No.1-4




 その結果、矢竹は宛もなくさ迷う羽目になった。


 そもそも旧校舎のことを何も分かっていないのに何処を探索するべきかなど分かる筈も無い。扉を開けども開けども、変哲無い古びた教室ばかり。さやかも林檎もなかなか見つからなかった。床を踏み抜かないよう走らず、摺り足気味に廊下を早歩きする。

 しかし昨日の出来事と反し旧校舎の中は何処か懐かしいような雰囲気が漂っていた。あの気持ちが悪い視線が嘘のように。

 外はまだ明るいというのに旧校舎の中は木陰のように薄暗い。窓ガラスは放置と年月経過で黄褐色に曇り、どちらかといえば各所に見られる壁板の割れ目からの方が日光が差し込んでいる。本当は旧校舎の情報に繋がるような地域新聞や校内新聞の類いを探したかったが、生憎と時間が無い。

 かなりの埃を覚悟してきたが思っていたよりも酷くは無かった。少々カビ臭いくらいで、対して不快ではない。

 とても静かだ。自身の呼吸音も軋む床板の音も、普段より煩くすら感じる。部活動をしている生徒達の楽しげな声が遠くに聞こえる。



 自分達以外には誰もいない空間。

 まるで日常から切り離されたかのようだ。



「矢竹さん」

「うわ!?」

 矢竹が意識を戻すと目の前に林檎の顔があった。いつの間にか林檎の方から矢竹を見付けていたらしい。

 思わず勢いよく後ずさってしまったところで、これは随分と失礼なリアクションを取ってしまったと後悔した。

「ごめんなさい! ……いきなり近かったですよね」

「いや、そうじゃなくて。俺かなりぼーっとしてたから、だから違くて」

 別に林檎を嫌悪して離れた訳ではないということを何とか伝えたかった。だが圧倒的に女性経験が不足している矢竹には上手い言葉など見付からず、手と首を高速で左右に振るというジェスチャーくらいしか出てこなかった。

 しかし、それでも林檎はクス、と笑ってくれる。

「どうですか? 旧校舎は」

「うーん、何て言えばいいのか…………不思議な感じがする。こう、別空間みたいな感じ」

「分かって下さいましたか! この身近に感じられる非日常が矢竹さんを旧校舎にお連れしたかった理由です。楽しんで頂けましたか?」

「……え、じゃあ怪談は?」

「あれは物のついでと言いますか。目的が何も無しじゃつまらないかと思いまして」

 矢竹は面食らった。

 ついてっきり、ただ林檎の趣味に付き合わされているだけだと思っていた。まさかそんなちゃんとした考えがあっただなんて。

 転校生として気を使って貰っていたのだ。ただの怪談好きで変なマイペース女子という認識を改め、林檎に感謝の念さえ覚えた。だが、


「でも……怪談スポット巡りは好きですから、やっぱり私の趣味に付き合って頂いているんでしょうか? お付き合い頂いてありがとうございます!」


 矢竹は脳内で訂正する。

 やっぱり林檎は、怪談好きで変なマイペース女子である。


「おーい! ちょっとこっち来てみー!」


 その時、遠くからさやかの声がした。

「あ、呼んでますね。行ってみましょう」

「さやかー! 見つけた!」

 どうやら紅子も声を頼りに無事合流することが出来たようだ。向かう先で怒号が聞こえる。

 さやかに呼ばれて辿り着いたのは、とある階段だった。一面窓張りの踊り場が下から確認出来るが、やはり何処と無く薄暗い感じがする。旧校舎の階段は他にもあったのだが、ここは特に端にあって見つけにくい場所にある。

「これじゃねーの? 話に出たヤツ」

「場所までは聞いてませんでしたから何とも。……もう数えてみました?」

「数えた。十二段あった。だからこれじゃねーのって」

 視認で数えてみる。

「…………10、11、12。……うわ、本当に十二段だ」

「っしょ? 数え間違いとかじゃねーべ?」

「別に疑ってたとかじゃないんだけどね……」

 日常にいきなり現れた非日常。まだ確証は無いとはいえ噂の元を目の前にして戸惑うものがあった。

 すると、その横でおもむろに林檎が階段を上り始めた。

「おっ、度胸ある~」

「嘘でしょ!? 止めなさいよ林檎!」

「大丈夫です。夜中になると、という話ですし十三段だったなら全てを上り切らなければいいんです!」

「そういうもん? よく分かんねーけどあたしもやってみよーっと」

 さやかもスキップするような足取りで林檎に続いた。矢竹も、位置的にスカートが見えてしまいそうなので慌てて横一列に加わった。急いでいたので最初らへんは駆け足だ。頭の中で数えながら上る。


 ────4、5、6、


 ギシッ、 ギシッ、

 随分と劣化して黒ずんだ階段、その板が軋んで壊れそうな音を立てる。


 ────7、8、9、


 ギシッ、 ギシッ、

「ちょっと……速いんだけど……」

 後ろからもゆっくりと、恐る恐る階段を上る紅子の足音がする。


 ────10、11、……12。


 少し遅れて紅子も同じ踊り場の段に立った。

 上りきった全員が何も言わず顔を見合う。だが、異変を訴えた者は誰もいなかった。


 何も起きなかった。


「まー、噂とかってそういうもんだよな~。ドンマイりんりん」

「これで気が済んだでしょ。早く引き上げるよ!」

「…………はい」

 林檎は明らかに残念そうにしょぼくれていた。だが期待していたものは何も無く、全員が一階へと踵を返した。



「おい」



「きゃッ!?」

 自分達以外誰もいないと思ってたので矢竹はかなり驚いた。が、それ以上に紅子の悲鳴で息が詰まった。悲鳴は心臓に良くない。危うく下りようとしていた階段を転げ落ちるところだった。

 声がした方を見上げると二階のフロアに誰か立っていた。


 矢竹は彼を一目見たとき、人ではないのではないかと思った。

 整いすぎていて人間味を感じなかった。

 まるで人形。

 真っ直ぐで艶のある長い黒髪が日本人形、睫毛が多い伏し目がちな瞳が西洋人形のように見えた。あまり動かない表情も抱いた印象を助長する。

 髪をゆったりと肩口で縛る赤いリボンさえも男子高校生らしくなくて、何だかアンティークの装飾品めいて感じた。


「またお前か」

 彼は僅かに形の良い眉を潜めた。こっちは複数人だが、矢竹には明らかに林檎の方を向いてまた、と言ったように感じられた。

「どうも、旧校舎委員会さん」

 それを受けて林檎は嫌そうな表情で簡素な挨拶を返す。こんな愛想の無い林檎を矢竹は会ってから初めて見た。

 どうもお互い良い印象を持っていないらしい。林檎にも彼にも色々と聞きたいことはあったが、とても険悪な雰囲気を裂いてまで質問出来るような空気ではなかった。


「ケイ~、そっちはどう?」


 そんな中、場違いなほど明るい声で現れたのは随分と軽薄そうな男子だった。

 黄色の強めな茶髪をヘアバンドで後ろへ流している。規定の学ランではあるものの随分と着崩している。中に着ているのはパーカーでズボンは腰で履き、首にはヘッドフォン。

 若干不良のような服装をしているが、こんな場所で普通に話しかけているので同じ委員会のメンバーなのだろうと矢竹は推測した。

「あれ、君達何してんの?」

 その場の空気はピリピリした一触即発というものでは無くなったが、よく分からない委員会の人間が増えたことでまた微妙なものとなってしまった。

「あ、いや俺達は……その…………何て言ったらいいのか……」

「観光?」

 要領の得ない矢竹とさやかの発言に、後から来た男子生徒は当然首をかしげる。そしてケイと呼んだ美少年に説明を求めるように目線を向けたが、彼は林檎の方をチラと見ただけで全く何も喋らなかった。


「ごめんなさい!」


 そんな一向に進まない状況を破ったのは紅子だった。

「ごめんなさい、立ち入り禁止なのに勝手に入って! すぐに出て行きますので!」

 そう言って紅子はペコペコと何度も頭を下げた。ヘッドフォンの彼は少し呆気に取られていたが、すぐにへらりと軽薄な笑みを浮かべる。

「おっけー。とりあえず素直に謝ってくれたから今回は警告通知に留めときまーす。次に旧校舎へ入り込んだらセンセーに報告するからね」

 彼はへらへらとした笑顔を崩さず、下に降りてこいと手招きする。

「ありがとうございます! ほら、行くよみんな!」

 紅子が階段を下りるよう促す。矢竹はすぐそれに従った。反省してない顔でさやかがそれに続き、最後に憮然とした表情で林檎が階段を下りる。

「別に意地悪で旧校舎立ち入り禁止!ってしてる訳じゃないから。廃墟ってマジで危ねーんだからね?」

「はい……はい。すみませんでした」

 ヘッドフォンの彼が先導する昇降口への廊下で話を聞きながら歩く。紅子が相槌をしながらそれに続き、その他三人が間にいて、美少年が見張るように無言で最後尾を付いてくる。チャラそうな見た目なのに一応指導とか出来るんだなあ、と矢竹は若干失礼なことを思いつつ足を動かしていた。

「天井落ちてきたりとか壁倒れてきたりとか、特に床板踏み抜くと大惨事なんだって。割れた断面とか釘とか足に刺さっちゃうらしいよ~? まだぶっ刺さった人はいないけど、用心に越したことはないよね」

「分かります……すみませんでした……」

「うんうん、素直でよろしい! ほーら帰った帰った。先輩の言うことは聞きなさーいよ、っと」

 気が付いた頃にはあっという間に背中を押され、昇降口から追い出されていた。


 パタン、と昇降口の閉まる音が静寂の中でよく響く。

 紅子は旧校舎委員会の二人が見えなくなったのを確認してから、バッと勢い良く林檎の方を向いた。

「林檎……またお前かって何!? 目を付けられるほどあそこに行ってたの、何であのイケメンが旧校舎委員会の人だって知ってるの!?」

 どうやら紅子も矢竹と同じ疑問を抱えていたが、あの二人の前では我慢していたようだ。矢竹は道中で考えていたことを述べる。

「もしかして旧校舎委員会のブラックリストに載っちゃってるとか? あの軽そうな人、少なくとも自分のこと先輩って言ってたから学年は把握されてるよ」

「本当だ、怖…………ええい、実際のところどうなの!? 全部話しなさい林檎!」

「……旧校舎管理委員会の人は好きじゃないです」

「答えになってなぁーい!!」


 その後、何を聞いても林檎はむすくれて答えなかったようとはしなかった。とりあえず連絡先を交換してその場は解散となった。




.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る