閑話 体育祭

体育祭




 矢竹は親から来たメールを消した。

「すまん、待たせたか?」

 声をかけられスマホから顔を上げれば、すぐ目の前に蘇芳が立っていた。矢竹は新校舎裏の壁を背にして地面に腰掛けており、身長の高い彼を見上げるには首を痛めるような角度に曲げなければいけなかった。それに木陰とはいえ日光が目に入って眩しい。

 顔をしかめた矢竹を気遣ってか蘇芳は隣にすっと腰を下ろした。普段休日でも来ている制服ではなくジャージなのが目新しい。傍らの蒼い木に咲く夏椿が爽やかで彼によく似合った。

「いや、そんなに言うほど待ってないよ。俺がちょっと早く来すぎただけ」

「矢竹は勤勉だな。紫苑先輩に見習わせたいものだ」

「先輩だって蘇芳が言うほど不真面目じゃないよ。今回の見回りもちゃんとやるって息巻いてたし」

「出かける前に『先輩二人で屋台デート行って来るね~』とか浮かれたことを言っていたが?」

「うーん、それは……」

 フォローも出来ず、矢竹の口からは曖昧な言葉しか出てこなかった。


 梅雨の香りがまだしない六月始め。一昔前は十月あたりに行われていたらしいが、今では夏休みの手前であるこの時期が体育祭だ。

 怪異隠蔽課、別名旧校舎管理委員会は見回りの業務があった。一年生は免除でおらず紫苑は百合と、矢竹は蘇芳と旧校舎近辺を回ることになった。柊は姿が見えなかったが紫苑曰く後で来るらしい。

「まあ、体育祭の日は怪異がほとんど出ないからそこまで奔走する必要は無いんだがな」

「え、何で?」

「確たる証拠は未だ発見されてないが、研究課の見解ではハレの日だからだと言われている。だからだ」

 矢竹も『ハレの日』という言葉は聞いたことがある。だが詳しく理解しているわけではないし、いまいち穢れというワードには結びつかない。どう繋がるんだろうと期待して蘇芳の解説を待つ。

「これらの概念は神道から来ている。民俗学では元より『ハレとケ』という二分法があった。ハレが『神聖なもの、非日常的なもの』、ケが『普通のもの、日常的なもの』という分け方だ。ここから展開したのがケが枯れた状態、すなわちだ。ケガレは『日常から移る忌むべきもの』、すなわち死や罪など不浄の観念にあたる。ケである日常を過ごしていくうちに枯れてケガレになり、ハレの日によって回復して再びケになるんだ。季節の節目にこうしたハレの日を行うことにより穢れを溜め込まずに循環していく。だから日常からすると忌むべき不浄、穢れである怪異がハレの日で祓われる、という訳だ」

「なるほどな。俺、今までよく知らないで使ってたよ」

「……矢竹が日常から離れて随分経つ。俺としてはそろそろ穢れ祓いをするべきでは、と思うんだがな」

「大丈夫だよ。一年以外はみんな見回りしなきゃなんだろ? 俺だけ免除してもらう訳にもいかないよ」

「それなんだが、そもそも一年生を免除する理由としてはクラスに馴染んでもらうというのがある。矢竹は転校してきて日も浅い。これは充分に条件を満たしていないか?」

「良いんだ。……嘉木森さんとは、今は顔を合わせにくくて。いっぱい誘ってもらったんだけどな」

 あまり気を使わせたくなくて笑おうとしたが乾いた苦笑しか出ない。そんな矢竹を見て蘇芳は眉間に皺を寄せた。

「謎の人物から忠告、だったか」

 林檎が人殺し。

 いきなり現れ、いきなり去っていった人物からの忠告。柏が目下林檎の経歴を調べてくれてはいるが、今のところディセントラの言葉が嘘とも本当ともつかない。

「正直信じられない気持ちでいっぱいなんだ。嘉木森さんは優しいし、あんなにいつも純真無垢って感じで。……罪を犯したのに、あんな無邪気に振る舞ってるなんて思いたくない」

「演技なのかもしれないし、元より自分の行いが罪だと思っていないのかもしれないな」

「そんな、」

「まあ調査中だから何とも言えないが。それとも、謎の人物の方を疑ってみるか?」

 矢竹はゆるゆると首を横に振った。その表情は冴えないが、否定の意を示すのに迷いは無かった。

「俺、ディセントラさんも疑いたくない」

「……それはどういうことか自分で分かっているのか?」

「分かってる。でも、あの人は目が真摯だった。何か大切なものの為に必死で訴えてた。俺達を騙そうとか、場をかき乱してやろうとか……そんな風には、俺には到底思えなかったんだ」

「彼を信じるということは『嘉木森林檎が人殺しである』と認めるということだ。彼女が許されざる罪人だと認めるというんだな」

「……違う。きっと何かの勘違いだ。あったとしても間接的とか、そんな程度だよ」

「違わない。勘違いか何かで直接お前のところにまで談判に挑むのは短絡的すぎる。認めてくれ、矢竹。どちらかを信じるにはどちらかを疑うしかないんだ」

 蘇芳の声が一段と低くなる。何故蘇芳がそんな深刻な顔をするのだろう、と矢竹はどこか他人事のように思っていた。その苦痛を取り払ってあげたくて、無意識に矢竹は蘇芳へと手を伸ばした。


 その時、ガサリと繁みが揺れた。


 バッ、と蘇芳は矢竹を立ち上がりながらも自分の後ろに隠す。矢竹も一気に緊迫した空気に怖じけつつ、いつでも駆け出せる心積もりをした。

「倉敷くん」

 木の影から現れたのは衛だった。彼は矢竹の姿を認めると胸を撫で下ろした様子で微笑みかけてきた。

「話し声が倉敷くんに似てる気がして……良かった、朝からほとんど姿が見えなかったんで心配になって探しに来たんだ」

「隣のクラス委員長か」

 蘇芳は半分安堵、半分呆気に取られたように力が抜けたようだった。

「円城寺を知ってるのか?」

「ああ。クラスメイトから優秀で人望高いクラス委員長だと聞いているよ。こっちのクラス委員長と交換してほしいとか冗談混じりに聞いたな」

「噂に尾ひれがつきすぎじゃないかな……僕はそこまで出来た人間じゃないよ。そういえば、君は倉敷くんの友達? 隣のクラスって言ってたけども」

「きゅ」

 矢竹が旧校舎管理委員会で一緒なのだと言おうとしたら、素早く蘇芳に片手で口を塞がれた。危うく舌を噛むところだった。

「ああ、中学が一緒でな。屋台を回りながら昔のことでも、と話してたんだが俺の競技の時間になってしまったんだ。良かったら代わりに回ってやってくれないか?」

「えっ、競技!?」

 真面目な蘇芳は見回りの為に絶対参加種目以外はパスしているだろうから、これは明らかに嘘だ。

「僕としては嬉しいけど……倉敷くんに言ってなかったのかい?」

「言ってなかったな。今言うから、矢竹はちょっとこっち来てくれ」

 蘇芳は悪びれもせずにそう言って、矢竹の腕を掴み衛から少々離れた場所へと連れていく。矢竹は促されるままにしゃがみ小声でも聞き取れるようにと軽く顔を寄せた。

「どういうことだ?」

「それを話す前にだな、矢竹。旧校舎管理委員会のことはあまり口外しない方がいい。万が一にも他の人にバレて、オカルト好きな奴や好奇心旺盛な奴から質問責めにあっても困るだろう?」

「あ、ああ。分かった」

「頼むぞ。それで急に俺が競技の時間になった、と言い出した件だったな」

「そうだよ! 見回りするんじゃなかったのか?」

「こちらから柊を見つけ出して合流するさ。紫苑先輩が放って置く理由なんて眠そうだったからとかだろうし、どちらにしろそろそろ探しに行かなくてはと思っていたんだ」

「俺も一緒に探すよ!」

「矢竹」

 矢竹は名前を呼ばれて、蘇芳の目を見た。

 あの時のディセントラと同じ確固たる意志を感じた。

 その強さに圧倒されて、思わず蘇芳の腕に掴みかかろうとしていた手が止まる。

「先にも言った通り俺は、矢竹はもう少しクラスの種目に出た方がいいと思っている。だが、矢竹の学校生活の為だけに言っている訳じゃない」

 自分の為だけじゃない。少しだけ寂しさを感じたが、矢竹はその場で口にすることは出来なかった。感傷を訴えるには雰囲気が重すぎた。

「何度も言うが『怪異は不特定多数の噂によって生まれる』。だがクラス内で人脈があれば誰が流した噂なのかというのは多かれ少なかれ耳に入ってくる。口止めをするにしろ信憑性を下げるにしろ、そういう情報は噂の抑圧には欠かせないものだ。──そう考えると、多くから慕われているクラス委員長というのは頼るべきじゃないのか?」

 矢竹が反論も言えず黙りこくると、蘇芳は困ったように苦笑した。

「学校生活の為に推してるというのも本当だ。……すまないな、エゴを押し付けているのは分かっている。だが許してくれ」

「あ……」

 蘇芳は一つ微笑むと踵を返し、喧騒とは逆である旧校舎の方向へと向かっていった。矢竹は彼にかける言葉も見つからず、中途半端に上げていた手をただギュッと握りしめて下ろした。

 衛が眉を八の字にさせながら矢竹の方へ歩いてくる。どうやら蘇芳が去っていったのと、残された矢竹が良い顔をしていないのを見ておおよそを察したらしい。

「僕が来たから、だよね。ごめん。本当に申し訳ないよ」

「いや違うんだ。あっちは円城寺が来る前からそうしようと考えてたんだと思う、多分。気にしないでくれ」

「……追いかけなくていいの?」

「……行っても、追い返されるだろうから」


 日常から遠ざかった者を日常へと戻す、ハレ。

 矢竹は遠ざかる背中を見ながら、『ハレの日』が必要なのは蘇芳なのではないかと言えなかったことに唇を強く噛みしめた。





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