No.4-2




「スーくんが、変?」

 並行する紫苑が腕を後ろに回し、前方へと首を傾げる。

「変っていうか……らしくないっていうか」

 話題を振ったのは矢竹だが、上手く当てはまることが言えず言い淀んでしまった。



 最早慣れ親しんでしまった旧校舎の暗くて崩れかけた廊下。矢竹は早くもシフトの初日を担当した。二人組の相方は紫苑で、道中は嫌だ嫌だと愚図るのを必死に宥めた。何故自分が先輩をあやさなければいけないのかと我に返りそうにもなったが、何とか堪えた。

 あの夏休みの巡回を告げる集会から矢竹は蘇芳の態度が気にかかっていた。いや、ずっと気にはしていたのだ。体育祭の深刻な表情、自分を粗雑に扱って何かに尽力するような素振り。それに加えて先日の言動だ。

 しかし考えども答えは出ず、聞いてもはぐらかされる気がして正直矢竹の手に余っていた。そこへ今回の見回り任務。寮生活では二人きりで話す機会が存外に無いので、矢竹はこれ幸いと紫苑に色々打ち明けてしまうことにしたのだった。

「ほら、先輩の方が付き合い長いんですし、そういうの何か感じません?」

「何かって……抽象的すぎるし雑じゃない? それに俺だって、スーくんとはここへ配属されてからの仲だから一年しか変わんないよ~」

「たかが一年、されど一年です。少なくとも俺よりは蘇芳のこと知ってるでしょう?」

 うーむ、とわざとらしく顎に手を当てて唸る。実際には数分の間の話なのだが、その考える間があまりにも長く感じて徐々に矢竹は不安を覚えてしまった。胸につかえるものが身が重くさせて足取りも多少鈍くなる。やがてポソリ、と紫苑の背中が告げる。

「まあ、確かにらしくないかもねぇ」

「ですよね! それで悩みとかあったら何とかして聞き出したいんですけど、良い方法ありますか?」

「……あのさぁ、チーくん」

 同意を得られて意気揚々と案を求める矢竹へと、紫苑はゆっくりと振り向いた。


「心当たりあるんでしょ。そのスーくんの変わり始めに」


 振り向いた紫苑は、いつもの調子の良い雰囲気ではなく年上の顔をしていた。確信を得た鎌をかけるような笑み。思わず矢竹はギクリと身体を固くさせる。その様を見て、彼は更に口角を上げた。

「やっぱりね。やけに断言するんだもん、そう思う節があったんだろうなーって感じしたよ」

「……別に、隠すつもりは無かったんですけど。俺、そんなに分かりやかったですか……?」

「もう分かりやすい分かりやすい! チーくんって壊滅的に隠し事向いてないね~。ほら、バレたんだからさっさと白状しちゃいなよ」

「………………俺、知らない人から忠告されたって言ったじゃないですか」

「うん。話には聞いてるよ」

「その人のこと、悪い人じゃないと思ったんです。でも、内容通り嘉木森さんを疑うことも出来なくて。……それを蘇芳に話したら、ちゃんと選んでくれって、辛そうな顔で言われました。どっちかを信じるには、どっちかを疑うしかないんだって」

「じゃあ選べば?」

「えっ」

「だってその流れだと優柔不断してるから不安~とかじゃないの、スーくんの悩み。だからチーくんが誰かに決めれば万事解決でしょ」

「で……でも、俺は!」


 矢竹は声を張ると同時に足を止めた。紫苑も特に驚きもせず足を止める。催促するように矢竹を見つめる。

「俺は、みんな信じたいんです。みんな良い人達で悪人だと思えなくて、でも嘘をついているとも思えない、思いたくない。疑いたくないです。俺はみんなの意志を尊重して、信じて、大事にしたいんです!」

「……それは誰も信じてないのと同じだよ」

 矢竹の博愛をバッサリと切って捨てた紫苑の声は、いっそ哀れみすら含まれていた。息が詰まった矢竹の喉がヒュッと鳴る。


「だって誰の意見も大事にしてないんだもの。意思を汲み取って信じて、大切にしてくれないのなら──それは無視されてるのと同じ。みんなに優しいかもしれないけど、ただ聞いてくれるだけ。寄り添って解決してはくれない」

 言葉に詰まる矢竹へと、紫苑は『スーくんが困ってるなら助けたい?』と優しく語りかけた。矢竹は黙って、ゆっくりとただ一つ頷く。

「センセーからはね、スーくんは友達をチェーンメールの怪異で亡くしたって聞いてる。チェーンメールって分かる?」

「……何人以上に同じ文を送らなきゃ読んだ人の元に訪れる不幸の手紙、みたいなやつですよね」

「そうそう。俺はね、

 突拍子の無い説に思考が止まる。

「スーくんは確かにメールやSNSを使わない。けれどもケータイを恐れる仕草も見受けられない。それに、チェーンメールの怪に遭った人が、こういう怪異で誰かを亡くした人がを恐れないのはおかしいんだよねぇ」

「ある、こと」

 矢竹にも心当たりがあった。旧校舎と波長が合い噂をしただけで簡単に怪異を現出させる矢竹にとって、林檎を巻き込んだ前例のある矢竹にとって誰かに怪異の話をするのは──とても恐ろしい。必要とされて任務として怪談をする今でも。

「だからね、蘇芳は旧校舎管理委員会に入って怪異の被害を抑制する他に目的があるじゃないかな。そして多分柏教官の公認だ」

「……それは?」

「分かんない。聞いて話してくれるならとっくに話してくれてるよ~」

 紫苑はカラカラと笑い飛ばす。明け透けで最もな返答に矢竹は肩を落とした。だが彼は一瞬にして真剣な面持ちになり矢竹へと向く。


「でも、きっと君に関係してる」


 刹那の静寂に蝉時雨だけが響く。いつもは不気味なくらい静かな旧校舎なのに、この時だけは煩く覚えた。

「今まで何のボロも出してなかった蘇芳が分かりやすく顔色を変えたんだ。きっと君と強い関わりがあって、君の選択が彼の命運を強く握ってる。そうじゃ無かったらここまで言動に影響なんて出ないって」

 矢竹はふと、途中から紫苑が蘇芳のことをあだ名ではなく名前で呼んでいるのに気がついた。彼の真剣さ、そして蘇芳に対する歯痒さや案ずる想いを感じた。おそらくずっと過去を隠されてきたことに思うものが少なからずあるのだろう。

「よく考えて選んで。蘇芳もだけど、みんなそれぞれの何かを賭けて、君へ訴えかけてきてるんだろうから」

 そこで紫苑は見回り再開だよ、と先達して歩き始めた。遅れて矢竹も戸惑いながら、だが確実に歩を進め紫苑の後ろへと続いた。



「……俺、誰を選べばいいんですかね」

 矢竹が混乱のまま訊ねれば、迷子みたいな情けない声が出た。紫苑は困ったように苦笑した。

「大事な人、本当に信じたい人。……みんな信じたいっていうなら『その人の願いが本当になればいいなぁ』って人を後押ししてあげたら? 君の信じる意志が、その人の力になるんだよ」

 矢竹はその言葉に、見守る眼差しに、最初紫苑の後ろへと付いていって旧校舎管理委員会の寮へ行ったことを思い出した。

 そしてこの言葉が、後の矢竹の大きな指針となるのだった。




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