No.1-2




「矢竹さん。私のこと、覚えてますか?」


 放課後、矢竹は一人の女子生徒にそう問われた。



 転校生によくある様々な質問責めから解放されて帰ろうとしていた時のことだった。

 矢竹は問いかけてきた彼女を、会ったら二度と忘れられないような絶世の美少女だと思った。

 赤みかかった茶色のふわふわとした長い髪。睫毛が長くて零れそうなくらい大きい瞳。透明感のあるほんのりと薔薇色の頬。愛嬌の良い万人受けしそうな微笑み。

 どこをとっても映画か少女漫画のヒロインである。

 だが覚えがない。

 それならば彼女と自分は会ったことがないのだろう、と矢竹は認識した。

 とすればナンパの常套句のアレだろうか? しかしこんな普通の自分をこんな美少女がナンパする訳もない。じゃあ彼女は何故こんなことを聞いてきたのか?

 混乱の極みに陥った矢竹の出した結論は、



「…………宗教の勧誘かなんか?」だった。



「えっ……?」

「やべーわ。りんりん忘れられてんじゃん」

 戸惑う美少女の後ろから、スクールカースト上位そうな見た目の女子生徒がひょっと現れた。結構明るく染めたソバージュのポニーテールに矢竹は一瞬気が引ける。

「超ナンパっぽいし、竹ちゃんもその返しウケる~。宗教とか咄嗟に出てくるかよふつー」

「ナンパだと思ったなら何で途中で割り込んじゃうの!ご、ごめんね倉敷くん!もしかしたら良い雰囲気になるかもしれないところを……!」

 しかし妙に間延びしたテンポの口調と、静止しようとした女子生徒の存在ですぐにその緊張も緩む。後から来た黒髪ボブの女子は、どうやら今まで教室のドアに隠れていて見守ろうとしていたらしい。派手な外見の方の彼女はそんな小言などお構い無しに、美少女に後ろから肩口に抱きつきながら緩く手を振ってきた。

「よっ、あたし那智なちさやか。こんなカッコしてっけどパリピとかじゃねーから。好みとか目付きとかのせいだし」

「気にするならメイクもうちょっと抑えればいいのに」

「気にしてねーし。あたしの好みは誰にも止めらんねーの」

「はいはい。……あー、いきなり騒がしくしてごめんね倉敷くん。私は綾小路あやのこうじ紅子べにこ。あはは、ちょっと変わった名前だけど普通のクラスメイトです。仲良くしてね」

 紅子はどうやらこの三人では常識人枠であるらしい、と矢竹はやり取りから推し測った。素朴で可愛らしい部類に入るのだが、どうしても強い印象の二人の近くにいると地味である。

「林檎。前に会ったことがあるとしても、一応名前くらいは言っといた方がいいんじゃない?」

「え?あ、も、申し遅れました!いきなり名乗りもせずにすみません、私は嘉木森かぎもり林檎りんごです!」

「りんりんめっちゃお堅いんだけど~」

 恐縮してペコペコと頭を下げる林檎を見て、とりあえずナンパや勧誘をするタイプではなさそうだと矢竹は判断した。

 だがそうすると本当に昔林檎とは会っていて、矢竹が忘れているだけだということになる。

「ごめん俺、なんか忘れてたみたいで……」

「いえ大丈夫です!本当にちょっとだけでしたし、昔の話ですし……」

「これからまた友達すればいんじゃね?ついでにあたしもよろしく、みたいな感じで」

「ちゃっかり自分も混ざらないでよ、もう。再会のシーンだっていうのに少し図々しいんじゃないの?」

 不満げな紅子に林檎はそっと首を振る。

「さやかの言うとおりです。折角同じクラスになれたんですから、これから一緒に仲良くして頂ければいいんです」

 そして大袈裟なくらいに恭しくお辞儀をした。少なくとも普通のクラスメイト同士ではやらない、記者会見で謝罪するような直角に近い角度で。

「改めまして。よろしくお願いします矢竹さん」

「あ、ああ……うん。こっちこそよろしく」

 林檎に再び、しかも今度は深々と頭を下げられて矢竹の方が恐縮してしまう。

 正直矢竹はいくら思い出そうとしても林檎と会った記憶など無かった。この展開は場の空気を読んだ結果というか、言うなれば成り行きである。

 だが、矢竹としては転校初日に知り合いが三人も増えたので全く構わなかった。彼女達が喜んでくれる方が優先である。


「あれ、もしかして倉敷くんと知り合いだったの?」


 今日はよく声をかけられる日だ。その柔らかい声がした方を向くと穏和そうな男子生徒がいた。

 彼の顔は覚えている。壇上で転校生として紹介されたときに、担任が何か分からないことがあったら彼に聞けと言っていた。

「初めまして、学級委員長の円城寺えんじょうじまもるです。これからよろしくね」

 そう名乗ると優しげに衛は微笑んだ。少し色素の薄い髪と瞳は日本人と離れた印象を覚える。整った顔立ちでいかにも人好きのする雰囲気は、確かに委員長の役職がよく似合うと矢竹は感じた。

「林檎が前に会ったことがあるんだって」

「へえ!世間は狭いって本当なんだなぁ」

「いーんちょやっほー。どしたん?やっぱり転校生とか気になる?」

「そうだね。色々話したいけどまずは委員長のお仕事をしなくちゃ」

「マジメ~」

「お仕事、ですか?」

「うん。この学校複雑だし広いから、軽く必要な場所だけでも学校案内をしとかないなと思って。倉敷くん時間あるかい?もちろん、別の日でも構わないんだけど」

「俺は暇だし凄く助かる。けど、いいのか?」

 矢竹にとってまさに渡りに船だった。しかし好意を喜ぶと同時に、時間がかかりそうなので衛に申し訳ない気持ちにもなる。

「いいんだよ。言った通り委員長のお仕事だし、転校ってバタバタして大変だろうし。困ったときはお互い様」

「……ありがとう」

 ここで押し問答をしても仕方ないので素直に申し出を受けることにした。良い人そうであるし、矢竹はこのまま友人になれればいいなと軽く期待をする。

「えーと、まずは職員室かな?」

「職員室は先生に連れてかれたから大丈夫」

「そっか。じゃあ食堂と体育館。あとは保健室と、何処だろ…………そうだ。倉敷くんは、外から見て気になった場所とかはある?」

 一瞬ギクリ、とした。

 気になる場所と言われてあの旧校舎のことが矢竹の頭を占めたからだ。

 今朝の出来事を出来るだけ忘却の彼方に追いやろうとしていたが、知りたくないと言ったら嘘になる。

 まだ旧校舎が残っている理由──そして、あの視線。

 だがやっぱり帰りが遅くなっては衛に悪いと思い、学校生活に必要そうな場所のみを言おうとした。



「旧校舎が良いです!」



 矢竹の口から発せられた言葉ではなかった。

 しかし今の今まで矢竹が考えていたこと、発言の内容、そしてそれを林檎が言ったのだということ全て合わさって矢竹は飛び上がらんばかりに驚いた。

 パッと向くと当の林檎は爛々とした目でこちらを見ていた。是が非でも旧校舎を知ってもらいたい、と言わんばかりの目だ。

 そしてそんな期待に満ちた林檎を見た時、これは好都合なのではないかと矢竹は瞬間的に思った。便乗して旧校舎のことを色々質問する良い機会になればと。しかし、



「駄目だよ」



 空気が凍る、低く鋭い声色。

 先程まで穏やかに話していた衛から発されたとは信じられなかった。

 そっと衛の顔色を伺い見ると、嫌悪に近い険しい形相をしていた。不倶戴天の仇でも見るような顔だ。

「駄目。あそこに入ろうとするなら、旧校舎委員会に言うから」

「……はい」

 林檎は納得していない様子だったが、特に物言いする訳でもなく了承した。

 突然の衛の剣幕に紅子も驚いてはいたが、事態が分かると当然という雰囲気で林檎へ呆れた眼差しを向ける。さやかはあまり興味が無さそうに頬杖をついていた。

「そ、そこまで強く言わなくても……あと旧校舎委員会、って何だ?」

 思わず宥める口調になってしまった矢竹を、衛はハッと面持ちで見た。そして先程のことを誤魔化すように困った顔で矢竹に笑いかける。

「脅かしてごめん。老朽化が激しくて旧校舎は基本立ち入り禁止なんだ。施錠はしてあるんだけど、危ないから強く言い過ぎちゃったね……」

 実際自分の目で見たことのある矢竹は納得した。確かに床や天井が崩落したら、事故に遭った者はただじゃ済まなそうな様子だった。立ち入り禁止にするのも頷ける。


 では、矢竹への視線は何だったのか?


 普段は立ち入り禁止で誰もいない。

 施錠もしてある。

 ────何か旧校舎に潜んでいる?

 それ以上考えたら余計なことまで想像してしまいそうだった。

「倉敷くん、大丈夫?」

「…………ごめん平気。話を続けて」

 まだ想像でしかない恐怖に言動が止まっていたらしい。衛の声で矢竹は我に返った。衛は矢竹を気にしていたが、当人に促され説明を再開した。

「それで旧校舎委員会っていうのはね、文字通り学校の敷地内にある旧校舎を管理する委員会なんだ」

「管理?」

「放課後に見回りしたり鍵を確認したり、あとは腐った床がないか定期的に点検してるみたい。……まあ、僕は旧校舎委員じゃないからそこまで詳しくないんだけどね。このクラスには居ないから聞けないし」

「えっ?委員会って、クラスで一人か二人決めるとかじゃないのか?」

「他の委員会はそうだよ。旧校舎委員会が別なだけ」

「なら、その旧校舎委員会ってどういう感じでメンバー決まってるんだ?」

「先生が使命してるんじゃないかな」

 矢竹はそれ以上追及したかったが、その前に衛がこの話はおしまい、と手を二回軽く鳴らして終結に持っていってしまった。

「とりあえず旧校舎に入るのは駄目。ちゃんと見なきゃいけないのは新校舎だよ。ほら、時間があるなら今日遅くならない内に行っちゃおう」

「わ、分かった。じゃあ、嘉木森さん那智さん、綾小路さん。また明日」

「ばいびー。竹ちゃんは明日までにあたしの堅くない呼び方考えてこ~い」

「私も別のあだ名お願い!あんまり綾小路って名字、仰々しくて苦手なの。じゃ、また明日ね!」

「はは、考えとく……」

「矢竹さん」

「うん?」

 やけに真摯な声で呼ばれたので、気になって首だけでなくきちんと身体ごと林檎の方を向いた。

 ──机を挟み目の前に立つ彼女は、声色と同じくらい真剣な表情をしていた。

 そして矢竹と目が合ったのを確認してから、にこりと微笑む。

「また明日」

「う、うん。また、明日……」



 その後、矢竹は衛に世間話をしながら案内をしてもらった。しかしあまり内容は頭に入ってこなかった。

 聞きたいことは色々あった。

 だが、旧校舎について衛は答えたがらないような気がして聞くことは出来なかった。あそこまで嫌がっているのだから、話題にすることさえ衛に悪いと思った。

 解消されない疑問が募っていく。

 矢竹があの時旧校舎から感じたものは何だったのか。

 衛は何故旧校舎をそこまで嫌うのか。

 林檎が旧校舎に向ける熱意は何処から来るのか。


 あの旧校舎には、一体何がある?


 最初に矢竹が抱えた不安は消えることなく、ますます胸中で大きくなっていくばかりだった。




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