はじめての農機具
研修1日目。午前9時。
その日の午前中は、圃場(つまりは畑のことだ)の石拾いを行った。
その土地は山の麓の斜面に設けられていて、大きさは約1反。だいたいテニスコート1枚分。孝義さんによれば、およそ20年前に開墾した、比較的新しい土地だという。
開墾した当時から、毎年石を拾い集めては捨てているのだが、減る気配は全くといっていいほどないそうだ。原因は、浅い位置に岩盤があるからだそうだ。トラクターや
「陽当たりや、用水路の位置だけで判断すると、こんな面倒なことになるから、土地選びはしっかりと行うように」
孝義さんの、そんな説得力のありすぎるアドバイスを聞きながら、僕達4人は黙々と石を拾い集めては、トップカー(小型の運搬用車両のこと)に乗せていく。そして時折孝義さんがトップカーを操縦して、どこかへ石を捨てに行く。
そんな繰り返しの作業を、軽い雑談をしながら繰り返すこと3時間。午前の研修は滞りなく終わりを迎えた。
午後からは、午前中に石を拾った圃場に戻り、今度はゴボウの播種準備だ。
「今からコレの使い方を説明するから、ちゃんとメモとかするように」
孝義さんが持ってきたのは、
「この手の機械は、チョークっていうものがあってね、エンジンへ送る空気の量を調整する役目があるんだ。これを、始動時は閉めておく」
チョークを引っ張ると、今度は燃料をエンジンへ送るコックを開け、次いでスターターを握る。
「あとはこれを何度か引っ張る。これはモーターを手動で回すための装置で、これで電気を生み出す。そうすると点火用のプラグが火花を散らして、ガソリンが燃焼し始めるっていう仕組みなんだ。だから、何回か引かなきゃエンジンがかからないこともあるし、思いっきり引かなきゃ発電量が足らずに火花が小さくなる」
そういいながら、孝義さんはスターターを何度か引っ張った。すると畝立機は低い唸り声のような音を立てながら始動。しかしその音は、ぷつりぷつりと連続して途切れるような音だ。その様子を、晴間と布由はメモを取り、菜津希はスマホで動画を撮りながら聞いている。秀明は機械のメーカーや型番などが書いてあるプレートをほうに興味を向けていて、ロクに話を聞いていない様子だ。
「このタイミングで、すかさずチョークを戻す!」
エンジン音に負けないくらいの音量で、孝義さんが叫びながらチョークを押し戻す。すると、酸素濃度の濃くなったガソリンがエンジンへ送られるようになり、明らかにエンジン音が変化する。
「……―――…―――――………!」
孝義さんがなにか言ったが、エンジン音にかき消されて全く聞こえなかった。だが、その身振り手振りから、今からお手本を見せる、といったのだと推測。
そして畑を真っ直ぐに走らせ、一本の真っ直ぐな溝をあっという間に作って帰って来る。
「これを一列ずつやってもらいます。まずは晴間君から」
名前を呼ばれた晴間は返事をしながら、畝立機のハンドルを掴む。ハンドルには、自転車でいうブレーキがある部分に、左右の車輪を駆動するためのアクセルがついていて、手を放せば瞬時に止まるようになっている。
「出来るだけ真っ直ぐにしないとな……」
畝立機を真っ直ぐ走らせれば、出来る畝も真っ直ぐになる。真っ直ぐな畝なら種蒔きも簡単になるし、それ以降の作業も楽になる。そう言った意味ではかなり重要な作業だ。
晴間は軽く深呼吸をした後、アクセルを握り、畝立機を走らせる。最初のうちは、孝義さんが作った溝があるので比較的真っ直ぐに進む。しかし、少しのズレが積み重なれば、最終的に大きなズレを生じさせるものだ。
結果としては、比較的真っ直ぐに走らせることは出来た。しかし、スタート地点よりもゴール地点の畝幅のほうが狭い。つまり、途中から若干左に寄ってしまっていたということだ。
「オイオイ1科ぁ~。もっと真っ直ぐじゃなきゃダメじゃないのか~?」
同じ1科の秀明がからかうような口調で煽る。じゃあお前がやれよと言いたくなったが、どうせ後からやるので、晴間は多少ムッとした表情を浮かべながらも口をつむいだ。
「次は私かぁ~。いけるかな~」
次に畝立機を転がすのは菜津希だ。昨年度までは加工用の機械しか触っていない彼女は、かなり緊張した面持ちでハンドルを握っている。
そして、少なくとも1科の2人には、菜津希の結末が手に取るように見えた。というのも、2年の秋に行った耕耘機の実技授業の際、機械音痴の女子生徒が盛大に“やらかす”のを見ていたからだ。
で、菜津希もその生徒と同じように、やっぱり“やらかした”。
「菜っちゃん。酒気帯び運転で現行犯」
「う、うるさいわ! 使ったことないんだからしょうがないじゃん!」
その畝は、まさに千鳥足といった風貌で、左右に激しく曲がっていた。確実に、作業性に難ありなほど。こればかりは秀明に同意で、飲酒運転でもしたのかというほどの蛇行運転だ。
だが、こうなってしまうのが普通だ。耕耘機や畝立機が通るのは、コンクリートやアスファルトといった硬い舗装道ではなく、柔らかい土だからだ。しかも道中に石があったり、ぬかるんでいたりするその土を、10㎝ほど掘りながら進むのだから、曲がってしまうのは無理ない。自転車にはない、エンジンという動力機関が備わっているのも、それを増長させる一因になっている。
おまけに、菜津希が畝を作ったのは、晴間が作った畝の右側。もっといえば、途中から左に曲がっている畝の隣に作るのだから、歪んでしまうのは仕方のないことなのだ。
「よっしゃ次俺な!」
そんなぐにゃぐにゃに歪んだ畝の隣に畝立をするのは、更に高難易度だ。秀明はやる気十分な様子で、ハンドルを握りしめ、自転車でもこぎ出すような勢いで走らせる。馬鹿にされた菜津希が何事か文句を言っていたが、これもエンジン音にかき消されてよく聞き取れなかった。
そして当の秀明は、何事もなかったかのようにスムーズに終わらせて帰ってきた。出来た畝は当然のように真っ直ぐだ。
「すごい。流石1科だねー」
さっきまで文句を言っていた菜津希が拍手をしながら、感激の声を挙げる。秀明の実家は農機具屋なので、こういった機械の扱いはお手の物だ。間違いなく、うちのクラスで一番上手い。
「コツは、真っ直ぐ前だけ見ること。自転車も車もコイツも全部一緒で、脇見厳禁だからな!」
秀明が得意げな顔をして、菜津希のほうを見ながらそう説明する。すると菜津希は、「ソレ私がやる前に言ってよ!」とまた文句を言っていた。そんな2人を孝義さんはなだめながら、鍬を持って畝の手直しを始めていた。
「次は私ですか……」
2人が言い争いをしている間に、布由が作業をしに畝立機の前に立ち、ハンドルに手を伸ばす。
「あっ…」
そして、改めて傍に近づくことで、布由はあることに気付き、その場で固まってしまった。その様子を見ていた晴間も孝義さんもそのことに気付き、空気が変わったことに気づいた2人も、遅れてそれに気がつく。
畝立機を扱う上で重要なのは、爪を地面に押し付けること。そうしなければ、畝立機はただ、地面の上を走るだけになってしまうからだ。更に、押し付け過ぎればその場に穴を掘ってしまい、埋まって前に進まなくなってしまう。そうなった場合は、機体を上に向けることで、穴から脱出することが出来る。
それらを可能にするためには、力を入れやすい腰の位置あたりに、ハンドルが存在しなければならない。だが、身長140㎝。数値に出すとわかりにくいが、ようは中学生並の低身長。両腕をほぼ水平に伸ばした布由は、「皆さん」と小さく呟いた後、ゆっくり振り返って言った。
「これ……私には無理なやつですよね」
その場にいた全員が、同意の意志を示した。
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