第2話 マルくんの非日常

(うわー、なんだ、なんだ、この人たち)

 ケースの中身を相手があらためている間、もう一度辺りを見わたしたマルトは、その異常な光景に、あらためて身ぶるいする思いだった。

(ど……どう見ても、カタギの人じゃないみたい?)

 まさにその通り、人相も風体もごろつきそのもの。筋骨隆々、顔に傷あり。薄暗い瞳で、目付きはするどい。獲物に飛びかからんとしているかのように、あごを突き出し、背中を丸め、前のめりの姿勢。

 そんな連中が武器を持ち、ピリピリとした雰囲気をたれ流している。

 大口のお客様に依頼の品を届ける。お使いの内容はそう聞いていた。ただ、その大口のお客様が、どういう人だかは聞いていなかった。まさかこんな連中だなんて。

(こないだ来た人はみょうに立派な人だったし、と思えば今度はこんなだし……。ぼくの知らないところでいったい何の仕事を……)

 マルトは冷や汗が止まらない。来る前は、薄暗い夜道はちょっと怖いなあぐらいに思っていた。今の危機感はそれどころではない。まさに雲泥の差。風前の灯火。何か対応をまちがえたら、無事に帰れないかもしれない。

「おい!」

 おどおどとうろたえているところに、いきなり大きな声でどなりつけられて、マルトはビクッと背筋を伸ばす。大声を張り上げたのは交渉相手のリーダー。親分と言った方がしっくりくる、やはりこわもての壮年の男。がっちりした体型そのままの角ばった顔には、見るからに不機嫌な表情が浮かんでいた。

「なんだ、こりゃあ」

 カバンの中身をばさりと机の上に広げる。それを見てマルトはさらなるおどろきを覚える。

 おいしいカレーの作り方。五分で作れる簡単レシピ。

 そんな見出しが表紙におどる本が数冊。どう見ても、この人たちのために用意した物とは思えない。というよりもこの本、台所で見かけたやつ。適当につめ込んだことは明白だ。

「たのんだのは、王宮への貢物を運ぶ輸送隊の金庫の鍵。開かずの言環理(ことわり)を解く、反唱詠だったはずだ」

 親分はどんと机を突く。

「絶対調べられるってえから前金わたしたんだぞ!」

(なにー!)

 肝が冷えるとはまさにこのこと。マルトは冷水を浴びせられたかのように、顔面蒼白、血の気が引いていくのがわかった。

(そんなヤバイ仕事してたなんて聞いてないぞ! いやそれより、前金取ってガセつかませてどうすんだよ!)

 ただのお使いだと思っていたのに、そんな単純な話ではなかった。この人たちに輸送隊の金庫の鍵だなんて、犯罪のにおいしかしない。そして、それに手を貸すどころか、さらに詐欺にはめてひとかせぎしようとしている。闇をさらに黒くぬりつぶすような行いだ。しかし、しかけは雑で、もうばれようとしている。

(と、とにかく逃げねば)

 止まらない冷や汗が、さらにだらだらと流れだす。どうにかここから無事に出たい。パニックにおそわれそうになりながら、必死に頭をめぐらせる。

「何かこちらの手ちがいで、別の品をお届けしてしまったみたいですね。すいません、出直してきます」

 とりあえずの作り笑いを浮かべ、へこへこと頭を下げて謝る。くるりと背を向けて、逃げだそうとしたところ。

 そうは問屋がおろさない。

 がしりと襟首をつかまれた。

「とぼけやがって。さてはハナから前金せしめてトンズラする気だったな」

 太い二の腕に大きな力こぶを作り、マルトをぐいと引き寄せると、親分は横からのぞき込むように問いつめる。その額に怒りの青筋が走っている。

「えー、そんなこと言われても、何がなんだか」

 マルトは必死にとぼけようとするが、やはりそんなあまい策は通じない。親分はふところからナイフを取り出して、マルトの首筋にひたりと当てた。

「許さねえ! 俺たちをだまそうとするとどうなるか、思い知らせてやる!」

「あー! 助けてー!」

 マルトは悲鳴を上げてじたばたと逃げようとした。だが、がっちり抱えこまれて逃げられない。これだけのゴロツキを束ねる頭領だ。腕力で子分におとるわけがない。マルトがどうこうできる相手ではない。

 それでも、このままあきらめておとなしく従うわけにはいかなかった。すでに相手はマルトに報復する気なのだ。無抵抗でも無事ではすまないのは明白だ。

 必死に暴れていると、マルトをおどすために当てられていたナイフで、頬が切れた。熱い血のしずくが青ざめた肌を伝う。

(だいたい、何であんな適当な書類を。だまし切る気が全然ないじゃん!)

 もがき苦しむマルトの頭の中を、いやな考えがよぎった。

(そもそも前の店長の別れた子供をなんで引き取ったんだろ。店長にするためなんて絶対変だ)

 一度生まれた疑念の種は、芽を出し、むくむくと育っていく。

(実際、店長なんて名ばかりで、こき使われてるだけだし。ばれたらこうなるってわかってるのに行けなんて、もしかして……)

 根を張り、枝を伸ばし、マルトの心をむしばむ。

(もしかして、最初からこう使うつもりで引き取ったの?)

 絶望に心を占められ、目じりに涙が浮かんできた、その時。

「マルくんを放して!」

 戸口から声がひびいた。

 ごろつきどもがいっせいに振り向き、招かねざる侵入者の姿を見とがめる。

 外の暗闇にまぎれ、姿はすぐには見分けられなかったけれど、そこには三人の人影。

 一歩ふみ出し、扉から中に入る。

 中の灯りにぼんやりと照らされ、その姿が浮かび上がる。

 マルトが見たものは、見慣れた顔。

 だが、その姿はいつもとちがっていた。三人そろいの青い上着には金の刺繍が入り、胸元に紋章の入ったかざりボタン。ナーナとサキはスカートでマイラだけがズボンだが、かちっとしたデザインで、軍服のような印象を受ける。見たことのない服装だ。そして、いつものだらしなさがまったく見えない、引きしまった表情をしていた。

「ごめんね、マルくん。人手がどうしても足りなくて、おとりになってもらっちゃった」

「すぐ助けたげるからね、ごめんね」

 ナーナとマイラが、これは心底すまなそうな顔で、マルトにあやまった。それはいいとして、周りの光景にひるむ様子がまったくないのが、マルトにとってはおどろきだった。これだけの狼藉者たちが居並ぶさまが、威圧感がないはずはないのに。

 自分たちが目に入っていないかのようなふるまいに、いらだたしさを増した声で、頭領は怒鳴りつけた。

「貴様らどういう了見だ!」

「これ」

 サキが戸口の裏から、大きな麻袋を取り出す。

 袋はけっこう重そうで、持ち上げたサキがちょっとふらつく。そのはずみにまだ見ぬ中身が「「「カチャリ」」」と音をたてた。重なった音が、何かかたい物がたくさん入っていると知らせていた。

 その音を聞いた頭領の、マルトを抱えている腕が、びくり、とふるえた。

 袋の口を開け、そこから取り出したのは。

 数々の宝石、首かざり、豪華な装飾をほどこされた宝剣などの、大量のお宝。

「あなたたちの犯罪の証拠の数々。悪いけど、手薄になったアジトから、頂いてきちゃった」

「……見張りは残していたはずだ!」

「あんまり優しくしてあげられなかったけど、ごめんね?」

 ナーナがにこやかにほほ笑みながら告げる。

「あなたたちもふんじばって、これといっしょに王宮騎士団に差し出せば、一件落着、メデタシメデタシ。最初からそういう作戦よ」

「この! だましやがったな!」

 あらぶる盗賊団の頭領の怒声にも、おびえる様子は微塵もない。ちょっとしなを作って、あざとい感じに口元に手をやり、困った顔を作る。

「だって王宮の使いの人から、この辺りをあらす盗賊団を一網打尽にしたいって、ご相談があったんですもの」

(あっ)

 マルトはふと、この間来た男の人の顔を思い出す。

(あの人のことだ)

 店に亡くなったマルトの父を訪ねてきた人。身なりのしっかりした、風格を備えた人。

 王宮の使いの人と聞けば納得だ。そしてそういう人であれば、ナーナがあわてて対応していたのもわかる。

「それもなんと」

 ナーナはごほんと一つせきばらいして、重要な事実を明かすのだ、という雰囲気を作った。

「どこかのケチな親分とちがって、こっちの言い値で!」

 そこにマイラが乗っかる。

「うち、食べ盛りの男の子がいるんですものー。払いのいいお仕事は断れないわ」

「決して、新しい服が欲しかったんじゃないのよ」

「ねー」

 さっきまでの、きりりとした表情はどこへやら。ナーナとマイラはいつものゆるさでうなずきあっている。

(ちょっと、ちょっと……)

 マルトは冷や汗を一つ垂らす。マルトを抱えている頭領の腕に力がこもり、ぎり、と歯ぎしりの音が頭上からする。三人は、ただ盗賊たちを恐れていないだけではない、小ばかにしたような言動は、挑発であるようだ。それは頭領の様子を見れば成功していることがわかる。だが大丈夫なのだろうか。

「というわけで」

「マルくん返してもらうわよっ!」

 マルトの心配をよそに、三人は眉をつり上げた引きしまった表情にもどり、盗賊どもをしかとにらみつける。それぞれ身につけた環が、光を放ちはじめた。言環理の力によるものだ。

 ナーナは耳元のイヤリング、マイラはブレスレット、サキは指輪。いつもなら、ふわりと淡い光が泡となってただようのだが、今回は、三人の意思の強さと比例するように、強くかがやいている。

 その時、サキがマルトの頬に目を止めた。

 さっき頭領からナイフを突きつけられた時に、少し切れて血がにじんでいる。

 サキの表情が険しくなる。

「……ケガ……」

 その事態がかなりお気にめさないらしく、大きく口をヘの字に曲げる。

「……ケガ、させられた……」

 いつも仏頂面と言えばそうなのだが、輪をかけて不機嫌さを増す表情。

 ふところから試験管を一つ取り出すと、コルク栓をぬいた。

 サキは詠唱を始める。中の液体が蒸発し始めた。

「ブラウンとアボガドロの名においてお言環理します。か弱き小さきその欠片、纏まり蠢くその粒、震え、広まり……」

「ちょっとサキ、それ……!」

「わあ! ワトソンとクリックの名において……」

 サキの詠唱にマイラがおどろきの声を上げる。その中身に気付いたナーナは、あわてて自分も詠唱を始めた。

「なんだ?」

「霧?」

「でもこのにおいは……?」

 試験管から立ち上る蒸気が辺りに流れる。

 やがてサキが詠唱を終えると、カッと光がきらめいた。

 一帯を包む轟音と爆炎。盗賊たちの悲鳴。突風が吹き荒れ、壁や床がびりびりと振動する。

 一瞬の爆発の後、礼拝堂の中の様子はすっかり変わっていた。固定されていたはずの長椅子がいくつもひっくり返って、盗賊たちは床に打ち倒されている。

 その中で、黒くいぶされたツタの塊が一つ。

 ぼろりとくずれると、中からマルトが顔を出す。ナーナの言環理がマルトを守ったのだ。ちなみに、本人たちの分までは間に合わず、三人ともちょっといぶされて、すすけてしまっている。

 ゴホゴホとせき込みながら、マイラがサキに文句をぶつける。

「無茶苦茶だよサキ!」

「マルくん傷つけた。許さない」

「マルくんごとふっ飛ばすとこだよ! 私の言祝ぎが間に合わなかったら、どうなってたと思うの!」

「…………大丈夫。ナーナなら間に合うとわかってた」

「その間は何だ!」

「かっとなって後先考えてなかったでしょ!」

 三人がやいのやいのと言い合う中、爆風に翻弄された盗賊団の面々は、そこら中でうめいていた。頭領は頭を振って意識をはっきりとさせると、よろよろと立ち上がる。

 そして逃げ出そうとしていたマルトの首ねっこをつかまえると、周りにハッパをかけた。

「あわてるな! こっちにはまだ人質がいる!」

 怒りの表情で三人を見据えて、喝破する。

「俺たちをだまして恐れもしないたあ、確かに見上げたもんだ。腕の立つ言環理師なのも確からしいな。だが言環理師に弱点がねえわけじゃあねえよな?」

 頭領はひたり、とナイフをマルトの頬に当てがった。

「いくら言環理に力があったとしても、お前らが言祝ぐより俺のナイフの方が速いぜ? ずいぶんとこの坊主にご執心らしいじゃねえか、ええ? なるほど、かわいらしい顔してるもんな」

「あ……」

 マルトは身がすくんだ。無理もない。このような荒事には、まったく慣れていないのだ。

 マルトの母も言環理使いだったので、言環理自体は見慣れているが、こんな戦いの最中に身を置くのは初体験だ。三人が現れたと思えば、辺りが霧に包まれ、そしてさらにツタに包まれて真っ暗になった。何が起きたのか全くわからないうちに、轟音と爆風に翻弄され、気がつけば盗賊たちが倒れていた。

 ここが逃げ出すチャンスだったが、急展開の衝撃に身も心も硬直してしまい、気づくのがおくれてしまったのだ。さっきまではパニックになりそうになるのを必死におさえてもがいていたが、もうだめだった。マルトの目に涙が浮かんだ。

「う……」

「マルくん……!」

 いつも無表情だけれど、実はマルトを溺愛していて、沸点も低いサキが、マルトの泣き顔にぴくりと身じろぎしたのを、ナーナが制した。

「おいおい、動くなよ」

 頭領はナイフの刃でひたひたとマルトの頬をたたく。

「詠唱もなしだぜ。俺もこんな子供を傷物にしたいわけじゃねえからな。お前さんたちも、このかわいらしい顔が苦痛にゆがむところは見たくないだろう?」

 そしてその眉をいっそう釣り上げて、腕を突き出し、するどい声を上げた。

「その袋を置いて、その場から離れろ! ふんじばらせてもらうが、抵抗するんじゃねえぞ! 俺たちが町から十分離れた所で、こいつは解放してやる! ぐずぐずするんじゃねえ! 早くしろ!」

 マルトは三人が最初から見捨てるつもりで自分を送り込んだのではと危惧していたが、それは杞憂だった。三人にそんな考えは微塵もなかった。戦力を分散させるべきかなやんだ末、人手不足でしぶしぶマルトをおとりに使ったのだ。

 マルトの足と、言環理で移動できる自分たちの速さを考えたら、敵のアジトを制圧してからでも、十分教会跡に間に合うと思っていた。物陰で様子をうかがい、取引現場を押さえる計画。適当な書類を突っ込んだのは、それで盗賊たちの意識に隙を作り、奇襲をかけるつもりだったからだ。

 アジトの抵抗が思いのほかしぶとかったのが、誤算だった。

 ただ、この場に誤算はもう一つあった。

 それは、こちらのものではなく。

 盗賊たちの誤算。

 確かに三人はマルトを見捨てて、言祝ぎを唱えるようなことはできない。

 だが、する必要もない。


 詠唱はすでに、終わっていた。


「ニュートンとフックの名においてお言環理します。弾ける力、剛の力、天より授け、地より出、我に重ね給え」


 ナーナがサキをおさえたのは、となりでマイラのつぶやいたこの言祝ぎを聞いていたから。マイラは力仕事の担当だ。その中には、町から依頼された無法者の排除がふくまれる。この中で一番、こういう事態に慣れている。

 爆発の衝撃から頭領が立ち直り、マルトを引き寄せた瞬間に、言祝ぎをつむぎだしていた。

 実戦慣れしているマイラは、自分の力を過信していない。言環理の力を練り上げるのがマルトを取り返すのには間に合わないことにも、すぐに気づいていた。力を制御し、副産物である光の泡が身の外にもれ出ないようにした。

 手の内をさとられないことは、実戦において力の大小よりも重要だ。

 そして、それを使うタイミングも。

 三人に通告を突きつけた頭領が、マルトからナイフをはなし、腕を突き出す。このような、コンマ何秒の隙を待っていた。

 制御していた力を解放。床を一蹴り。かき消すように盗賊団の眼前から消える。それは人の認識を上回る移動速度のため。それにより、一瞬にして頭領の側面に位置を取る。突き出した腕を取ってねじり上げ、がら空きの脇腹に拳をたたき込む。

「がはっ!」

 十分な手ごたえ。肋骨がいった。頭領は体をおかしな具合にねじ曲げて、苦悶の息をはく。

 ねじり上げた腕を背後へ引いて、頭領の体をマルトから引きはがし、投げ捨てる。マイラはマルトを抱きかかえた。

「もう大丈夫だよ、マルくん」

 この間、一秒にも満たないような。

 目にも止まらぬ早業とは、まさにこのこと、というような。

 電光石火、瞬速の一連の流れ。

 バタンと大きな音を立て、受け身も取れずに頭領は倒れ、その音で周りの手下たちが我に返る。

「こ、こいつ……!」

「囲め! やっちまえ!」

 敵のさなかに単身乗り込み、両手でマルトを抱えてかばうマイラ。はた目に見れば、多勢に無勢な上に両手が使えないのは、非常に不利な状況だ。

「血を止めるのは、ちょっと待ってね」

 だがマイラは、そんなことは何でもないかのように、まだナイフを突きつけられた恐怖にふるえるマルトに優しくほほえみ、けがした頬に口づけた。

 次の瞬間、包囲していたごろつきどもの壁が、はじけ飛ぶ。

 マイラが言祝いだ言環理は、物理的な力を操り、身体能力を高めるもの。マイラの一番の得意技で、これが彼女を力仕事担当たらしめている。

 ごっ!

 がっ!

 にぶい衝撃音とともに、盗賊の頭部が、ある者ははじけるように横にずれ、ある者ははね上がる。頭をかばえば、下段、中段と蹴り込んで、ガードを下げさせてから、やはり頭部にとどめの一撃、意識を刈る。足しか使えなくてもそれで十分。強烈な蹴りは、次々と相手を打ち倒していく。

「くそっ!」

 先手を取られた盗賊の中に、いち早く体勢を立て直し、反撃しようとする者が出た。手に持ったなたを振り下ろし、ねらうのはマルトをかばう上半身。子供を一人抱いた状態で、素早い回避行動は取れないだろうとふんでのこと。とっさの判断としては上出来だ。

 マルトを抱えて手が使えない状態で、蹴りだけで攻撃をくりだすマイラは、ほとんど常に片足立ちで、しかも姿勢は大きくかたむいていた。とてもではないが、よけられる体勢ではない。

 だが、マイラは立ち足を中心に体操選手のようにくるりと頭を下げて身をひるがえし、攻撃の軌道から体を外した。ものすごいバランス感覚。しかもその動きの勢いを利用して、ぐるりと回した蹴り足で、なたを振る腕を打ち下ろす。

「ぐあっ!」

 ぼきりとにぶい音とともに、盗賊の腕がおかしな方向に曲がり、なたを取り落とす。

「は、速い!」

「とらえきれねえだと?」

 頭領を倒され、人質をうばい返され、おそいかかった仲間は蹴り倒される。盗賊たちの動揺が一気に広がる。

 さらには、マイラには援護があった。いくら言環理により身体能力を強化しているとはいえ、さらには格闘術に秀でているとはいえ、多勢に無勢には変わりない。しかも相手も荒事に慣れたごろつきだ。一時の混乱の隙を突いた最初のうちはいいとして、その後相手が状況をつかめば、数の力でつかまる危険はあった。

 それを防いでいるのは、落ち着きを取りもどしたサキだった。

 先ほどの礼拝堂一帯を爆発に巻き込んだ術。可燃性のある液体を霧として操る術を、今度はたくみに使いこなし、盗賊たちの手元で小規模爆発を次々と起こす。

 彼女の得意の言環理は、いろいろな物質の反応を制御するもの。さらに流体の制御もお手のものだ。それを使って、ふだんは薬を作っている。

 そして今はその力を味方の援護に使う。マイラに攻撃をしかけようとする盗賊たちに、気流を操り霧の形で爆薬を送り込んで、爆発を起こして動きをさまたげている。規模より速さが優先で、威力はさほどではない。でも援護としては十分だ。

 状況をつかめば、連携して数の力でマイラを囲めるはずの盗賊たちは、一見何もないところに次々と起こる小規模爆発に翻弄され、動きを分断されている。

 そんな連携の取れていない相手は物の数ではないと言わんばかりに、マイラは次々と、文字通り盗賊たちを蹴散らしていく。身の内からあふれ出す言環理の力は、光の尾となって、マイラの動きのあとを空間に残す。美しくきらめき流れるそれは、まるで光の舞踏のようだった。

「さすが、マイラ。さあ、あとはつかまえるだけだね」

 総くずれの様相を呈してきたのを見て取り、ナーナがうなずく。そして自身も言祝ぎを唱え始めた。

「ワトソンとクリックの名においてお言環理します。伸びやかなる力、健やかなる若芽、育ち、育み、大地に根を張る大樹となりたまえ」

 ナーナお得意の言環理が、辺りを光で満たす。床板の隙間から、にょきにょきとツタが顔を出し、一気に成長を加速させると、突風のような勢いで、盗賊たちを巻き込んで伸びていく。そのまま礼拝堂を満たす大樹となって、盗賊たちを壁や天井にはり付けてしまった。

「うわ、なんだ、これ!」

「くそ、降ろせ!」

 はり付けられた者の中には弓銃を持つ者もいて、それを眼下のナーナたちに向けようとしたが、それは、サキの言環理により引き起こされた小爆発によって無力化された。盗賊たちの罵声が礼拝堂にひびく中、当のナーナはそんなものは意に介さず、満足そうにとなりのサキにほほえんだ。

「ふー、やったね、一網打尽! そろそろお役人が引き取りにくるころね。メイが連絡しといてくれたはずだから。予定よりおくれちゃったから、ちょっとあせったけれど、何とかなってよかった!」

 サキは生真面目にぐるりと礼拝堂を見わたし、盗賊たちがもう反撃できないことを確認してうなずくと、急いで踵を返した。その行く先をすぐに察知したナーナも続く。

 行く先は、マルトのもと。盗賊たちを排除してすぐ、マイラはマルトのけがを治しにかかっていた。マルトを抱えたまま膝をつき、言祝ぎをつむいでいる。優しい言環理の光の泡が、マルトを包んでいる。

 ナーナとサキは二人のもとにかけ寄り、マイラの腕の中のマルトをのぞき込んだ。頬の傷は治っていたが、表情はまだこわばっていた。その様子に胸が痛んだ。

 盗賊たちの頭領が喝破したように、言環理の力も無敵ではなく、言祝ぎをつむぐのに時間がかかるのは弱点だ。乱戦になった時に、今のようにお互いがカバーしあえるようにしておきたかったので、戦力の分散をさけ、三人でまずアジトへ向かった。それは合理的な判断だと言えるが、時間の読みがあまく、マルトを危険にさらすことになった。

「マルくん大丈夫? 他に痛いとこない?」

 ナーナの呼びかけにマルトは答えなかった。口を結んだかたい表情を見て、マイラが顔をしかめる。サキは傷のあった頬に、そっとふれた。

 そんな気づかう三人の顔を、マルトはおもてを上げて見わたした。一人一人じっと見つめて、最後に、一言。


「こんな危ない仕事してるなんて、聞いてなかったよ」


「あ」

 非難の声色に、マルトの心情に気づいた三人が、今度は顔をこわばらせる番だった。

 マルトの表情がかたかったのは、恐怖の名残だけではなかった。

 怒っていたのだ。

 確かに、最初からマルトをおとりに使うつもりだったのでは、という考えは懸念に過ぎず、むしろ三人はマルトをかばって助けてくれた。何か計算ちがいがあっておくれたのだということも納得した。

 でも、マルト一人だけが、仲間外れだったのだ。

「メイちゃんも知ってたのに……ぼくだけ知らなかったなんて……」

 盗賊退治の依頼に来たのは、あの日の紳士。そして、あの時、何かをごまかすようにそそくさと立ち去ったメイの様子。それを思い出せば、結論は一つだった。

「ごめんごめん、ウチに慣れてきたら話そうと思ってたの」

「あーん、ごめんよう! 怒らないでよう!」

 あわてて言い訳したけれど、マルトはすっかりへそを曲げてしまって、涙目になりながらも、険しい表情をくずさない。かたくななマルトの様子に、三人はオロオロするばかり。騎士団の面々がかけつけ、盗賊団を引き取ってもなお、マルトの眉根に縦線が二本。口はへの字で、じっとりとにらみつけるまま。

「機嫌直して! あいつらからせしめた前金もあるし、今日はごちそうよっ!」

「どーせぼくが作るんじゃ……」

 帰り道も、なんとかなだめようと三人は四苦八苦。そして家に着き、扉を開けると。

 美味しそうなにおいがただよっていた。

「おかえりー!」

「……ご飯、できてる?」

 いつもであればマルトがしたくするはずの食事。三人が面倒だとマルトに押し付けていた、食事のしたく。なぜかそれが終わっている。しかもとても美味しそうだ。マルトの眉間にさらなるしわが寄る。

「あ」

「まずい」

「お仕事終わるころだと思って、ご飯作っといたよ! ひさびさの食事係で張り切っちゃった! たくさん食べてね!」

 今帰ったばかりで、向こうでの事情をよく知らないメイが、にこやかにみんなを出むかえた。エプロン姿がかわいらしい。そしてよく似合って、しっくりきている。

 まるでいつも着ているかのように。

 メイは確かに張り切っていた。素直で優しくうそがつけない性格のメイ。マルトが来てから気を使って苦労していた。

 まず、父が亡くなり母も亡くなった、そんな少年に対する気づかいが一つ。

 さらにそこから、いきなり環境が変わりすぎると大変だから、当分ウチの事情は話さないでおこうという取り決めで、日々うそをつかなくてはいけないことが一つ。(くだんの王宮騎士団の使いに対するおとぼけは、自分でもなんて下手なんだろうと落ち込んでいた)

 そしてさらには、つらいことはいそがしくして考えないようにするのがいいんだよという、三人の計らいに付き合って、食事係をマルトに押し付けてしまっている心苦しさが一つ。(これに関しては、三人の様子がどうもあやしく、マルトをいじって遊んでいるのではと疑っていて、それがさらに心苦しかった)

 でも、それも今日で終わりのはずだった。

 実際に仕事の様子をマルトが見て、うそをつかなくてもよくなるはずだった。

 ウチの事情は帰ってくるまでにはもうマルトに話しているはずだから、みんなもっと仲良くなってもどってくるはずだった。

 そんなめでたい日だったので、メイはいつも以上に張り切って、腕によりをかけたごちそうを、テーブルに並べていたのだった。

 新鮮な野菜で作るサラダに自家製ドレッシング。鶏の胸肉のクリームチーズはさみベーコン巻きはハーブと黒コショウで味付け。そのソースをからめるプディングに、マッシュポテト。野菜ごろごろのシチューに、デザートにリンゴのクランブル。

 においもいろどりも、食べる前からおいしそう。手間もたっぷりかかった本格的なごちそうだ。

 これだけのものを目の前にすれば、当然疑問がわいてくる。

「こんなちゃんと作れる人がいるのに、じゃあ何でいつもぼくが……」

「働くマルくんがかわいいからって、マイラが……え?」

「しーっ、しーっ!」

「今ごきげんななめなのっ!」

 もう気を使ってうそをつかなくていいという解放感から、ぽろりと事情を話してしまうメイを、三人が必死に口止めしようとするが、もう手おくれ。

「もう寝るっ!」

「あー」

 プルプルと怒りにふるえるマルトは、踵を返してどすどすと食堂を後にし、ばたんと扉を閉めた。タイミングの悪さに三人は頭を抱える。

「マルくーん、ご飯冷めちゃうよー?」

「ほんとに寝ちゃったのー?」

 しばらく時間を置いたのち、ほとぼりも冷めただろうかと、みんなはマルトの寝室の扉を開け、中の様子をのぞいた。

 部屋の中にはベッドに突っ伏するマルトの姿。そこで力つきたようで、小さな寝息を立てていた。

「あーあ、布団もかけないで。風邪ひいちゃうよー」

「いきなりだったから、疲れたんでしょう」

 おかしな姿勢で眠りについてしまったマルトを、マイラがそっと抱き上げて、ちゃんと布団の中に入れ、ナーナが掛け布団を胸元までかけ直す。

 そしてみんな、マルトの寝顔をのぞき込む。

「もうちょっと落ち着いてから伝えたかったけど」

「うん。でもこれでマルくんも私たちの仲間だよ」

 マルトの頭をそっと撫でるナーナ。手を握るマイラ。温かく見守るサキとメイ。

 その目は限りなく優しかった。

 こうしてマルトに、新しい家族ができた。


〈続く〉

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