない。

 そのかわり、虫や菌が繁殖したら被害は大きい。だからこそ、防除作業が重要になるのだけれど、涼さんはそこが一番嫌いのはず。


 それを覆すだけの理由は、すぐにわかった。


「3つ目はブドウが好きな漁師がいること。まあ大体この3つだ」

「漁師さん、ですか?」

「ああ。山じゃ魚は捕れないし、海じゃ野菜は採れない。けど、それらは交換すれば手に入る。とびっきり新鮮なやつがな」


 物々交換。お金も市場も使わず、売り手と買い手が直接物と物で行う取引方法。最も古い取引方法とされる。


「水産物を手に入れるための手段としてのブドウ、というわけですか」

「そういうことだ。流石3科。わかってるじゃねーか」


 珍しく、という表現は正しくはないですが、涼さんが他人を褒めた。普段荒っぽい人が誰かを褒めると、それだけでギャップが生まれて”認めた”という感が増している。それに対して布由は素直に、当然です、と胸を張った。


 農業は、作ることが目的ではない。あくまで目的は、。作るのはただの手段。そこを間違えてしまうと収益にはならないし、時間と労力の浪費になってしまう。


 そして収益を得ることもまた、手段でしかない。得た収益を使って生活することこそが目的なのだ。働いても生活できないとか、働いたせいで健康になれないとか、そういったものは全て本末転倒で論外。布由は穂農で、それを一番に学んだ。


 でも、ひとつだけ気になることが。


 それは、涼さんはどうやって漁師さんと知り合いになれたのか。そして、どうやって物々交換に至ったのか。将来経営者を目指す布由にとって、そこはなにより聞きたいことだったが、せっかく機嫌がいい涼さんに「どうやって友達が出来たのか」みたいな質問をするのはよくないと思ったので、今回は諦めておく。




「おし、済んだな」

「時間は……6時半ですね」


 会話をしながらお仕事をしていたのに、効率よくこなせていたようで、予定より30分早くに今日のお仕事は終了した。


「他の3人はなにやってんだっけ?」

「確か、ゴボウの草取りだったはずです」


 作業時間は約2時間半。たったそれだけの時間ではあったが、なんとなく涼さんとの距離感が掴めた気がする。布由はハサミをケースにしまい、踏み台をもとの位置に持っていきながらそう思った。




「ところで、さっき切ミスした房はどうするんですか?」

「……切って粒だけにして、パック詰めして売るかな。それか試食用に回すかだな」

 布由のそんな意地悪な質問に、涼さんは渋い顔をしながら答えた。

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