No.4-4
何回も、何回も扉を開けようとする金属音が静寂に溶けていく。
「くそっ、おい……何で開かねえんだよ…………何でッ!」
名も知らない男子が苛ついた声を昇降口の扉にぶつける。いくら彼が拳を強く打ち付けようと、扉がそれに応えることは無かった。ガシャンと無機質な音が鳴るだけだ。
テケテケと遭遇したあの時はもう駄目かと思ったが、山吹が怪異の顔面に聖水弾を撃ちこんでいる隙に、矢竹が肝試しをしていた彼らを廊下に出して逃げることが出来た。怪異が急に曲がれない怪異で助かった。だが直線を走らないようにして逃げまどい、なんとか撒いたので彼らだけでも外に出そうとした結果がこの有り様だ。
普段この旧校舎は問題なく通話出来るのだが、外にいるはずの蘇芳に何度電話をかけても繋がらない。スマホのアンテナをみれば圏外になっていた。これが前に蘇芳の言っていた怪異の持つ隠蔽性というやつか、と矢竹は内心で舌打ちをした。実際にはやらない。共に逃げている一般人の不安を煽る余計な真似はしたくなかった。
「怖い、怖いよ。…………足痛い、もうやだ……」
静かだ。浴衣を着ている女子の啜り泣く声や誰かの荒い息遣い以外、本当に静かだった。花火はもうすでに鳴りやみ、虫の声さえ聞こえない。みんな憔悴して何も喋る気にならなかった。
「……ねえ。やっぱり、あの化け物って……あれ、なのかな」
ぽつり、と口火を切ったのは今まで黙って俯いていたもう片方の女子だった。
「あれって何? 逃げる前にもさっき話したあれ、って言ってたよね」
もしこんな状況でなければ、矢竹は知らない人達の会話にぐいぐいと突っ込まなかった。こんな立ち入り禁止区域へ平気に入る連中とは好き好んで関わりたくない。しかし今は違う。噂が、人の思考が怪異に変わると知った今では少しでも情報が欲しかった。いきなり問い詰められて彼女は戸惑っていたが、今の矢竹は生憎と形振り構っていられない。
「え、えと……雰囲気ある廃墟みたいな建物の話を、ある人から聞いたの。あとテケテケの噂。だから肝試しで話すにはちょうどいいかなって」
「分かった。ありがとう」
「…………テケテケ、ッスかぁ」
山吹の短い呟きには困惑半分、嫌そうな響きが半分含まれていた。そして矢竹にだけ聞こえるように小声で、手帳を見ながら説明してくれた。何故小声かは矢竹にはよく分からなかった。怪異に詳しすぎると色々怪しまれるからだろうか。こんな時刻に注意をしに来たし銃で怪異を撃っていたので、矢竹には今更遅いのではと思えた。
「簡単に言うと下半身の無い上半身だけの少女、見た目そのままッスね。その噂する人によって内容はまちまちで、大体テケテケになった経緯とか何日以内に話を聞いた人の元に来るとかが噂されてるッス。今回のは時速100km超えとかじゃなくてラッキーッスね。追い払う呪文があるらしいッスけど……今は調べる方法が」
「そうだな。……美浦、そこに書いといてくれて助かったよ」
いーえ、と簡潔に返す山吹の表情はやはり固い。当たり前だ。この怪異が引き起こした外部からの隠蔽をどうにかしない限り、山吹と矢竹の二人だけで解決しないといけないのだから。それも一般人を庇いながら、だ。
「蘇芳先輩なら知ってたのかな」
山吹が誰に言うでもなく独りごちた。それは自分に何処か力が足りず悔しい、と言わんばかりの響きを含んでいた。
矢竹も悔しかった。自分の力が及ばないこと、後輩にこんな思いをさせること……救えない命があったことが。
────ぺた、ぺた、
「……………………っ!!」
全員の顔が強張る。
敏感になっていた耳に、こちらへと近付く裸足の足音が聞こえた。お互い示し合わせるまでもなくそれがテケテケだと直感で理解していた。
「ヤバい、ウチらを追って来たんだよ!」
「いやっ……………もう嫌……!」
「落ち着いて! もう一度撒いて出口を見付けよう、一回出来たんだからまた出来る!」
自分にも言い聞かせるように彼らに大きめの声をかけて、矢竹はグッと懐の手榴弾を強く握りしめた。爆裂すれば辺り広範囲に聖水を散布する怪異隠蔽課の特別製だ。
緊迫した状況の最中、矢竹は脳裏に閃いたものがあった。それは確実とは言えない机上の空論。だが元より勝率が低い現状では試さずにはいられなかった。
山吹に簡潔に伝えると無言で頷く。すぐに矢竹のことを信じてくれて心の底から感謝した。そして矢竹は集団の中で一番足が速そうな少年にある指示をする。
「そ、そんなこと……オレ……」
「アイツを何とかしないとここから出られないんだ。頼んだよ」
まだ彼らは狼狽えていたが時間が無い。走って! と問答無用で背中を押した。手榴弾のピンを抜きレバーを握り込む。そして矢竹と山吹は、テケテケへと相対する。
「こっちだ!」
矢竹は挑発しながら手榴弾を投げつけた。
少年達は走り出した。矢竹と山吹はその場を動かない。ただテケテケの攻撃をじっと警戒している。暫く二人は聖水が撒かれた、何の動きも無い廊下を睨み付けていた。
いきなり水煙の中からテケテケが飛び出して来た。
飛び上がりながら爪先で矢竹を狙う。
「……ッ!」
その指先は矢竹の胸元を掠る。服が少し破けたがギリギリ皮膚は傷付かなかった。背中にドッ、と嫌な汗が吹き出すのを感じながら、矢竹は追加の手榴弾をテケテケにぶつけた。ぶつけたことでテケテケは動きを止め、手榴弾は刹那ののち爆発する。動く気配を感じてから後ろを気にしながら走り出した。何しろ、二人は時間稼ぎで囮なのだ。テケテケに見失われては困る。視界でもテケテケを確認したので二人はスピードを上げていく。
もう少し、もし少年が矢竹に言われたことをやっていてくれたならばこの窮地から脱却出来るはずだ。
思ったよりテケテケが速い。
疲労が溜まった足が重くなってきた。
間が徐々に詰められていく。
だが不思議と矢竹に焦りは無かった。
もう少しだ。
もう少し、
階段の前まで走った二人は、階段の方へと飛び込んだ。
そして、その勢いのまま片側を柱に結んだロープを思い切り引いた。
逃がした少年に、先に行って結んでおいてほしいと頼んだロープだ。
「ガっ…………!?」
人間みたいな悲鳴があがる。
ロープに腕を思い切り引っかけたテケテケは勢いのまま転け、派手な音を立てながら一回転して顔から床に突っ込んだ。
テケテケは起き上がろうと腕で上体を起こそうとしたが、そんな隙が見逃されるはずもない。矢竹はモップの柄でテケテケの腕を叩くように押さえつけ、山吹は無防備な背中に片足を置き踏みつける。
「観念するッス」
山吹はテケテケの後頭部にゴリ、とエアガンの銃口を押し付け……引き金を引いた。
マガジンに詰まった何百もの聖水弾が零距離で怪異に当たる。倒しきれなかったもしもの時を考えて、矢竹は最後の手榴弾を投げる構えを取る。いざとなったら矢竹は山吹を突き飛ばして庇うつもりでいた。
だがその心構えも必要なく、テケテケは煙のように消え失せたのだった。
「やった……」
矢竹は手から力が抜けてモップを床に落とした。静かになったので見に来た肝試し集団は、倒したのが信じられないように忙しなく辺りを見回している。
「やったッスよ先輩! 二人だけで倒せるとか奇跡みたいッス!」
後ろから山吹が抱きついてくる。矢竹も本当は山吹のように喜びを全面に出したかったが、今更になって恐怖が勝ち足が震え始めていた。後輩と一般人の手前だから何とか立っているが今すぐその場に座り込みたかった。
これで旧校舎から帰れることを集団に伝えようとしたその時、彼らは矢竹を驚愕の表情で見ていた。
…………違う。矢竹が彼らを見ても目線が合わない。
彼らのうちの一人が矢竹の後ろへと、驚いた声で呼びかけた。
「林檎さん」
「…………え?」
何を言っているか分からない。彼女がここにいるだなんて。矢竹は脳味噌が働かないまま咄嗟に振り向いた。
目の前でスローモーションのように山吹が崩れていった。
苦悶を顔に浮かべ、鮮血が服に滲んでいる。何が起こった? 矢竹は何も理解が追い付かなくて呆然とした。音を立て廊下に倒れる後輩を、助け起こすことさえ出来なかった。そんな矢竹の前に、拓けた視界に人が立っていた。
いつもの笑みで林檎が立っていた。
────そこで矢竹の意識は途切れる。
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