第11話 アリスの愛した

「ごめんね……ごめんね……」

 通信用の水晶の上に浮かび上がったマイラの姿。

 ロイの死を告げる言葉の途中で、こらえきれなくなったのだろう。うつむいて肩をふるわせ、何度も謝罪の言葉を口にする。

 マルトを災いから遠ざけるため、別居したロイとアリス。以降、そのつながりをさとられないように、二人が直接会ったことはほとんどない。

 誰もが夢の中にいる真夜中過ぎの、しんと静まり返った月明かりの下で、人目をはばかる言環理での密会が、今でも愛し合う二人のささやかな楽しみだった。

 今日もそうして、ロイからの連絡が入ったんだと思っていた。

 いつもはもっと遅いのに、今日は早いなと言環理をつないだ。

 そして知らされた、愛する人の死。

「ごめんね……」

 虚像のマイラは、まだ謝り続けている。すっかり成長して、美女と呼んで差し支えない妙齢の女性になったのに、その姿は小さなころと同じだ。

 姉として、小さな妹の世話を焼いてきたアリスは、小さなころと同じように、抱きしめてその背をさすってあげたい衝動にかられた。マイラは飛行の言環理も得意だ。アリスも十分使える。直接会って、この腕の中に包み込んであげたい。

 そして、あなたは悪くないんだと伝えたい。

 だって、謝らなければいけないのは、あなたたちにだまってこんな危険に巻き込んでいる、私たちの方なのだから。

 でも、それはできない。

 あの日、私たちは選んだのだ。

 自分たちの愛を犠牲にすること。

 愛する家族にだまって危険にさらすこと。

 それはすべて、二人の最愛の存在のためだった。

 だから今も、自分の悲しみを押し殺し、彼女の悲しみを黙殺し、アリスは問いを口にする。

「ねえ、マイラ。戦いの様子をくわしく教えて。あの人の最後を、ちゃんと知っておきたいの」

 悲しみもそこそこに告げられた言葉に、マイラはおどろいた顔を見せ、そしてしばらくの逡巡ののち、苦しみとともに己の記憶をアリスに伝え始めた。

 その心の痛みにふちどられたマイラの必死の告白を、アリスはたびたびさえぎった。涙を頬につたわせながら、でもまっすぐにマイラを見つめて、使った技の一つ一つまで、詳細を求める。

「ごめんね、あなたに怒っているんじゃないのよ。ただ、本当に、あの人の最後をくわしく知っておきたいだけなの」

 そうして一つ一つ問いただせば、まるで、なぜその技を使ったのか、他に手がなかったのかと、責めているように聞こえているだろうことは、マイラの表情を見れば手に取るようにわかった。優しい姉アリスは愛する妹を苦しませていることに心が痛んだ。

 だがそれでも問いかけることを止めるわけにはいかなかった。覚悟を決めた母アリスは愛する我が子のために、心の痛みを腹の底へと飲み込んだ。

 ロイの突然の死は悲しみを運んできたけれど、彼がおそわれたこと自体はおどろきをもたらさなかった。ロイの呼び出された様子。それは二人が恐れていたことが起きたということを告げていた。とうとうその日が来たのかと、アリスは覚悟を決めたのだ。

 ごめんねと優しい姉アリスは思う。マイラがロイの死に苦しんでいることは、手に取るようにわかった。どこか自分のせいだと思っている。自分の力不足でロイを死なせたと己を責めている。それでも彼女の傷をほじくり返すように、アリスは細かいところをたずね続けた。

 聞いておかなくてはいけなかった。

 襲撃に備えなくてはいけない。

 彼が一人呼び出されたとしたら、それは二人の抱える秘密についてに他ならないからだ。

 

 そう、愛する我が子が、人々に忌みきらわれる、黒の言環理師だということ。


 最初にマルトの才能に気づいたのは、他愛もない親バカの結果だった。

「ロイの子だもん、きっとすごい力を持った赤の言環理師になるよ」

「いや、アリスの子だから、最高にたくみな緑の言環理師だよ」

 それは二人の間で何度もくり返された会話。マルトがアリスのおなかの中にいる時から、浮かれた二人はそんなことを話していた。アリスがその胸にマルトを抱いてあやし、それを目尻を下げてロイがのぞき込む。ただ、その日は、その先があった。

「なあ、ちょっと、測ってみない?」

 それはここに連れてこられたもう一人の赤ん坊、メイの影響だった。

 小さい子供のうちは言環理の力は安定しない。出現するのがずいぶん遅い子もいるし、出ていたとしても、その色がだんだん変わっていくこともめずらしくない。赤子のころならなおさらで、なのでふつうはそんなに急いで測らない。だから言環理の力を持つ孤児を集めているここにも、赤ん坊のころからくる子はほとんどいない。

 メイがここへ連れてこられたのは、本当にめずらしいことなのだ。小さい赤ちゃんが二人そろって、妹たちは大喜びでかわいがっている。

 ただ、両親としてはちょっとした対抗心がある。メイも新たな妹だからかわいがっているのだが、やはり我が子かわいさには代えられない。

 メイがここへ連れてこられたのは、測る前から言環理の力があるのが明白だったから。何しろしょっちゅうその身から言環理の力があふれ、光の泡をふわふわとただよわせているのだ。これはよほどの才能だと周囲はおどろき、そして同時に、その身を案じた。それだけの才能となれば、身柄をねらわれるに決まっている。なので大急ぎで、専門の施設、つまりここへと送り届けたのだ。

 そして我が子かわいい親ばか夫婦は、そこにもちょっと対抗心があった。うちの子だってきっと、すごい才能を持っている。

 小さいころには急いで測らないのがふつうなので、当然赤ん坊用の検査水晶などなかった。ふつうの水晶だと、赤ちゃんの手が小さすぎてうまく測れなかった。自分の力では取っ手をしっかりにぎれないので、大人が手をそえる。するとそちらの力もいっしょに測ってしまうのだ。特注で作ろうかという話になって、それがようやくこのあいだ出来上がった。

 それをロイがこっそり拝借してきた。

「赤かな」

「緑だよ」

 何色でも本当はよかった。ただ、かわいいわが子に力があってくれたらうれしい。例え今測れなかったとしても、今度は「大器晩成なんだよ」と、二人はおしみない愛を注いだだろう。

 小さな赤ちゃんに合わせた、小さな取っ手。それに細い金属の線が編み込まれたひもがつながっている。それを小さな手ににぎらせる。

「はーい、ちょっと持っててねー。放しちゃだめだよー」

 にぎらされた取っ手を、何だろうこれ、とマルトがきょとんと見つめる。赤ちゃんの常でとりあえず口に運ぶ。

「こらこら、かじったらだめだよ」

 ロイが笑いながら、口元から手をはがす。

 もし大器晩成でなくても構わなかった。だって、愛するのに言環理なんかいらないのだから。何色でもよかったし、もし力がなくてもそれでもよかった。我が子を無条件で愛する両親には、本当は些細な問題だったのだ。

 ただ、一色をのぞいては。


 ぶつっ。


 黒く染まった水晶に、二人は言葉を失った。

 それは愛する我が子が苦難の道を進むと告げるものだった。


 二人は最初、このことを誰にも相談できなかった。

 一見根拠が弱く思える黒の言環理に対する嫌悪。たまたま偶然、その出現と歴史的転換点が重なっただけかもしれないのに、なぜ言環理師の間では必然として語られているのか。それは言環理の性質に関係している。

 そもそも言環理は自然の摂理に手を入れ、それを我が物として操る力。世界を動かす力と言ってよい。その力をふだん使っている者たちだからこそ、言環理の色が運命の流れさえ動かすということを、あり得ると感じてしまう。ただの無知からくる偏見とはちがう、実感をともなうものなのだ。

 そんな黒への忌避は修道院の中でも根深い。ここには戦災孤児が集まっているので、動乱を呼ぶと言い伝えられている黒の言葉環理師は、なおさら評判が悪くなっている。

 愛する我が子がそんな理由で遠ざけられるかもしれないというだけでも、若い両親にはたえがたいことだった。自然とこのことを周囲に秘密にしなくてはという、恐れが生まれた。

 それに赤ちゃん用検査水晶が届いたことで、メイの白が確定し、修道院内が騒然となって、相談する機会を逸したということもあった。

 当初、修道院長ジョージ・ハクストンは箝口令をしき、外部にこの白の言環理師誕生の情報をもらすまいとした。だが、人の口に戸板は立てられない。結局、どこから聞きつけたのか、養子縁組みがしたいという話が殺到した。王宮騎士団からも、うちで引き取って育てるという、異例の申し入れがあった。

 ふだんは赤子や幼子など、手間のかかるうちはそんな申し出は来ない。子供のうちは力が安定しないことはわかっているので、十分育って力の伸びを見極めてから、勧誘が来る。この世代では一、二の力を持つであろうロイが、結婚できる年齢まで孤児院で暮らしていたぐらいなのだから、メイに対する申し出がどれだけ異例か、わかろうというものだ。

 そんな状態で、さらに異例の黒の言環理師誕生の話はしづらかった。そして相談などできぬうちに、ロイをメイの護衛として、修道院に残そうという話が出た。

 となると、当然アリスとマルトも修道院に残ることになる。それはメイと共にマルトが暮らすということ。衆目の集まる所にマルトを置いておくのはまずい。

 ここまで切羽詰まって、ようやく二人は意を決して院長の部屋の扉をたたいた。

 二人の相談を受けた、ジョージ・ハクストン。かの豪傑でさえ、一瞬言葉を失った。

 実は黒の言環理師と白の言環理師が、枕を並べてすやすやと寝ていた。さすがの彼でも想像を絶する事態だった。

 ただでさえ難しい事態にさらなる悪条件が重なり、すべてがひっくり返った。

 ハクストンはメイを王宮騎士団に預けることをためらっていた。王宮騎士団の長で言環理師の長でもある灰の言環理師、グレン・ファレルの秘められた残忍さに気づいていたからだ。

 己の地位を守るため謀略をめぐらせることをいとわないであろう、かの男が、黒の言環理師の存在を知ったらどうなるか。白よりも黒の方が、謀殺への理解は集まりやすいのだ。

 ハクストンは、このままメイが己の身を守れる年齢になるまでここで育てるか、王宮内でグレン・ファレルに対抗できる信頼のおける者にメイを託すか、その二択で考えていた。

 だがメイよりもマルトの身の方が、はるかに危険だ。まずはそこから何とかしなくてはいけない。

 ここで、メイをおとりに周囲の目をくらます策が取られることになった。

 メイを護衛と共に辺境へ送ったのは、謎めいた行いに、むしろ耳目を集中させるためだ。

 かくして真意を図りかねた者たちはそちらに気を取られ、ねらい通り、いつのまにか姿を消したアリスとマルトのことなど気づきもしなかった。

 それから十年。

 アリスはひっそりと息をひそめ息子と共に暮らしてきた。せめてあと数年あれば、マルトに自らの身を守る力を与えることができただろう。

 だが、その願いはかなうことなく、恐れていたことが起きてしまった。

 しかも、時期としても最悪だった。

 四年に一度の教会の大集会が始まったところだった。ロイの死の知らせを受けたジョージ・ハクストンは、アリスとマルトを助けるために動くことができなかった。

 修道院には実はあまり戦力になる者がいない。ハクストンは国内でも指折りの言環理使いだが、その他の大人の言環理師は戦闘向きではない者ばかり。

 もともと修道院は権勢を求めていないので、戦力を保有している必要がなかったのだ。子供たちの言環理のトレーニングにたずさわる者は、技巧に優れてはいるが戦闘向きではない。戦いに向いた資質を持つ者は、皆どこかの派閥に良い条件でむかえ入れられていた。

 だからこそロイを護衛に残そうという話になり、そして、当時まだ年若い少女だった三人、ナーナたちも任務につけることとなったのだ。

 そんな状態なので、残っているほぼ唯一の戦力がハクストンなのだが、教区長も兼ねるハクストンが、今いきなり席を立てば、あまりに目立ちすぎる。すでに王都に着いて以来、ハクストンに白の言環理師について探りを入れるような手合いが近寄ってきている。ここで大きな動きをすれば、いらない視線を集めてしまうだろう。

 考えてみると、相手がアリスの居場所、黒の言環理師の所在地をわかっているのかどうか。無理矢理聞き出すのであれば、戦闘力の低いアリスの方へ先に来る方が妥当だろう。ロイの方へ先に手を下したのであれば、アリスの住まいをまだ特定できていないという可能性が高い。

 だから、ハクストンのいない修道院に呼び寄せるのは下策だ。ろくな戦闘力がないのに、そこに黒の言環理師がいるとわかれば、ロイを殺すほどの手合いは強硬手段に出るかもしれない。大勢の子供たちを危険にさらすことになる。

 唯一残った戦力はナーナたち三人だが、そちらと合流させるのも危険だ。何か見当をつけてロイをおびき出したのだから、今はあちらの周囲に監視の目が光っていると考えるのが妥当だ。

 ハクストンには世俗をはなれた有力な言環理師の知り合いがいて、そちらに援助をたのむことも考えた。だが承諾してくれるかどうかわからないし、どちらにしろ、すぐにかくまってもらうことはできない。

 所在地が知れていないという確率の高さ、それが唯一のよりどころであった。

 無理に動かず、じっとしているべきだ。動けるようになればすぐに援軍に向かう。ハクストンはそうアリスに連絡をした。

 だがこの場所が知られていないということは、あくまで推測に過ぎない。さらに知られていないとしても、それがいつまで続くかもわからない。

 お母さんの様子がおかしいとマルトが気づくぐらいに、アリスは気を張りつめて襲撃に備える。大集会が終わりハクストンが自由に動けるようになるまで、ここが見つかりませんように。

 だがアリスのその願いも、かなえられなかった。


 あと数日で大集会が終わるという日。

 ここ一週間ばかりアリスはずっと神経をすり減らしていた。

 村の周りにはこっそりと結界を張りめぐらせて、二十四時間警戒をおこたらずにいた。

 夜ぐっすりと寝ることもできずぴりぴりとした雰囲気をまとい続け、マルトをおびえさせたりもした。それには心を痛めたが、あと数日乗り切れれば、ハクストンが加勢に来てくれるはずだ。

 だが村の皆が寝静まった明るい月夜。

 ベッドに入ってはいるけれど、深く眠ることのできずにいたアリスは、言環理によりもたらされたその知らせに飛び起きた。

 村の周囲に張った結界を通りぬけた者がいる。

 常時展開しているその言環理は、はなれた場所の異常をアリスに伝える。

 北の湖の方からだ。

 街道のある東側からやってきていないのは、人目をはばかる立場だという証拠。こんな夜更けに一人やってきたのも、その推測を裏付ける。

 しかも結界の言環理にふれた感触が、相手も言環理使いだと告げていた。

 アリスはすぐに服を着替えて、マルトを起こさないようにそっと表へ出た。

 飛行の言環理を言祝(ことほ)ぐ。

 アリスが気づいたということは、結界を通りぬけた相手もわかっているだろう。衝突は必至。ならば戦うのに有利な場所で。

 アリスは池のほとりへと急いだ。

「その顔を見ると、俺の推測は当たってるようだな。アリス・プランクル」

 そこで出会った、細面の陰湿な印象の男がアリスに声をかける。

 グレイブリッツ派の一匹狼、アレニウス。

 その名をアリスは知らなかったけれど、この男がロイを殺した張本人だということは、十分にわかっていた。

「これだけ見事に姿をくらましているということは、ジョージ・ハクストンも手を貸しているということだな」

 アリスはその言葉には答えずに、村の周りに張りめぐらせた結界を、この周囲までぎゅっと収縮させた。

 それはアリスの無言の宣言。

 広く張りめぐらせていた結界は、それにふれる存在を知らせるだけ。

 だが収縮させ密度を増した結界は、その性質を変え、内と外を遮断する。

 ここで起きることで村に被害をおよぼさない。

 逆に言えばそれだけのこと、つまり激しい戦いになることも覚悟しているのだということだ。

 そしてそれは同時に、相手の言葉への無言の肯定でもある。

「白の言環理師さえもおとりに使って、かくし通そうとしたわけだ」

 アリスは言環理を、さらに複数同時展開。その身体から深夜の森に溶け込むような緑の光の泡があふれ出す。

「黒の言環理師。戦乱と破壊にいろどられた忌み人」

 相手の身体からも、アリスに応じるように光の玉があふれ出す。

 冷たい月の光になじむ、青白い泡。


「お前の息子だ」


 断定の言葉が、もうもどれない一瞬先の未来を確定した。

 突然突風がふき、男におそいかかる。風に乗って舞い上げられた木の葉はその身を硬くし、刃の濁流となってふきすさぶ。

 それを焼きはらう炎の言環理。

 相手はロイとわたり合った言環理師だ。さすがに対応が早い。アリスの術を一瞬で見分けて、それに対応する言環理を展開した。

 だが、それに構わずアリスは攻撃を続ける。

 相手が手強いことは十分にわかっている。アリスにはもうその覚悟が出来ている。

 マルトを守るために戦わなければいけない時が来る。それは、マルトの色が判明して以来ずっと想定していたことなのだ。

 相手の顔にとまどいの色が浮かぶ。

 ここを探し当てたのだから、当然アリスのことも調べがついているだろう。アリスが戦闘向きの言環理師ではないことも知っているのだろう。探し当てさえすれば楽に勝てる相手。そう思っていたはずだ。

 だがそれは、ロイとアリスの覚悟を見くびっている。

 マルトと共に暮らしながら、アリスはずっと戦うための訓練を欠かさなかった。愛する我が子を守るため。得意だ不得意だなどという話ではないのだ。

 それでも生来の言環理の質は変えることはできない。

 だからこそアリスは最愛の人が亡くなったという悲しみを脇へ置き、かわいい妹を苦しめているという罪悪感も押し殺して、戦いの様子を事細かに聞き出したのだ。

 アリスは十分に準備をし、対策も練っていた。


 それに対してアレニウス。ロイの態度に疑惑に対して確信を深め、負傷した身を押して、逃げられる前にと、まだ見つかっていなかったアリスの居場所を探し当てた。自分のつかんだ情報の重要さにせきたてられて、傷も癒えていないままにこちらへと向かった。

 十分に勝てる相手と油断して、無策でコンディションが悪いままやってきたのだった。

 さらに、アリスが結界で感じたように、ロイの時にはもう一人部下を連れてきたのに、単身乗り込んできている。

 そこで生じた差が実際の戦闘力の差をうめているのである。

 アリスは命あるものを動かすことが得意な、緑の言環理師。

 相手は氷をあつかっていたということなので、水のような流体を操作することが得意な青の言環理師であろうと、アリスは推測していた。

 そこまで読んで選んだアリスの攻め手は合理的なものだった。

 枯れ葉を硬化させて刃として使う。それに対する防御として使うのであれば、炎の言環理。ただし相手の得意技ではない。これも実力差をうめる要素となっている。

 落ち葉だけではない。下草や地中にはう根も、アリスに力をふきこまれ、刃として、または槍として、相手を休ませることなく攻め続ける。

 この場所でむかえ撃ったのも、アリスの策のうち。村へとつながる道を調べ上げ、自分の使える武器の多い迎撃ポイントを事前に決めてあったのだ。

 しかし、アレニウスはロイとわたり合った手練れ。

 アリスが万全の策をとって、なんとか勝負に持ち込んだけれど、長引くにつれてもともとの戦闘力の差が現れてくる。

 だんだんと攻撃が届かなくなってきた。体からずっとはなれた手前のところで焼きつくされてしまう。

 アレニウスを取り巻く炎の渦は攻防一体。そこから炎の塊が、今度はアリスをめがけて飛び出してくる。アリスはそれを、水を操り撃ち落とす。

 幸いにして水はとなりの池に大量にあり、簡単に取り出せる。ただそれでもアリスはだんだんと押し込まれ始めた。

 炎が辺りを焼きつくし、アリスの使える武器も少なくなってくると、攻守逆転。

 アレニウスはその様子に、にやりと笑みをもらす。

 状況の不利がなくなれば、本来の力はアレニウスの方が上なのだ。このままじりじりと炎で取り囲めば、やがて押し切れる。

 アリスはもう防戦一方で、炎に囲まれてしまった。炎の大蛇がアリスを絞殺せんと、水の防壁の弱いところを探してはいまわる。ごうごうとわき上がる水蒸気と熱風が、辺りをふき荒れる。このままでは勝敗は見えている。

 アリスはここで勝負に出る。

 力をふりしぼり、水の防壁を外へと広げる。アレニウスの炎も押しやった。

 そこで生まれた一瞬の間で、新たな攻撃用の言環理をつむごうとする。

 しかしアレニウスはグレイブリッツの実行部隊の一員として、長く前線で働いてきたベテランだ。こうして追い込まれた相手が一か八かの反転攻勢に出てくるのはお見通しだった。

 アレニウスの炎が消え、アリスの水も拡散したその一瞬。それを待ち構えていたのだ。

 戦いの中、炎の言環理にまぎれさせ、そっと地中に張りめぐらせた言環理。

 ロイの命をうばった切り札。

 赤々とした溶岩の剣がアリスをつらぬこうとした。

 その時。

 アリスもまた、待ち構えていた。

 相手が勝利を確信するその一瞬。最後の手札をさらして、無防備となる、その時を。

 胸元のロケットをぎゅっとにぎる。

 そこからはじけるように広がる、黒の奔流。

 何もかも飲み込む闇の光。

 アレニウスは目をうばわれた。


 それはまさに彼が追っていたもの。忌み人、黒の言環理師が持つ、すべての言環理をぬりつぶす力。


 黒の奔流は溶岩の剣を巻き取り、そこに付加された言環理による熱を一瞬にしてうばうと、粉々にくだいた。

 まるでそんな言環理はそこに存在しなかったかのように。

 そんな馬鹿な。おれが追っていたのは子供の方のはずだ。

 硬直状態におちいったアレニウスは気づくのが遅れた。

 彼の足元から伸びる、溶岩の剣。

 アリスが仕込んだ、アレニウスと同じ言環理。

 やはり炎の言環理にまぎれこませ、気がつかれないように張りめぐらされていたのだ。灼熱の剣がアレニウスをつらぬく。

 まずい、とアレニウスは激痛をこらえ身体を引きぬこうとする。

 そこに追い打ちをかける、二本目の剣。

 三本、四本……。

 剣は次々と大地をつらぬき生え伸びて、アレニウスの身体をその俎上へとかかげる。

 ばかな。

 アレニウスは自分の体を次々とつらぬく、赤銅色にかがやく剣を信じられない思いで見つめた。

 奴にそんな力はない。確かに当初調べたよりは善戦しているが、それでもこれだけの剣を生み出す、こんな大量の熱を生み出すほどの力は持っていないはずだ。

 その時アレニウスの視野の隅に、熱で溶けかけた水晶のかけらが映った。

 そうか。

 アレニウスは理解した。

 ここは用意された戦場。

 事前に、言環理の力をたくわえた水晶を切り札としてうめてあったのだ。

 そして、アリスの手元を見る。そこににぎられたペンダントにも、やはり同じような水晶。

 黒の言環理師はやはり、奴の息子。その力をたくわえてあった。

「気がついたのね……」

 アリスが苦しそうにつぶやく。この戦いの中、彼女も無傷ではない。

「そう、マルトは黒の言環理師。それが私たちの秘密……。愛も、命も、すべてをかけて守らなければいけない秘密……」

 苦しげな表情の中、強い意志を秘めた瞳がきらめく。

「だから、それを知ったお前を生かしてはおけない。お前のひとかけらさえも、この世に残すわけにはいかない」

 強い意志が言環理の力となって、赤熱の剣に注ぎ込まれる。

「ぐあああああ!!!」

 熱はまばゆい光をともない、アレニウスの身体をむさぼりつくした。

 その苦しみを表すかのように光がのたうちながら天に上った後、そこにはまさに塵ひとつ、残っていなかった。

 もつれる光が空へと消えて、辺りは静けさを取りもどした。

 アリスはがっくりと膝をつく。

 彼女の力ではアレニウスの攻撃を完全に防ぐのは難しかった。実際には不得手のはずのアレニウスの炎の言環理。それでさえも、その熱量を防ぎきることはできなかった。

 アリスは力よりも技の言環理師なのだ。それはこの戦いでも十分に発揮され、相手の得意技を再現し、さらに上回ってみせた。

 だが身体へのダメージは大きかった。命のすべてをささげるように、そのエネルギーを燃やしつくし、もう立っていることもできなかった。

 ゆっくりと地にふせる。

 肺が熱に焼かれて、うまく呼吸ができない。

 アリスは「ああ、死ぬんだな」と思った。

 死ぬこと自体は怖くない。愛するあの人の後を追うだけだ。

 ただ、残していく我が子のことだけが気がかりだ。

 あの人との愛の証。ずっといっしょにいることはできなかった、二人の愛が残したもの。

 そしてこれ以上ないほどに愛おしく、彼女がすべてを、その命さえもささげていいと思ったもの。

 本当はずっと見守っていたかったけど。

 彼女は弱々しく、手のひらの中の水晶をにぎる。

 かすかに残った黒の言環理。

 こっそりとマルトから注ぎ込んでおいた力。

 世の中では忌みきらわれる力だけれど、そこにアリスはマルトの暖かい息吹を感じた。

 マルくん、元気でね。

 彼女はそっと目を閉じた。

「みんな……マルトのことをお願い……」

 最期の言葉は、愛する夫と同じものだった。

 それは必然。

 それが二人の、愛の形。


〈続く〉

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