第4話 マルくんとふわふわオムレツ

 くるる、きゅうー。

 マルトのおなかが、かわいらしい音を奏でた。

(おなかすいたな……)

 マルトはくるくると鳴るすきっ腹を、すりすりとさする。

 働けばいいんでしょうとやけくそ気味に部屋を出たけれど、やっぱり腹ごしらえは必要だ。何しろ昨日、ふてくされて帰ってきてすぐ寝てしまったので、昼ごはんの後から何も食べていない。

 マルトが起きるまで、みんなは気を使って声もかけずにそっとしておいてくれたようだ。自分たちの朝食は先に済ませていた。きれいに片づいた食卓を見て、何か食べる物はないかなと、マルトは台所に向かった。

「あ、これ、昨日の?」

 台所のテーブルの上に食事が残っていた。メイが腕によりをかけて作ったごちそうだ。サラダ、鶏胸肉のフィレ、ミートパイ、野菜ごろごろシチューにデザートのクランベリー。

「マルくんの分を残しておいたの」

 マルトの後ろからついてきていたメイが、少し不安げな表情で言った。うそをつくのに気疲れしていたメイは、これで秘密はなくなったはずと早合点して、張り切ってごちそうを用意し、事態を徹底的にこじらせてしまった。それを気にしているらしい。

 そんなメイに、マルトは申し訳なく思った。せっかく作ってくれたごちそうを食べずに寝たのは、ある意味八つ当たりのようなものなのだから。時間がたって冷めてしまっているけれど、ちゃんといただこうかなと席に着く。

「ちょうどよかったから、これを食べるよ」

「あっ、ちょっと待って、マルくん。温めなおすよ。あと、朝からこんなに食べられる?」

 そう言われてマルトは目の前の皿の数々を見つめた。サラダとシチュー、それにデザートはいいけれど、肉料理は起きたばかりの胃には重いかもしれない。

「うん、全部は食べられないかも」

「やっぱりそうだよね。お肉とパイはお昼に食べればいいよ」

 素直に答えたマルトに、メイはうなずいて、朝食べられそうなものを前に並べた。その時、台所に、やっぱりマルトを心配してついてきたサキが、ひょっこり顔をのぞかせた。

「あっ、サキ、ちょうどよかった! マルくんがこれ、朝ごはんに食べるって。温め直してあげて」

 そばにやってきてテーブルをながめたサキは軽くうなずくと、シチューの皿に手をかざす。そして、小さな声で言環理(ことわり)を言祝(ことほ)いだ。

「ケルヴィン卿とボルツマンの名においてお言環理します。高きはより高く、低きはより低く、拡散と収束、混沌と秩序、その流れ、その営み、我が手に委ね給え」

 ふわりと光の泡が舞い、シチューからやわらかな湯気が上がり始める。とてもおいしそうなにおいもただよってきた。ただシチューに熱を加えただけではない。少ししなびていたサラダはみずみずしさを取りもどし、野菜はしゃっきりと角が立っている。クランベリーも、ぱさつきかけていたその表面に、しっとりとしたつやを見せていた。まるで時間が巻きもどったようだ。

 サキはテーブルの上を見渡し、ぽつりと言った。

「オムレツなら食べる?」

「えっ、う、うん」

 マルトがうなずくと、サキは流しに向かった。置いてある籠の中から卵を取り出し、ボウルにスコンと割り入れる。

(あ、これ)

 その光景はマルトに、あることを思い起こさせた。ととと、と小走りにサキのそばに寄り、その手元をのぞきこむ。じっと見つめるマルトにちらりと視線を走らせて、サキは小さな声でまた言環理を言祝ぎ始めた。

 ふわり、ふわりとただよう、小さな光の泡が次々と生まれる。やがてそれは、ゆっくりと一つの方向に動きだした。ボウルの上をぐるぐるとめぐる光の航跡は、渦となり、だんだんと速度を上げ、分かれて複雑な軌道をえがいていく。

 それにつられるように、ボウルの中の卵も動きだした。

 それも黄身の部分は止まったままで、白身だけが激しくかき混ぜられて泡立っていく、不思議な動き。光の玉が出たり入ったり、いそがしく行きかい、どんどん白身の泡がきめ細かくなる。まるで白いクリームのようになめらかな、ふわふわのメレンゲが出来上がった。

 最後にちょっと黄身をくずして、砂糖も加えてもうひと混ぜ。

 終えるとサキはフライパンにボウルの中身をとろりと流し込み、そしてさらに次の言環理を言祝いだ。

 今度は赤みがかった光の泡がフライパンからあふれだし、ぱちぱちとはじけ、メレンゲが加熱されていく。卵が焼けるいいにおいがただよい始める。

 サキは頃合いを見てお皿を取り出すと、そこに形を整えたきれいなオムレツをそっと移した。

「はい、どうぞ」

 サキがテーブルにオムレツを置く。マルトは期待に胸おどらせながら、オムレツにフォークを入れた。まったく抵抗がなく、ふんわりと一口取れる。口に入れるとしゅわっと溶けるような軽さ。程よいあまさで、本当においしい。

 そしてもう一つ。

 この味はやっぱり。

「これ、お母さんのオムレツだ」

 マルトはおどろいたようにサキを見上げた。そう、作る手順も味も、よく知っているものだった。サキがうなずく。

「アリス姉さんに教わったから……」

 マルトは夢中でオムレツを口に運ぶ。お母さんお得意の、あまいスフレオムレツ。いつもマルトがねだって作ってもらっていたやつだ。そして、今のようにそばにぴったり張り付いて、出来上がりをわくわくしながら見守っていた。そんな思い出のオムレツを、今ここで食べられるなんて。

「すごいおいしい! サキ、ありがとう!」

 マルトにお礼を言われて、サキは少し照れたよう。

「サキはお料理、上手なんだよ! ご飯だけじゃなくて、お菓子作りも上手なの。焼き菓子とか本当においしいんだ!」

 言葉少ないサキに代わって、メイが解説してくれる。

 お菓子と聞いて、マルトははっとした。

「お母さんに習ったなら、じゃあそしたら、あれは作れる? お砂糖がね、ふわふわの雲みたいになるやつ。お母さんがよくおやつにくれたの」

 サキはうんうんとうなずいた。

「綿菓子だね。作れるよ。後で作ってあげる」

 そう約束して、サキは仕事をしに台所を後にした。

(そうかあ。サキはお母さんから料理を習ったんだ)

 思わぬところでなつかしい味に出会って、マルトはとってもうれしかった。

「マルくん、他のもどうぞ」

 そうすすめられて、サラダと、野菜ごろごろのシチューも口にする。おいしい。そして……。

「あれ、これもお母さんの味がする?」

 マルトは不思議そうな顔でメイを見た。自分の料理が好評で、メイはうれしそうにはにかんだ。

「私はサキにお料理習ったから……」

「そうか。サキから……」

 マルトはテーブルの上に並べられた料理をじっと見つめた。

 遠くはなれた村から、この町に連れてこられた。母は亡くなり、よく知った人たちとも別れ、縁はあっても実感がなく、顔見知りもいない土地に来た。昨日までは、そう思っていた。

 でも今日こうして、お母さんの料理がここに受けつがれていると知った。

 あの村の自分の家から、ここの家に、ちゃんと縁がつながっていた。その実感を初めて得た。

 ここも自分の家なんだ。

 少しうれしい気持ちに、マルトはなった。

「おっ、食べてるね」

 ナーナとマイラが台所をのぞく。やはりご飯を食べずに寝てしまったマルトのことが、気になっていたのだ。その二人に、マルトは空になったお皿を指さした。

「サキがね、スフレオムレツを作ってくれたんだよ! お母さんに習ったんだって! ナーナとマイラもお母さんに料理習ってたの?」

 頬を紅潮させて興奮気味に問いかけるマルトはほほえましく、ナーナはにっこりとうなずいた。

「うん、アリス姉さん、お料理好きだったしね。私たちも習ったよ。でもサキが一番熱心だったかな」

「マイラも……?」

「うん」

「じゃあ、あれできる? お母さんがね、忙しい時にやってたんだけど、野菜とかお肉を、両手でお手玉みたいにぽんぽん空中に投げると、ざくざく切れてくの。スープとか、それで三分ぐらいで作ってた。あれ、手品みたいで、見てて面白かったんだ」

「できる、できる。というか繊細なお料理より、そういう豪快系の方が得意だよ。今度見せたげるね」

「ふーん……。じゃあ、やっぱり、ぼくが作るより、マイラが自分で作った方がずっと早いよね……?」

「!」

 マイラはこの時、マルトの誘導尋問にはまったことに気づいた。

 じとっとした目つきで、マルトはマイラを見つめている。

「じゃあ、もうマイラのリクエストに応えて、特別に何かを作らなくてもいいよね? 帰ってきておなかすいているときに、ぼくがのろのろ料理するの待ってるとつらいよね?」

「えー! ちょっと、待って、待って! マルくん!」

「ぼくがずっとご飯作りで苦労してたの、マイラのせいだもんね」

 マイラが、マルトが一生懸命働いている姿がかわいいと思っていたので、食事の用意が自分一人に押し付けられていたと聞いたマルトは、しっかりうらんでいたようだ。

「えー! ヤダ、ヤダ! マルくんに作ってほしいんだよう! マルくんが一生懸命作ってくれたやつが、一番愛情がこもってておいしいんだよう!」

「愛情なんてこもっていません。そもそも愛情を感じていません」

「そんなああああ」

 涙目で袖にすがるマイラに、マルトはつーんとそっぽを向いて知らん顔。

 そのそっぽを向いた先に、ナーナが立っていた。その姿にマルトはふと気づいた。

「ナーナ、今日はどこかにお出かけなの?」

 ナーナとマイラ、二人が仕事で出かけるのはいつものことだが、それにしてもナーナはしっかり上着を着こんでいる。ご近所に向かう様子ではない。

「うん。ちょっとマルくんの元のお家に行ってくる。ちょっと寒くなってきたじゃない? 向こうに残してある荷物に、マルくんの冬服があるから持ってくるよ。マルくんも連れていってあげたいけれど、多分帰りに荷物をたくさん積んでくるので、馬車がいっぱいになっちゃうんだ。ごめんね。」

 そう告げたナーナは、ふと何かを思いついたようで、例のいたずらっぽいほほえみを浮かべて付け加えた。

「お姉さんの膝の上なら空いてるけど。クッション性もばっちりで、あったかいよ?」

「いい! 行かない!」

 道中ナーナにずっと抱きかかえられている自分を想像し、マルトは顔を赤くして、あわててぶんぶんと首を振る。そんなマルトがお望みだったナーナは、満足した様子でくすくすと笑う。

「ふふっ。村の人に何か伝言があるなら伝えておくよ」

「もー……。じゃあ、みんなにぼくは元気でやっていると伝えておいて」

「了解一。それじゃ行ってくるね」

「行ってらっしゃーい」

 マルトは出かけるナーナに手を振った。そして、後ろを振り向く。

「マイラも今から仕事?」

「うん」

「ふーん」

「え、それだけ? 私には? 私には、いってらっしゃいは? かわいく手を振ってくれないの?」

 マルトはやっぱり、つんとそっぽを向いた。徹底している。

「ひどい。私もがんばっているのに」と、マイラはがっくり肩を落として出かけていった。

 二人が家を出ると、そこからはいつも通りの一日だ。サキは自分の仕事部屋で薬作りに精を出し、マルトとメイは掃除、洗濯そしてお店の番をする。

 でも、いつもの日常が、昨日までとはちょっとちがうとマルトは感じていた。

 昨日の事件では大変な思いをしたけれど、みんなが何をしているのか、今まで秘密にされていたことがわかって、気持ち的にはすっきりしていた。王宮の使いの人が来たあと、メイまでよそよそしかったのは、やっぱり疎外感があったのだ。

 そして大変だった料理のしたくは、以前どおりメイが引き受けてくれることになった。マルトにとって、これが一番時間のかかる難題だったので、これだけでだいぶ楽になる。

 今日はナーナもマイラも帰ってくるのは夕方で、お昼は三人だけ。掃除洗濯を二人で手分けして済ませ、お昼の時間になると、メイが言った。

「じゃあ今日は簡単にサンドイッチでもいい? マルくんのおかずはあるもんね」

「うん、いいよ。そしたら、このお肉とパイもみんなで分けようよ」

 台所に二人で立つ。主役はメイ。マルトはそのお手伝い。メイの料理の腕は、朝食のメニューで分かっているけれど、実際に腕を振るうところを見るのは初めてだ。

「メイちゃんも言環理でささっと作ってるの?」

「ううん。私はまだ、そこまでうまくないから。朝、サキがとても簡単そうに作っていたけれど、あれも実際やるとすごく難しいんだよ。たまに練習してるけど、卵をあんなにきめ細かく泡立てられないし、あっちこっちに中身がこぼれちゃうの。温め直しだけでも、微妙な火加減まできちっと調節するのは大変なんだ」

「そうなんだ。お母さんがいつも使っていたから、言環理使いの人はみんなできるんだと思ってた。」

「そんなことないよー。例えば言環理を使ってポンと野菜を切るのも、ちゃんと同じ厚さにできなかったり、大変なんだよ。だから私はふつうに包丁使ってるの」

「そっか。じゃ、ぼくも切るお手伝いするよ」

「うん!」

 メイはにっこりうなずいた。裏の仕事を秘密にしていたのはまだしも、ご飯作りを押し付けていたのはマイラのわがままの片棒担いでいたわけで、しかもそれは元々は自分のしていた仕事だ。ずっと良心がチクチク痛んでいた。こうしてすべて打ち明けて、それをマルトが責めることなくいっしょに作ると言ってくれるなんて、とてもうれしかったのだ。

「じゃあ、きゅうりとチーズのサンドイッチにしようか。私、きゅうり切るね」

「じゃあ、ぼくはチーズとパンを」

 食材を用意して仲よく並んで、さあ切ろうということになった時。

 すっと包丁を構えたメイの姿勢に、とても手慣れた雰囲気がただよっていることに、マルトは気づいた。

 そして次の瞬間。

 その手元からリズミカルな音がひびきはじめる。

 とんとんとんと、よどむことなく、ゆらぐこともなく、調子よく刻まれる包丁の音。キュウリが均等な厚さにサクサクと切れていく。

「すごい」

 マルトは思わず感嘆の声をもらした。言環理の力はうまく使えないのかもしれないけれど、包丁をこんなたくみにあつかえるなら、それで十分ではないか。

 考えてみれば、マルトが出かけて盗賊団につかまり、みんなが助けてくれたあの数時間の間に、あれだけの量のごちそうを一人でこしらえてしまうのだ。手際が悪いはずがない。

 メイはさっさときゅうりを切り終えてしまった。マルトはまだ人数分のチーズをスライスし終わっていない。メイはマルトの手元から、まだ切っていないパンのかたまりを取ると、今度はそれを切り始めた。

「すごいね、メイちゃん。すごい速い」

「えへへ、ありがとう。練習したからね」

 メイは照れくさそうに、はにかんだ。

「みんなが働いているのに私だけ何もお手伝いできないのがいやだったから、せめてお料理くらいは手伝えるようになろうと思ったの」

 マルトは本当に感心した。メイとマルトの年は同じ。自分がまだお母さんに何でもかんでもやってもらっている時に、メイは料理の練習をしていた、ということになる。

 心の底から尊敬の念が生まれてきた。その思いは自分でもおどろくほど強く、あっという間にマルトの心の中に広がり、ぐわんぐわんと体をゆさぶった。

「……師匠」

「えっ、何?」

「師匠と呼ばせてください!」

 マルトは思わずメイの手を取り、願い出た。感動に頬を紅潮させ、瞳もうるんでいるほどだ。

「えっ? えっ? 師匠って……」

「ぼく、反省したよ! みんなにごはん作るのが大変とか言ってちゃだめだよね! ぼくもメイちゃんみたいに練習して、ちゃんと作れるようになるよ!」

「う……うん」

 メイはとまどっていた。ほめてくれるのはうれしいけれど、ここまで感動されることだろうか。

 それにマルトは、こんなにテンション高い感動屋な子だったっけ……?

 メイが首をひねっている間にサンドイッチは出来上がり、サキも呼んでお昼となる。メイの作った昨日のごちそうを、サキが朝と同じように温め直す。

 メイが解説してくれて初めて、マルトは目の前で起きていることが、とても難しいことなのだと理解できた。母はいつも当たり前のように使っていて、逆に自分はまったく使えなかったので、その難易度が想像できなかったのだ。

 朝にも見せたことなのに、食い入るように手元を見ているマルトを、サキは不思議そうに見やった。その視線にマルトも気づく。

「メイちゃんがね、どれぐらい難しいか、教えてくれたんだよ。すごいね、サキ!」

 マルトは本当に感心しきりでサキを見上げた。きらきらとした尊敬のまなざしは、まぶしいほどだ。

 言葉も表情もとぼしいサキは、これに対して無言だったが、頬は少し赤らみ緩み、ちょっとうれしそうな様子。

 二人で作ったサンドイッチと、昨日のパイとお肉はとてもおいしくて、マルトはまた絶賛の嵐。今度はメイを大いに照れさせた。

 昼食の後、マルトとメイは仲よく店番。途中でサキが、約束通り、おやつに砂糖菓子を作りに来てくれた。

 サキが砂糖に言環理をかけると、光の球が舞い踊り始める。お母さんが作ってくれた時と同じ光景に、マルトの心も踊り出す。

 くるくる、くるくる。

 ふわふわ、ふわふわ。

 光の球が踊るうち、砂糖がとろりと溶け出した。そして光の球に引き出され、細糸のように伸びていく。そのままいっしょに宙を舞う。光がきらきら映り込む。

 まるで望遠鏡でのぞく夜空の星雲のようで幻想的だ。その星雲を、サキが細い棒にからめ捕る。

 ふわふわの星雲が、綿菓子になった。

「うわー、サキ、ありがとう!」

 受け取ったマルトは、ぱくりとひとくち口にふくんだ。ふんわりとした砂糖菓子は、口の中でもふんわりと溶ける。少し混ぜてあるレモンのエッセンスによって、さわやかな風味がついている。

 本当にお母さんの味だ。

「おいしいよ、サキ」

 にこにことほおばるマルトを見て、サキもつられるようにちょっと口元を上げた。その時、サキはマルトの口の端に、綿菓子のかけらがついているのに気づいた。

 マルトのほっぺたについた綿雲を、ちょんとつまむと、サキはふと考えこんだ。おもむろにそれを、マルトの目の前に差し出す。

 マルトは何のためらいもなく、ぱくりとサキの指をくわえた。ちゅるん、と綿菓子を吸うばかりか、サキの指先についたあまみも、ぺろりとなめとる。

 そのとたんにサキは顔を赤らめ、少し身ぶるいした。

「あまいね」

 マルトはそんなことに気づかずに、口をはなすと、ニコニコと笑いかける。

「……また、作ってあげる」

 サキはおいしそうに綿菓子を食べ続けるマルトの頭をそっとなでて、仕事へともどっていった。

 午後の店番をしながら、マルトはメイに、気になっていたことをいろいろと聞いてみた。それまでも何も教えてもらえていなかったわけではないのだが、秘密の仕事のせいではぐらかされていて、あやふやなところがあったのだ。

 もう裏の仕事のことは秘密ではなくなったので、メイも知っていることは進んで教えてくれた。

 ただ、メイもマルトと同じ年の子供なので、教えようにもくわしく知らないことはあった。例えば、マルトの父ロイと母アリス、そしてナーナ、マイラ、サキ、それに小さすぎて本人は覚えていないがメイも、ハービル修道院付属の同じ孤児院の出身だとは聞いていた。みんな小さいころからいっしょに育ったので、三人はマルトの母アリスを「姉さん」と呼んでいるのだ。

 そして小さいころからいっしょに育った父と母は、年ごろになると恋に落ち、そのまま結婚してマルトが産まれた。

 だがメイは、何で二人が別れて暮らすことになったのか、その理由は知らなかった。赤ん坊だったメイが当時のことを覚えているはずもなく、もっと言えば、この話題がこの家で語られたことも、ほとんどなかったそうだ。

 なのでメイはロイが亡くなって初めて、奥さんと子供がいると知ったという。それはマルトも同じで、死後の知らせで初めて父の存在を知った。

 それだけこじれた別れ話だったのかなと思うところだが、それにしてはロイが死んだと知った時のアリスの様子は、マルトから見て尋常ではなかった。仲が悪くなって別れた間柄だとは思えない。まるで、最愛の人が亡くなったかのような憔悴っぷりだった。ここは不思議なところだ。

 だけれど、やはり父については、会ったことがないマルトはあまり実感がなく、気にならない。それよりも今の一番の関心事は、みんないつもあんな危ない仕事をしてるのか、ということだった。

 確かに昨日の様子を思い出せば、三人とも落ち着いていて、荒事に慣れている様子だったし、実力も圧倒していた。それでもあんな暴力沙汰の中に毎日身を置いているのであれば、いつけがを負うことになるとも限らない。マルトはそんな心配をメイに伝えた。

 それに対するメイの答えは。

「いつもあんな仕事ばかりじゃないよ。三人そろって出かけるのはめずらしいし。でも今日はマイラはそっちのお仕事だと思う。あの格好の時はそうなんだよ」

「えっ、そうなの?」

 マルトは今日のマイラの出かける時の姿を思い出してみた。上着、ズボンは少しゆったりとしたシルエットのもの。足元のブーツも華美ではなく、やわらかい素材の実用性重視のもの。いつもどちらかといえばスカートよりはパンツルックで、動きやすそうな格好をしているマイラだが、今日は特にそういう服装だった。

 動きがさまたげられないような配慮をしているのだ。ということは、つまり昨日のような肉弾戦を想定しているということになる。

 マルトを抱えたままで、ばったばったと敵をなぎ倒すすごい活躍だったし、そこら辺の盗賊よりずっと強いのは確かだ。でも昨日は三人そろっていた。一人でも大丈夫なのだろうか。昨日はマイラに抱かれたままぐるぐるぐるぐる回っていて、周りの様子をじっくり観察する余裕なんかなかったけれど、ボンボンと爆発音がしていたのはサキの術のはずだ。ああいう援護がなくてもいいのだろうか。

 そんな気持ちが胸の中に巣食って居座り、どんどんとふくらんでいく。

 取り去ることができないでいると、夕方になってマイラが帰ってきた。

「はー、つかれたー、ただいまー」

 マイラの声を聞いたマルトは、ぱたぱたと、いつもより小走りに迎えに出る。

「ただいまあ、マルくん、おなか減ったよお。何か作っ……」

 いつもの調子でそこまで言って、マイラは今朝のマルトの様子をはたと思い出した。

 ツーンとそっぽを向くマルトの顔。今までの苦労がマイラのせいだと知って、マイラに手厳しい態度を取っていた。

 マイラはマルトの一生懸命な姿が本当に愛おしくて、それをずっとながめていたくて、ついつい仕事を押し付けていたのだが、そんなことは当の本人には理解してもらえなかった。

 やはりまだ怒っているのだろうか。

 恐る恐るマルトの顔を見る。

 マルトはじっとマイラを見つめていた。

 だがその視線は、今朝のじっとりにらみつけるようなものではなく、少し困ったような、切なげなものだった。

 そして、マイラの体にきゅっと抱きついて顔をうずめた。

「マイラ、朝はごめんね」

「ふあっ?」

 予想外のマルトの行動に、マイラの口から変な声がもれた。それに気づかなかったようにマルトが続ける。

「マイラは大変なお仕事してるのに……それも、あの時言ってたみたいに、ぼくみたいなのがこの家に来たからなのに……。それなのにマイラにつらく当たって、ごめんなさい」

 マイラはマルトがなんのことを言っているのか、思い当たった。

 昨日、盗賊団の頭領に言ったこと。食べ盛りの男の子がいるので、はらいのいい仕事は断れない。

 マルトはそれを気にしているのだ。

 でもそれは思い過ごしだ。あれはナーナとの阿吽の呼吸で、盗賊団の連中を挑発するために言ったセリフ。相手がカッとなってバラバラに突っ込んできてくれた方が対処しやすい、というねらいがあった。カッとなったのがとなりのサキの方で、ねらいはぐだぐだになってしまったのだけれども。

 自分が護衛や盗賊討伐のような仕事をしているのは、単にこれが一番得意だからだし、マルトが来る前からずっと続けていることだ。マルトが来たから無理している、なんてことはない。マルトが気に病むことではないのだ。

 ということを、マルトに告げてあげればいいのだが。

 マイラは口をパクパクとさせるだけで、言葉が出てこなかった。

 自分をぎゅっと抱きしめるマルトのしっとりとした暖かさ。みぞおちの辺りに顔をうずめるマルトの重み。

 そっと腕を回してみる。かわいい、愛おしい存在が、確かに今、自分の腕の中にある。その吐息、その体温を、今自分が包み込んでいる。

「ふああーーー」

 その幸福感に意識を占められていたのである。

 胸元からマルトが見上げて、マイラに問う。

「おなかすいてるんだよね。ぼくはメイみたいにうまくご飯を作れないけど、ぼくのでいいの?」

 マイラはうんうんとうなずくだけだった。

 いつも通りに、台所のテーブルに着く。いつも通りに、マルトが食事の用意をする。くるくるくるくる立ち回って、たどたどしく包丁をふるって、いつも通りにかわいらしい。

 いつも通りではないのは、マイラに対するぐちが一切なく、本当に一生懸命なところ。

「はい、スパゲッティー特盛」

 テーブルの上にお皿が置かれた。これぞまさに、愛情がたっぷりつまった一品だ。こんな夢みたいなことがあっていいのかな。マイラは幸せに身を打ちふるわせた。

 ふるえる手でフォークをつかむ。

「いただきま……痛」

 食べようとして、マイラは自分の右手の痛みに思わずうめいた。

 信じられない出来事が続いて、痛めていたのをすっかり忘れていた。今日の仕事の最中にぶつけたところ。早く帰りたかったので、大したことないし家で治そうと、そのままにしていたのだ。

 その打ち身のあとに、マルトが気がついた。

 痛みをおもんばかってか、マルトの顔も苦痛を受けたようにゆがむ。

「右手、痛いの? 大丈夫? 食べられる? 食べさせてあげるね」

 そう言うと椅子を引き寄せてとなりに座り、マイラの右手からフォークを取ると、スパゲッティーをからめとって口元に差し出した。

「はい、あーん」

(え? 何? 天使? 天使がいるの?)

 愛情と優しさを無限に差し出すマルト。あまりのことにマイラはもう味などわからない。

 食べ終わった後も、マルトはじっとマイラの顔を見つめている。なんとはなしに両手を広げてみると、マルトは椅子から降りて、こちらの膝の上によじ登り、胸元に体を預けてくるではないか。

 すり、と頬を寄せ、ぴったりと密着して体重をすべて預けて、完全にその身を委ねた姿勢。それもまた、無限の信頼と愛情に他ならない。

「天使……」

 その身体をマイラはそっと抱きしめる。

 やわらかいマルトの髪に、自分も頬をすり寄せる。

 もう、うれしさで泣きそう。もう、このまま死んじゃうかもしれない。もう、こんなにされたら、愛おしさがこの胸からあふれ出してしまう。

 それにしても、とマイラは意識の片隅で考えた。今朝から今へのマルトの豹変ぶりは、ふだんの様子とはかけはなれている。考えられることとしては一つ。ご機嫌ななめなことに気を取られていたが、やはり昨日の荒事に巻き込まれたのは、小さな子供のマルトにとっては大きな衝撃だったということ。まだ、平常な心のありようにはもどっていないのだ。

 しかも今朝、こっそりマルトの様子を見に寝室をのぞいたのだが、ひとすじ涙を流しながら、お母さん、と寝言でつぶやいていた。多分、昔の夢を見ていたのだろう。

 今のマルトは、ちょっと心細くなってしまっているのだ。でなければ、こんなにあまえてくるはずがない。

 ただ、そう考えても、ちょっと極端すぎる気がするのだが……。とにかく、マルトの面倒を見る大人としては、そこもしっかりフォローしてあげなくては。

 だが、そう頭の片隅では思っていても、実際にマイラができたのは。

「ふあああ」

 おかしなため息をつきながら、マルトを抱きしめることだけだった。

 だってこんなにかわいいマルトのしっとりとした暖かさ。そして胸元に預けてくるその重み。以下略。

 そして、しばらくした後、水をもらいに台所にやってきたサキが見たものは。

 顔を赤くして魂が抜けたような表情で恍惚としているマイラと、その胸にじっと抱きかかえられているマルトの姿だった。


 ナーナは村外れの池のほとりに立っていた。

 そこはアリスがこと切れた場所。

 愛しい息子を残して、旅立った場所。

 愛する者の元へと帰った場所だ。

 ナーナは辺りを見渡す。

 言環理使い同士の激しい戦いのあとが、いまだそこら中に残っている。まるで暴風でもふきあれたかのように打ち倒された木々。その肌に刻まれた傷痕。焼けこげたあとが、のたうち回る大蛇のよう。下生えも焼きつくされ、大地はそこかしこでえぐれている。

 これだけの激しい戦いで、いくら村から少しはなれているとはいえ村人たちが争いに気がつかなかったのは、アリスがこの辺りに結界を張っていたからだ。よく見れば被害の範囲がきれいに区切られているのがわかる。

 それは、村に被害をおよぼさないように、という配慮であっただろうし。

 もう一つ、アリスの、相手を逃がさないという決意の表れでもあっただろう。

 骨も残さず焼きつくしたのは、相手を絶対に許さないという彼女の強い意志。彼女の愛する人を殺した憎い仇だったからだ。

 アリスの思いをしのんで、ナーナは唇をかみしめ、空を見上げる。

 彼女が、そして彼女の愛した彼が、そうして命を懸けてまで守ったもの。

 そして自分たちに託されたもの。

 それはずしりと重いものだった。

 空の雲の向こうに、その先の天国に、今二人はいるのだろうか。愛しあっていたのに、ずっとはなればなれに暮らさざるをえなかった、そんなつらい間を埋めているのだろうか。

 じっと空をながめながら、ナーナは背後の人影に、振り向くことなく声をかけた。

「よくもまあ、自分が殺した相手の最後の場所に、のこのこと顔を出せるものね」

 そしてゆっくりと振り返り、強い視線を、木かげにたたずむ男に向けた。

「カリウス兄さん」


〈続く〉

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