第13話 マルくんと院長先生
「そろそろ気がついたころかと思ってな」
店先にやってきた来訪者は、ジョージ・ハクストン。
がっしりとした体躯、いかつい容貌がもたらす第一印象は、強さ。それは、まごうことなくこの男の本質を表している。ジョージ・ハクストンは、国内有数の戦闘力を持つ、強力な言環理師である。
だが、その第一印象からでは、見ぬけないこともある。優しさ。子供を見つめるその時、こわもての中のその瞳に浮かぶ慈愛の光は、こぼれんばかりだ。
そのような二面性を持つ、一筋縄ではいかない人物。ハービル修道院の長にして、子供たちの守護者。
そして。
ナーナがこの事態について相談したかった人物だった。
修道院に連絡を取った時には、行き先を告げずに出かけたと聞いた。その、秘密にしていた行き先が、よもやここだったとは。
そして、その事実が、もう一つ重要なことをナーナに告げる。
「その顔を見ると当たりだったようだ」
ジョージはにやりと笑った。いかつい造作に似合わない、いたずらっ子のような笑みだ。
その表情も、ナーナの先ほどの推測を補強する。
「……知っていたの?」
連絡がついたら言わなくちゃと考えていたことが、すべてふっ飛んで、口から出たのは短い確認だけだった。
ジョージはうなずく。
「二人から相談を受けていたからな」
その言葉で事情がすべて腑に落ちて、ナーナもうなずいた。
考えてみれば当然のことだ。
このような重大な事態になったとき、自分たちがだれをたよるかと言えば、父親代わりの院長先生に決まっている。現にナーナはすぐに、ジョージに連絡を取ろうとしたではないか。ロイとアリス、自分たちの子供の恐ろしい運命を知った二人も、そうだったのだ。
ナーナは、ロイと自分たちがメイのために孤児院をはなれるとしても、アリスとマルトにはその必要がない、ということまでは考えた。だから、アリスとマルトの隠遁生活の方が本来の目的だ、と見当をつけた。
じゃあそれを手配したのはだれか、と考えれば、黒幕まではあと一歩だ。
ナーナはそこまで思い至らなかった自分の不明に、少しばかりくやしさを覚えた。
三人の中では、自分が一番、全体を見通す力があると自負している。だから同時に、責任も感じている。自分がしっかり事態を見通せていなければ、みんなに危険がおよぶのだ。
そんなナーナの心の内を、かすかな表情の変化から読み取ったのだろう。ジョージはポンポンと優しくナーナの頭をたたいた。
それは子供のころから変わらないしぐさ。ナーナはもう妙齢の立派な大人の女性なのに、いまだにジョージにとっては守ってあげなくてはいけない子供なのだ。ナーナはそれにもくやしさを覚える。
その時、わあっと盛り上がる歓声が店先まで届いた。ジョージが奥の様子をうかがう。
「ずいぶんにぎやかで楽しそうだ。お邪魔してもいいかね」
「ええ、もちろん」
「院長先生?」
店にお客さんが買い物に来たのだとばかり思っていたみんなは、ナーナが連れてきた訪問者の姿に、一様におどろいた顔。
「やあみんな、元気そうだね」
「先生どうしたの、こんなとこまで来るなんて」
マイラは言葉の内容とは裏腹に、会えてうれしいとその表情で語っている。もし犬のように尻尾が生えていたら、ブンブンと振り回しているだろう。
サキは軽く会釈をしただけだったが、かすかな表情の変化から、再会を喜んでいるのは身近な人間ならすぐわかる。
「こんにちは、院長先生」
礼儀正しく前に出て、ぺこりと頭を下げたのはメイだ。
院長先生には、こちらに来てからも何度か会ってはいる。だが、孤児院にいたころのメイは小さすぎて、他の三人のようにいっしょに暮らした記憶は残っていない。
なので、ジョージの印象はひたすら「一番えらい先生」なのだ。そんな人が来たとあって、ちょっと緊張気味の様子が見てとれた。
そのメイの緊張をほぐすように、ジョージはにこやかに語りかける。
「やあメイ、こんにちは。久し振り。また大きくなったね。言環理の力も順調に育っているようだ。検査水晶がこわれた件は聞いたよ。それだけの力がついたとは、喜ばしい限りだ」
そう言いながら、ポンポンと優しく頭をたたく。ほめられて、メイはうれしそうにはにかむ。
そのメイよりも、もっと緊張してるのはマルトだった。ジョージはマルトにとって、この家に来てから話の中でしか聞いたことのない人物なのだ。
「あ、あの、初めまして。マルトです。こんにちは」
メイに続いて、すっかり固くなりながらあいさつをする。それに対してジョージは、やはりにこやかに答えた
「やあ、こんにちは、マルト。初めましてじゃなくて、君もお久し振りだね。いや、覚えていないと思うけれど、君が赤ちゃんのころ、いっしょに暮らしていたんだよ。本当に大きくなった。ところであんずはおいしかったかね?」
最後の一言に、マルトがおどろきの顔を見せる。
「あれは院長先生が送ってくれたんですか?」
「送るどころか、漬けたのも私だよ。漬けてはかわかしを何度もくり返すんだが、漬けるシロップの濃さをだんだん濃くしていくのがコツでね。言環理でねらった分だけ水分を飛ばすのが難しいんだ。なので食べた人の感想が気になるんだけれど、どうだったかね?」
「おいしかったです!」
「ほんとぼく、いつも楽しみにしてるんです!」
メイもマルトもぐいっと身を乗り出して、感想を述べた。頬を赤らめ、興奮気味。何しろあの砂糖漬けは、いつも二人が楽しみにしている大好物なのだ。それを送ってくれた人が目の前にいるなんて。
ジョージはそんな子供たちの様子に目尻を下げる。
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。そんな二人に、お土産を持ってきたのだが」
そしてごそごそと荷物の中をあさる。もしかしてと、メイとマルトの目に期待の色が浮かぶ。
「はい、どうぞ。今度はオレンジを漬けてみたよ。こっちの方が水分が多いので難しいんだよ。うまく漬かっているといいんだが」
ひとふさひとふさ皮をむかれて砂糖漬けになって、キラキラと宝石のように光りかがやくビンづめのオレンジが、二人の目の前に現れた。
「うわー!」
子供たちから歓声が上がる。
「さあ、遠慮しないで、どうぞ」
「ありがとう!」
「いただきまーす!」
二人は一つずつ取って、口の中に放り込んだ。
「あまい!」
「おいしい!」
「君たちも遠慮しないで食べなさい」
ジョージが大人たちにビンを差し出す。それではと三人もひとふさつまむ。昔から変わらない、院長先生お手製のおやつ。
「マイラ、遠慮しないでと言ったよ?」
「……えへへ」
院長先生はお見通しだ。マイラは照れ笑いしながらごそっとひとにぎり。それを見ていた子供たち二人の表情も、ジョージは見落とさない。
「さあ、君たちも。好きなだけお食べ」
「わあい!」
マルトもメイも、手のひらいっぱいに宝石を並べて大喜び。
これは院長先生お得意の手なのだ。
ハービル修道院併設の孤児院には、各地から言環理の力を持つ子供が集められる。特にナーナたちのように戦災孤児となった子が多かった。つまり、元々の家を焼け出され、家族を失い、さらに孤児院さえも転院してきている。
そういう過酷な経験をした子供たちだ。当然最初は、環境の変化にとまどい、警戒している。
そんな子供の緊張をほぐすために、院長先生が手ずからおやつを作ってあげているのだ。子供たちとなかよくなるきっかけにするのである。
「さて、せっかく来たんだから、みんなの好みを聞いておかないとね。君たち、果物だったら、何が好きかね?」
「私はリンゴが……」
「はい、はい! ぼくもリンゴ好き! あとブドウも!」
「ふふふ、なるほど、なるほど。なかなか作りがいのある素材だね」
現にマルトとメイの二人は、あいさつした時よりもずっと肩の力がぬけて、院長先生と話ができている。
ちなみにナーナ、マイラ、サキの三人も、孤児院に着いた小さい時に、この手で懐柔されたクチである。
特にサキは人見知りが激しく、まったく心を開く気配がなかった。それを院長先生お手製のおやつがあっという間にほぐしたので、魔法のようだとみんなが感心した。
現在のサキがポケットに飴玉をしのばせて、それで子供たちを釣っているのは、多分に自身の経験が影響している。あまいものの魔法を信じているのだ。
ナーナもマイラも多少の差はあれど院長先生の魔法を体験しているので、子供たち二人の豹変にはおどろかない。なつかしいなと思いながら、その様子をながめるのであった。
「言環理のトレーニングをしていたんだね」
「はい。あ、院長先生もやりますか?」
テーブルの様子を確認したジョージをマルトがさそう。すっかりなついている様子だ。マイラもジョージの姿を認めた時に、尻尾をぶんぶんと振らんばかりの表情だったが、マルトの方が子犬っぽくてさらにわかりやすい。
知ってはいても、院長先生は子供たらしだなあと感心する。母アリスを亡くした直後だったとはいえ、この家に連れてきたマルトに心を開いてもらうまでに、三人はけっこう苦労したのだ。
たが院長先生を前にしたマルトはもう心を開いて、ゲームへのおさそい。自分の力を見て、ほめてほしいという、子供らしい期待感がだだもれだ。
手練れの子供たらしの院長先生ジョージ・ハクストンも、当然それを見ぬいており、ほほえましく見守る内心が目元に現れていた。
しかしその口から出た言葉は、まったく別のものだった。
「それはいいね。だけど、その前に二人の力がどれぐらい育ってるのか、見てみたいな。検査水晶を用意してくれるかね?」
マルトとメイがいる手前、ナーナからマイラ、サキにジョージの来訪の目的を伝えることはできなかった。
だが、この言葉で二人も、この来訪がただ様子を見にきたわけではないと気づいた。
そもそも、院長先生は、マルくんが言環理使いだったことを知らないはずではなかったか。なのに、言環理のトレーニングをしていたことに、おどろきを示すそぶりがなかった。
ということは、以前から知っていた……?
それは、どこまで……?
二人の顔がかすかにこわばる。視線がちらりとナーナに送られ、ナーナはそれに小さくうなずいて応えた。
とにかく、院長先生が事情を知っていて、マルトとメイの現在の力量を確認したがっているのは確かだ。マイラが部屋を出て、検査水晶を抱えてもどってきた。
「じゃあ、まずメイから見てもらおっか」
そう言って、マイラは水晶をテーブルに置き、そのまま仕掛けをほどこそうとする。自分の力を注ぎ込み、メイの色を偽装する、いつもの手順。
その時、ジョージの手が伸び、マイラの操作をさえぎった。まるで検査水晶を受け取ったかのような自然な動きで、自分の前に置き直す。
「そうだね。先生も楽しみだよ。さあ見せておくれ」
その真意は明らかだった。
そしてそこまでとは、ナーナは想定していなかった。
店先でのやりとりで、ジョージが、マルトは黒の言環理師だということを知っていたとわかった。
そして検査水晶を新しく送った時に、私たちがその事実に気づくだろうと想定していたこともわかった。
だから自らこの辺境までを足を伸ばし、今後の相談に来てくれたのだと思っていた。
だが実際は、それだけではなかった。ジョージは事態を大きく動かすつもりだ。
マイラとサキもそれに気づいて、息をのむ。大人たちはみんな、これから起きることに身構える。
そんな周りの大人の様子は、メイにも伝わる。メイは心の機微に聡い子だ。ただ残念ながら今回は、正確な判断を下すために必要な情報を持っていない。子供たちにずっとかくされてきた事実は、知りようがない。
なのでメイは、ただごとではない雰囲気に、もしかしてこれは重要なテストなのだろうかと思った。
聞いたことはなかったけれど、一人前の言環理師になるためには何かテストを受けなければいけなくて、それでわざわざ院長先生が来たのかもしれない。
完全に見当ちがいの推測は、メイをも緊張の中に放り込んだ。場所を空けたジョージに呼ばれ、検査水晶の前に立つ。取っ手に手を伸ばす。その手がふるえている。
うまくやらなくちゃ。
きれいに色を変えなくちゃ。
ガチガチになりながら力を注ぎこんだ水晶の色は、白。
「あ、あれ? ごめんなさい、緊張しちゃって、うまくできなかったみたい。もう一度……」
「いや、いいんだ。大丈夫」
「え、だって、真っ白ですよ? 色が全然出せなかったから、失敗……」
「大丈夫。それが、メイ本来の色なんだよ」
「え、だって、白って……」
そこでメイは、ジョージが何を言おうとしているかに気づいた。
白。それは言環理師の頂点に立つ色。
それが自分の色だと言うことは……。
ジョージがメイの気づきを肯定する。
「そう、メイは本当は白の言環理師なんだ。今までの色が偽りなんだよ。ああ、周りの人にだまされていたなんて、思わないでおくれ。これは私が指示したことなんだ。小さな子供には荷が重すぎると思ったからね。ただ、メイ、君はもう十分に大きくなった。本当のことを知ってもいいころだ」
絶句するメイ。その動揺をおもんばかって、ナーナ、マイラ、サキの三人の顔がくもる。
本当はもっと、心の準備ができている状態で伝えてあげたかった。
もっと大人になって、もっと力もついて、なんならもっとマイラの赤を圧倒して、自分でもほとんど白じゃないかと思っているような時ならよかった。
でももう、伝わってしまった。
もう、のどかな子供の時代には、終止符が打たれてしまった。
この場で目の前の出来事の意味が理解できていないのは、マルト一人だった。みんなが急におしだまってしまった理由がわからず、ぽかんとしている。
そんなマルトに、ジョージが説明した。
「マルトははなれて暮らしていたから、言環理師の事情がわかっていないね。白というのは、すべての色の光を混ぜたときにできるんだ。だから、白の言環理師というのは、すべての術に得意不得意がない。そんな才能を持っている人はなかなかいないから、とても貴重な人材なんだよ。今はたまたま他に二人いるけれど、私の同世代には一人もいない。それくらいに、めずらしいんだ」
「すごいや、メイちゃん! そんなすごい種類の言環理だったんだね!」
ジョージの解説に、マルトの顔がぱっとかがやく。
いつもならマルトにほめられたら、ちょっと気恥ずかしそうに顔をほころばせるメイ。しかし今は深刻なままだった。
察しのいいメイは、さらに考えを進めていた。
自分の色は嘘だった。
ならば、今まで自分の受けていた他の説明にも、嘘が混じっているかもしれない。
王宮騎士団の秘密の仕事でここに来たのだと、みんなはメイに言っていた。だが、それより自分をかくまうためだと考えた方が、なぜ子供の自分が孤児院をはなれてこの土地に連れてこられたのか、すんなりと説明がつく。
争いの元となっている白の言環理師を隔離するため。
この状況は自分のせいで起きているのだ。
大人たちの世間話から、白の言環理師が複数いることで、勢力争いが起きているとは知っていた。それを聞いた時には、自分から遠い、言環理師の世界の上の方で起きていることだと思っていた。だが、自分も当事者だったなんて。
そしてメイの利発さは、一つの、深刻な結論にメイをいざなう。
メイは、泣きそうな顔でナーナたちを振り向く。
「もしかして、わたしのせい……? 私のせいで、ロイは……」
それ以上、言葉にならない。
ただ、たえきれず、ぽろぽろと涙がこぼれだした。
そんなメイを、マイラがすぐに抱きしめる。
ちがうよ。
ナーナは声をかけてあげたかった。
ちがうよ、メイのせいじゃないの。私たちもつい最近気づいたんだけれど、私たちがここにいる理由は、本当は……。
でも言えない。
言えるわけがない。
そのもう一人の当事者が、目の前にいる。
そんな三人の苦悩を、さっと振りはらうように、ジョージが告げた。
「さあ、次は君の番だよ、マルト」
やはり手を出そうとしたナーナを、ジョージは小さな身振りで制して、自分でメイの色を消した。
ただ消しただけ。事前に緑が注ぎ込まれることはない。
メイの時に推測した通り、やはりここですべてを打ち明けるのだ。そのために院長自らが来たのだと、それをはっきりと示されて、大人たちは緊張の度合いを増す。
メイが白の言環理師であること。それも大きな秘密だが、ここから明らかにされるのは、それよりもさらに大きな秘密。
この世界を、ゆるがしかねない秘密。
ロイとアリス二人が、命をかけてまで守ろうとした秘密。
マイラの腕にぎゅっと力が入って、抱きしめられていたメイがいぶかしげに泣き顔を上げた。
マルトも困惑していた。
メイの色が白だとわかって、メイ本人も他の人の様子も明らかにおかしい。院長先生の説明では、白の言環理師であるということはすごいことで、マルトだったら大いに自慢したくなると思うのだが、そんな感じでは全然ない。
むしろ逆に、メイはショックを受けていて、周りのみんなも苦しそうだ。先ほどの院長先生の説明だけでは足りない、自分が知らないことがあるんだと思う。きっとそれでみんながあんなに動揺しているのだ。
泣き出してしまったメイのことは、マルトも心配だった。でも、院長先生はまったく気にしていないふう。マルトが力を見せるのを待ってる。
ジョージのそばに移動する。メイを抱きしめていたマイラがそのまま動いて、テーブルの水晶の前を空けてくれる。
泣き顔のメイと目が合う。
何か言わなきゃと思ったけれど、院長先生が待っていて、それが気になり考えがまとまらない。
さらにはマイラの様子もおかしい。
マルトを心配そうに見つめているのだが、その視線から感じる心配加減は、ちゃんとできるかな? という程度のものではなくて、まるでマルトが死地に向かっているかのような緊張感をともなっていた。
他の二人もそうだ。本当に何が起きているのだろう。
あちらもこちらも気になることだらけで、マルトはまったく集中できない状態で取手をつかむ。
その瞬間、ぶつっと水晶が真っ黒になる。
「ほう、これは……」
ジョージもおどろく変化の速さと色の濃さ。
「あれ、緑色が出ない?」
今度はマルトが首をかしげる番だ。このあいだと色がちがう。ここからじわっと濃い緑色になるはずなのに。何か失敗しちゃったのだろうか。
だが、もう一人事情を知らされていないメイは、それを見て青ざめた。メイは十分に聡い子だ。「知らされていないこと」に考えをめぐらせる。
自分の色は薄い桜色だと思っていたが、本当は白だという。そうすると、赤みの部分はいつも準備してくれていたロイやマイラの注ぎ込んでいた色だ。
では、マルトの緑色も。
あの時水晶を調整していたのはだれだった?
ナーナだ。
緑の言環理師の、ナーナだ。
じゃあ、マルトの本当の色は……。
「そう、マルトは黒の言環理師なんだ」
ジョージの言葉。マルトはぴんと来ない。
ただ、となりのメイがのけぞったのがわかった。
「どうしたの、メイちゃん?」
振り向いて声をかけると、メイがびくっと身をすくめた。
その表情。
見たこともない、その表情。
そこに現れているのは恐れ。
いつものマルトを見る目ではない。何か恐ろしい怪物を見るような、そんな瞳の色をしていた。
その視線に、マルトは強く動揺した。人からそんな目で見られたことはなかったし、そういう目をしたメイが、まるで知らない別の人のように見えたからだ。
そんなマルトに、ジョージがまた声をかける。
「黒の言環理師が何を意味するかも、マルトにはわからないよね」
振り向くと、ジョージの表情も変わっていた。
先ほどまでの優しい瞳は、もうない。
とても厳しい、緊張感をただよわせた視線。
ナーナはジョージの変貌を見て、その手をぎゅっとにぎりしめる。
お願い、院長先生。その先はやめて。
他の二人も同じ思いを、その表情でジョージに伝える。
しかしジョージは、その無言の願いを気にしない。気づいているはずだが、そのそぶりを見せない。さらに言葉は、つむがれる。
「黒というのは、すべての色をぬりつぶしてしまう色だ。こちらは白の言環理師よりも、さらにめずらしいとされている。この国の歴史上でも、数人しか生まれていない」
マルトにしっかり伝えるように。
かんでふくめるように、ゆっくりと。
「そして、そのすべての黒の言環理師が、国をゆるがすような動乱の中心となっている。多くの人が巻き込まれ、多くの人が死んだ。国は荒れ果て、復興には長くかかった。そういう、おぞましい歴史と伝説を持った色なんだ。だから、言環理師の間では、黒は忌むべき色だとされている」
マルトの表情もこわばっていく。
黒という色についての忌避感は、言環理師の世界から遠ざけられて育ったマルトには実感がない。
だが、ジョージの強い視線は、事の重大さを伝えるには十分だった。
「そう。マルト、君は黒の言環理師だ。ロイとアリスはそれを秘密にしようとした。君がすべての言環理師からから忌みきらわれ、その命をねらわれないように」
その言葉を告げるジョージの表情には、それまでの幼い子どもを見つめる慈悲の色は失われていた。
その瞳は、厳しい事態を真正面から見つめる、冷たい光を放っていた。
〈続く〉
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