No.4-3
無音の旧校舎に立っていた。
すぐに夢だと気付いた。色も音も無い、非現実な空間。
前と比べて恐ろしくなかった。
危険へと向かう知人を見て胸を締め上げるような思いをしないのが一番大きいだろうか。旧校舎に慣れてしまって景色から現在地もだいたい分かっている。
辺りを見回しながら廊下を進む。誰も灯りで照らす人がいないのでかなり見にくいが、何となく見覚えのあるガラスの割れ具合を目印に歩いていく。隙間から外を覗けば雨が降っていた。
そこでふと、ある教室の明度が明るいのに気がついた。相変わらず彩度は存在しないが、そこだけ扉の磨りガラスから光が漏れ周囲を照らしている。黒の中に唯一白がある。
音も無く扉を開ければ、そこには複数の人がいた。
全員学生くらいの年齢に見えた。男子が三人、女子が二人。だいたい私服と思わしき格好をしていたが女子の一人は浴衣だった。
そこは教室の一つで机や椅子は周囲に積み上げられていた。中心で彼らはLEDのランタンを囲むように円形に集まっていて、こちらに気がつく様子も無く楽しげに何かを話し合っていた。
────別のところに行こう。
一定時間待ってみたが特に変化せず、だんだん退屈になってきてしまった。このまま見ていても何も変わらないだろう。他の場所を回る方が有意義に思えてきて、未だ談笑する彼らに背を向けた。
目の前に人が立っていた。
いつの間にそこにいたのかは分からないが、しばらく背後に立っていたようだ。ただ、驚いたのは視界外に人が立っていたことだけではなかった。
その人物、林檎と目が合い、彼女はにっこりと微笑んだ。
夕焼けに染まる男子部屋の中、矢竹は目を覚ました。突然夢から覚めて混乱していた。だが少し潜考すれば巡回前に仮眠をとっていたのだと思い出す。スマホで時刻を確認すればまだ午後の六時前。耳をすませばリビングの方からテレビの音が聞こえてくる。横のベッドを見れば蘇芳が寝ていた。矢竹は一つ息を吐いてから、落ち着くためにスマホを手の中に収め軽く握った。
前のようにパニックを起こしてはいない。だが頭の中に幾つもの疑問が浮かんでは消えず、残り続けた。
彼女は何をしにあそこにいた? 彼女は彼らと何の関係がある? 何故こちらを見ることが出来た?
そもそもあれは、また予知夢なのだろうか?
再び現実になるのだろうか。現実になったとして、何が起こるのだろうか。矢竹はしばらく布団の中で悶々と考えていたが、ただ闇雲に時間を消費するばかりだった。
────この日は、花火大会の日だった。
最初に鈍い破裂音、それを皮切りにして断続的に波の音のような破裂音が続く。
「……始まっちゃったな、花火」
曇った磨りガラスに滲む色が綺麗だと思う反面、矢竹の胸中には憂いもあった。
「そッスね。気をつけないと」
横を歩く山吹が両手で握りこぶしを作る。普段緊張感とは程遠いのんびり屋の後輩でも気合いを入れる状況なのだな、と矢竹は改めて気を引き締め直した。花火大会のこの日は厳重体制ということで二組で見回りをする。校舎の中を山吹と矢竹、校舎の外を蘇芳と桃が回っている。勿論、片方に何か起これば残りの非番組もすぐに呼び出されるが。
「矢竹先輩」
「うん、どうした?」
「何で花火大会は気をつけなきゃいけないでしたっけ?」
矢竹はギャグ漫画のごとく転けるところだった。流石に後輩の前でそれは不本意だ。何とか体勢を持ち直し、前に蘇芳の言っていたことを噛み砕いて説明する。
「花火大会は浮かれる人が多くて肝試しする人も多い。その流れで噂して怪異が出てくる可能性も高くなるからだよ」
「ふむふむ。へへ、ほら先輩見て下さいッス。今度はマーカーで手の甲に書いたから大丈夫ッスよ!」
「ハハ、出来ればそれを見ないでも見回り中は覚えといてほしいな」
そう話しながらも、矢竹は内心で安堵している部分もあった。花火が打ち上げられるほど天気が良いのなら雨の心配をしなくてもいいだろう。あの夢と同じになることは無いだろう、と。
「あ、先輩。あそこ」
山吹がある教室を指差す。矢竹は一瞬ドキッとしたが、夢の中で知らない集団のいた教室ではなかった。
「灯りが見えるッスよ。誰か中にいるッス」
「あ、おい。一人で行動するなよ、危ないぞ」
一直線に駆け出す山吹を追いかける。もし怪異がもう出現していたら急いだ方がいいのだろうが、ただの肝試しの集団ならば逃げられることになるかもしれない。旧校舎内に野放しにしておく訳にはいかないのだ。そんな心配を余所に山吹は勢い良く扉を開ける。
「こらーっ、そこで何してるッスかー!」
「いや、いきなりすみません。灯りが見えたの、で……」
山吹を止めようとする矢竹の声がみるみる萎んでいった。
それは既視感。
覚えのある男女五人がそこにいた。女子が二人で片方は浴衣、男子の一人がLEDのランタンを持っていた。
「何だぁ? アンタら、いきなり現れて何なんだよ!」
「あ、アタシたちは~ほら、この校舎めちゃくちゃ古いから気になっちゃって! 別に悪気あったワケじゃないんだって」
「ここは立ち入り禁止ッスよ。特にここの学生でもない人は。さっさと出ていくッス!」
「何だよ偉そうに。別にいいだろ、悪気あったワケじゃないって言ってんじゃん」
山吹と彼らのやり取りが遠く聞こえる。自身の心臓の音がやけにうるさい。まだ雨は降ってないはずだ。あの夢では花火だって見えなかった。どうしてだ? 何であの教室ではなくここに彼らがいる? この後は……今から何が起こる?
矢竹は思わずバッ、と後ろを振り向いていた。
何もいなかった。
ただそこには誰もいない廊下が存在しているだけだった。今まで巡回してきたのと変わらない、微かに花火を感じるだけの暗い廊下が。矢竹は考えすぎだと、ただの偶然が重なったのだと自分に言い聞かせる。
「どうしたんスか先輩?」
「いや、何でもないよ。ただの気のせい……」
違う。音が聞こえる。
断続的に音がしている。だが離れていて矢竹にはそれが何だか分からない。
「先輩?」
山吹の声が不安げになる。しかし矢竹は彼女に大丈夫だと言ってやることは出来ない。先ほどから、彼らを見たときから嫌な予感がずっと心臓を締め付け続けているからだ。
「……近付いてきてる」
「えっ、何が?」
矢竹の発言にみんな耳をそばだて始める。そして音に気付いたのか顔色を青くさせた。
「おい、もしかしてこれって……」
「ひょっとして、さっき話したあれ?」
矢竹がその言葉に反応することは出来なかった。それより、気付いてしまったのだ。
こちらに近付く、粘着質で水気を含む音。
これは裸足の足音だと。
不意に前方から軽い、何かを砕いた音がした。
「え……」
誰かの口から戸惑いが出る。それは矢竹だったか山吹だったか、それとも集団の中の一人だったか。矢竹が遠くにやっていた意識をそちらに向けると、
男子の一人が、首をおかしな方向へと向けていた。
退屈そうに廊下側の壁へもたれ掛かっていた男子だった。彼の首がほぼ真後ろを向き、角度も曲がり方も見るからに異常だった。少なくとも人体が故意的に曲げられる角度ではない。彼は見ているうちにどんどんと身体が傾いていき、やがて床に倒れた。
理解が追い付かない。脳が理解を拒んでいる。
現実から目を反らすように矢竹は視線を上へ、上へと向ける。掲示物の貼られた壁へ、積み上げられた机類へと視線を向けると、
下半身の無い、上半身だけの髪の長い少女がこちらを見て────嗤った。
悲鳴が旧校舎に鳴り響いた。
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