No.5-2




 矢竹が目を覚ました時、視界に入ってきたのは自分の膝と畳だった。


 正座の体勢で項垂れた状態で放置されていたらしい。慌ててバッと立ち上がり周囲を見回そうとしたが、身体が思うように動かなくて無様に前へと倒れた。受け身も取れず顔面から畳に突っ伏す。怪我はしなかったが擦った額が痛い。

 原因はすぐに分かった。腕が後ろ手に縛られていたのだ。

 幸いにも足は拘束されていないのでひとまず安心した。物は持てないが時間をかけて壁を使えば立って移動出来る。差し迫った危機は無いと判断した矢竹は、とりあえず周囲の状況把握に努めることにした。

 だが、その楽観は甘いと知らしめされることになる。辺りを見回すとすぐその異常に気付いた。


 特注で作られただろう骨が鉄で出来た障子襖。

 鎖を繋いでおくための金具が設置されている柱。

 唯一光が入り込む窓に付いた鉄格子。

 宗教に関する本しか詰まっていない本棚。

 縛った縄の痕がついた椅子。

 首を括られないよう短く高い位置に調節された電灯の紐。


 


「何で……」

 あの状況の旧校舎から移動している理由も、起きた場所が実家だという原因も分からず疑問が矢竹の口から零れ落ちる。ただただ何も理解することが出来なくて焦燥感が募った。

「誰か、誰かいないのか!」

 誰でも良かった。

 助けに来てくれた味方でも害を為そうとする敵でも、自分の状況と山吹の無事を教えてくれれば矢竹にとって誰でも良かった。

「起きられたんですね、矢竹さん」

 聞き覚えのある声が聞こえた。その声の主は錠を外し、鈍い金属音を響かせながら扉を開けていく。

「…………嘉木森、さん」

 姿を見せた彼女は、普段学校で出会う様子と何ら変わりないように見えた。そして、呼び掛けではなく呆然と名を呟かれたことに対し、林檎はこれ以上無く嬉しそうに矢竹へと微笑みかけたのだった。

「美浦は!? 美浦は無事なのか!」

 その問いに林檎は一瞬顔を固まらせたが、すぐにふわりと柔らかい笑顔を作る。

「……ご自分よりも後輩のことを先に心配されるなんて、やはり優しいんですね。無事ですよ。」

「良かった……。だけど、何で君がここにいるんだ?」

「何でって、以前からここにいたじゃないですか、私。矢竹さんは本当に覚えてないんですね」

 林檎は頬に手を当て、質問に大層困惑した表情をした。その態度に矢竹の方が心底困り果てる。だが『以前からここにいた』というワードに、ふと思い出したことが一つあった。

 脳裏に甦ったのは昔の家の記憶。沢山人が家に訪れてはある部屋に入り、何かに拝んで親へ礼を言って帰っていく。

「君は……家に来てた沢山の人達の一人だったのか?」

 矢竹の問いに、林檎はただ笑んで部屋の中に一歩足を踏み出した。

「貴方はこれから『語り手』となるのです」

 『語り手』と言われ、矢竹が連想するのは旧校舎管理委員会での任務のこと。しかし林檎がそのことを言っている訳ではないというのは何処と無く分かっていた。

「何を、言ってるんだ? いきなりそんなこと言われても……」

「貴方のお母上が務められている地位、そこに就くのですよ。貴方も」

 一歩、一歩。話しながら楽しげに林檎は矢竹へ近付き、



 ガッ、と。

 矢竹の口に猿ぐつわを噛ませた。



「──────ッ!?」

 矢竹の口から悲鳴が漏れたが、それは呻き声として布に吸い込まれる。必死に身を捩ったが振りほどくには腕が縛られて分が悪い。

「暴れないで下さい。ここで逃げたとしても出入口には見張りが居ますからね?」

 恍惚とした声色でヴェールのような黒く長い布を矢竹へと被せる彼女。あまり重みの無いその布は周囲がうっすらと見える程度には透けていた。だがそんな薄さでも、矢竹に与えられる拘束感は増すばかりだった。

「貴方のお母上が何をされていたか、ご存知ですか?」

 矢竹は知らなかったし、塞がれた口では答えることも出来ない。もしかすると最初から答えは求めていなかったのかもしれない。

「貴方のお母上は教祖様をしていたのですよ」

 教祖。

 最近ここのところ信じられない事態ばかりだが、そんな胡散臭いワードがあがるとは思わなかった。しかも、何ヵ月前に会ったばかりのクラスメイトから。

 愕然とする矢竹を気にすることもなく林檎が出入口の襖を開けると、そこには屈強な男二人が台座を用意して待ち構えていた。金の房飾りが豪奢な臙脂色をしたベルベットの台座だ。林檎は華奢な体躯だというのに軽々と矢竹を持ち上げそこに乗せる。乗ったときに石のような重厚で冷たい感触がしたが、キャスターがついているらしく林檎が矢竹の背中を押すと簡単に前へ進んだ。

「今日はちゃあんと見ていて下さいね。貴方もそのうち、皆さんの前に立って取り仕切らなくてはならないのですから」

 重い音をたてながら廊下を進んでいったが、やがて一つの部屋の前で止まる。平屋造りの奥の最果て、四つ襖が並べられた一番大きな部屋の前だ。二人の男はタイミングを合わせゆっくりと襖を開き、矢竹は恭しく通されたのだった。


 入った瞬間、歓喜のどよめきが聞こえた。そして両脇の大太鼓が鳴り響き始める。

 大きな畳の広間は嵌め殺しの窓で三方を囲まれていて、その全ての窓に簾のようなブラインドがかかっていた。そして、そんな薄暗い部屋に大勢の人間が集まっていた。姿はよく見えない。だがある者は神妙に、ある者は喜びを隠しきれないといった声があちらこちらから聞こえる。

 怖い。

 得体の知れない集団に矢竹は恐ろしさがこみ上げてきた。見えない視線から異常な熱狂がひしひしと伝わってくる。一際大きくなった歓声に気がつき横を見れば、久しぶりに見る母親が凛とした佇まいで入ってきたところだった。そして矢竹は母親と林檎に押されて、信者が左右から凝視する道を通って上座へと通された。

 どんなに助けを呼びたくても猿ぐつわが、声を意味の無い音へと変えてしまう。

 その漏れでた音も打ち鳴らされる大太鼓がかき消してしまう。

 逃げ出そうとしてもがいても、林檎に後ろ手の縄を掴まれて微塵たりとも動かない。

 目線で訴えかけようとしてもヴェールで周りから表情さえも見えはしない。

 そもそも母親に妄信的な狂信者たちが矢竹が訴えたところで動きはしないだろう。


 矢竹は幼い頃から母親に『人の為に貴方の出来ることをしなさい。誰かの罪を許しなさい』と言われ、その通りにしてきた。全てはこの為だったのだろうか?

 何も分からない。母親の伝えようとする教えも、彼らの信ずる神も。

 それでも矢竹がと思い懸命にもがいた、その時だった。



 客用の玄関口から悲鳴が響いた。



 それは大太鼓の音も、トランス状態だった信者たちの意識さえも引き裂く女性の甲高いものだった。矢竹もハッと我に返り唯一自由な首を動かして声の方角へ向いた。

 聞こえた直後はただ静まり返っていた。だがどんどん未知への恐怖と怯えが伝わっていき、人々は波紋が広がるようにざわめきだした。

「静粛に。今は礼拝の最中ですよ」

 母親がよく通る声で律し喧騒はトーンを落とす。だが出入口の襖が派手な音をたて内側へ吹き飛び、束の間の静寂も壊された。あちこちで短い悲鳴があがり、広間の全員が倒された襖の先に注目していた。



 ────、と。


 広間へ入ってきたのは般若の面を付け、その上から真っ白な着物を被った学ランの少年。服装だけならそれだけである──いや、この真夏に上下長袖の学ランを着ているのもおかしいが、それよりも。


 全身は返り血にまみれていた。


 ベタ、ベタと裸足で歩を進める度に血糊の足跡が続く。水分を吸った重みのある着物を引き摺るその足取りからは、正気を感じられなかった。

 出入口が一ヶ所しかないこの部屋では端に寄るしか逃げ場が無い。そして、その逃げ場も人数が多ければ限界がある。端で逃げられない人に少年は近付いていく。短く悲鳴があがる。少年は、その人の頭に血塗れの手を伸ばした。そして、



 バキ、と。

 

 空間を埋め尽くす絶叫。




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